表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
番外短編(20歳の年内)
40/43

甘いお菓子と噂話

早春、『花に託して』より前の話です。

女中の名前が『花に~』に登場する下宿人の少女と同じですが、別人です。

書いた時期が離れていたのでついウッカリ……。

よくある名前なんですよという事にしておいて下さい。



「ねえ、あの、リーファ……さん」

 廊下で女中の一人にもじもじと話しかけられて、リーファはきょとんと振り返った。エプロンの縁を両手で捻り回しながら、上目遣いにこちらを見ているのは、確か……

「セリナ、だっけ? 何か用かい」

 リーファが向き直ると、セリナは恥ずかしそうに縮こまった。

「あの、実は、その……あなたは、ロト様とも親しいのよね? だから、あの、出来れば訊いてきて欲しいんだけど」

 ロト『様』。耳慣れない呼び方にリーファは目をしばたき、それから、ああと察して微笑んだ。

「ロトに恋人とか婚約者がいるか、って話かい? そんなら、今のとこ誰もいないみたいだよ。仕事仕事で忙しすぎるってさ。手紙か何か、良かったら渡しとくよ」

「そ、そうじゃなくて……実はその、もう渡したんだけど」

「……? 返事がないのかい? あいつ、女の子からの手紙まで、書類に紛らせちまったんじゃねーだろうな」

 大いにあり得る。リーファは頭痛を堪えて眉間を押さえた。そもそも恋文自体、手渡された時点でそうと気付いていない可能性が高い。事務的に受け取って書類挟みに放り込み、それっきりということも考えられる。

 が、セリナはふるふる首を振った。

「手紙じゃないの。あの……春分祭の、お菓子を。でも、その……なんだか、分かって頂けなかったんじゃないかって」

「あぅぁ」

 駄目だ。リーファは天を仰いで呻いた。手紙ならまだ読めば分かるが、お菓子ではただの差し入れと思われるに違いない。というか、現に、

「……ごめん。それ、オレも食った」

「えっ」

「なんか差し入れ貰ったから皆で分けようって……春分祭だよな? 木の実の入ったクッキーだったよな? うん……それだ……本っ当、ごめん」

 あまりにもロトがいつも通りの態度で、普通に、いたって自然に、執務室でのお茶休憩に、そのお菓子を出したものだから。春分祭のお菓子は愛の告白、なんていう巷の行事のことなどは、

「何にも気付かねーで、シンハと三人で頂きました。美味しかったです」

 ゴメンナサイ、と三度謝って両手を合わせる。ロトは城内の使用人達にもわりと人気があって、ちょくちょく料理長や女中達から、様々な差し入れを貰うのだ。丁度忙しい時だったというのもあり、シンハもリーファも、全く疑いもしなかった。

 セリナは呆然と絶句していたが、ややあって、悲しげに深いため息をついた。知らずに恋路の邪魔をしてしまったリーファとしては、かける言葉もない。

 と、セリナはもう一度小さな吐息を漏らしてから、予想外のことを言った。

「やっぱり、そうじゃないかって噂は聞いていたけど」

「?? 噂って?」

「知らないの? 私達の間じゃ、多分間違いないって話だけど……」


 国王の執務室は、密談でもしていない限りは常に開放されている。その扉の陰から、ひょこりと首を出して中を窺う不審者が一人。

「何だ、リー。ロトなら街に出てるぞ」

 一人淋しく書類仕事をしていた国王陛下が、呆れたような、面白そうな声をかけた。

 リーファはこそこそ足音を忍ばせて執務室に入ると、後ろ手で半分ほど扉を閉めた。閉め切るとかえって怪しいが、開放しておくのはちょっと困る、出来れば話し声が聞こえないふりをして下さい――のような、半端な意思表示。

 シンハは眉を上げ、読んでいた書類を置いて、リーファを見つめた。話を聞く態勢だ。

 リーファは恐縮そうな顔で執務机に歩み寄ると、シンハの向かいにしゃがんだ。

「あのさ、いきなり変なこと訊くけど」

「……?」

 珍しく歯切れの悪い物言いに、シンハは訝る表情になったものの、少し身を乗り出す仕草で先を促した。リーファはちらっと背後を振り返って誰もいないのを確かめてから、小声でささやく。

「おまえってさ、女と付き合ったことあるのか?」

 ズッ、と、机についた肘が滑る。予期せぬ質問にシンハは当惑顔になったが、リーファが同じぐらい戸惑っている風情なので、どうにか気を取り直して答えた。

「いきなりなんだ、俺の隠し子でも現れたのか」

「ってことは、あるんだな?」

「……王族と認められる前は、な。十年は昔だし、その時の相手はもう結婚している。もちろん俺の子供はいない」

「あ、いや、隠し子じゃねーんだ。そっか、おまえも普通に女と付き合ってたんだよな。そうだよなぁ、うん」

 一人勝手に安心納得してうなずくリーファ。何がなんだか分からず、シンハは夏草色の目をしばたくばかり。彼を疑問の藪に放り込んでおいて、リーファの方は少しすっきりした表情になった。そして、今度は単なる興味と分かる口調で質問する。

「なんで別れたんだ? やっぱり身分の差ってやつ?」

「変なことを聞きたがるな、どうしたんだ。他人の色恋沙汰に突然興味がわいたのか」

「そーゆーわけじゃねえけど。ちょっとした好奇心。おまえさ、オレが知り合ってからこの方、全然、女っ気がねえだろ。だからちょっと心配になっただけ」

「余計な心配はしなくていい、どうせ否応なく相手が決まるさ。政略的に最も条件の良い貴族から、時機を見て王妃を迎えるだけの話だ」

「……なんかその言い草だと、女なんか嫌いだ、ってみたいに聞こえるけど」

「そうじゃない」

 なんなんだ一体、何をそんなに食い下がるんだ、と、うんざりした声音。だがリーファは引かず、じっと真顔で続きを待っている。シンハは渋々、嫌な過去を白状した。

「今現在、俺のまわりに女の影がないのは身分のゆえだが、昔の女と別れたのは戦争前だ。身分は関係ない。何回かベッドを共にして、嫌になったからだ」

 げふ、とリーファが空気にむせた。さすがにここまで赤裸々な話をされるとは思っていなかったのだ。が、シンハはさっさと片付けようとばかり、常になく饒舌に続けた。

「あんな場面でさえ、まともに目を合わせられないんだぞ。生贄の子羊が運命を甘受するような顔をして、恭しくおとなしく、畏れ多いと怯え服従されて、これ幸いと喜ぶほど俺は悪趣味じゃない。だから別れた、納得したか」

「ごめん、悪かった、もう訊かない。本当スミマセン」

 本日二度目、リーファは両手を合わせて謝罪した。シンハは苦りきった顔でそっぽを向き、腕組みして黙り込む。

 しばらく気まずい空気が漂っていたが、それもこの二人のこと、長続きせずに薄れ始めた。それを見計らって、リーファはこほんと咳払いした。理由を説明しようと口を開きかけ――ふと思い出して、別のことを訊く。

「もしかして、以前言ってた……本気で神を呪って加護を取り上げられた時、ってのは」

「ああ、その後だ。惚れた女さえ否応なく這いつくばらせる力の、何が加護だ、とな」

 シンハは遠い目をして答え、それからやや照れたように目を伏せて、ちょっと額を掻いた。

「まあ今から思えば、この力に屈するような人間は、妻にしろ何にしろ、生涯付き合う相手じゃない、という事かも知れん。やはり余計なお世話だとは思うが」

「そっか。……変なこと訊いたのはさ、その……ちょっとした噂を聞いたから、なんだよ」

「噂?」

「うん。覚えてるかな、春分祭の頃にさ、ロトの奴がお茶の時間にクッキー用意してくれただろ。木の実の入ったやつ」

「そうだったか?」

「そうだったんだよ。ロトが、差し入れに貰ったからって言ってたけど……あれ、女中の子が渡したらしいんだよね」

「――あ、まさか……」

「その、まさか。あいつ結構、女中さんの間で人気あるんだぜ」

「それは知ってる」

 が、あのクッキーが告白のお菓子だとは連想しなかった。シンハは片手で顔を覆ってしまった。乙女心のこもった大切なお菓子を、気付かずに第三者が二人も加わって、ばりばり食ってしまったのである。残念きわまりない。

 しばし後悔してから、シンハはふと妙な顔になって問うた。

「で、それがなぜさっきの質問につながるんだ」

「えー……うん、つまりさー……」

 ぽり、とリーファは頬を掻き、言いにくそうにごまかし笑いを浮かべて続けた。

「ロトがそこまで鈍いのって、おまえとデキてるからだ、って噂が」


 ゴン!!!


 まともに頭が机に落ちて、とてもとても痛そうな音を立てた。もっとも、痛いのはむしろ心の方かも知れない。大抵の攻撃には耐え抜く国王陛下も、さすがにこれは辛かったようだ。突っ伏したままぴくりともしない。

「……あり得んだろ……何をどう見ればそういう色気のある関係だと思えるんだ」

 魂まで一緒に抜けそうな呻きが漏れ、リーファは「だよなぁ」と同情的に苦笑した。

 ややあってどうにかシンハは頭を上げ、ぶつけた額をさすりながらため息をついた。

「まあ、しかし……それを直接ロトの方に確かめなかったことは、褒めてやる」

「当たり前だろ、こんな恐ろしいこと本人に訊けるかよ」

「だからって妙な巻き添えを食わすな」

「ホントそれはごめんって……まぁ実際オレもちょっと気になってはいたからさ」

「おい!」

「いやロトの事じゃなくて。おまえさ、なんか色々、諦めちまってんじゃないのかなぁって、前から思ってたんだよ。そりゃ王様だから政略結婚なのは仕方ねえけど、でもさ、誰かを好きになるぐらいは自由だろ? そりゃまあ……そうなったら正直ちょっと寂しいけど、でもさ、っ!」

 言いかけた声が、伸ばされた大きな手で遮られる。いつもより少し荒っぽく、シンハの手がリーファの前髪をくしゃくしゃにした。

「そんな気を遣うな」

 苦笑に隠された痛みが、緑の目に滲む。リーファはそれ以上何も言えなくなって、黙って頭を鳥の巣にされていた。

 シンハは思う存分リーファの頭をかき回してから、仕上げにぽんとひとつ、軽く叩いて切り上げた。その時にはもういつもの表情で、何もなかったかのように見える。

「女中の事は俺からロトに話しておくから、おまえはもう、変な噂は忘れてやれ」

「……うん」

 ごめん、ともう一度謝る代わりに、リーファはただ、小さくうなずいたのだった。


 夕刻、女中頭のテアに呼ばれたセリナが出向くと、小さな髪留めを渡された。布製の小さな花が付いたピンで、仕事中にも使える程度のものだ。

「ロト君からだよ」

 テアは素っ気なく言った。ロトは十八歳で城に上がった為、古参の使用人からはしばらく坊や扱いされ、今でも一部にその名残があるのだ。

「春分祭のお菓子は悪いことしたから、お詫びに、ってさ。あんた、あの子に何言ったんだい」

「えっ? あの方には何も、言ってませんけど……」

「変な噂で陛下を巻き添えにするのはやめてくれ、って頼まれたよ。どういうことかしらね」

 じろりと睨みつけられ、セリナはピンを指でいじり回した。

「ちょっとした冗談ですよ。あたしはただ、春分祭のお菓子、意味に気付かれなかったみたいだから……確かめてくれって、リーファさんに頼んだんです。なのにあの人、一緒にお菓子を食べちゃったなんて言うから、腹が立って」

「見込み薄だ、って忠告したでしょうが」

「分かってます! でも、当の本人が何にも気付いてないんですよ。ロト様は、陛下と同じぐらい、あの人を大事にしてるって、皆知ってるのに。無神経じゃないですか。だからちょっと、からかってやっただけです。陛下とロト様が“禁断の仲”だって噂ですよ、って」

「あんたねえ……」

 ふう、とため息。テアはやれやれと頭を振り、処置なしと言いたげに両手を広げた。セリナは赤くなってむくれ、ピンをくるくる回し続ける。怒っているふりをしていなければ、泣き出してしまいそうだから。

 テアはそんな娘心が分かり、少しばかり同情のまじった、温かい苦笑を浮かべた。ぽんとセリナの肩を叩き、

「まあ、そう落ち込むことじゃないさ。あんたは良い子だよ。ただ相手が悪かっただけ」

 慰めてから、しかつめらしく一言。

「その噂、随分昔からあるからねぇ……」

 涙ぐみかけていたセリナがふきだし、げふげふむせ返って、しまいに笑い出す。

「まさか、本当に?」

「ああ、あの子が城に入ってじきに、怪しいって噂になったよ。だってそうだろ、若くて颯爽として利発で、いかにも女の子に受けそうなのに、見向きもしないで陛下陛下って。あの頃も片恋してた女の子は大勢いたけど、誰もロト君を射止められなくてね。なんせ、まず陛下に勝たなきゃ振り向いても貰えないんだから。まったく、相手が悪かったんだよ」

「……そうですね」

 それなら諦めもつきます、と悟ったような涙声。微かに震えるセリナの背中を、テアは優しく撫でてやった。


 後日。

「陛下ッ!!……っ、やられた!!」

 秘書官の怒声と、扉を叩きつける音が館に響く。続いて廊下を疾走する足音。

 裏庭に面した通廊を掃除していたセリナは、箒を片手にそれを聞いて苦笑した。そこへ、これから仕事へ行くらしきリーファが通りがかる。あ、というような顔をしたリーファに、セリナはぺこっと頭を下げた。

「この前はごめんなさい。変なこと言って」

「いや、まあ……っていうか、オレの方こそ、ごめんな。今度シンハがお菓子作ってくれたら、お裾分け持って行くからさ」

「まさかそんな、畏れ多い」慌ててセリナは首を振る。「それより、あの……噂のことだけど」

「ああ、あれね。今度誰かが言ってたら、否定しといてやってくれるかい? それはねーだろ、ってシンハが言ってた」

 けろりとリーファがそんなことを言ったもので、セリナは蒼白になって倒れかけた。箒に掴まって体を支え、まさか、と恐る恐る訊く。

「陛下の……お耳に?」

「あー、うん。ロト本人には流石に訊けなくてさ」

 リーファはぽりぽり頭を掻く。セリナは眩暈がしそうだった。なんなんだ、その判断基準は。ロトは駄目でも国王陛下になら言えるのか。

 くらくらしているセリナに、リーファは苦笑を見せた。

「まぁでも、あんだけ毎日陛下陛下って追いかけ回してたら、変な噂になっても、ある意味しょーがねえかもなぁ。今日もやってるよ」

 ははは、と笑った語尾に、ロトの「待ちなさい!」が遠くから重なる。セリナもつられて失笑した。

 ――と、そこへ。

「わっ!」

「きゃあッ!?」

 上から何かが落ちてきて、ガササッ、と茂みを揺らした。直後、二階の窓からロトが身を乗り出して叫ぶ。

「リー! 捕まえて!」

「えっ!? あっ、シンハてめっっ」

 落下物体が国王だと気付いたリーファが身構える。だが一瞬早く、シンハの方が彼女の手首を掴んでいた。

「逃げるぞ!」

「待てこら、なんでオレまで!! 巻き添えにすんな馬鹿野郎!」

 はーなーせー……

 悲鳴が遠ざかり、入れ違いにロトが階段を駆け下りてくる。セリナが無言で廊下の先を指し示すと、ロトは一瞬会釈して即座に走り出した。

 竜巻のごとき騒乱が過ぎ去り、取り残されたセリナは、やや呆然と立ち尽くす。

 少しして、彼女は堪えきれずにくすくす笑い出した。やれやれと頭を振り、小さく独りごちる。

「本当、相手が悪かったわ」

 きっとロトは、追われる立場には関心がないのだ。追いかけて追いかけて、常に誰かの背中を追い続けているから、自分が目指すものを手に入れるために走り続ける人だから。最初から手の届く所にいる人間など、そもそも眼中にないのだろう。

「あーあぁ」

 残念。セリナはため息をつくと、時ならぬ嵐で散らかされた廊下の掃除を再開したのだった。



(終)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ