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王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
そのもの人に非ざれば
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2 黒スグリを探して


 そんなわけで翌朝、まだシャーディン河から漂う靄が街を優しく包んでいる頃、リーファは欠伸を噛み殺して広場へ向かっていた。

「ふあぁー……面倒くせえ。よく考えたら、何もかもあいつの病的な趣味が原因じゃねーか。自分で買いに来いってんだ」

 ぶつくさぼやきながら歩いていると、横を荷車が大急ぎでガラガラ走っていった。目指すは中央広場。食材を仕入れるどこかの店のものだろう。

 農産物は原則としてすべて一度、市を通して売ることになっているため、王都では中央広場以外にも大小あちこちの広場で朝市が立つ。だが、市民が日常に使うありふれたものではなく、たとえば黒スグリのような珍品・贅沢品の類は、中央広場でしか見付からない。

 というわけで、客に目玉商品を出そうと考える食堂や宿屋、あるいは貴族の屋敷の使用人などが押しかけ、祭りでもこれほどかという混雑になるのだった。

 リーファは幸い何度か市の警備をしたことがあったので、おおよそ店の配置を掴んでいた。青果の中でも高級品が並ぶ辺りへ向かい、人波に揉まれながら目当てのものを探す。

 ――が、しかし。

「あれ? ない……のか?」

 おかしいな、と首を捻りつつ、次の店へ。そしてもうひとつ隣へ、さらに先へ、と探し歩くうち、気付くと果物を扱う区画をぐるっと一巡してしまった。輸入品を専門にする店も出ていたが、やはりそこにもない。

「なあ、黒スグリの瓶詰めは?」

 何軒かで店主を捕まえて訊いてみたが、返事はどれも芳しくなかった。今回は仕入れられなかった、向こうも品薄だったから、入荷予定はありません、等々。

 リーファは困り果て、人の流れから外れた所にしばし立ち尽くして思案した。と、そこへ、

「おっ、リーじゃないか! 久しぶりだな、今日の警備はあんたかい」

 なじみの宿屋の亭主が声をかけてきた。あちらさんも仕入れに来たらしい。

「違うんだ、今日はちょっとお使いでね。黒スグリを探しに来たんだけど、あんたはどっかで見かけなかったかい?」

「黒スグリ? なるほど、陛下のか。そう言えばもうそんな季節なんだなぁ」

 亭主は可笑しそうにくすくす笑ってから、ああ、と首を振った。

「俺は見かけなかったね。あんまり高級品の店には用事がないもんだから、ざっと目を走らせるだけだし。けどまぁ、この辺りで売ってなかったんなら、本当にないのかも知れないな。この間、うちに泊まってったサラシア国の客が、今年は不作だとか言ってたから」

「えっ、そうなのか? うわ……弱ったな。ありがとう、もうちょっと探してみて、見付からなかったら不作だから諦めろって言ってやるよ」

 リーファは軽く手を上げて礼を言うと、念の為にもう一度ゆっくり店を回り始めた。

 そうして、日がすっかり昇って朝靄が晴れてしまうまで探したが、結局スグリは見付からなかった。仕方ない。リーファは朝食をとるため、一旦城へ戻ることにした。

 いつもは自分の部屋で養父と食事をするのだが、この時間では、女中がもう片付けてしまっているだろう。空きっ腹を抱えて厨房へ向かうと、後片付けで大わらわの中、なぜか黒髪の男がひとりまじっていた。

「人がメシも食わずに歩き回ってたってのに……」

 自分は早速趣味にいそしもうというのか。ええい不埒な。

 渾身の力で突き飛ばしてやりたい衝動を抑えつつ、背後から近付いて、せめてもとひかがみを狙う。が、先に気付かれ、あっさり避けられてしまった。

「帰ったか。どうだった?」

「なかったよ」

 リーファはチッと舌打ちし、不機嫌に言い捨てて、自分の朝食に出来そうな残り物を探す。シンハがエプロンの紐を結び、「なかった?」と繰り返しながら、朝食一式の載った盆を運んできた。どうやらリーファが食べ損ねるだろうと読んでいたらしい。

 これしきで機嫌を直してたまるか、とリーファは強いて口をひん曲げたまま、盆を受け取って適当な場所に腰を下ろした。

「今年は不作で品薄なんだってさ。あちこち見て回ったけど、どこにも置いてなかった。入荷の予定もないって話だったし、買うのは無理っぽいね」

 お気の毒様、とおざなりに言い足して、チーズを載せたパンをかじる。シンハが心底困った顔をしているので、リーファはつい、憐れを催して慰めた。

「まあ今年は黒スグリのお菓子は無理かもしんねーけど、今の季節なら他にも色々果物があるんだしさ、そんなに落ち込むなよ。黒スグリじゃなくても、おまえの作ったもんは本当に美味いよ」

「そう言ってくれるのは嬉しいが」

 シンハは苦笑をこぼしたが、すぐにまた難しい顔に戻ってしまった。

「これだけは譲歩したくないんだ」

 珍しく、何かに挑むような険しい口調で言い切る。リーファは意外に思って目をしばたいた。彼にとって料理はあくまで趣味のはずだ。本業ではない――いささか怪しいにしても。

 つまり、菓子作りを楽しむことはあっても、是が否でも作らねばならぬ、と意気込むことはなかったし、そんなことになれぱ黙っていない者だっている。

 そこまで考えて、リーファは自分の思いつきにふきだし、危うくむせかけた。驚き呆れて見下ろしているシンハの腕を掴み、自分の方に引き寄せる。

「分かったぞ」

 リーファは声を潜めてささやいた。なに、とシンハが眉を寄せる。

「犯人はロトだ! おまえが仕事サボって厨房に入り浸るから、スグリを隠しちまったんだよ」

「ち、違うぞ!」

 慌ててシンハは否定し、噂の本人が現れていないかと辺りを見回しつつ身構える。その反応に、今度こそリーファは笑い出してしまった。

「やっぱり後ろめたいんじゃねーか。なんでスグリにこだわるのか知らないけど、おまえがそんなだからロトも堪忍袋の緒が切れたんだろ」

「脅かすなよ……やれやれ。あいつにそこまでさせるぐらい切羽詰った状況なら、今ここに俺はいないさ」

「言い切れるか?」

「む……やや確信に揺らぎはあるが、まず間違いない」

 シンハは大仰にしかつめらしく答え、それからため息をついてリーファの隣に腰を下ろした。厨房が空くのを待っている風情で、声を低めて話を続ける。

「あいつじゃない。今朝分かったんだが、賊は代金を残していったんだ」

「は? なんだそれ」

「スグリがなくなったのは一昨日の夜なんだが、昨日の朝、料理長が保冷庫を開けて銀貨を見つけた。誰かが隠したのか忘れたのか、厨房の全員に確かめるまで別の所にしまっておいたそうなんだが、今朝になってふと、もしやと思いついて俺に知らせてきた」

「なくなった黒スグリの代金じゃないか、って?」

「ああ。結構な額だったからな。厨房で働く誰かが無用心に置き去りにするとは考えられない、と言って」

「……やっぱりロトじゃねえの?」

「そこから離れろ。もしかしたら、誰かが瓶を割ってしまって、弁償のつもりで銀貨を置いたかと考え始めているところだ。だとしたら、代わりの黒スグリが手に入らないと非常に困るんだが」

「ジャムで代用するのは?」

「最後の手段としては、そうなるだろうな」

 だがあれは甘すぎるんだ、と深いため息。膝の上で頬杖をつき、寂しそうに夏草色の目を伏せる。その横顔を眺めて、リーファは何とも言えない気分になった。

(元々、顔のつくりは悪くないから、さまにならなくもねえんだけど)

 国王陛下はいわゆる美形ではないものの、精悍な顔立ちはそれなりに整っているので、憂い顔も似合わなくはない。ただし、その理由が何かということを考えなければ、の話だが。

 やれやれ。リーファはため息を堪えて最後のパンを飲み込み、ご馳走様、と立ち上がった。

「元気出せよ。仕事の合間にもっぺん、商館の方を探してみるからさ」

「すまんな。恩に着る」


 出勤前にリーファは一度自室に戻り、入隊試験で手に入れた地図を広げた。今の自分の所属は二番隊、商店の建ち並ぶ地区だ。サラシアの品物を扱う店があれば、巡回の途中で立ち寄って質問するぐらいは構うまい。

 指で街路をなぞると、見慣れた街の光景が次々と脳裏に浮かび上がっては消えていく。地図とは別に、ぎっしりと店のリストが記された紙の束を広げて、そちらの内容と照らし合わせていった。主な店の名前と店主、扱う代表的な品物をまとめたものだ。もちろん、リーファの自作である。

「あった。メータ商館、主はアリシア=メータ。ここか」

 地図の上で指を止め、ふむと位置を確かめる。ここなら、中央広場から少し離れているから、本部の誰かさんに見付かる心配もあるまい。

 リーファは地図を畳んで大切にしまい、意気揚々と仕事に出かけた。

 さりとて、警備隊の巡回は通常二人一組である。先輩であるカナンと連れ立って歩きながら、リーファはどう切り出したものかと思案していた。

 下手にごまかして別行動を取り、後で私用の為とばれたら、いかにカナンでも怒るだろう。

(やっぱ、正直が一番かな……)

 角を曲がると、行く手にメータ商館が姿を現す。その前に立っている客の姿に、リーファは、あれっ、と目をしばたいた。

「フィアナだ」

 おや、とつぶやくと、カナンも気付いて目蔭をさした。

「隊長の娘さんが一人で買い物か。魔法学院の用事かな?」

「だと思うけど。あのさ、カナン……」

「ん? ああ、荷物運びか。でも俺が手伝ってるとこを隊長に見られたら、うるさそうだからな。おまえが行って来いよ。学院まで往復する間ぐらい、一人で見回ってるから。何かあっても近場に誰かいるしな、大丈夫さ」

「えっ。あ、いや、その……ありがとう」

 なんだか思いもよらない誤解をされてしまったが、まあ、結果良ければすべて良し。礼を言って別れ、リーファは小走りに義従妹の方へ走って行った。

「フィアナ!」

「あら、姉さん。見回り中?」

「うんまあ、そうなんだけど。ちょっと用事があってね。フィアナはこの店で買い物かい」

「ええ。学院で使う魔術具は、サラシア製のものが一番品質が良いから。でも姉さんのお目当てはそれじゃないわね」

「正確にはオレのじゃなくて、シンハの、だけどな。黒スグリが欲しいんだけど……やっぱり見当たらないなぁ」

 通りに面した陳列台や、ざっと見える範囲を眺め回した限り、主な商品は布や雑貨類だ。瓶詰めの保存食品らしきものも少し置かれているが、明らかに色が違う。

「それってもしかして、陛下が昨日お見えになった理由? だったら、店主さんに訊いてみた方がいいんじゃないかしら」

 フィアナは言って、リーファの返事も待たず店員を呼んだ。やって来た男は制服姿のリーファを見て迷惑そうに眉をひそめたが、それがフィアナの連れだと分かると途端にころっと愛想良くなった。

「左様でございますか、主人はちょうど上におりますので、ご案内いたします。ささ、どうぞこちらへ」

 慇懃に奥へ通され、リーファは苦笑しながらこそっとフィアナにささやいた。

「お得意さんなんだな」

「魔術具は高価な上に、買い手が限られているから」

 フィアナも辛辣な笑みを浮かべて答えた。真に一流の店ならば、店員が客を見て態度を変えることなどない筈だが、現実にはなかなか、金の力に左右されない店はない。

 だが店員はともかく、店主アリシアはその辺りをきちんと弁えていた。二人が通されるのを立って出迎え、ふくよかな体型にしては意外な身軽さで歩み寄って挨拶し、ソファへと誘った。

「お越し頂けて光栄ですわ、リーファさん。お噂はかねがね伺っております」

 にっこりと笑いかけた表情には温かみがあり、上辺だけの作り笑いではないと感じられた。本心がどうあれ、少なくとも相手にそう思わせるだけの説得力はある笑顔だ。

「警備隊創設以来初の、外国人で、しかも女性の隊員。歴史的な快挙でございますね。わたくし共も、旧弊を打ち破るリーファさんの努力と意欲を、是非見習いたいと存じております」

「過分なお言葉、恐縮です」

 リーファは赤面して、しどろもどろに答えた。社交辞令にせよ、こうも滑らかに心地良くおだてられては、どうして良いやら分からない。もじもじしてから、さっさと用件を済ませてしまおうとばかりに切り出した。

「実は、今日は私用で伺ったんです。黒スグリを探しているんですが、他所では見付からなくて。こちらに置いてないか、あるいは手に入れられる方法をご存じないかと」

「あら、まあ」

 アリシアは上品に驚いた仕草を見せ、それから楽しそうにくすくす笑い出した。

「お二人のように、お若くて美しい方なら、必要ないものと思いますけれど。やはり女性たるもの、美容には気を遣いますわね」

「……は?」

 何の話だ、と二人揃ってきょとんとする。アリシアの方も目をしばたいた。

「失礼、早合点してしまいましたでしょうか。黒スグリのお茶をお求めなのかと思ったのですけれど」

「お茶?」リーファはぽかんとしてから、慌てて答えた。「いいえ、実の方です。ジャムや干したものではなくて、瓶詰めの。お菓子作りに使うので……」

「ああ、大変失礼しました。水煮の瓶詰めでございますか。シンハ様の御用でいらしたのですね」

 アリシアが微笑んだので、リーファはかえって恥ずかしくなって縮こまってしまった。不埒な国王ですみません、などと謝りたくなってくる。言葉に詰まったリーファに代わり、フィアナが間を持たせようとしてか、さりげなく質問した。

「黒スグリは実を食べるものだと思っていましたが、お茶にも出来るんですか」

「ええ、肌が美しくなると専らの評判でございますよ。春先からレズリアのご婦人方の間で流行しておりまして、当店でもお屋敷の方々から沢山のご注文を頂きました。品薄ですが、興味がおありでしたらご用意致しますよ」

 にこにこと優しく応じる口調からは、二人が買うとは全く思っていないのが窺える。恐らく、結構な値段がするのだろう。フィアナが如才なく「考えておきます」とにっこりすると、アリシアも笑顔でうなずいて、お茶の話などなかったかのように続けた。

「瓶詰めですが、陛下がご所望とあらば何としてでもご用立てしたいところなのですけれど……生憎、今年は黒スグリが大変な不作でございまして。わたくし共の店でも、ごく僅かしか仕入れられず、すべて売り切れてしまいました。ジャムや乾燥果実さえ、例年の半分も入荷していないのです。恐らくどこの店に行かれても、手に入れることは難しいかと」

「そんなに少ないんですか?」とリーファ 。

「はい。もともと黒スグリは、サラシア国内ですべて消費されていた作物なのです。収穫したらじきに傷んでしまいますので、ジャムなどに加工して、冬のために備えておくものでした。今でも大半は国が買い上げて、自分で保存食を用意出来ない都市の住民のために備蓄しているそうです。水煮のように、開封後ほとんど日持ちしないものは、完全に輸出用として作られておりますね。

 ですから今年のように不作ですと、わたくし共が買い付けに参りましても、まず品物自体がない、という状況でして、お金を積めば手に入るというものではないのです」

「はあ……確かに、向こうにしてみれば死活問題ですね」

 金貨より食べ物。切実な話である。そんな事情ならば、無理にも寄越せと迫ることは出来ないし、向こうも売ってくれなくて当然だ。リーファは納得し、がっくり肩を落とした。

「ということは、今年はもう無理ですか」

「残念ながら、そうなりますね。ジャムでしたら少しは在庫がございますので、取り置き致しますが」

「そうですか。ええと……一度城に戻って、本人に訊いてみます。お仕事中にお邪魔しました」

 詫びの言葉を述べると、リーファは結局何の収穫も得られないまま、すごすご退散したのだった。

 店から出てうんと伸びをし、困ったなぁ、とぼやく。それから彼女ははたと気付いてフィアナを振り向いた。

「あ、ごめん、そっちの用事のこと忘れてたよ。オレに付き合わせちまって、結局買い物してねえな」

「いいのよ、今日は取り寄せの注文に来ただけだから。それはもう姉さんが来る前に済ませたし。それにしても、よっぽど不作だったのね。サウラ様もエンバーに食べさせるお菓子を作れなくて、ご機嫌をとるのに難儀してらっしゃるんじゃないかしら」

 くすくす笑ったフィアナに、リーファはちょっと記憶を呼び戻してから、ああ、と苦笑した。

「あれが竜ってのもびっくりしたけど、パイ食ってんのには呆れたなぁ」

「大好物なんですって。それにしても、姉さんがわざわざ買いに来るなんて、珍しく陛下がお菓子作りに失敗されたの?」

「んー、それがさあ……」

 実はかくかくしかじかで、とリーファが説明すると、フィアナも妙な顔になった。さしもの明晰な頭脳にも、この事態は不可解らしい。

「とりあえず」とリーファは肩を竦めた。「盗人を捕まえられたら、スグリも取り戻せるかもしれない。それが最後の望みだね。仕事が終わったら、ちょっと調べてみないとな。フィアナ、もし良かったら夕方、一緒に手がかりを探してくれないか?」

「いいわよ、姉さんの頼みとあらば喜んで。というか、私も話を聞いちゃったら気になるもの」

 フィアナは悪戯っぽく笑って快諾し、その場は一旦手を振って別れた。

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