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王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
番外短編(20歳の年内)
39/43

警備隊仕事始(後)


 やがて少し混雑が緩和され、人と人の間に空気が通るほどになった頃。

「あッ! くそ、スリだっっ!!」

 剣呑な叫びが上がり、周囲の視線がサッと一斉に集まった。その瞬間にはもう、リーファは走り出している。もちろん、当のスリも。

「んなろ……っ!」

 リーファは背中に目を据えて追いかけながら、舌打ちした。彼女も身軽ではあるが、逃げる相手は小柄でさらにすばしこく、ひょいひょいと店や人の隙間を縫っていく。

 咄嗟に捕まえようとする者もいなくはないが、大半は最初の叫びがちゃんと聞こえておらず、突然の騒ぎに面食らうばかり。

 うろたえる人垣に阻まれながらも追跡できたのは、リーファなればこそ、だろう。他の隊員なら進路の確保に手間取って、すぐに見失ったに違いない。

「待てコラッ!」

 制止というより周囲の人を退かせるために、リーファは声を張り上げる。

 と、その時だった。

 スリの行く手に、横からスッと誰かが出て来た。と思った直後、

「ぅひぁッ!?」

 スリは奇声と共に宙を舞っていた。何が起こったのか、と周囲がざわめく。リーファが追いついた時には、外套のフードを目深に被った長身の男が、小柄なスリの足首をつかんで、逆さにぶら下げていた。

「そら」

 無造作にそれを突き出され、リーファはがくりと脱力する。両手を膝について、しゃがみこみそうになるのを堪えつつ、げんなりぼやいた。

「どうやって受け取れってんだよ……。つーか、なんでおまえがここにいるんだ、国王陛下だろ買い物ぐらい誰かにやらせろよホントもうロトの苦労が……ああ、いいからそいつ、一旦下ろしてくれ。オレはおまえみたいに怪力じゃねーんだぞ」

「逃げないか?」

 本人にではなくリーファに聞きながら、捕獲者すなわちシンハが軽くスリの体を揺する。途端にばらばらと、財布だの耳飾だの指輪だのが落ちた。リーファは恨めしげにそれら小さく高価な品々を睨みつけ、やれやれと頭を振る。

「あーもー、くそ。これ全部書類作って保管して持ち主に返していかなきゃなんねーのか。新年早々、面倒くさい仕事いっぺんに増やしやがって、どうせなら捕まらないようにやれっての」

「それは違うだろう」

 シンハが苦笑しながらスリをゆっくり下ろす。小男は腰が抜けたらしく――まあそうだ、いきなり逆さ吊りになる経験など滅多にあるものではない――その場にへたっと座り込んでしまった。

「おや、お手柄ですね陛下」

 そこへ、噂をすれば影、ロトもひょこっと顔を出した。寒そうに鼻の頭を赤くして、なにやら手には携帯筆記具を持っている。初市の物価動向でも調べていたのだろう。

「ロトもいたのか。脱走してきたんじゃなかったんだな」

 リーファの失敬な発言に、シンハが肩を竦めた。

「当たり前だ。買い物なら別の時にするさ」

 混雑のきわみにある初市で、国王陛下がお買い物などすれば、騒ぎになって一般客にも売り手にも迷惑をかけるだけだ。その程度の良識はある。とは言え、

「結局こんなに目立っちまってるけどな」

 あはは、とリーファは笑うと、石畳に散らばった物を拾い集めた。シンハもそれを手伝う。気の毒なスリは、シンハが近くにしゃがんだ為に悲鳴を上げ、カサカサ虫のように這って逃げた。行く手を阻んだのは、ロトの足である。

「それじゃ陛下、あとは私が見て回りますから、リーと一緒に“これ”を本部に連れて行って下さいますか。もうしばらくすれば市も引けて、皆も家に帰るでしょうから、頃合を見てお迎えに参ります」

「そうか、すまんな」

 シンハはやや面目ない声音で言うと、拾った証拠品をリーファに渡し、自分はスリの腕をつかんだ。

「あ、いや、逆にしよう」

 リーファが慌ててシンハの手に財布などを押し付け、既に土気色の顔になっているスリを励まして立たせる。シンハは小さくため息をついたが、リーファは聞こえなかったふりで、ロトに「また後で」と一声かけて歩き出した。


 本部に入ると、シンハはすぐにフードを脱いだ。やはり鬱陶しいらしい。ジェイムがぎょっとなって、弾かれたように立ち上がった。

「陛下!?」

「すまん、しばらく邪魔をする。出来ればあまり気にせず、仕事を続けてくれ」

 シンハは苦笑まじりに言って、手振りでジェイムをなだめた。ジェイムは畏まって一礼したものの、次にリーファに向けた視線は露骨に迷惑そうだ。思わずシンハは失笑しかけ、こほんと咳払いしてごまかした。リーファもにやにやしつつ、スリを椅子に座らせる。

 リーファが調書を取っている間に、シンハは適当な椅子をひとつ確保すると、暖炉に近い壁際へ持って行って座った。なるべく邪魔にならないように、と配慮したつもりだろう。

 残念ながらそれもむなしく、ロトが来るまでの間に、彼は何度も、出入りする隊員たちから「うおッ!?」だの「ぎゃっ!?」だのと、奇声や悲鳴を浴びせられるはめになったのだが。

 唯一迷子のシリルだけは、怖がりも萎縮もせず、ぽかんと不思議そうに彼を見ていた。可哀想なのはその母親だ。ようやく子供がいないのに気付いて、慌てて本部に駆け込んだところが、なんと予想外の人物に遭遇したのである。どこか壊れるんじゃないかという勢いで何度も何度も頭を下げ、リーファやジェイムにもぺこぺこ詫びを繰り返して、手続きもそこそこに我が子を抱えて逃げ去った。

 その様子を見て、リーファがしみじみと一言。

「おまえは警備隊員には向いてねーな……」

「言わずもがなのことをわざわざ言うな」

「悪人には効果がありそうだけど。スリのおっさん、留置所に入れられて、逆にホッとしてたよ。これから時々おまえに、ここに座ってて貰うのはどうかな」

 意地悪く笑いながら、リーファはシンハの前に立って、ぽんぽんと肩を叩く。置物の配置を確かめるかのように。シンハは苦い顔で唸り、それからふと気付いてすっと手を上げた。

「血が出てるぞ」

 頬に軽く触れられ、リーファは思わずぎくっと竦んだ。傷そのものに触られたわけではないが、指先の温もりに驚いたのだ。

「シンハ!」

 血が云々の発言は放置して、がっしと両手でシンハの手を握る。

「うおっ、あったけえ……! なんだよおまえ、自分だけずっこいぞ!」

「そう言われてもな」

 理不尽な文句にシンハは苦笑したが、残る片手で冷たい指先を包んでくれた。リーファの頬が緩む。暖炉の火にかざすよりも心地良いのは、じんわりと皮膚の下まで届く熱のゆえだろう。

「くーっ、あったまるー!」

 リーファがうっとり目を細めたところで、間の悪いことにロトが入ってきた。

「失礼しま……」

 言いかけて、敷居をまたいだまま凝固する。寒風が背後から少量の粉雪と共に吹き込んだ。ジェイムが大袈裟に震えて襟を立てたので、慌ててロトは扉を閉め、ため息をこぼしつつ二人に歩み寄った。

「何やってるんだい、リー」

「へへへー。ロトも握ってみろよ、すっげー温かいから! 外、寒かったろ?」

「僕と陛下が手を取り合ってる図の方が、よっぽどか寒いよ。なんだったら陛下の手だけここに置いて帰ろうか」

「待て待て」

 言葉は冗談でも声音が本気だ。シンハは急いでリーファの手を振りほどく。あ~、とリーファが未練がましく惜しんだ。ロトはやるせない顔をしながらも、最前のシンハと同じことに気付いた。

「リー、血が」

 ここに、と彼は自分の頬を指して教える。ああそうだった、とリーファは思い出して、手の甲でこすった。ピリッとひきつるような痛みが走る。

「追いかけっこしてる間に、何かでひっかけたかな。……ん、もう血はついてこないし、乾いてるだろ」

 どうかな、と横顔を見せて二人に確かめる。「大丈夫みたいだね」とロトが応じると、リーは振り向いてニッと笑った。

「名誉の負傷に、なんか美味いもんでも食わせてやろうって思わねえ?」

「…………」

 ロトは半笑いで呆れ、シンハが失笑した。むろん、リーファが冗談で言っているのは分かる。何を厚かましい、といなされるのを見込んでおどけたのだ。が、そうと分かれば逆に叶えてやりたくなるものである。二人はちらと視線を交わし、

「そうだな、焼きリンゴぐらいなら、帰ってくる頃に用意しておいてやるよ」

「はぁ……まあ、そういう口実じゃ仕方がありませんね」

 シンハは面白そうに、ロトは諦めの苦笑を浮かべて、それぞれ応じた。おねだりしたリーファの方が、本当にいいのか、などといまさら慌てる。シンハがリーファの頭をくしゃりと撫で、ロトは手を上げて軽く敬礼し、主従は揃って本部を出て行った。

 リーファは戸口でそれを見送っていたが、二人の姿が見えなくなると、うむ、とおもむろに腕組みした。

「焼きリンゴが待ってるとあっちゃ、手抜きは出来ないな」

 真剣ぶってうなずくと、くるりとジェイムを振り返る。

「もっぺん、ざっと見回ってくるよ。置いてけぼりくった迷子とか、後始末してない業者とか、いるかも知れない」

「好きにすれば」

 ジェイムの無愛想な返事が終わるより早く、リーファは雪のちらつく外へと駆け出していた。

 室内には入れ違いに静寂が降り、暖炉で薪がパチッとはぜる。

 ジェイムはほっと小さく息をつくと、つかのまの平穏を味わった。邪魔の入らない静けさのなか、一人せっせとペンを走らせる。

 かなわぬ望みかも知れないが、せめてこの後は平和に一日が終わりますように、と祈りながら。


 ――気の毒だが、予想は正しかった。

 じきに、わいわい話しながら引き揚げてくる隊員たちの賑やかな足音と、めそめそ泣く子供の声とが重なり合いつつ接近し、彼はがっくり頭を垂れたのだった。



(終)

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