警備隊仕事始(前)
新年の話。今までに登場した警備隊員を思い出してやって下さい、的な一篇。
前後2頁、後半はいつものお城メンバーが登場。
新年の初市が立つ日、王都の中央広場は人で埋め尽くされ、警備隊員は試練に晒される。
初市はあちこちの広場で開かれるので、各班もそれぞれ担当街区の広場で警備に当たるが、何よりやはり中央広場のものが一番の規模。鍋一杯にぐらぐら煮える豆のごとき人出は、盛況を通り越して悪夢である。
そんなわけで、毎年この日は各班から何人かが本部に連行され、年始早々おのれの不運を嘆くことになるのだった。そう、今まさに、
「ああもう、どっからこんな人が湧いてくるんだよおぉぉ」
などと情けない声を上げながら、本部のドアを肩で押し開け、上気した顔を突っ込んだリーファのように。人込みに揉まれたせいで、三つ編みがほどけかかっている。
小脇に抱えるようにしているのは、
「うえっ、うえぇっ……かーちゃ、かーちゃあぁぁぁ」
これまた例年おなじみ、初市名物の迷子であった。留守番役の本部隊員、ジェイムが鬱陶しそうな顔でひんやりと言う。
「変な物、買って来ないでくれる」
「ばかやろ、こんなもん売っててたまるか!」
リーファは苦笑しながら律儀に突っ込み、子供を中へ入れる。涙と鼻水でべしょべしょに濡れた顔を拭いてやる間にも、子供はしゃくりあげて新しい水分をだらだら流し続けた。
「あーもー、きりがねえな。ほら、こっち来な。そう、そこんとこ座って。よーし、いい子だなー」
リーファは適当にあやしながら、子供を部屋の一隅へ放り込んだ。床に古毛布を敷いて低い柵で簡単に囲った、『迷子一時置き場』である。
子供の首にかけられた紐を見つけ、二重三重の上着の下から引っ張り出すと、案の定、迷子札だった。用意の良い親なら子供に持たせているものだ。薄い木片に熱した金串で名前と住所を焼きこんである。それによると、
「へえ、おまえシリルってのか。しばらく見ないうちに縮んだなぁ」
迷子の名前は、以前に縁があった司法学院の生徒と同じだった。むろん別人に決まっているのだが。自分の冗談に苦笑しながら、リーファは泣きじゃくる子供の頭をくしゃくしゃかき回した。しかし小さなシリルは一向に落ち着く気配がない。見知らぬ大人の手をいやいやと払いのけて、「かーちゃあぁぁ」を繰り返す。
「大丈夫だって、じきに“かーちゃ”が迎えに来てくれるから、ほら、泣くなよ」
良い子で待ってなきゃ、男の子だろ、等々、リーファが何を言っても効果なし。弱ったな、とため息をついたと同時に、背後から何かがぽーんと飛んできた。
咄嗟に庇おうとしたリーファは、一瞬で飛来物の正体を視認し、呆気にとられる。彼女が凝固した隙に、うさぎのぬいぐるみがシリルの頭にぽふっと着地した。
「――!」
幼子はびくっと竦み、次いで、さらに泣き声を張り上げようと息を吸い込む。だがそこへ続けて、ぽーん、ぽーん、と小さなおもちゃが飛んできた。羊毛を詰めた毬、豆や菱のお手玉、薄汚れた謎の人形。不規則に飛んでくるそれらに気を取られ、シリルはいつの間にかきょとんとなっていた。
予想外の光景に身動きできずにいるリーファの前で、ジェイムが相変わらず不機嫌そうな顔のまま、ころころと最後のおもちゃを床の上に転がした。木の球をいくつも紐でつないだものだ。毛布の縁を乗り越えられずに止まったそれを、小さなシリルは戸惑いながらも手に取る。そして、何をどうするともなく、ひねり回し始めた。
幼子がおもちゃに夢中になったのを見計らい、ジェイムはやれやれと自分の席に座りなおした。リーファは目をぱちぱちさせて、シリルの様子を横目に見ながらジェイムの机に歩み寄る。
「あんたが子供の相手をするなんて、びっくりだね」
「目がおかしいんじゃないの」ジェイムは鼻を鳴らした。「動物と一緒だろ、あんなの相手にするほど暇じゃない。どうせ何を言っても通じやしないんだから、気を取られるようなものをくれてやればいいんだ。こっちの言葉を解らせようとしたって疲れるだけだよ」
「……なるほど。本部に長く詰めてっと、迷子の扱いも上手になるんだなー。けどそのおもちゃ、どうしたんだ?」
まさか自分で用意したんじゃないよな、と笑いを堪えながら訊く。ジェイムが嫌そうな顔で睨んだが、その口が棘のある言葉を紡ぐより早く、
「っだー! ああ、リー、丁度良かった! 留置所の鍵取ってくれ!」
騒々しく、二番隊のカナンが倒れるように入ってきた。その背には、赤い顔をした男が寄りかかっている。肩を貸しているのか、絡まれているのか、判然としない。
「ほいよ。あんたも初市当番かい」
リーファが鍵を投げると、カナンは空いた片手で器用に受け止めた。
「ああ、全くついてないよ。こいつは酔っ払って相手構わず抱きつきまくってたから、引きずってきた。酔いが醒めるまでぶち込んどくから、俺が忘れてたら出してやってくれ」
言いながら、大柄な男を背負ってよたよたと隣の建物へ向かう。ドアが閉まる前に、下水が逆流するような音と、カナンの悲鳴とが聞こえた。
「うわぁ……」
惨事を察して、リーファは顔をゆがめる。我関せずで机に向かっているジェイムに、話しかけるともなく言った。
「カナンって、なんだかんだで妙に運が悪いよなぁ」
「日頃の行いだろ」
意外にもジェイムは返事をくれたが、素っ気なく短い言葉は外気並によく冷えている。リーファは首を竦め、さて子供も落ち着いたし外へ戻るか、と机から離れた。直後、
「うぉー、さみー寒ィ」
またしても荒っぽくドアを開けて、今度は予想外の人物が予想外の格好で現れた。リーファは目を丸くして、思わず「げっ!?」と奇声を上げる。珍客こと六番隊三班班長、ゼクス=オーラは、片眉を大袈裟に吊り上げた。
「あァん? なんだ、おまえもいたのか七光り」
「オレの名前は七光りじゃねって……じゃなくて、なんですかその大荷物」
どうにか敬語を引っぱり出して、リーファは相手のなりを質した。警備隊の制服を着てはいるが、肩に提げた籠にはあれこれの野菜、手には羊歯と麦藁で包んだ尾頭付きの魚が一尾。反対の手にはまた別の袋を提げており、杓子か何かの柄がちょこんと覗いている。
「……落し物?」
困惑しながら問うたリーファに、ゼクスは「阿呆」と容赦ない一言をくれた。そしてそのまま、リーファを無視してジェイムに話しかける。
「氷室借りるぞ。魚だけ置かせてくれ」
「どうぞ。死臭が移りますけど」
ジェイムは口をきくのも鬱陶しいとばかり、目を上げもしないで応じる。ゼクスは気にせずスタスタ後ろを通り過ぎ、氷室へ降りて行った。
じきに戻ってきたゼクスは、手をこすり合わせて息を吐きかけながら、リーファとジェイムのどちらにともなく言った。
「今んとこお客さんはいないが、邪魔にならん場所に置いといた。どっかの馬鹿が持ち出したり、死体に抱っこさせたりせんように注意しといてくれよ」
「もしかして、ご自宅の買い物ですか?」
半ば呆れ、半ば笑い出しそうになりながら、リーファは確認する。ゼクスの荷物が全部私用の買い物だとしたら、どうにも主夫くさい。柄の悪いこの男には滑稽なほど不似合いだ。が、ゼクスは彼女の笑い顔などまるで気にせず、あっけらかんと答えた。
「おうよ。かみさんに頼まれたからな。仕事に出る前に買い込んだのさ」
言いながら壁際へ歩いて行き、名札をひっくり返す。
「流石にもっぺん家まで戻ってる時間はなくなっちまったが、どうせ行きも帰りもここに寄るんだから、氷室に置いときゃいいと思いついてな。勝手に食うなよ」
「食べませんよ、包丁も焼き串も塩もないんだから」
とぼけて応じたリーファに、ゼクスは胡散臭げな目を向ける。リーファは素知らぬふりで、ゼクスが提げたままの野菜を指差した。
「どうせなら、それも置いといたらどうです」
「阿呆。魚ならともかく、野菜が生臭くなったら困るだろうが。詰所の壁際にでも置いとけばいい話だ。しかし魚はな……いくら冬だっつっても、中は結構ぬくもってるし、と言って外に置いたりすりゃ、ドアを閉めるより先にかっぱらわれちまう」
治安の悪い六番街ならではの懸念だ。というか、そんなことよりも、
「なんか……いろいろ気配りしてるけど、家事とかするんだ……?」
そっちのほうが気になる。リーファが曖昧な顔になっている間に、裏口からカナンが駆け込んできた。
「ああぁぁもう、新年早々……って、あれ、オーラ班長。お久しぶりで」
どうやら汚された臙脂のダブレットは、外で脱いで洗ったらしい。毛織のシャツ一枚になって、歯をカチカチ鳴らしている。ゼクスは呆れ顔になった。
「何やっとるんだおまえは、このクソ寒いさなかに」
「俺だって好きで脱いでんじゃないですよ。うー、凍えるぅぅぅ。ジェイム、予備の制服、一枚借りるぞ」
備品室に駆け込みながら、へっぶしっ、とくしゃみひとつ。ゼクスはやれやれと頭を振ってから、ふと迷子置き場の小さなシリルに目を留めた。
「お、珍しいな。今んとこ一人だけか。今年は平和だな」
言いながら無造作に歩み寄り、おもちゃに熱中している幼児の頭を軽く撫でる。無精ひげの生えた口元に、少しひねくれた、しかし温かい笑みが浮かんだ。シリルは不思議そうに彼を見上げ、それからはたと我に返ったように、心細げな仕草できょろきょろした。
あ、やばい、とリーファは身構える。だがゼクスが先制した。柵の手前にしゃがみ、制服のポケットから蝋引きした紙の包みを取り出す。甘い香りに、シリルは目を輝かせた。
「そら、坊主。これやるから、かーちゃんが来るまで待ってられるな?」
細い棒飴を一本渡し、丸い頭がこくんとうなずいたのを確かめて笑う。
「よぉし。そうだ坊主、家はどこだ? どれどれ……ん、うちの近くじゃないか。かーちゃんが迎えに来なかったら、おっちゃんが家まで連れてってやるからな。それまで、ここのにーちゃんねーちゃんに遊んでもらっとけ。お馬さんでもなんでも、好きにこき使っていいぞ」
「班長ぉ?」
リーファと、備品室から首を出したカナンとが、不満げに唱和する。ゼクスはひらひら手を振って取り合わず、よいしょと野菜の籠を肩にかけなおして出て行った。
「……あのオッサンが“優しいおじちゃん”だなんて、詐欺くせえ」
ぼそりと唸るリーファ。暖炉にへばりついているカナンがふきだした。
「六番隊に行く前は、あんな風体じゃなかったんだぞ。奥さんにめろめろなのは、一部で有名だしな」
「えー、ほんとかよ」
「本当、本当。噂じゃ、めちゃくちゃ可愛いらしい。けど、怒らせると本気で危険だって言ってたな。スープに練り辛子の団子が入ってたり、吹雪の晩に帰ったところを閉め出されたり、箒で顔に青痣作られてたこともある」
「すさまじいな。それでも奥さん一筋なのかぁ」
「あの様子じゃ、今も熱愛継続中みたいだな。一度会わせてもらいたいんだが、あんまり可愛いからほかの野郎に見せたら減るとか言って……仲間内でも実際に見たことがある奴は、いないんじゃないかなぁ」
「なんだそれ。胡散くせー」
思わずリーファが苦笑した、その語尾に、ジェイムの咳払いが重なる。
「いつまで油売ってるんだい。邪魔だよ二人とも」
「あ、いけね」
悪ィ悪ィ、とリーファは素直に謝り、それから出て行きかけてふと迷子に目をやる。好きにこき使っていい、とゼクスは言ったが、つまりそれは、リーファとカナンの二人に、迷子の相手をしろ、という遠回しの命令だろう。
そうでなくとも、今の本部にはジェイムと、奥の部屋で仮眠中の数名しかいないのだ。この騒ぎにも起きてこないぐらいだから、よほどの事態が起きない限り、働いてくれるとは思えない。ディナル警備隊長は、市の準備を見回っていた昨日、木材に足の甲を直撃されて骨にひびを入れてしまった。一応出勤はしているが、朝礼で指示を出した後は隊長室に引っ込んだきりだ。
任せても大丈夫かな、と不安になってジェイムを見ると、失敬にもため息をつかれてしまった。
「いいから行きなよ。どうせまた迷子を連れて戻るに決まってるんだから。初市の日に一人で済むはずがないんだ」
しっしっ、と手を振られ、それもそうか、とリーファはカナンと苦笑を交わす。
「んじゃ、後しばらく頼むわ」
「俺の制服、暖炉で乾かしといてくれ」
ついでに用事を頼んで、二人は連れ立って外に出る。まだまだ広場の人は減りそうにない。期せずして二人は同時に天を仰ぎ、それから、顔を見合わせた。
「しょーがねえな」
「戦線復帰といきますか」
うっしゃ、と握手を交わして、それぞれ別の方向へ歩き出す。
今日も忙しい一日になりそうだった。




