表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
黙す人々
36/43

八章 黙したままで (1)



「……では、これがその職人から預かった手鏡です。遅くなって申し訳ないとお詫びしていました」

 リーファはリーヴィン子爵と令嬢を前にして、可能な限り事務的な態度を装っていた。傷はないが古びた寄木細工の箱をテーブルに載せ、覚えた手順で鏡面と抽斗とを出して見せる。

「櫛までは用意出来なかったので、そちらでお好きな職人に注文して、あつらえて下さいとのことです。子爵、ルミナ様、検めて頂けますか」

 言ってリーファが下がると、ルミナがテーブルに歩み寄り、細工の箱を手に取った。

 その伏目がちな面差しは、やはりニノとよく似ている。

 ――だが、ニノ本人は何も言わなかった。


「本当に良いんですか? これ、渡してしまって」

「ええ。元々、父が頼まれていたものですから。子爵に捨てられたら、その時はそれまでです。仕上げた俺の腕が悪かったってことでしょう」

 起き上がれるようになったニノは、淡々と言って、手鏡をリーファに託した。

「でも、つまりその……」

「お代はもう頂いています。二十年も経ってしまって、受け取るべき貴婦人も亡くなって、どうしようかと悩んでいたんですが……忘れ形見のご令嬢が手鏡を使って下さっているのなら、お渡しするのが筋だろうと。よろしくお願いします」

「ご自分で渡された方が良いのでは?」

「まさか。卑しい細工職人ごときが、子爵様の御前に出るなんて、無理ですよ。手違いがあって、芝居の後すぐにお渡しできなかったことも、お詫びしておいて下さい」

 ニノは何の未練もわだかまりもない様子で、首を振った。その顔はもう貴族の血を引くようには見えず、ただ一人の職人のものだった。


 ルミナは考え深げに細工箱を閉じたり開けたりしている。それを横目に見て、子爵が咳払いした。

「行き違いがあったことは分かった。窃盗ではなかったのだから、こちらとしても訴えはしない。この件はこれで落着としよう。ご苦労だった」

 尊大に、しかし微妙な遠慮をはらんだ態度で、子爵はリーファに退出を促す。リーファは畏まって礼をしながら、セルノの判断が正しかったことを認めた。

 最初、リーファはセルノが手鏡を届けに行くものだと考えていたのだ。責任者なのだし、先日子爵と話をしたのも彼だから。しかし彼は、リーファに行かせた。

 ――君ならば今回の件を、国王陛下のお耳に直接入れられるからな。子爵も、過去の汚点を思い出させるからと言って、手鏡を叩き割ることは出来まい――

 最初の妻が自分との婚約を嫌って駆け落ちした相手が、妻の為に作った手鏡だ。それを、二人の間に生まれた子供が仕上げたわけで、いわば愛の結晶である。

 子爵としてはさぞや業腹で、今更こんなもの見たくもない、と叩き壊してしまいたいだろう。だがリーファの前でそれをすれば、子爵家とつながりのある青年の存在を暗に認めることになる。継承権がなくとも、全く無視することも出来ない青年を。

 だから、受け取るしかない。娘がどんな思いで手鏡を使うのかと恐れながら、黙っているしかないのだ。

 リーファは無事に役目を終えると、屋敷の外に出て空を仰いだ。自然とため息が漏れ、白い蒸気が昇ってゆく。

「なぁんにも、言わねーんだなぁ……」

 ニノも、子爵も。互いの関係と事情を知っていながら、あえて何も言わない。今やルミナも、薄々ニノの正体に気が付いただろう。ニノなどは、芝居の筋書きを用意し、小道具の手鏡を隠しまでして、手筈を整えたのに。父母の形見を受け継ぐべき相手に渡しさえすれば、それですべて終わったとばかりにさっぱりしていた。

(これでいいのかねぇ……本人達がそうするってんだから、いいんだろうけど)

 ああ、もやもやする。

 リーファは頭を振ると、報告書をまとめるべく詰所へ戻って行った。

 同じ頃、王城の館に珍客が訪れていた。

 国王付き秘書官の部屋に通された客人は、臙脂の制服に薄荷の香りを漂わせている。

「お久しぶりです、従兄殿。立派なお住まいで」

「ああ、久しぶり。君がシエナに越してきたことは聞いてるよ。一度挨拶ぐらいしないと、と思っていたんだ。来てくれて助かった」

 ロトが差し出した手を握り、セルノはにやりと皮肉な笑みを浮かべる。

「本当かな。腹の底では私のことなど、袋詰めにしてラウロに送り返したいくせに」

「どうしてそんな事を。君と疎遠になったのは、親の都合だよ」

「その親の言うことを、あなたは可愛い盗人君に吹き込んだ。違うかい」

「……彼女を盗人呼ばわりするのはやめて貰おう」

 途端に、ロトの碧い目が剣呑な光を帯びる。セルノはおどけて両手を挙げ、降参した。

「失敬。だがどうも、おかげで誤解が広まっているようだから、発信源に訂正してもらいたくてね。ラウロでならともかく、ここでまで茨の藪に囲まれたくはないんだ」

「僕の聞いた話では、自業自得だ、と言いたいところだけど……君に自覚があるということは、真相は少し違っているようだね」

 ロトはふむと考え、セルノに椅子をすすめた。向かい合って座ると、二人の青年には確かに似通ったところがあった。髪や目の色も、顔立ちも雰囲気も違うが、体格や、ふとした仕草に血のつながりを感じられる。

 セルノはひとつ息を吐いて、さてどこから話したものか、と整理するように宙を見つめた。そして。

「私がつきまとったことになっている令嬢は、ちょっと思い込みが強くてね。それに、虚言癖もあった」

「えっ……じゃあ、まさか」

「全部でっち上げだよ。贈り物をしたこともないし、屋敷の門前で一日立っていたこともない。たまたま屋敷の裏口を通りかかった時に、都合よく警備隊員が来て、なぜだか逮捕されたことはあるがね。大体、貴族のお嬢様に装飾品を贈れるほど、庶民の小童が金を持っていると思うかい? 野原で摘んだ花ならともかく」

 ラウロのラーシュ家は中堅の商家で、それなりの地位名声を得ているが、貴族の足元にも及ばない。付き合いなどないし、出入り商人としても認められるかどうかぎりぎりのところだ。

「誤解で拘留されて、汚名を着せられたのか? どうして黙ってたんだ」

「相手が貴族だからさ。ごちゃごちゃ言ってご令嬢を貶めたら、どんな報復をされるか知れたものじゃない。裁判沙汰にされなかったんだから、汚名ぐらいは甘んじて受けるさ」

「せめて家族や親類にぐらい、釈明したっていいだろう」

「あんまり私には信用がなかったからね。それに」

 ちょっと言葉を切り、セルノは内心をごまかす曖昧な表情を作って、視線を明後日にそらせた。

「……彼女に惹かれていたのは、事実だから。あえて声を上げて、彼女を責めたくはなかったんだ」

「思い込みが強くて虚言癖があるのに?」

 ロトが正直に変な顔をする。セルノはちょっと笑った。

「そうだよ。可愛いお嬢様だったんだ。嘘をついたり、極端な行動を取ったりするのも、愛されていると確かめたいだけで……相手を陥れる悪意があってのことじゃない。何となくそれが分かったから、好きにさせておいたんだ。向こうの親も娘の問題行動には気付いていたから、むしろこっちに申し訳なさそうな顔をしていたし。ただ、一連の騒動の後で……彼女が本当に私を気にかけ始めた時には、頼むからどこか、娘の目に触れないところへ引っ込んでくれと言われたが」

 記憶をたどるセルノの目は、常になく優しく寂しい。ロトはしばらく絶句し、それから我に返って頭を下げた。

「悪かった。君に直接確かめもせず、早まって噂を伝えてしまったのは、僕の落ち度だ。リーが帰ってきたら、すぐに訂正するよ」

「そうして貰えると助かるよ。ただし、ことの真相は……」

「他言無用、だろう?」

 当然だ、とロトが応じる。セルノはうなずいて、面白そうな顔になった。

「昔からあなたは物分りが良かったっけ。今も秘書官なんて重役についているし。それでも先走って未確認の情報を漏らすなんて、よっぽど心配したんだな」

 言葉尻ではもう完全に、ニヤニヤ笑いになっている。たったこれだけの事で心を見抜かれたロトは、かっと赤面した。反撃も出来ず、ただ唸って相手を睨みつける。セルノはますます愉しげになった。

「そんなに警戒しなくても、あれは私の好みじゃない。背ばかり高くて痩せっぽちで、色気の欠片もないじゃないか。どこがいいのか理解に苦しむね」

「君の好みはフィアナらしいな」

 どうにかロトが繰り出した反撃も、一笑に付されてしまった。

「それも誤解だよ。まだ十九なんだろう? 子供じゃないか」

「たったの四つ違いだろう」

「それでも、さ。学院に籠もって世間に揉まれていないせいか、言動が若すぎる。初々しいとは思うが、恋人や妻にはしたくないな。私が彼女にのぼせたと見たのは、そっちの早合点だ。それが面白くて放っておいたのは認めるが」

 セルノはろくでもないことを言い放ち、それからやっと笑いをおさめた。

「彼女に興味があるのは、仕事の上でだよ。論理的で、状況がまったく分からない立場にあってさえ、何を見ておくべきか弁えていた。捜査にも協力的だし、先々恐らく必要になる人材だと思ってね。魔術師もいずれ、治安維持に加わらざるを得なくなるだろう。今からつながりを作って、土壌を耕しておくのも悪くない」

「……恐れ入ったよ。ただし、警備隊にディナル隊長がいる限り、その野心は隠しておくことを勧めるけどね」

「ああ、うん。それは同感だ。さてそれじゃ、後はあなたの口から誤解を正してもらえるかな」

 セルノは言い、ロトの承諾を確かめてから席を立った。

「やれやれ、これですっきりする。あの子をからかうのも面白かったが、早速フィアナさんから学院長にまで噂を広めるようじゃ、放置も出来ないからな」

「セルノ。今回の原因は僕だ、リーの口が軽いわけじゃない。警戒すべき当人に情報を伝えるのは当然のことだし、フィアナも学院長も不必要な噂話はしない。仮に誤解を放置したままでも、君が問題を起こさなければ、そこまでで噂は止まるだろう」

 ロトも立ち上がり、真顔になってセルノを正面から見据えた。セルノは露骨に疑わしげな顔をしたが、ロトは引かなかった。

「君の主観はともかく、リーを軽んじないでくれ。彼女は警備隊に入ってまだ二年余りだけど、その間に大小様々な事件を解決に導いているんだ。彼女のおかげで警備隊の体質も変わりつつある。世間の耳目を集める派手な活躍はなくとも、重要な人材なんだ。君が彼女を潰すような真似をしたら、誰に何と言われようと、僕や国王陛下が介入すると覚えておいて欲しい」

「……これはまた、入れ込んだものだ」

 セルノは呆れて見せたが、それ以上はふざけず、真面目に答えた。

「分かった。私は着任して間もないからまだ判断できないが、彼女に観察力と瞬発力があるのは確認済みだ。それに、何かと役に立つ利点もある。今後も客観的に評価するよ。心配無用だ」

 安心させるように微笑み、セルノは別れの挨拶をした。そして、扉のところで振り返って置き土産ひとつ。

「ただ、ひとつお願いがあるんですがね、叔父上」

 正しい呼びかけをされて、ロトが眉を寄せる。セルノは半身を扉の向こうに隠し、わざとらしく媚を売る顔を作った。

「可愛い甥っ子に、あれを叔母上と呼ばせないで下さいよ」

「セルノ!」

 怒声と共にクッションが飛ぶ。むろん、その時にはもう扉は閉ざされていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ