七章 真相(2)
「五分五分、って……そんな」
もはやヘイスは抵抗する気力もなく、連れられるままに、おぼつかない足取りで歩きだした。ぽつぽつとこぼれる自分への言い訳から察するに、本当に大した事はないと思っていたようだ。今日になって一応ニノの家へ様子を見に行ったら、本人は帰っておらず、代わりに臙脂の制服がうろうろしているものだから、まさかと怖くなって神殿へ確かめに来たらしい。
施療室に着いてみると、予想とは異なる人物がそこにいた。
「あれっ、セレム?」
魔法学院の長ではないか。思わずリーファは頓狂な声を上げる。寝台に向かい合っていた銀髪の男が、ふわりと振り向いて微笑んだ。学院の女子生徒なら、黄色い悲鳴を上げているところだ。
「こんにちは、リーファ。そちらが新しい班長さんですか?」
立ち上がって歩み寄り、セルノに手を差し出す。握手しながら、セルノは頭ひとつ上にあるセレムの顔を見上げた。
「セルノ=ラーシュです。初めまして」
「王立魔法学院の学院長を務めております、セレム=フラナンです。よろしく。国王付秘書官のロト君とは、ご親戚だそうですね」
「ええ、まあ。しばらく疎遠になっていますが、子供の頃はよく一緒に遊びました。いつの間にか彼も、随分出世したんですね。国王陛下や学院長にまで名を覚えられているとは。私も鼻が高いですよ」
セルノはそつなく受け答えをしていたが、その表情にも声にも、微かな落胆が滲んでいた。後ろに立つリーファの目には、何でフィアナさんじゃないんだ、という心の声が背中に浮かび上がって見えた。笑いを噛み殺すのに一苦労である。
リーファはにやにや笑いを押し隠し、声を取り繕いながら問いかけた。
「どうして学院長がここに? フィアナがお願いしたんですか」
「ええ。ちょっと事件に関りのある人が頭を打って意識不明だから、何とかならないか、と。彼女は治癒術に関しては専門外ですからね」
「ほう?」口を挟んだのはセルノだった。「魔法使いなら誰でも、杖と呪文で傷の手当てが出来るものと思っていましたが」
「確かに、外傷の応急処置ぐらいなら出来る術師が多いですね。ですが魔術と一口に言っても、分野は多岐にわたりますから。人体の仕組みを知り、病や目に見えない傷を癒すためには、一生をかけて学び研鑽する必要があります。一方で、神々の力を借りて作物を豊かに実らせたり、光や炎を操って生活を便利にしたり、といった研究もまた奥深いものです」
「フィアナさんは、後者だと」
「どちらかと言えば、そうですね。時々物騒な実験もするので、私としては心配なのですが。物を壊したり、爆発させたり、吹き飛ばしたり。流石に今はまだ、人に対して使ってはいませんけれどね」
おっとりと穏和な笑みで言われた内容は、特段何の含みもないようだが、しかし注意深く聞くといささか……なんだ、微妙な棘がある。
(あー、これはフィアナから事情を聞いてるな)
リーファはそれに気付いてうっすら温い笑みを浮かべた。が、セルノの方はやはり、自分に向けられた警告には鈍いようだった。
「人に使ったら犯罪ですよ」
大真面目にそんなことを言い、法の整備がどうとかつぶやく。学院長はちらっとリーファに視線を投げてから、何事もなかったように続けた。
「ともあれ、この方については問題ありません。今は深く眠っていますが、早ければ夕方には意識が戻るでしょう」
「助かるんですかッ!?」
いきなりヘイスが大声で割り込んだ。学院長の袖にすがりつき、必死のまなざしで見上げながら繰り返す。
「助かるんですか、ニノ、大丈夫なんですかっ」
「ええ、大丈夫ですよ」
見知らぬ男に迫られても、学院長は一切動じず、相変わらず穏やかな微笑でうなずく。あまつさえ、よしよしとヘイスの頭を撫でた。
「すっかり元通り、元気になります。だから安心して下さいね」
「うっ……うわああぁぁぁ、良かった、良かったよおぉぉぉー!!!」
ヘイスは騒々しく感激し、今度はニノのベッドにすがりついた。
「本当に良かったー! うおおぉぉぉんん!!」
雄叫びのごとき感涙に、廊下から神官が何事かとしかめっ面を覗かせる。リーファは仕草でそれに謝罪してから、複雑な顔でセルノにささやいた。
「……あれ本気ですかね」
「どうやら本気のようだな」
セルノも呆れたような笑いたいような、妙な顔で首を振った。ヘイスは自分の置かれた状況も忘れて、ニノの傍らでおんおん泣いていた。
しばらく後、くしゃくしゃの赤い顔でぐすぐすハンカチを濡らしているヘイスを前に、リーファとセルノはすっかり気抜けしていた。学院長は既に、後は任せたと去っている。
「まあ……わざとじゃねーのはよく分かった」
リーファがどうにかそれだけ言うと、ヘイスは「わざとなもんか」と言い返して、盛大に洟をかんだ。
「ニノになんかあったら、お袋に殺されちまうとこだ」
「家族ぐるみの付き合いだったのかい」
「おうよ。ニノの親父さんは、ニノがまだちっこい頃に嫁さんに逃げられちまったから、うちのお袋が色々世話焼いてたんだよ。男やもめが子育てなんて、ってな」
なるほど、と合点したのはセルノだった。
「ニノはその恩を感じているから、おまえにたかられても追い払えないわけだ」
「だから違うっつってるだろ、俺は借りてるだけだって! ニノの奴だって兄弟みてえなもんだから、俺に元手を預けてくれてんだよ!」
ヘイスはしつこく、自分のしていることを認めようとしない。リーファはニノのベッドに目をやった。この騒がしさでも目を覚まさず、眠り続けている。
「きょうだい、……か」リーファはニノの寝顔を見たまま言った。「本当にそう思ってるんなら、二度とこんな事にならないように、博打からは足を洗うんだね。まずは少しずつでも、今までに『借りた』分を返していけよ。でないとあんた、その内ニノから縁を切られるぞ」
「うっせーや」
ヘイスは不貞腐れた返事をしたが、その声音には諦めと理解が滲んでいた。彼とて、心の隅では分かっているのだろう。博打にはまっている自分の状態が、良くないものだ、とは。
リーファは察して、それ以上は言わなかった。代わりに、別のことを尋ねる。
「逃げてった嫁さんって、いいとこのお嬢さんだったのかい」
ニノの寝顔を見るうち、ひとつの確信が固まりつつあった。目を開けて、動いている姿を見ている間は気付かなかった。だがしかし、こうして眠っていると、顔の造作だけがはっきりと分かる。少し汚れているが元の色は良さそうな金髪、小ぶりな鼻、形の整った唇。
「え? ああ、ニノのおっ母さんか? さあ、俺は聞いてねえけど、別嬪さんだったのは確かだな。優しくて、職人街には似合わねえ感じにお上品だった。そうそう、ニノの親父さんが、お姫様、って呼んでたっけ。俺が七つで、ニノが四つぐらいの時かな……いなくなっちまったのは。だから、あんまりはっきりとは覚えてねえんだが、お袋が言うには、ニノはおっ母さんに生き写しだとさ」
「母親似、ね」
リーファはうなずき、納得した。道理で、ニノをどこかで見たと思ったはずだ。午前中にリーヴィン家でルミナの部屋に入った時、見覚えがあると感じたのも。
(ルミナの兄貴、ってことか……ややこしくなりそうだな)
恐らく間違いなく、ニノの母親はリーヴィン子爵の最初の夫人だろう。ニノはそれを知っている。だからあんな脚本を書かせたのだろうし、手鏡も……
「あっ」
不意に気付き、リーファは妙な声を上げて腰を浮かせた。セルノが不審な目を向けたが、構わずリーファはニノの枕元に寄る。小机に彼の持ち物が、昨日と同じ状態で置かれていた。
「班長、これ、もしかして、手鏡のケースなんじゃありませんか」
小物入れだと思った寄木細工の箱を取り上げ、セルノの方に戻ってくると、リーファはフィアナがやったのを思い出しながら箱を開いた。
すっ、すっ、と木が滑る。するりと出た抽斗部分を指して、
「ここに手鏡を入れるようになってるとか……」
問いかけて曖昧に語尾を濁す。途中で、相手は男で貴婦人の持ち物になど詳しくないだろう、ということに気付いたのだ。だがセルノは「ああ」とうなずいて手を出した。
「こういう細工ならラウロで見たことがある。貸してみろ」
セルノは複雑な顔のリーファから箱を受け取ると、右へ左へ転がし、ひっくり返して検分した。そして。
「やっぱりな。そら、ここを外して、こっちにはめれば」
カチカチと、一見動くとは見えなかった部分を器用に動かす。抽斗だけだと思ったら、そうではなかったのだ。全体がまるで二層に剥がれるかのように滑り、片方が軸を支えにくるりと回って、
「見つけた」
セルノがにっこり笑った。
そこには、寄木細工の枠組みにぴったりはまる形で、あの手鏡が納まっていた。




