七章 真相(1)
「フィアナさんは学院でどんな研究をしているんだ?」
「さあ……私は魔術のことはさっぱり分かりませんので」
屋台で昼食をすませてから神殿に向かう道すがら、セルノは少しでもフィアナに関する情報を引き出そうと、あれこれの質問をぶつけてきた。
「忙しいとは言っても、たまには休めるんだろう。君、一緒に買い物に出かけたりはしないのか」
「滅多にありませんね。フィアナは遊ぶ暇があれば実験したり本を探したり、さもなきゃ泥みたいに寝てるかです」
「では恋人もいないのかな」
「……そういう個人的な事は、私の口からは言えません。取り調べですかこれは」
「多忙を極める中、捜査に協力してくれたお礼をしたいだけだ。義理でも従姉なら、彼女の好みぐらいは知っているだろう」
ああ言えばこう言う。リーファの警戒に気付いているのかいないのか、セルノはあくまでも泰然自若としていた。
礼をしたいと言うなら、今後一切近付かないのが一番喜ばれるだろう、と、手厳しい言葉が喉元まで出かかる。だが流石にそれを口に出せるほど、リーファの神経は太くない。
中央広場を横切って神殿の門をくぐりながら、リーファは渋々答えた。
「改まった礼なんてしない方が、かえって喜ばれますよ。ニノを助けたのは偶然だし、あれこれ煩わせたら迷惑です。どうしてもと言うなら、学院の事務局に日持ちするお菓子でも届けておけば、研究室の非常食になっていいんじゃありませんか」
「味気ないな。花束では駄目か」
「屑籠直行ですね。班長……」
遠回しにあれこれ言っても効果がない。ここらで一発、直球を叩き込むべきか。
リーファは覚悟を決めて立ち止まり、体ごとセルノに向かい合う。が、次の瞬間、口から出たのは別の言葉だった。
「待てッ!!」
叫ぶと同時に、セルノを置き去りにして走り出す。向かう先で、墓地の方から出てきた小柄な人影が慌てふためいて回れ右した。ちらっと見えた顔は、まさに似顔絵のヘイス何某そのもの。
リーファは矢の如く男の背を追いながら、視界の隅で、セルノが別方向に走り去るのを捉えた。回りこんで行く手を遮断するつもりらしい。遅れて同じ経路を走ってくるほど間抜けではないようだ。ありがたい。
もっとも、班長の機転も見せ場にはつながらなかった。逃げる男は日陰に残っていた雪で足を滑らせ、その間にリーファが完全に追いついてしまったのだ。
「うわっとっ……!」
よろけた男の腕を素早く捕らえ、後ろ手にねじ上げる。
「そら、捕まえた。ちょっと話を聞かせて貰おうか」
リーファは墓碑のひとつに男を押し付け、動きを封じた。その間に、少し先の方からセルノが現れる。
「もう捕まえたのか。速いな」
セルノはやや息を切らせながらも、ほかの仲間がいないか周囲に目配りしつつやって来た。
「いてぇッ! 何すんだ、離しやがれ!」
男はまだ元気にじたばたしている。セルノはひょいと屈んでその顔を覗きこんだ。
「これはまた、似顔絵の通りだな。ニノにしょっちゅう小銭をたかっていたのは、おまえか」
「人聞きの悪ィこと言ってんじゃねえ! ちょいと借りてるだけだ……っ、痛えっつってんだろ、この雌犬! さっさと離せ売女!」
口汚い罵声にリーファがうんざりするより早く、セルノが男の髪をひっつかんで、首を仰け反らせた。
「そっちこそ、いい加減にした方がいいぞ。警備隊に対する口のきき方を弁えろ。あと一言でも侮辱すれば、このまま貴様の面を墓石に叩きつけて、鼻と前歯を粉々に砕いてやる」
ささやくように脅す声も、無慈悲で酷薄な表情も、普段とは別人のように氷点下の冷気を帯びている。男が顔をひきつらせて沈黙すると、セルノは「分かったか?」と念を押した。渋々ながらの首肯を確認し、セルノは手を離すと、リーファに手振りで男を連行するよう指示した。
「物置でも借りて、中で話を聞こう」
「はい。あのー、班長」
「なんだ?」
「下衆の侮辱なんて、しょっちゅうですよ。劇場街ではあまり性質の悪いのはいませんが、よその班だと、さっきの程度は日常茶飯事ですから。いちいち改めさせてたら、きりがありません。一応お礼は言いますが」
男が聞いているのを承知の上でわざと、下衆の侮辱、と言ってやる。男の背中がこわばるのが分かったが、リーファはねじ上げたままの手をさらにきつくしてやることで、反撃を封じた。
セルノは横を歩きながら、気取った仕草で肩を竦めた。
「別に君の名誉を守ったわけじゃない。個人個人は侮辱を聞き流すことが出来ても、チンケな悪党の罵声を放置していたら、警備隊の威信が徐々に曇ってしまうじゃないか。善良な市民に畏怖される必要はないが、悪党になめられるようになったら終わりだ」
「じゃ、お礼は撤回します」
「なんだケチくさいな」
他愛無い会話で男を苛立たせておいて、二人は神殿の片隅へ向かった。人気のない廊下の奥へ男を連れ込むと、いきなり壁に叩きつけるようにして投げ出す。
「さーて、と。ここなら、たまたま神官が通りかかることもないし、墓参りの客も来ない。さっきの罵声と違って楽しいさえずりを、たっぷり聞かせて貰おうか」
リーファがにんまり凶暴な笑みを広げ、ゆっくり剣の柄に手をかけた。セルノは眉を上げただけで、止めようとはしない。男が恐怖に目を見開いて身構えると、リーファは半分ほど刃を抜いて言った。
「何しろオレはお育ちの悪いクソアマだから、恨みは三倍返しする主義なんだ。追いかけっこの途中でちょっと怪我するぐらい、よくある事だしな? けどまぁ、良い子にするってんなら、三倍のところを二倍ぐらいで我慢してやらなくもない」
どうする、ん?
少しずつ剣を引き抜きながら、脅しをかける。男は鈍く光る刃に視線を吸い寄せられたまま、小さく何度もうなずいた。
「わ、分かったよ、俺が悪かった。何の用があるんだか知らねえが、協力するから、それはしまってくれ」
「何の用だか分からないとは、とぼけてくれるもんだな」セルノがリーファの横に並び、腕組みする。「それとも、昨日のことも忘れるぐらい、物覚えが悪いのか」
「昨日? 何のことだ?」
男は忙しなく二人を見比べ、ややこしそうな顔になった。どうやら本気で困惑しているらしい。だがリーファは構わず、冷徹に決めつけた。
「あんたは昨日も神殿の墓地に来ただろう。そこで劇場の小道具係の頭をかち割って殺しておきながら、何食わぬ顔で守衛に挨拶して、逃げた。違うと言うなら、昨日の午後はどこで何をしていたか言ってみろ」
「殺っ……!? 嘘だ、生きてたぞ!」
思わず男は全力で否定し、一拍置いて、あっ、とうろたえる。
「語るに落ちたな」
セルノがにやりとし、リーファも剣を鞘に戻した。男は悔しそうに歯噛みしたが、後の祭りである。リーファは相手が逃げないように用心しながらも、多少くつろいだ姿勢になって言った。
「さて、ぼろが出たところで、最初から仕切り直そうか。まず、あんたの名前だ。ヘイスだかハリュスだかって聞いてるが、本当のところ何なんだ? ニノとの関係は?」
「……ヘイスだよ。ニノとは家が近いんだ。ガキん頃からの付き合いさ」
不貞腐れたようにヘイスが答える。“付き合い”ね、とリーファは口をへの字にした。
「最近はあんたが一方的にたかってただけだ、って話も聞いたぞ?」
「ケッ、なんにも知らねえくせに、勝手に人を悪者にしやがって。小銭を借りてるだけだ、そのうち百倍にして返してやらぁ」
「随分景気がいいな。サイコロじゃそこまで稼げねえだろ」
ヘイスの言い様から事情を察し、リーファは鎌をかける。図星だった。
「うっせえな、何だって良いだろ。博打の話が聞きてえのかよ?」
「場合によっちゃ、胴元をしょっ引くかもな。で、あんたは昨日もニノから元手を借りようとやってきたわけだ。今回ばかりは親切な幼馴染も、流石に渋ったようだな」
リーファは一応釘を刺してから、話を本筋に戻した。ヘイスはぶすっとしたまま、ぼそぼそと経緯を話しだした。
「劇場に行ったら、あいつが急いで神殿の方に向かうのが見えたから、追いかけたんだ。そしたら、親父さんの墓んとこにいたからよ……一応、待ってやったんだぜ? 俺だってそこまで厚かましくねえや。けど、いつまでも動かねえし、こっちゃ寒くて足が凍えてくるしよ。だから声をかけて……そん時に、なんか慌てて隠しやがったんだ。俺に盗られるとでも思ったみたいによ。
怪しいと思ったから、何持ってんだ見せろ、ってったんだけどよ。あいつも珍しく噛み付いてきやがって。おまえには関係ないとか、うるさい後にしろとか、すげえ剣幕で怒りやがった」
腹を立てたヘイスが、いつものを寄越せば退散してやる、と言ったところが、ニノは片手で何かを隠したまま、残る片手で上着のポケットから小銭を出そうとした。しかし、不自然な体勢だったせいか、何かがひっかかったのか、小銭は指に弾かれて地面に散らばってしまったのだ。
既に険悪になっていた空気が、それで爆発した。
――俺は物乞いじゃねえ!!
頭にきたヘイスは、衝動的にニノを突き飛ばした。身構えてもいなかったニノは簡単によろけ、倒れる。その時に頭を打ったのだろう。
「すぐに起き上がって殴り返してくるかと思ったのに、来ねえから……しゃがんで様子を見たら、頭を押さえてうーうー唸ってたんだ。だから、こぶが出来たぐらいだろうと思って……」
「小銭と持ち物を奪って、そのままニノを置き去りにした、と」
「追い剥ぎみてえに言うな! 落ちたカネを拾っただけだ、ほかは何も盗っちゃいねえ! それに、守衛には言っといたじゃねえか!」
ヘイスは喚いたものの、二対の冷たいまなざしに晒されて見る見る青ざめた。
「まさか……死んじまったのか? 本当に?」
早くも目は潤み、悲嘆と後悔がその顔を覆ってゆく。リーファはセルノと顔を見合わせると、わずかな仕草で主導権を譲った。セルノはヘイスの腕を取って立たせ、呆れながらも、憐みの感じられるため息をつく。
「昨日はまだ生きていた。助かるかどうか五分五分、という話だったがな。一緒に見舞いに行くとしようか」




