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王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
黙す人々
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五章 秘密の隠し場所



 城の自室に戻ると、ふたつ並んだ机のひとつで、養父アラクセスが小さなランプの明かりを頼りに本を読んでいた。リーファは不意にその情景がいとおしくなり、しばし無言でその場に佇む。

 アラクセスを養父に選んだシンハが、どこまで深く考えていたのかは知らない。だが、決して声や態度を荒らげないこの父親は、かつてリーファに読み書きを教えてくれた司祭を思い出させる。

 生活上の細々した事は女中頭やロトが教えてくれたので、アラクセスは父親と言うよりは語学教師に近い位置付けだったが、それでもリーファは彼を「父さん」と呼べるのが嬉しかった。

 養子になって間もない頃、たまに彼は、「母さん」がいなくてすまないね、と不便を慮る口調で詫びたが、リーファはまったく気にしなかった。生まれ育ったあばら家では、誰が父親かは分からなかったものの、母親だけははっきりしていたからだ。そしてその女は、母という単語の持つ意味と価値を、地の底にまで叩き落し、踏みにじって汚泥に沈めてくれるほどの存在だったから。

 そういう意味では「父さん」がずっといなかったのは幸運だったよな、とリーファは説明して笑ったものだが、その時にセスが見せた痛ましい微笑は、今も忘れられない。

 しみじみ物思いに耽る内に、それなりの時間が経過したが、セスは一向にこちらを見る様子がなかった。リーファは微かに苦笑をこぼし、「ユエ」と光の使霊を呼び出すと、父の手元を照らすように指示する。没頭していたセスはようやくそれで娘の帰りに気付き、顔を上げて微笑んだ。

「お帰り」

「ただいま。何もわざわざ暗くて寒いこの部屋で読まなくても、図書館の方がまだましなんじゃねーの?」

 呆れ口調で気遣いを隠し、椅子の足元に落ちていた毛布を拾い上げて渡す。セスは苦笑しながら受け取り、そそくさと首までそれにくるまった。

「図書館では、こんな格好で丸まってはいられないからね」

 足元には、古布でくるんだ行火(あんか)がしっかり用意されている。冬篭りの必需品だ。

 リーファは、炭を新しく入れなくても充分温かいことを確かめてから、続き部屋の寝室で私服に着替えた。冷え切った服に鳥肌が立つ。腕や足をこすって温めながら、リーファはふと思いついて問いかけた。

「父さん、図書館にはさ、えーっと……なんていうか、貴族の家ごとの歴史っていうか、何か騒動があった記録とか、そういうの、なかったっけ?」

 蔵書の半分ぐらいは読破したし、目録だけなら何度か目を通してもいる。が、名士録の類はなかったような気がする。毎年一冊にまとめられる法令集や裁判所の記録を読めば、その年に起こった出来事をいくらかは拾えるが、法令発布や裁判沙汰にまでは至らなかった事件やゴシップの類は、消えてしまう。

 アラクセスはちょっと目を宙にさまよわせ、記憶を探ってから答えた。

「図書館には、ないねえ。その手の情報は、一時期だけで消えていくものがほとんどだから……ただ、私の口から言ったというのは伏せて欲しいんだが、国王陛下の秘書官なら、何か記録を取っているんじゃないかな。そういうものがあるっていう、噂だよ。あくまで、ね」

「そっか、なるほど。ありがとう、父さん。ちょっと行って来る」

 慌しく扉に向かいながらも、ほどほどにしなよ、と言い置くのは忘れない。リーファは急ぎ足で部屋を出て行った。

 とりあえず、通り道にあるのでロトの私室へ先に寄ってみると、思いがけず本人が在室していた。

「あれ、シンハの見張りはいいのかい?」

 目をぱちくりさせたリーファに、机でなにやら書類を整理していたロトは、肩を竦めた。

「最近真面目に政務をこなして下さっているから、少しゆとりが出来てね。久しぶりに厨房で料理長の邪魔をしてらっしゃるよ」

「やった! じゃ、晩飯になんかオマケがついてくるかな」

「多分ね。明日までかかるとは聞いていないから」

 言いながらロトは書類の右肩に穴を開け、紐を通して綴る。出来上がった束を机の端に置いて、「それで」とリーファに向かい合った。

「君の方は、あれからどうだい。問題はない?」

「うっ」

 不意を突かれて一瞬怯む。迂闊な反応に、ロトは眉をひそめて懸念の表情になった。リーファは慌てて首を振り、いやいや、と否定する。

「オレは問題なくやってるよ。案外あれで、班長としちゃマトモみたいだって分かってきたし。まー相変わらずオレのことは適当な扱いだけどさ。でも、」

 早口でまくし立てる途中で、ふと気付いてリーファは真顔になった。

「なんて言うか、仕事はやりやすいよ。警備隊の連中ってさ、皆が皆ってんじゃねーけど、何かあった時にはすぐ態度がでかくなるっていうか……まだ何も分かってない内から、手当たり次第に関係者を脅しつけて白状させようとするのが多いんだよ。とにかく口を割らせりゃ解決、っていう、あー……伝統、なのかな。怒鳴ったり襟首掴んだり、手は出さなくても態度ですげえ威嚇したりね。セルノは全然そういう事はしねーし、調査の段取りつけるのも上手いから、こっちは楽だなぁ」

 劇場の関係者にも、神殿の守衛にも、反感を持たれることなく聴取が出来た。とばっちりを恐れ、勝手にあれこれを「言わないほうが良い」と判断して黙秘されてしまうことが多いことを思えば、セルノのやり方は効率的だ。

「ふうん、なるほど」

 ロトも一応納得したが、リーファの失言を忘れてはくれなかった。

「でも、『うっ』なんだ?」

「あー、うう……それは、そのー」

 もごもご曖昧なことを唸りつつ、目をそらすリーファ。ロトはじっと無言で待っている。じきにリーファは根負けし、ため息と共に白状した。

「いやその、今日さ、たまたま……事件の成り行きで、フィアナと鉢合わせして。どうもその時に、うちの班長さん、射抜かれちまったみたいなんだよねぇ」

 ここんとこを、と左胸を指で示す。ロトは眉間を押さえたが、少なくとも最悪の事態は免れた、と、半ば諦め顔ながらも気を取り直した。

「フィアナには?」

「一応、言っといた。又聞きだからわかんねーけど、って断って。あれこれ言うまでもなく、セルノはフィアナの好みじゃないみたいだったけどね」

 苦笑まじりに、フィアナの冷淡ぶりを話して聞かせる。もっとも、それがちっともセルノには堪えていない、という点が問題なのだが。ロトはやれやれと頭を振った。

「今度フィアナに会ったら、親戚が迷惑かけてすまない、って伝えておいてくれるかい。やれやれ……でも、フィアナだったらセルノを泣かせることはあっても、セルノに泣かされることはないだろうから、まだしも安心だね。男に不慣れなお嬢さんだとか、身分にうるさい貴族の女性だったりしたら、大事になってしまうところだ」

「その安心の仕方もどうかと思うけど。いくらフィアナの気が強くたって、嫌なもんは嫌なんだからさ。なるべく会わせないで済むようにしねーと……っと、それより、貴族で思い出した、用事があったんだ」

「ん?」

「ちらっと小耳に挟んだんだけど、国王陛下の秘書官は、国内の貴族連中のちょっとしたゴタゴタとか、こっそり記録に取ってるって?」

 やや声を落として言ったリーファに、ロトはすっと目を細めて沈黙した。それは扱いに注意を要する話題だよ、という警告だ。リーファは机に身を乗り出して、あくまでとぼけて続ける。

「あんたが覚えてる範囲でもいいんだけど、ちょこっと教えて貰えたら、助かるんだけどなぁ」

「……どこの家に関する、いつ頃の事だい?」

「リーヴィン子爵家。時期は……うーん、そんなに大昔じゃなくていいんだ。せいぜい二十年ちょっと前かなぁ。使用人か地元民かは分からないけど、誰か平民が不利益を被った出来事がなかったかい」

「リーヴィン子爵?」

 ロトは碧い目をしばたいて、繰り返した。どうやら彼が予想した貴族の中では、かなり順位が低いところにあった名前らしい。警戒を緩め、ベルトに着けている数本の鍵束から一本を外す。

「何かあったのかい」

 訊きながら、手振りでリーファを回れ右させる。一応、見るな、という意味だ。リーファは素直に後ろを向いて、天井の隅に向かって話しかけた。

「令嬢の手鏡が盗まれたんだ。でも、すぐに犯人はばれる状況だったし、どう考えても、金銭面では割に合わないからさ。色々可能性は調べてるとこだけど、金目当てでないなら嫌がらせとか恨みとか、そっちの線じゃないかと思って。犯人らしい奴が二十歳そこそこだから、もし怨恨ならそいつが生まれた後で何かあったってことだろ」

「なるほど。手鏡を狙ったのは何か当事者間に通じる、昔の出来事が絡んでいるから、か……」

 ロトはうなずきながら、本棚を静かに動かして、隠されていたもうひとつの書棚を鍵で開く。中には名前順に、各地の貴族に関する調査記録がびっしり納められていた。

「リーヴィン子爵か。あまり面倒な事を起こしたことのない、どちらかと言えば地味で平凡な家だけどね。あった」

 言いながら指先で見出し札を辿り、目当ての紙束を見つけて引っ張り出す。直後、

「分かりやすいとこに隠してんなぁ」

「わぁッ!?」

 リーファの呆れ声で、ロトはびくっと竦み上がった。不意を突かれた驚きと、もうひとつ、いきなり耳元でささやかれた事に対する動転。手から滑り落ちた書類を受け止めるだけの反射行動すら取れない。

 バサグシャッ! 惨めな音を立てて大事な記録が墜死する。

「あーあ、駄目じゃないか落としたら」

 リーファがわざと偉そうに言って、紙束を拾い上げた。よれた端を整え、埃を払う。その頃になってようやくロトは、跳びまわる心臓を押さえつけるのに成功し、赤い顔で振り向いた。

「リー!」

「ごめん、ごめん。そんなに驚くとは思わなかったよ。あんたのことだから、途中で気配に気付いて振り返るかと思ったんだけどな」

「君に対してそこまで警戒しなきゃならないとは、思っていなかったからね」

 不機嫌にロトは言い返し、手を出す。リーファは紙束を渡して、まあまあ、となだめた。

「どっちにしろ、あんたの動く音を聞いてるだけで、大体どこで何をしてるか分かるし、そうしたら後は見てても見てなくても同じだよ。信用するんなら、犬ころよろしく命令通りに振り向かない、ってんじゃなくて、これを見せても大丈夫、って所で信用して欲しいんだけどなぁ。図々しい?」

「……いいや、僕が悪かった。君を侮った」

 ロトはつくづくとリーファを見つめてから、沈痛なため息をついた。彼としては、信用していないつもりではなかった。ただ出来るだけ、こうした政治絡みの綱渡りからは、彼女を遠ざけておきたかったのだ。

 見聞きしていなければ、不穏なことに巻き込まれる心配も減る。ただでさえリーファは、国王陛下とごく親しい特異な立場にいる者として、本人の知らないところで貴族達から駒のひとつに数えられているのだから。

 だがリーファは、ロトのそんな配慮までは、察しきれなかった。目をぱちくりさせて小首を傾げ、今更ながらやっぱりまずかったかと悔いる顔をする。

「そこまで深刻に謝ってくれなくても……えーと、ちょっと前からやり直そうか?」

「もういいよ。一緒に調べた方が早いしね」

 ロトは苦笑をこぼし、机に戻って書類を広げた。リーファも横から覗き込み、めぼしい出来事がないか目を走らせる。

「こういう記録って、やっぱアレかい、貴族連中を脅したり取引したりすんのに使うとか?」

「余計なことまで気を回してないで、自分の調べ物に集中するように」

「ちぇー。どうせオレはしがない庶民ですよー、だ。情報集めぐらいなら、オレでも役に立てるかと思ったのにさ」

「君に危ない橋を渡らせてまで、国内の貴族に警戒しなきゃならないほど、今のレズリアの情勢は不穏じゃないよ。だいたい、必要となったらシンハ様が自分でこそこそ探りに行ってしまわれるんだから、君まで僕の胃を痛めつけるのはよしてくれ」

「ぶっ、あはは! そっか、そうだよな。悪かった、ごめん」

 馬鹿笑いしながらも、リーファは書類をめくっている。そして、

「――あ。あった、これだ」

 ひとつの記録で指を止めた。ロトは呆れるべきか感心すべきか迷う風情で、緩く首を振る。

「あれだけしゃべっていて、どうして僕より先に見付けられるんだか」

「才能、才能。オレ同時に色んなことやるの、得意だからさ」

「僕も同時進行は得意な方だと思ってたんだけどな……へえ、これは僕も知らなかった。今の子爵夫人は二人目だったのか」

「前の夫人が嫁入り前に、平民と駆け落ち。探し出して連れ戻して子爵と結婚させたけど、ルミナを出産した後で死亡。で、今の夫人と結婚したんだな。って、あれ?」

「ん?」

「似た話を聞いたばっかだぞ。今日見た芝居の筋書きがそんなのだったんだ。主人公の実の母親は、継母に毒を盛られて殺されたんだって話」

 まさか、と二人は顔を見合わせて沈黙する。ややあってロトが、不安げながらも共通の想像を否定した。

「毒殺ってことはないと思うよ。いくら昔のこととは言え、死因に疑いが持たれたらきちんと調べられるし、結局不明のままだとしてもその事実は記録されているはずだから。これを見る限りでは、別段不審な点はないようだし」

「そっか。だよな」

 リーファは同意してから、子爵令嬢の様子を思い出した。食い入るように芝居を見つめていた横顔、膝の上でぎゅっと固く握り締められた手を。

「ルミナはその辺の事情を知ってるみたいだったな。どんな風に聞かされたのか知らないけど、あの様子じゃ、あんまり穏やかじゃなさそうだ。ああー、どうやって水を向けよう。気が重てえぇ」

 自分で言って、リーファは頭を抱えてしまった。

 怨恨の可能性が浮かんだからには、当然ながら子爵家にも事情を聞きに行かねばならない。駆け落ちした相手の平民は、結局どうなったのか。ニノとどこかでつながる線はあるのか。それを、過去の“家の恥”など何も知らない振りをして、聞き出さねばならないのだ。

「それこそ、君の上司がすべき仕事じゃないのかい」

「まあね、貴族の家に上がりこんで聞き込みってことになったら、班長が引き受けてくれるかも。けどまぁ、そうならなかったとしても、やるべき事はやるけどさ。あーあ、貴族がみんなシンハみたいだったら気楽なんだけどなぁ」

 思わず半ば本気でそんなことを言ったリーファに、ロトは極め付きの渋面になった。

「なんて恐ろしい事を」

 声はかなり深刻に陰鬱である。リーファは失笑しかけたのを寸前で堪え、おどけて首を竦めたのだった。


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