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王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
黙す人々
31/43

四章 小道具係の身の上



 施療室に従姉妹二人だけ残されると、フィアナは即座に被っていた猫を脱ぎ捨てた。

「何なの、あの薄荷男」

「ぶっっ」

 思わずふきだし、リーファは慌てて口元を押さえる。おかげで、よじれた胃が元に戻ったようだ。にやにやしながら答えた。

「うちの新任班長さんだよ。お前の冷たい物言いに、あそこまで全く怯まない奴なんて、珍しいよな」

「それはどうでもいいけど、部下に対する態度がなってないわ。姉さんのこと、何だと思ってるのかしら。あれで自分を偉く見せているつもりなら、逆効果だわね」

「いやぁ、それは……別にそんなつもりじゃないだろうと思うよ。単純に、オレが女で、あちらさんの期待外れだったから、どうでもいい態度になってるだけで」

「期待外れ? それどういう」

「大丈夫、大丈夫」

 フィアナの眉間に剣呑な縦皺が寄ったので、リーファは慌てて遮り、軽い調子で手を振った。

「オレのことより、お前の方が心配だなぁ。どうも一目惚れされちまったみたいだから」

「じきに冷めるわよ。勝手に寄って来て、私が見た目通りのふわふわしたお嬢さんじゃないって分かったら、勝手に失望して離れて行くだけ。いちいち相手にするほど暇じゃないわ。ましてや、姉さんにあんな態度を取る人なんか」

 ふん、と怒りを込めて鼻を鳴らす。どうやらセルノはすっかり心証を悪くしたようだ。

 リーファはちょっと頭を掻いて、慎重に言葉を選びながら続けた。

「まあ……相手にしないに越したことはないかも、な。又聞きの話だから、あくまで参考として聞いて欲しいんだけど」

「……?」

 小首を傾げたフィアナに、リーファはロトから聞いた噂をかいつまんで話した。見る間にフィアナは渋面になり、薄荷の残り香を消し去ろうとするかのように、激しく頭を振った。

「ああぁもう、嫌だ最低。その手の輩が一番始末が悪いのよ! 姿が見える範囲に近寄りたくもないわ。でも、一応姉さんの上司だから、あんまり露骨なことは出来ないわね……父さんを頼るなんて以ての外だし」

「駄目かなぁ。隊長から釘を刺されたら、少しは効果があるんじゃないか?」

「冗談じゃないわ。そんなこと頼もうものなら、別の相手と結婚するようにごり押しされるだけよ」

「んー、そっか」

 リーファは曖昧な相槌を打ち、返事をごまかした。ニノの様子を見に行くふりを装いつつ、出来るだけさり気ない口調で問う。

「結婚するのが嫌なのか、それとも親父さんが押し付ける相手が嫌なのかい。両方?」

「両方ね」

 きっぱりと迷いなく、即答である。

 ふうん、とリーファはうなずいて、それ以上は言わないことにした。フィアナは十九歳で、世間一般基準では結婚してもおかしくない年齢だが、魔術の勉強に没頭している姿を見ていると、その“世間基準”な結婚を彼女が拒むのも理解できる。既婚女性の“仕事”は、子を産み育てることと、世間付き合いに家事の采配、あるいは嫁ぎ先の家業の切り盛りが普通で、学問はそこに含まれないからだ。

(それじゃあ勿体ないってのは、オレも思うけど)

 フィアナの能力を埋もれさせるのは大きな損失だ。しかし、学問を続けられる条件さえ整えば、せめて婚約だけでもすれば良いのに、とも思う。虫除けが出来て、面倒事が減るのではないだろうか。

(同じ学院の誰かとか、父さんみたいに衣食住の面倒はどこかが見てくれる立場の、学者っぽい人とか……?)

 養父を思い浮かべ、ふと、まさかフィアナは本気で伯父への恋心を貫くつもりだろうか、などと心配してしまう。

 そんなリーファの考えを読んだかのように、フィアナが横に並んでささやいた。

「男の人のことより、魔術のことで頭が一杯なのよ。研究員として学院にいられる限りは、生活の心配もしなくていいから、無理にも結婚しなきゃって切迫感はないしね。いざとなったら、姉さんと二人で楽しい老後っていうのも悪くないわ」

「おいおい」

 思わずリーファは苦笑した。人を勝手に仲間にするな、と言いたいところだが、実際リーファの方も、魔術が仕事に置き換わるだけで、フィアナと同じだ。

「ま、考えとくよ。先の事はわかんねーけど。それはともかく……ニノはこのまま、神殿の人に任せといて大丈夫かな?」

 気分を切り替え、仕事のことに話を戻す。フィアナも余計な感情を消して、ふむと小首を傾げた。

「そうね、ここに預けておくのが一番安全だと思うわ。出来る事は大してないし、それなら祈って貰った方が効くかも」

「脈はしっかりしてるんだよな」

 リーファは首筋に軽く指先を当てて拍動を確かめた。そして、そのままふと、目をしばたたく。

「姉さん? どうかした?」

「んー……いや、なんか……こいつ、どっかで見たような気がするんだけどな」

 昏々と眠っている青年の青白い顔を、改めてしげしげと見つめる。汚れの為か少しくすんだ色合いの金髪が、閉じた瞼に幾筋もかかっていた。鼻がやや小さいほかは全体に整った造作と言えるが、頬から顎にかけての線が険しい。

「昔の知り合いに似てるとか、手配書で見たとか?」

「違うなぁ。つい最近、似た顔を見たような気がするんだけど……誰だっけ」

 もやもや、すっきりしない。リーファはしきりに首を捻ったが、答えが出てくる気配はなかった。

「駄目だ、わかんねえ。その内思い出すだろ。んじゃ、オレはこれから劇場に戻るけど、フィアナはどうする?」

「私はここで、もう少し様子を見ているわ。手が空いたら、ほかに情報がないか少し聞いて回っておくから」

「警備隊員でもないのに、そこまでしなくてもいいよ」

「好奇心よ、気にしないで。役に立ちそうなことがあれば、知らせるわ」

「ん、ありがとな」

 感謝を込めて手を振り、神殿を後にする。外はいつの間にか、すっかり雪景色になっていた。

「うっへー、さみー!」

 思わず我が身を抱き締めて震える。広々とした正面階段も、端の方は既にうっすら白い。中央付近は行き交う人の靴で踏み溶かされて、まだ積もっていないが、濡れて汚れている。ぼんやり歩けば、滑って転びそうだ。

(でも、ニノが倒れた時にはまだ、そんなに降っていなかったはずだ)

 静かに降り続ける雪を恨めしげに見上げてから、リーファは用心深く階段を降りて行った。


 劇場に戻ると、既に噂でもちきりになっていた。座長や各部署の責任者が仕事をさせようと奮闘しているが、いかんせん多勢に無勢、ままならない。

 何をそんなに盛り上がっているのかと訝れば、「手鏡の呪い」だと言うのである。

「こっちの連中って、この手の話が好きなのか……?」

 半ば呆れ、半ば苦笑しつつ、リーファは臨時の聴取室をざっと見回した。

 打ち合わせや練習に使うらしき部屋は殺風景で、脚を折り畳める長机が中央に据えられているだけだ。絵の一枚、花の一輪さえもない。座長に呼ばれた面々は、簡素な丸椅子に座ったり、壁にもたれるなどして、雑然と小さな集団を作っていた。

 ニノとわずかでも交流のあった人間、ということで、同じ小道具係から裏方仲間、脚本家までが集められている。リーファがいちいち下宿屋を訪ね歩かなくても良いように、とのありがたい気遣いだ。

「手鏡の呪いって、あれは当日いきなり借りたものなんだから、関係ないと思いますが。どうしてそんな噂に?」

 調査に入る前に、リーファは親近感を演出するべく、当座の話題を振った。案の定、途端に何人もが食いつく。

「でも実際、今回の芝居は何回も手鏡がなくなったり、おかしな事が起こってるんですよ」

「まぁ今まではすぐ見付かって、上演には間に合ってたけど」

 わいのわいのと騒がしくなった一同に、リーファは「おかしな事って?」と問うてみた。が、どれもちょっとした偶然としか思えない話ばかりだった。稽古の最中に女優が本当に鏡に何か見えたと言ったとか、気分が悪くなって倒れたとか、果ては裏方の誰某が楽屋で怪我をしたことまで、“呪い”のせいにされている。

 リーファはずっと苦笑を噛み殺していたが、口々に飛び出す噂話の中、ひとつ気になることを聞きつけた。

「そもそも亡霊が鏡の中に見える、なんてネタを持って来たのはニノだったし……」

 脚本家のつぶやきだ。リーファは振り返り、驚いた顔をする。

「ニノは細工職人ってだけじゃなく、作家も目指していたんですか」

「いや、違うと思う」

 脚本家はむっとした様子で首を振った。たかが思いつきひとつ程度で、劇作家の仲間入りをされてたまるかと言わんばかりだ。

「今まで脚本に口出しすることは、全然なかったし。今回が初めてですよ。ちょっと思いついたんだけど、こんな話はどうか、って、いきなり言ってきたんです。まともな芝居に書き上げたのは私ですが、大まかな仕掛けというか、人物の関係だとか手鏡だとかは、ニノの考えをそのまま使いました。そこを変えるぐらいなら没にしてくれ、なんていっぱしの事を言うもんですからね」

 なるほど。それで呪いだ、となるわけか。

 リーファはふむとうなずいてから、そろそろいいか、と表情を改めた。

「何か思い入れがあったのかも知れませんね。その辺は、ニノが快復したら聞かせてもらうとして、今はともかく、借り物の手鏡を早いとこ見つけないと。ニノが普段から付き合いのあった人は? 劇場の外の交友関係を知りませんか? あるいは最近、彼に変わった様子は? 金に困っているだとか、厄介事に巻き込まれているだとか」

 何人かが考えるそぶりを見せ、他の多くは途方に暮れた表情でぼんやり立ち尽くす。付き合いがあると言っても、顔見知り程度、という間柄が多いらしい。

 すぐには返事がなかった。リーファは小首を傾げ、座長に問いかける。

「どうやらニノは、あんまり親しく人付き合いをする性質じゃなかったみたいですね」

「そのようですな」

 座長もちょっと困った様子で、鼻の頭を掻いた。それからはたと思い出し、失礼、と言い置いて慌しく部屋を出て行った。じきに彼は、分厚い帳面を手に戻ってくると、(ページ)をめくりながら話を続けた。

「親類はいないと、聞いた覚えがあります。一応これは、雇った全員の記録をつけてあるんですが……やはり、そうですな。ニノは寄木細工職人の息子で一緒に小さな工房を営んでいましたが、父親が亡くなったのをきっかけに整理した、とあります。ほかに身寄りは一人もおらず、母親についても記載なし。幼くして死に別れたか、離婚したか……ともかく兄弟も親戚もいないし、独身だから身軽でいかようにも働ける、と、売り込んで来たようですな」

「そういうのって、何かあった時に一番困るんですよね」

 うう、厄介な。リーファは顔をしかめて唸った。親類縁者がいない、おまけに以前やっていた仕事も畳んでしまったから、そちらの付き合いも薄れている。住まいが職人街で職場が劇場だと、遠いから面倒で帰らないこともあるだろうし、近隣住民とも疎遠になる。情報を集める手がかりが極端に少なくなってしまうのだ。

 ややあって、気後れしながら一人の青年が手を挙げた。

「あのぅ……あんまり親しいわけじゃないから、詳しい事情は知らないんスけど。でも、時々なんか、たかられてるっぽいのは見ましたよ」

「金をせびられてたってことですか? それとも、何か他のもので?」

「だいたい小銭でしたけどね。裏口んとこに来て、ニノを呼んでくれって」

 青年の言葉に、「あっ、それ私も知ってる」と別の娘が声を上げる。

「二、三回取り次いだかな。ちょっと背は低めで、髪は茶色で、なんかヤな感じの男だったよね。眉毛がすんごい太くて、唇が分厚くてさ」

「俺はそこまで見てないけど」青年は苦笑してから、リーファに向かって続けた。「同じ奴だと思います。名前は……なんだっけ、ハリュス? ヘリス?」

「ヘイスじゃなかった?」と娘。

「だったかな。そんな感じでした。ニノは迷惑そうだったんで、一度俺から、今の誰だい、困った奴なら今度からいないって言おうか、って訊いたんスけど。近所の幼馴染で、確かにちょっと困ってるけど、自分が助けてやらなきゃよそに迷惑かけるから、って」

「ははぁ。ニノが良い物を持っているのを見て、横取りしようとした可能性は高いな」

 リーファがつぶやくと、青年は不思議そうな顔をした。

「でも、なんでニノは手鏡を盗んだんスかね? そいつに迷惑かけられてたにしても、そのせいで金に困ってるとか、誰かに借金したとかって話は聞いてないし」

 そもそも日常的に小銭をせびられて困っているのなら、たかり屋を追い払うのが先だ。強請られているのならともかく、盗みをしてまで融通してやることはない。

「何か弱みを握られていたとか、事情があるのかも。とにかくその、困ったヘイス何某を捜すのに必要なので、似顔絵を作るのに協力してもらえますか?」

 リーファが言うと、それなら、と美術係の一人が紙とペンを取ってきた。わざわざ警備隊本部まで行かなくても、絵描きならここにもいる、というわけだ。

 皆が見ている前で、さらさらとペンが走り、あっという間に男の顔が描き上がった。太い眉に厚い唇、何かを取り繕うような歪んだ笑み。ヤな感じ、と評した娘が感心した。

「そうそう、これよ、こういう奴! なんか胡散臭い愛想笑いでね、それが嫌だなあって思ったの。財布のある部屋には絶対入れたくない感じ。盗人っぽいの」

「なるほど」

 リーファは複雑な気分で、似顔絵を受け取った。昔の自分も、こんな目つきをしていたのだろうか。少なくとも、にやにや笑っている余裕はなかったと思うが……。

 彼女の素性を知る何人かが娘を小声でたしなめ、あっ、というように娘が口をふさぐ。リーファはそれに気付かなかったふりで、にこりと笑った。

「ありがとうございました、分かりやすいし良く描けてますね。本部の絵描きに見せたら僻むかも」

「いや、そんな」

 絵描きが恐縮し、ぎこちない笑いがさざめく。リーファは「それでは」と一同を見回した。

「警備隊の方では、この似顔絵をもとに手配をかけます。皆さんも、また何か思い出したことがあれば知らせて下さい。あと念の為もう一度、劇場内の捜索をお願いします」

 最後の依頼は座長に向けて言い、頭を下げる。雑多なものが山積みになっている楽屋で小さな手鏡ひとつを探すのは、大変な手間だろう。だが部外者の警備隊員が大挙して押し寄せ、勝手も知らずに手当たり次第にひっくり返すよりは、ましなはずだ。

 座長は諦めの漂う顔で、承知しました、とうなずいたのだった。

 リーファが外に出ると同時に、夕刻を告げる神殿の鐘が鳴った。詰所に戻って夜勤の隊員に申し送りを済ませたら、今日の仕事は終わりだ。どっちみち、日が暮れてきた上に雪が降っていて、残照も月も頼りにならないとなれば、出来ることなど何もない。

 はあっ、と白い小山を吐き出して、リーファは小さく「帰ろ」とつぶやいた。


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