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王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
そのもの人に非ざれば
3/43

1 使霊(回想)


  -回想-


 リーファがその果実を初めて口にしたのは、レズリアに来た年の夏だった。

 黒に近い、濃い紫の粒。蜜で煮られてつやつや光るそれが、さっくりぱりぱり香ばしい小さなパイ生地に包まれている。下敷きにはカスタード、お供にリンゴの蜂蜜煮、ちりばめられた黒い果実。

 最初は干し葡萄かと思ったのだが、香りが全く違う。なんだろうと訝りながらも、料理好きの国王陛下がすすめてくれたのだから、不味いものではあるまい、そう信じてかぶりついた。

「んむっ」

 口いっぱい頬ばったまま、思わず声を漏らす。どうだ、とシンハが身を乗り出した。

「美味いか?」

「……む、ん、……美味い!」

 ごくんと飲み込んでから、心の底からの賞賛を込めて答える。

 ――と。

「そうか」

 なんと信じがたいことに、シンハが少しばかり残念そうな顔をした。果実も初めてなら、菓子を褒められてがっかりする国王陛下も、初めてのことだった。

 驚いたリーファが目をぱちくりさせていると、彼は、ああいや、と苦笑した。

「美味いなら良かった。それは黒スグリといって、サラシア国の特産品だ。レズリアでも採れるが、北の端でほんの少しだけでな。ほとんど輸入品だ」

「涼しいとこのもんなんだな。へえ。道理で、聞いたこともないはずだよ」

「ジャムにしたり乾燥させたりしたものは、エファーン一帯に出回っているが……そうだな、流石に西方に売るほどは採れないだろう。贅沢品だし、サラシア国内でも冬場の貯蔵食糧として消費されるからな」

「えっ、あっちじゃこんなの毎日食うのか」

「食事代わりというのじゃない。サラシアは冬が長くて厳しい。野菜や果物がほとんど採れなくなるから、その間少しずつ、砂糖漬けや干したものなんかを食べるんだ」

「うへー……大変だな」

 まだ見ぬ異国の話に感嘆しながら、もう一口、ぱくり。

 そこでふとリーファは妙な感覚に気付き、首を傾げた。

「あれ?」

「どうした。何か変なものでも入ってたか」

「何を入れたんだよおまえ。って言うか……いや、上手く言えねーけど……」

「やっぱり不味いか?」

「違うよ! 美味いんだけど、なんつーかこれ」

 もぐもぐと口を動かしながら言葉を探す。ごくんと飲み込んで、妙に用心深く紅茶を一口飲み、

「わかった」

 途端に彼女は胡散臭げな顔になってシンハを睨んだ。

「これ、おまえが作ったんじゃないだろ」

「どうして分かった?」

 驚きつつも嬉しそうにシンハが肯定する。リーファは何を食わされたのかと疑いながら、皿に残っているパイをつついた。

「分かんねえ。けど、なんかこう……おまえがいつも作るやつに比べて、やたらキラキラしいって言うか……うーん。もしかして、これ作ったのセレムか?」

 麗しき銀髪の魔法学院長は、人間に出来る範囲のことなら大概なんでも上手くやってのけるという、とんでもない才能がある。料理するところは見た事がないが、あの男ならお菓子作りぐらいお手の物だろう。

 だがシンハは意外そうに目をしばたいて言った。

「いや、違う。どうしてあいつの名前が出るんだ」

「違うのか? なんとなく、これ作るのに魔法使ったんじゃねーかって気がしたんだけど。だから、味は別におかしくないんだよ。美味いよ本当に。でも、何っっか、普通の食べ物とは違うもん食ってるっていう感じがして……」

 奇妙な違和感をうまく説明できず、リーファはもどかしげに唸る。

 と、その時だった。

「ああ、やっぱり君には分かっちゃうんだなぁ」

 柔らかな声と共に、つい今しがたまで誰もいなかったはずの席に、一人の青年が現れた。腰まで届くまっすぐな黒髪、やや中性的で、民族の判別がつかない優しそうな顔立ち。肩には白い子猫のような生き物を乗せている。

 にこやかな青年とは対照的に、シンハはげんなりと苦りきった顔をした。

「茶の席に割り込むのに、挨拶ぐらいしたらどうだ」

「おまえに邪魔されなければ、今からするところだったんだけどね」

 青年はしらっと受け流し、リーファに向かって笑いかけた。

「初めまして、君の噂は聞いているよ。私はサウラ、そのパイを作った本人で、ついでに言うと、スグリの産地サラシアの国王を務めている」

「えぇ?」

 登場の仕方に度肝を抜かれたまま、リーファは極めて不審げな声を出した。ここまで来るともう、驚くとか放心するとかいう話ではない。既に、馬鹿馬鹿しい、の領域である。

「ちょっと待てよ、なんだそりゃ。城を抜け出して他所でお菓子作ってる馬鹿王が二人もいるって、よくそれでこの辺一帯が滅びねーなオイ」

 信じられねえ、と呆れたリーファに、サウラは楽しげな笑いをこぼし、シンハは嫌悪感むき出しに唸った。

「こいつと一緒にするな。リー、こいつはな、まっとうな人間じゃないんだ。ありとあらゆる点で、常識だの規則だの、世の理だのを破壊して回る化け物なんだ。だから、こいつの行動をいちいち真面目に取り合うな」

「嫌だな、おまえに言われるほど酷くないよ」

「事実だろうが。ロトがおまえの秘書官になってみろ、三日もたずに血を吐いて倒れるぞ」

「秘書官殺しの非道な国王はおまえぐらいだよ。私はちゃんと自分の務めは果たしているからね」

「ならここで、勧めてもいない茶を勝手に飲んで寛いでいるのはどこの誰だ。幻か、偽者か」

 ねちねち言い合いを続ける二人を眺め、リーファはやれやれと首を振った。

「結局おまえら、似たもの同士ってこったろ。なんでこんなのが国王やってんだか、東方の神秘は底知れねえ……それはともかく、このパイが変な理由、ちゃんと説明してくれよ。腹壊しゃしないだろうな?」

 ぐさり。パイにフォークを突き刺して要求する。

 二人の黒髪国王は揃って振り向き、何やら感心した風情でしげしげとリーファを見つめた。

「リー、おまえ、大物だな。普通こんな状況になったら混乱すると思うが」

「わけ分かんねえ事態にいちいち混乱してたら、おまえと付き合ってらんねーよ。これ食っていいのか?」

 国王相手にこの態度。だがもちろん、当の二人は無礼を咎められる立場にない。何せ実に全く国王らしくない行いの真っ最中なのだからして。

 馬鹿王の片割れサウラが笑って応じた。

「もちろん、食べても何の問題もないよ。ただ、君は人ならざるものに対して敏感なところがあるからね。私が作ったものだと、それが分かってしまう……」

 言い終わらぬ内に、リーファが椅子を蹴倒して立ち上がり、飛び退った。おっと、とサウラは慌てて手招きする。

「大丈夫、一応ちゃんとした生身だから。オバケじゃないよ」

「……本当だろうな?」

「本当、本当。バケモノかも知れないけど、オバケじゃない。生きてるよ。君は聖十神について、どのぐらい聞いてるんだい?」

「常識的に必要って感じの範囲を一通りだけ」

 恐る恐るリーファは席に戻り、警戒しながら椅子に腰を下ろす。シンハが苦笑して、安心しろ、と保証してくれた。

「こいつはその神々の中の一人、生命神サーラスの“化身”なんだ。神の力の一部が姿を変えて地上に現れたものと言われているが……まあ、要するに似非人間だと思っていればほぼ間違いない。その証拠に、こいつはエファーンの歴史が始まった時からずっと、サラシアの国王をやっている」

「ふぇ!?」

 これには流石にリーファも驚きの声を上げた。口をぽかんと開けて、眼前の柔和そうな青年を凝視する。

 リーファはしばし絶句した後、ほとほと呆れ果てた風情でゆるゆると首を振った。

「誰もやめろとか代われとか言わねえのかよ。本っ当に、信じらんねえ国だな」

「驚くのはそこかい」サウラは面白そうに笑った。「普通は、千年以上も生きてるなんて嘘だとか、そっちに驚くんだけどね」

「その辺はどうでもいいよ。どっちみちオレには、こっちの神々の事はよく分かんねーし。けど、人間まで西方と全然違うとは思わなかったね」

 ぱくり。残ったパイを平らげ、リーファは紅茶のカップを手に取った。

「茶はシンハが淹れたんだろ」

「ああ、そうだ」

「いつもと同じ味がする。美味いよ」

「それは良かった」

 シンハはにこにこと嬉しそうになる。やはりどうやら、パイを褒められてがっかりしたのは、作ったのが別人だから、という理由らしい。案外心の狭いところもあったものだ。

 はたでサウラは何やら言いたげな顔をしたが、肩の上の生き物にせっつかれ、いそいそと新しいパイを皿に取った。軽やかな足音を立てて、白い毛並みのそれがテーブルに降りる。

「……なんだい、それ」

 リーファはもう驚く気もせず、ただ胡散臭げに問うた。猫かと思っていたら、全く違う生き物だった。首がほっそりと長くて頭も小さく、なんと背には翼がついている。

「ん? ああ、竜だよ。生き残っている最後の一頭だけどね。名前はエンバー」

 サウラはにこにこと答え、小さな竜がパイを食べる姿を愛しそうに眺めた。リーファは眉を上げ、ますます怪しげな表情になった。

「このちっこいのが?」

「大きさは自由に変えられるんだよ。本来はもっとずっと大きいんだけど、それだけの体を維持できるほど、今の世界には神々の力が満ちていないからね。今はこんななりだけど、君よりずっと長生きしているし、知識も力も膨大だから、あまり機嫌を損ねないようにしてくれるかな」

「ふーん……なんか、この辺って、常識外れのものが普通にうろうろしてるんだなぁ。カリーアじゃ、あり得なかったけどな。そういうの」

 リーファは曖昧に言って茶を飲む。幽霊程度であっても、西方では禁忌だった。この世は偉大なる神によって人に与えられたもの。幽霊だの精霊だの神々だのといったことは、唯一絶対なる神の恩寵から零れ落ちた東方人の妄言であり、それらはすべて、あってはならないもの、だった。

「どっちかと言うとカリーアの方が特殊なんだよ」サウラが苦笑する。

「それに、いくらこっちでもそうそう化け物がうろうろしてるわけじゃない。こいつが特例なんだ」

 シンハが真面目くさってそう言ったが、要するに類友か、とリーファに看破されて撃沈した。普通の人間を主張したくとも、太陽神の加護の証である漆黒の髪と夏草色の目を持つ、歩く魔除けとしては、如何ともしがたい。

 サウラがひとしきり笑ってから、ふと残念そうな顔になってリーファを見た。

「私が特例なのは否定できないなぁ。せっかくお菓子を作っても、リーファには食べて貰えないね。味より何より、違和感が強くて嫌だろうから。残念だな」

 切なそうにため息をついたのが、本当に神の化身なのか、リーファでなくとも疑いたくなろうというものだった。


  -以上、回想終わり。-


 記憶を確かめると、リーファは無意識に眉を寄せて唸ってしまった。

「なんかオレ、すっげえ馬鹿馬鹿しいことに巻き込まれたんじゃねえのか……?」

 げんなりした彼女を慰めるつもりか、光がふよふよと浮き上がって、肩の近くを一回りする。足元のおぼつかないヒヨコのようだ。リーファは苦笑し、そっと光を両手で包んで窓辺に行くと、表に放してやった。

「ま、いつものことか」

 などと、国王陛下に大層失敬なつぶやきをこぼして。


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