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王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
黙す人々
28/43

一章 新任班長現る

(もだ)す人々』

リーファが20歳の冬の話。殺伐とした部分はない地味な事件です。


 冬の乾いた風が通りを吹き渡る。リーファは首を竦めて、色の薄い青空を仰いだ。

 雪が降るよりは、晴れている方がありがたい。足も濡れずにすむし、視界も遮られない。だがしかしこの、骨まで突き抜けるような冷たさときたら!

 臙脂色の制服の上から厚い外套を着込み、襟元をきっちり留めて肩をすぼめる。昔はもっとみすぼらしい格好で寒空の下にいたのに、あの頃の方が寒さを感じなかったと思うのは、気のせいだろうか。

「ヤワんなったのかなぁ」

 ぬくぬくとした暮らしに慣れて、堪え性がなくなったのかも知れない。さりとて薄着で鍛えるなど、今更ごめんだが。赤くなった鼻をこすり、彼女は足を速めた。

 中央広場は真冬でも変わらず人通りが多い。警備隊本部も、出入りする隊員や頼ってくる市民でごった返していた。

「ぅはよーござぃまス」

 リーファは適当な挨拶をしながらドアをくぐり、隊員達の名札がずらりと並ぶ壁際へ向かった。それぞれの隊員がどこにいるか、当番か非番か、一目で分かるようになっているのだ。もっとも、札を裏返し忘れたり、間違えた場所にかけたり、といったこともあるので、完全ではないが。

 魔法学院では職員や研究生に術をかけて、受付で頼めば誰がどこにいるか、すぐ分かるようになっている。あれを導入したらどうか、と以前リーファは提案したが、一日中行動を監視する気かと猛反対に遭ってしまった。

 そんなわけで、今日もリーファは、四番隊二班の場所にかかった自分の名札を、くるりとひっくり返し――

「あれ?」

 班長のところに、新しい名札がかかっていることに気付いた。

 ここしばらく班長の名札は裏返ったままで、病休になっていたのだ。現場要員としては年配で、しかも腰を痛めたものだから、辞めたい辞めたいとこぼしていたのだが……とうとうそれが、取り替えられている。それも、木肌の真っ白なものに。ということは。

「本部長? 新しく誰か、うちの班に来たんですか」

 警備隊長にして義理の叔父、ディナルに質問する。彼は机でむっつり書類をめくりながら、顔を上げもせずに答えた。

「すぐに使える奴を寄越してくれとラウロの警備隊に頼んだら、そいつが来た。前からこっちに移りたがっとったらしい」

「へえ……物好きな」

 ラウロは旧都で、ここシエナよりも歴史が古く、賑やかで便利、文化も洗練されている。リーファ自身は訪れた事はないが、先王夫妻も年の半分以上はあちらにいるぐらいだし、行商人や旅人の話を聞いても、あちらからこちらへ来たがる人は、あまり多くはないと分かる。

 そんな少数派の物好きとは、どんな奴だろうか。

 軽い気持ちで名札を見たリーファは、目を丸くした。

「ラーシュ?」

 記されていた名は、セルノ=ラーシュ。国王付秘書官のロトと同姓だ。

 ぽかんとしたリーファに、ディナルは素っ気なく説明した。

「一応ロトの親戚らしい。異動の理由には関係ないがな」

 以前からディナルは彼女に対して態度が冷たいが、今朝はさらに不機嫌なようだ。あれこれ訊ける雰囲気ではない。

 リーファは、さようですか、などと曖昧な相槌だけ打って、小首を傾げつつ本部を後にした。

(ロトは知らねえのかな?)

 親類が来るから宜しくだとか、それらしい話は一度も出ていない。ディナルも「一応」と但し書きをつけるぐらいだから、あまり親しくはないのかもしれない。

(面倒な奴じゃなきゃいいけど。ロトの親類だからって、頭が良くて有能でいい奴だとは限らないしな)

 本人が聞いたら泣いて喜びそうなことを考えつつ、道を急ぐ。警備隊勤務三年目、今のリーファの所属は四番隊、通称劇場街の担当だ。中でも二班は王立劇場を含む区域なので、ほとんどその関係の仕事ばかりと言って良い。

 王立劇場の横にちんまりくっついている詰所に着くと、空気がいつもと違うのに気がついた。比喩的にも、実際にも。

「……あれ?」

 くん、と空気を嗅いだリーファの後ろから、同じく昼番に当たった隊員がやってきて、おはようございます、と慌しく挨拶した。そしてやはり同様に、おや、という顔をする。

薄荷ハッカ……?」

 リーファがつぶやくと、同僚も「だな」とうなずいた。二人は改めて室内に目を転じ、早番の仲間――なにやら試練に耐える表情――と、その奥で班長席に座っている青年を、しげしげと観察した。

 年の頃は二十代前半、リーファより少し年上だろう。明るい栗茶色の髪は艶やかで、灰緑色の目には懐っこい陽気さが漂っている。屈託なく育ったお坊ちゃんといった風情だが、リーファはその陰に、どことなく計算高い狡猾さを感じ取った。

 二人の視線を受けて、見慣れぬ青年は軽く勢いをつけて立ち上がった。その動作に合わせて、微かに薄荷の香りが漂う。不快なほどきつくはないが、無視できるほど弱くもない。香水でもつけているのだろうか。

 青年は芝居がかった歩き方で机の横を回り、二人の前までやって来た。そして、お返しとばかりにじろじろと、主にリーファを、上から下まで眺め回す。

(わー……嫌な感じ……)

 不吉な予感がむくむくと黒雲を呼び、希望の光を覆い隠す。リーファは恐る恐る、無害に見えるように願いつつ問いかけた。

「セルノ=ラーシュ、班長……ですか?」

 青年、セルノは大きくうなずき、それから失敬なほどまともにリーファの顔を見て、問い返した。

「で、君が、リーファ=イーラか。警備隊始まって以来、初の、女性隊員という」

「はい」

 情報源はロトではないようだ。リーファは推測しながら首肯した。もしロトから自分の話を聞いていたら、これほど不躾に、珍獣を見るようなまなざしを向けはすまい。その挙句、露骨に失望した顔を見せたりなども。

 リーファが眉を上げると、彼も流石にあからさま過ぎたと気付いたらしい。取ってつけたように微笑を浮かべた。

「いや失敬。どんな女傑だろうかと戦々恐々だったものでね。君なら仲良くやって行けそうだ。よろしく頼むよ。改めて、今日からこの四番隊二班班長に就任した、セルノ=ラーシュだ」

 手を差し出され、リーファと同僚は代わる代わる握手する。セルノは満足気ににっこりしてから、さて、と一同を見回した。

「夜勤の隊員は別として、ひとまずこれで全員揃ったようだから、簡単に挨拶しておこう。私はここに来る前、ラウロの警備隊で一年ほど班長を務めていた。とは言え、この街はまだ知らない事の方が多いし、君達に教わる事も多いだろう。何かあれば、遠慮なく助言をくれたまえ」

「…………」

 随分尊大な“お願い”だな――と、突っ込む者は、当然ながらいない。

「君達とは、なるべく率直に付き合っていきたい。だから私のことは、『ラーシュ班長』だとか堅苦しく呼ばずに、セルノと呼んでくれたまえ」

 笑顔で締めくくられた就任演説に答えたのは、まばらで気のない拍手だけ。

(うわぁ、面倒くせぇのが来やがった)

 げんなりしたリーファの心情は、恐らくその場の全員と同じだっただろう。

 新任班長の振りまく薄荷の香りとは対照的に、重く疲れた空気が詰所に充満したのだった。


「ただいまー……。ロト、いるかい」

 黄昏を背負って帰城したリーファが、国王の執務室を訪れる。実際の光源を無視した長くて濃い影を引きずっているように見えるのは、どうやら疲労の産物らしい。

 本日の仕事を終えたばかりの国王陛下と秘書官は、揃って不審な顔をした。

「お帰り。酷くお疲れのようだね」

 呼ばれたロトが歩み寄り、椅子に座るように促す。リーファはのそのそ歩きながら、常にない陰鬱な声で続けた。

「セルノって親戚、なんとかしてくんねーかな……」

「――!?」

 ぎょっ、という、音が聞こえそうなほどの反応だった。

 リーファは顔を上げ、相手の愕然とした表情を目にして、多少の驚きと共に納得する。これほどロトをおののかせる人物がいるというのは驚きだが、あの班長がそうだというのは、うなずける話だ。

 ロトはかすかに青ざめ、「まさか」リーファの両肩に手を置いた。

「彼と会ったのかい? 何かされたんじゃないだろうね」

 問う声が、恐れと緊張に震えている。流石にそれは大袈裟じゃないか、と、リーファは困惑に目をしばたいた。

「何か、って、何を。いや、すんげー疲れる奴だってのは確かだけど、別に殴られたり嫌がらせされたりはしてねーよ」

 訝る風情の返事に、ロトはほうっと深い安堵の息をついて、その場にしゃがみこみそうになる。珍しい姿を目にして、リーファのみならず、付き合いの長いシンハも意外そうな顔になった。

「どうやらそいつは、大した問題児のようだな」

「問題児というか……」

 ロトは頭痛を堪えるように眉間を押さえ、シンハの問いに答えた。

「ラウロの親戚で、従弟いとこのようなものです。昔は時々あちらを訪ねていたので、よく一緒に遊びました。ただ……十代の半ばぐらいから、問題を起こすようになって。それで、疎遠に」

 言いにくそうに口ごもり、ちらりと不安のまなざしをリーファに向ける。リーファがきょとんとすると、彼は諦めたように肩を落とした。

「惚れっぽいんですよ。しかも相当しつこい」

「…………」

 しらけた間が数拍。そして、ぶっ、と二人が同時に失笑した。シンハはすぐに堪えたが、リーファの方は、一日疲れた後で思いがけず転がり込んだ愉快な話に、安心したのもあって大笑いしてしまう。

「あははっ、なぁんだ、そんなこと心配したのか! ないない、いくらなんでもオレはねえって。この世にほかの女がいなけりゃ別だろうけど。あー可笑しい」

 笑いすぎて目に浮かんだ涙を拭う。ロトの複雑な顔など眼中にない。

「それで納得いったよ。初対面ですっげぇじろじろオレの顔を見て、露骨にがっかりしやがったんだけど、そーゆーことかぁ。なんか勝手に色々想像して、期待してたんだろうな。あーあ、可哀想に」

 リーファは自分で言って面白がりながら、シンハに話を振る。

「一体どんな女が警備隊員になると思ったんだろうな? フィアナみたいに秀才の美女だとか、予想したのかね」

 てっきり相手も一緒になって笑うだろうと思ったのだが、意外にもシンハは、打って変わってむっつりと不機嫌な顔になっていた。

「……あれ?」

 なんかオレまずいこと言ったかな、とリーファが笑みを消すと、彼は剣呑に唸った。

「ロト。俺がそいつを軽く捻っても構わんか」

「構いますよ」

 即座に却下され、シンハはさらにしかめっ面になる。ロトがやれやれと頭を振った。

「私の方から話をします。ついでに陛下の分も、軽くシメておきますから」

「おいおい」

 真顔で話を進める二人に、思わずリーファは突っ込みを入れた。

「何の相談してるんだよ、二人して物騒だな。仮にも警備隊の班長なんだから、城の関係者がちょっかい出したらまずいだろ」

「班長……そうか、君のところの班長がずっと病欠だと言っていたね。その代わりに来たのか。ラウロにいれば良かったのに」

 ロトの口調はどこまでも苦々しい。リーファはその腕をぽんと叩き、慰めるように言った。

「まあまあ、そんなに悲観することねえって。惚れっぽいぐらい、大問題にはならねえだろ。まぁ、あれが班長だと色々疲れそうだけどさ」

「単に惚れっぽいだけなら、こんなに警戒はしないよ。女性に対して本当にしつこいらしいんだ」

「いやそれもオレには関係ねーし。……シンハもそんな顔するなよ、オレが女扱いされないのはいつもの事だろ。女ってだけで色目を使われるより、よっぽど助かるよ」

 がっかりされた点については、幾分むっとしないでもないが、下手に好かれるよりましだ。そう考えてリーファはとりなしたのだが、シンハの機嫌は直らなかった。

「色目は使わなくても、態度は変えるだろう。女だと聞いて勝手に期待して、一目で失望するような奴が、おまえの真価を理解するものか。おまえがそこまで疲れた顔で帰って来るぐらいだ、今日一日、そいつがおまえにどう接したのか想像がつく。良くて下っ端、悪ければ下女か、いっそ空気扱いだろう。違うか?」

「……難しい怒り方するなぁ、おまえ」

 リーファは苦笑したが、事実シンハの指摘通りだったもので、否定はしなかった。彼女は警備隊員としてはまだ一番下っ端なので、雑用を押し付けられるのは仕方がない。だがセルノの態度は、明らかにそうした意味合いとは違っていた。

 話しかける時でも名前を呼ばない。雑用は、ほかの隊員の手が空いていても、リーファにさせる。重要な話をする時に、彼女が席を外していても気にしない。「班長」に対する「セルノでいいって」の軽口も、リーファには返さない。

 つまり正規の隊員扱いではないのだ。

「確かに、オレが入隊したばっかりの頃に、一部の連中がとったような態度だよ。でも、だから、その内あいつも解るって。今は班の皆がちゃんとオレのこと、仲間扱いしてくれてるしさ」

「一日でも早くそうなるよう、願いたいものだな」

 シンハが唸ると、横でロトが複雑な顔をした。

「そうなったらなったで、やっぱり心配だけど。リー、本当に嫌な思いをさせられたら、我慢しないでディナル隊長に相談するんだよ。個人的なことだと思わないで、職場の問題として認識してもらえるように、僕からも言っておくから。それでも言いにくければ、僕に教えてくれたら対処する」

「ちょっと過保護な気もするけど、頼もしいね。ま、しばらく様子を見て必要そうなら頼むからさ、動くのはそれからでいいよ。あんたも忙しいんだし、出来ればセルノとは顔を合わせたくないだろ」

 心配されるのが照れ臭くて、リーファは少しおどけて肩を竦めた。しかしすぐ真顔になり、困ったように頭を掻く。

「にしても、あの班長、そんなに女癖が悪いのかぁ。劇場街には女優の卵とか美人も多いから、面倒事を起こさなきゃいいけどな。仕事に支障が出たら、笑い話じゃすまねえし」

「いわゆる女好きとは違うから、そういう点での問題はないと思うよ。僕もラウロの親類から母を経由して聞いただけだから、確証はないんだけど……相手にするのは一人だけ、ただし熱を上げると周りが何を言っても無駄、相手の言い分も聞こえない、って状態になるらしい」

「はぁ? なんだそりゃ」

「つまりね、迷惑だとか、好きでもなんでもないとか、相手に拒否されても、そのことを理解しないんだよ。何かのはずみでセルノの気が変わらない限り、どうにもならない。贈り物を押しつけたり、往来で口説いたり、門前で相手が出てくるのをずっと待ち続けていたりした、って話」

「ちょっ……それは困るだろ!? むしろそれ、オレ達警備隊がしょっぴいて牢にぶち込む類の奴じゃないか!」

「まったくだね。実際に昔一度、ラウロの警備隊のお世話になったらしいよ。その時に僕の母が、うちの子供たちにはもう会わせない、と決めたんだ。姉がいるから、心配したんだろうな」

 ふぅ、とため息。ただでさえ気苦労の多い秘書官の仕事に、さらに面倒な私事が加わるとは。ロトはやれやれと首を振った。

「救いがあるとすれば、裁判沙汰にはならなかった点かな。警備隊に捕まった時も、じきに相手方が許してくれたらしくて、お咎めなしで済んでいる。深刻な被害は出さず、相手にもそこまで憎まれずに済んだんだろうね。だから懲りないとも言えるけど。まあ、そんなわけだから、もし不穏な気配が見えたら相手の女性に注意してあげてくれるかい」

「どっかに行方をくらませ、って?」

「あるいは完全に無視するか、だね。セルノが昔から本質的なところで変わっていないとすれば、相手が騒ぐほど調子付くだけだから。姉が悲鳴を上げて逃げ回っているのに、しつこく蛙だのバッタだの渡そうとしてたっけ。流石にあの段階よりは大人になっているだろうけど」

「バッタはともかく、なんでそんな奴が警備隊で班長とかやってんだよ。騙りじゃねえだろうな」

 リーファがげんなり呻くと、ロトも疲れた風情で答えた。

「それがね。不思議と仕事はきちんと出来るらしいんだ。ラウロの司法学院でも、僕よりよっぽど良い成績を残しているらしいよ」

「うわ、むかつく」

「本当にね」

 そうして、揃って深いため息。

 どうやらしばらく、憂鬱な日々が続きそうな気配であった。


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