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王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
花に託して
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 寝不足と憂鬱とで散々な一日を過ごし、翌日、リーファは体調不良を理由に一日ベッドから出なかった。

 心配したシンハが見舞いに来たのも追い返し、ロトにも父親にも誰にも口をきかずに。そうやって暗雲を背負い込んでいると、本当に病気になってしまいそうだった。

 むろん、そんな帰結を悄然と受け入れるリーファではなかった。

 丸一日、暗く不毛な物思いに沈みこんだ後、気付けば泥のように眠り込み、目覚めた時には我ながら呆れるほどすっきりした気分になっていた。

「考えても仕方ねーや」

 独りごちて、いつもの制服に袖を通す。自分は自分に出来ることをするしかない。そう割り切って、仕事に出かけた。

 詰所に顔を出した後、まず向かったのは例の下宿屋だった。何の断りもなく放り出して一日休んでしまったのでは、大家もマエリアーナもやきもきしているだろう。

 婆さんに説教されるかもしれないな、と、覚悟までして扉を叩いたリーファだったが。

「え? 花がなかった?」

 思わぬ知らせに、ぽかんとすることになった。

「そうだよ。あんたが来なかったから、ってんじゃないだろうけどね」

 厭味まじりに老女は言い、それでも茶を出してくれた。リーファは無意識にそれを受け取り、目をぱちくりさせて、階段下のホールを眺める。

「ってことは……一昨日と昨日の晩、ですか。私が調べていたことがばれたんでしょうか」

 まさか、と思いつつも不安になってそんなことを口にする。老女は鼻を鳴らした。

「あたしに聞かれたって知るもんかね」

「何も変わったことは、していないんですよね? その……天窓を調べたとか、マエリアーナさんが夜中に外で見張ったとか」

「まさか。いつもと変えたことは何もないよ。あるとしたら、そうさね」

 老女は首を傾げ、ふと思いついて肩を竦めた。

「王様が来なさったことぐらいだろ。そのせいかもしれないね。誰だか知らないけど、うちの番人が国王陛下と親しいと勘違いして、大慌てで逃げてったのかもね。だとしたら、陛下にはもっと頻繁に、王都を隅々まで見回ってもらいたいもんだけど」

「それは確かに効き目があるかもしれませんね」

 リーファは苦笑でごまかした。そんなことを言ったら、シンハは大手を振って脱走したい放題になってしまう。ロトの胃痛をこれ以上悪化させないためにも、今の台詞は聞かなかったことにすべきだろう。

 とりあえずしばらく様子を見るから、と老女に言い渡され、リーファは追い出されるように表へ出た。そこでふと、先日の立ち回りが目に浮かび、また胸がちくりと痛む。気を逸らせたくて、リーファはぼんやりと周囲を見回した。

(王様が来たから、か。……待てよ、もしかして)

 ぱち、と瞬きする。下宿屋の屋根を見上げ、先日の野次馬たちを思い出して、また瞬き。何かがぴたりと嵌った。

(あの花――そうだ、あれはマエリアーナに宛てたものだったんだ!)

 シンハがここに来た日、リーファが感じた思いを、あの野次馬の中にいた誰かも味わったに違いない。リーファが一日どん底から這い上がれなかったように、その男もきっと、絶望にとらわれたのだろう。

(何しろシンハだもんなぁ。国王陛下で、神様の後ろ盾つきで)

 恋敵にするにはあまりにも強大な相手だ。リーファは思わず、見知らぬ誰かに同情してしまった。

 そうと気付くと、天窓から落としたのも、宛名がないのも、理由は明白だった。

 花があそこに落ちている、それで正解だったのだ。マエリアーナのいる部屋の前、なのだから。そして、見つける端から大家とマエリアーナが花を拾って、大家の部屋に――つまりマエリアーナもいる部屋に――飾っていたのだからして、犯人は表通りからこの一階の窓を覗き見るだけで、想い人が花を受け取ってくれたと勘違いできる。

「……く……っだらねえ……」

 勘違いに始まり勘違いに終わる、とんだ間抜け男の人騒がせだ。

 リーファは深いため息をつき、げんなりと頭を振った。そして、どうしたもんかな、と背後を振り返る。大家に言ったものかどうか。

(まぁ……まだそうと決まったわけじゃないし、婆さんの言った通り、しばらく様子を見るか。本当に花がもう届かなけりゃ、下宿人の関係もなんとか元に戻るだろうし)

 それに、花がマエリアーナのために投げ込まれたものだと知れたら、あの大家のことである、ふしだら女を番人にして難儀を呼び込みたくない、とかなんとか言いがかりをつけて、彼女をクビにしかねない。そんなことになったら、可愛らしい下宿人たちが泣くだろう。

「やれやれ……」

 疲れた。

 リーファは肩を揉みながら、のろのろと詰所へ戻って行ったのだった。


 それから十日ばかり過ぎて、初物の苺が国王陛下の手元に届いた。

 それがリーファの非番日だったのは、偶然ではあるまい。お茶の時間にリーファを呼んで、新作の味見をしてくれと言ったシンハは、いつもより少し優しかった。

「美味いか?」

 尋ねる声に、単にケーキの味を問うだけでない含みがある。リーファは久しぶりに、夏草色の瞳をまともに覗き込んだ。そして不意に、泣きたいほど愛しくなる。

(馬鹿だな、おまえ。王様なのに、オレなんかにそんなに気を遣って、オレなんかをそんなに大事にして。もっと大事なもんが、いっぱいあるだろう?)

 けれどそう言ったら、彼は大真面目に答えるだろう。おまえは本当に大事なんだ、自分を卑下するな、と。

「本っ当に、馬鹿だよなぁ」

「なんだって?」

 不審げにシンハが問い返したところで、リーファは相手の額をビシッと弾いてやった。

「おまえは馬鹿だっつったんだよ。美味いに決まってるだろ、おまえが作ってくれたんだからさ」

 何やら理不尽な言い草にも、シンハはちょっと目をしばたいただけで、そうか、と微笑んだ。にこりともにやりともつかない、いつもの微妙な笑み。

 リーファも笑い返し、あらためてケーキを味わおうと口を開いた――その時。

「陛下、来客なんですが、よろしいですか」

 ロトの声で、あむ、とリーファは空気を食べた。こんな時間にこんな状況へ客を通すとは何事かと、二人は揃って訝りながら振り返る。

 と、そこには。

「お邪魔をして申し訳ありません、陛下。リーファも、悪いね」

 恐縮した表情で、マエリアーナが立っていた。リーファが唖然としていると、彼女はロトとシンハを交互に見て、なんともいたたまれない様子で切り出した。

「その……図々しいのは承知ですが、先日の件はまだ有効でしょうか」

「というと、近衛隊の話か?」

 シンハが目をしばたいた。あれほどあっさり断っておきながらなぜ今頃、とその声音が問う。リーファもいささか複雑な気分になったが、

「実は、仕事をクビにされまして」

 恥ずかしげに言われた内容に、あっ、と小さな叫びを上げた。振り向いたマエリアーナに、リーファは同情的な顔をする。

「もしかして、あの花があんた宛だってこと、大家にばれたのかい」

「気付いてたのか!?」

「いやその、そうじゃないかと気付いたのは花が来なくなった後だよ。それに何の証拠もなかったからさ……」

「花が来なくなった、って?」

 ロトが不思議そうに質問を挟む。リーファは「うん」と曖昧にうなずいた。

「ほら、シンハとアーナさんが手合わせしただろ。あの後、ぱたっと花が来なくなったっていうからさ……その、誤解されたんじゃないかと思ったんだ」

 リーファがぼそぼそと説明すると、ロトが「ああ」と納得する一方、シンハは不可解げに首を傾げた。そして、マエリアーナはため息と共に「そうなんだよ」と、肯定した。

「参ったよ、まったく。まさかそんな風に思われていたとはね。勝手に熱を上げて、勝手に絶望して……若い子が考えることはよく分からない」

 しみじみと彼女が言ったので、リーファは、おや、と目をしばたいた。どうやら彼女は犯人と対面したらしい。どんな奴だった、と訊こうとしたところで、先に答えが出てきた。

「三人してめそめそ泣かれて、本当に参った。あの子たちの将来が心配だよ」

「…………」

 三人。あの子たち。

「ええッ!?」

 素っ頓狂な声を上げたリーファに、同じく驚いた男二人の声も重なる。

 愕然としている三人に向かって、マエリアーナは「あれっ」と変な顔になった。

「リーファ 、知ってたんじゃなかったのか」

「……いや、オレは誰が犯人かまでは……」

 リーファは混乱しながらもぐもぐと答えた。

 えーっとつまりなんだ、あれか“憧れのお姉さま”とかいう。それにしたってひとつ屋根の下に住んでいるのに夜中に花って、なんなんだその妙な発想は、なにか変なものでも読んだのか。

「頭痛がしてきた……」

 セリナの大きな鞄。レティのこんもり膨れた籠。どちらも、花を隠して持ち込むためのものだったのか。

 天窓から落ちてきたと思ったのは間違いで、単に誰かが部屋のドアを開けて、こっそり階上から花を落としただけだったのだ。恐らくは、階段を下りていけば階下の住人に気付かれてしまうから。三人の関係がギスギスしたのも、自分以外の下宿人も花を置いていたと気付いたからで、抜け駆けされまいと互いに牽制していたのだろう。

 春で、花と恋の咲く季節で、だから贈り主は男だと、決めてかかったのが間違いだった。住民の仕業だと気付けばあまりにも単純なことだったではないか。

 リーファが脱力して突っ伏し、ロトとシンハも呆然として、部屋にはなんとも言えない空気が漂った。

 しばらくして、申し訳なさそうにマエリアーナが話を再開した。

「そんなわけで、もし良ければ雇って貰いたいんですが、陛下」

「ああ、そうだな」

 応じたシンハの声音は、微妙に笑いを含んでいた。

「城にいる方が、問題は少なかろう」

 自分で言って堪え切れなかったように失笑する。マエリアーナがうなだれ、リーファはきょとんとした。

「どういう意味だい? 問題って」

「マエルは調和の神だと言ったろう? 調和と調停、契約、裁判の神だ。つまり、その加護を受けた人間も自然とそうした性質を帯びる。少なくとも、周りの目にはそう映る。平たく言うと、頼られやすい、ということだ」

「なるほどね」

 リーファは納得し、改めてしげしげとマエリアーナを観察した。シンハの存在に慣れてしまった自分には、それほどとは思われないのだが、一般人にはまた違うのだろう。

「だから、あそこのお嬢さんたちはうっかり惚れ込んでしまった、ってわけかい」

「そうらしいね」当人が首肯した。「昔から、皆の調停役になることが多くて、頼られることも好かれることも多かったから、傭兵時代には助かったんだけど。まさか自分の娘みたいな子供にまで……」

「仕方ないよ、あんたは実際、頼もしい姉さんって感じなんだからさ。あの子達があんたのこと、お袋さんだとは思えなくても当然だよ」

 鏡を見なよ、とリーファは揶揄したが、マエリアーナは笑わなかった。どんよりと憂鬱に一言、つぶやいただけ。

「もう四十五なんだけどね」

「!?」

 かくん、とリーファの顎が落ちる。

「よ……、よんじゅう……、っえぇ!? 嘘だろ!?」

 目玉が落ちそうなほど驚いているリーファに、シンハが苦笑しながら教えた。

「神の加護が強力だと、歳をとりにくいんだ。化け物並に長生きするわけじゃないが、過去の例だと、六十代にしか見えないまま百歳すぎまで生きた記録がある」

「ってことは、おまえもそのうち……」

「見た目と実年齢の差が開いていくだろうな」

 シンハがまるきり嬉しくなさそうに肩を竦め、マエリアーナは悔しそうに、

「しかも皆、羨ましがるだけで同情してくれない」

 くっ、と握り拳を作った。並の人間であるロトとリーファは、顔を見合わせて小首を傾げた。

「……そんなに嘆くことでもないと思いますが」

 不可解げにロトが言う。特に女性はいつまでも若くありたいと願うものなのでは、と訝っているらしい。マエリアーナは、きっ、とロトを睨みつけた。

「中身は四十なんだから、若々しさや初々しさがなくても当然だろう? なのにそれを求められるんだ、世間知らずで希望に満ちた若い娘だと思われるんだよ。マエルの加護があったって、鈍い奴はあたしを小娘扱いするし、息子みたいだと思って面倒見てやった男は例外なく誤解してのぼせ上がるし、今度は女まで……! あたしは、普通におばさんになりたい!!」

 悲痛な叫びに、しかしリーファは笑いを堪えて顔をひきつらせた。どうにか衝動を抑え込み、ごほんと咳払いして表情を取り繕う。

「あー……前からよくシンハの奴が太陽神のことをぼろくそに罵ってたけど、なんか、やっとその心境が分かった気がするよ。神様に気に入られるのも、大変なんだな」

「分かってもらえて嬉しいよ」

 やれやれ、とマエリアーナはため息をつく。シンハがうなずき、ロトに目をやった。

「近衛隊の方に手配を頼む。一通り訓練を済ませたら警護官に任命しよう」

「分かりました。ではマエリアーナ殿、こちらへ」

 案内しようとロトが促し、マエリアーナはシンハに一礼してから退出し……かけて、ふと、リーファのところへ小走りに近寄ると、ごく小さな声でささやいた。

「安心しなさい、あんたの大事な王様を取ったりしないから」

「――!!」

 いきなり本心を言い当てられ、リーファは絶句したきり目をぱちぱちさせる。マエリアーナは悪戯っぽく笑うと、ぽんと肩を叩いて、軽い足取りで部屋から出て行った。

「何を言われたんだ?」

 シンハがきょとんとして訊く。だがもちろん、答えられることではない。

「……いやぁ」

 ややあってリーファはそれだけつぶやくと、テーブルの上に目をやった。食べかけのケーキ、飲みかけの紅茶。いつの間にか窓から吹き込んだ薄桃色の花びらが、彩りを加えている。

 きっと、部屋に入ってきた瞬間、彼女はこれらを見て取ったのだろう。その時の、二人の表情も。

「参ったね」

 リーファは苦笑をこぼし、フォークを取ってケーキに刺した。ふわりと甘酸っぱい香りが立ち上る。花のような、淡い恋のような。

 ぱくりとそれを口に入れ、じっくりと味わう。それから彼女は、おもむろにシンハを見上げた。

「おまえは、さ」

「うん?」

「花じゃなくて、食い物を贈る方が、絶対、成功すると思う」

 そんな日が来るのは、なるべく先のことであって欲しいけれど。でも、もし彼にとって大切な人が現れたなら、その想いを伝えるのにはきっと花では足りない。

「どうしても花にするんなら、きっと、世界中の花を集めなきゃ駄目だな」

「なんだそれは」

 言ってることがわからんぞ、とシンハは困惑する。リーファはそれには構わず、ちょっと笑った。

「そのぐらい、これが美味いってことだよ」

 落ち込んでいたリーファのために、わざわざ非番日を選んで苺を仕入れさせて、時間を空けてケーキを焼いて、紅茶を淹れてくれて。そんな贅沢は、どんな花にも代えられない。

「そうか」

 シンハはまだ少し、何か腑に落ちないという顔をしていたが、やがて小さくうなずいた。いつもの笑みを浮かべて。

「それは光栄だ」

 暖かい風が、窓の外から花の香りを運んでくる。

 赤い苺の上に、ひらりと一枚、白い花びらが降りた。



(終)

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