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王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
花に託して
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page.3


 ひとまずリーファは城に帰り、シンハたちに外泊の事情を説明してから、私服に着替えて夜の街に忍び出た。

 下宿屋の前まで来ると、二階と三階の窓は、鎧戸の隙間から明かりが漏れていた。勉強中のセリナと、もうひとつはレティだろう。籠に入っていた布地は家で片付ける分の仕事だったに違いない。

 リーファは一階の窓に近付くと、そっと軽く叩いた。カタリと音がして、暗い室内から手が伸び、窓を開ける。リーファは素早く身軽に部屋へ入った。声は出さず、待っていたマエリアーナに仕草だけで感謝し、静かに廊下へ出る。

 狭い廊下はすぐに行き止まりで、階段下の物置があるだけだ。リーファはその暗がりに潜りこむ。ここなら、誰が玄関から何をしようと、丸見えだ。

 マエリアーナはいつもの通り、部屋の扉を閉めている。その向こうで眠っているのかどうかは分からない。

 階上から時々、カサカサと物を動かす音や、室内を歩く足音が聞こえる。ほかはすべてが沈黙していた。時間までもが静寂に閉じ込められたかと思われるほど、何の変化も起こらなかった。

 階上の明かりが消える。闇の中に、意識が溶けてゆく。リーファは膝を抱えてうずくまったまま、気付かぬ間にとろとろとまどろんでいた。

 キシッ……

 微かな物音と、空気の動く気配に、ハッと顔を上げる。その時にはもう、事が起こった後だった。

 ぱさり。儚い音を立てて、花が床に落ちる。リーファは凝然とそれを見つめていた。

(どこから?)

 玄関は開かなかった。開いたのは、どこか別の所だ。上の方で静かに蝶番が軋んだ。リーファはそろそろと四つん這いで廊下を進み、階段の上を仰ぎ見た。そして。

(あっ――)

 思いがけない光に目を覆った。

 月だ。

 天窓から、月光が射している。

(あそこから……?)

 だから、こんな場所に落ちているのか。誰かの窓辺や、部屋の扉の前にではなく。

(だとしたら、狙いは何なんだ?)

 誰への花か、何のしるしもなければ分からないことは、花の主も承知のはずだ。やはり何かの符牒なのだろうか。

 月光の下に横たわる花を拾い上げ、リーファはそっと香りをかいだ。甘く爽やかな、フリージア。だが彼女の口から漏れたのは、感嘆ではなく疲労の吐息だった。

(言いたい事があるなら、はっきり言えってんだ)

 まったくもう。

 見知らぬ男に心中で罵声を投げつけ、リーファはやれやれと大家の部屋へ引き揚げた。


「天窓か。それじゃ、あたしも気付かないわけだ」

 表通りに立ち、マエリアーナは腕組みして屋根を見上げた。その横でリーファも、目陰をさして顔をしかめる。

「あそこなら、別に盗人でなくても、ちょっと身軽な奴だったら登れそうだしね」

 ごちゃごちゃと建て込んでいる一角なので、窓から屋根へ、屋根から屋根へと伝っていくのは、さほど難しくない。

「だけどなぁ……」

 うーん、とリーファが言いかけた時、通りの向こうから馴染みのある声が呼んだ。

「リー!」

 この声は、とリーファはぎょっとして振り返る。案の定、脱走国王がにこやかに手を振っていた。珍しくロトも一緒なので、お忍びというわけではなさそうだ。

「なんだい、二人揃って」

 呆れ顔をしたリーファに、シンハはほいと手提げ籠を差し出した。

「徹夜明けの差し入れだ。このまま仕事に行くつもりなら、朝飯を食いはぐれるだろうと思って、届けに来た」

「……ありがたいけど、いいのかよ、こんな事してて」

 素直に喜べず、リーファは複雑な顔をする。シンハはまったく悪びれずに応じた。

「ロトの方にも用事があるからな。噂の元傭兵に会いたいんだそうだ」

「え?」

 リーファは眉を寄せ、疑いの声を上げた。自分でも驚くほど剣呑な声になり、慌ててその先の言葉を飲み込む。なんでそんなに興味津々なんだよ――と。

 ひどく不愉快になり、その後でやっと、己が嫉妬しているのだと気が付いた。

(うわ、ガキくせえ)

 自分に対して顔をしかめ、リーファは視線を落とした。シンハとロトと自分、三人の間に割り込む人間などいないと、いつの間にか勝手に思い込んでいたのだ。なんと図々しく浅はかな、子供じみた独占欲か。

 リーファが黙ってしまったので、マエリアーナは自ら国王の前に進み出た。

「どんな噂か存じませんが、お目にかかれて光栄です、陛下」

 何の気負いもなく萎縮もせず、堂々と挨拶する。その口調にリーファはまた少し妬ましくなり、横目でちらりと様子を窺って、

「……?」

 おや、と怪訝な顔になった。シンハとロトが、何かを確認したようにうなずき合っているのだ。もしかして、とリーファは口を挟んだ。

「マエリアーナって、有名な傭兵なのかい? 二人とも知ってたのか?」

「そうだよ。昨日君の話を聞いて、もしやと思ってね」ロトが答え、当人に向き直る。「初めまして。国王付秘書官のロト=ラーシュです。あなたがあのマエリアーナ殿なら、是非お願いしたいことがあるのですが」

「引き抜きならお断りです」

 あっさりすっぱり切り捨てられ、ロトが言葉を失った。リーファもようやっと事情を理解し、ぷっと噴き出す。

「ああ、なんだぁ。近衛隊にも女を入れようって魂胆だったのかい」

「……うん、まあね」ロトは鼻白んで頭を掻いた。「貴人の護衛をするのに、男では都合の悪いこともあるし、腕の立つ女性は数少ないから。それに、今から雇っておけば、いずれ陛下が奥方を迎えられた時には、元傭兵でも宮廷作法に耐性がついているだろうというもくろみもあったんだけど。まさか一言で却下されるとはね」

 がっかりだ、と頭を振ったロトに、マエリアーナは厭味なく笑った。

「申し訳ない。でも、あたしはお堅いのはどうも苦手でね。それに、今の仕事が気に入ってるんです」

「残念だったな、ロト」

 シンハがおざなりに慰め、ふと口元に笑みをのぼせた。

「代わりにと言ってはなんだが、俺の要望を聞いて貰えないか」

「……何でしょう?」

「大した事じゃない。手合わせを頼みたいんだ」

 意外な発言に、リーファは目を丸くした。シンハが自分から誰かと勝負したいなどと言い出すのは、聞いたことがなかった。知り合って四年、これが初めてだ。

 流石にマエリアーナも驚いた様子だったが、こちらはすぐに楽しげな笑顔になった。

「なるほど。並の人間では相手にならぬというわけですね」

「並じゃない稽古相手がいないでもないんだが、色々と面倒でな。まっとうに相手をしてくれて、かつ、手加減をしなくてもいい人間がいるのは、またとない機会だ」

 シンハは上機嫌にそこまで言って、不意にリーファを振り向いた。

「おまえは気付かなかったようだな。マエリアーナは聖十神のひとり、契約と調停の神マエルの加護を授かっているんだ。目と髪の色が独特だろう?」

「――!」

 リーファはぽかんと口を開けて、元傭兵をまじまじと見つめた。道理で、どこの出身だか分からなかったはずだ。リーファの驚きようを見てマエリアーナはちょっと苦笑した。

「毎日陛下のお側にいるんじゃ、あたし程度の力には気付かなくても当然ですよ。そもそもマエルは調和の神です。太陽神のように存在感が強くはありませんからね。さて……陛下、どこで手合わせを? 今ここで、ですか?」

「それで構わんのなら」

 応じたシンハが剣を抜く。マエリアーナも不敵な笑みを浮かべ、自分の剣を構えた。ロトが慌ててリーファを促し、道の反対側まで退避する。

「真剣勝負なんて危なくないか?」

 リーファが不安げにささやくと、ロトも心配そうに、しかし諦めた風情で首を振った。

「素手の方が危ないね。お互いの力をそれぞれの剣が受け止めている限り、酷いことにはならない。見たところマエリアーナ殿の剣も、彼女の力に耐え得る特殊なもののようだから、砕けることはないだろうし」

「物騒なこと言うなよ」

 リーファがつぶやいたと同時に、刃が閃いた。

 光が弾け、乾いた破裂音が響く。

 それはもう、剣と剣の戦いではなかった。刃が噛み合うよりも刹那早く、その帯びた力がぶつかって火花を散らす。

 聞きなれない派手な物音に、近隣の住民が何事かと窓や戸口からこぞって顔を出した。彼らの驚きの声と感嘆のざわめきも、打ち合う二人の耳には届かない。

 突き、払い、斬り結ぶ。打ち込み、飛び退る、二羽のツバメが舞うように。

 傍目には、勝負でなくまるで演武に映った。今朝出会ったばかりの二人ではなく、何年もかけて何千回もの稽古を重ねてきた二人が披露する、磨き上げられた演技。

 だがそれが勝負である証拠に、やがて唐突な終わりが訪れた。

 何が起こったのか観衆が把握出来ぬ間に、マエリアーナが両手を上げて降参したのだ。二人は息を切らせてしばし睨み合い、それから、弾けるように笑い出した。

「ははは、ああ、久しぶりに思い切り動いたな!」

「実のところ負けたくなかったんですが、やはり敵いませんでしたね」

 晴れ晴れと明るい笑顔で、二人は固く握手する。

 それを目にしてやっとリーファは、ほーっ、と安堵と感嘆の息をついた。同時に、いつの間にか周囲に垣を成していた野次馬が、うわあっ、と歓声を上げる。割れるような拍手を浴びて、シンハとマエリアーナは今頃観衆に気付いた様子で、顔を見合わせていた。そして、どちらからともなく、互いの肩に腕を回して健闘を称え合う。

 心底楽しげな二人の様子に、リーファの胸がちくりと痛んだ。

「リー?」

 横からロトが気遣うようにささやく。リーファは振り向かず、ただ、小声で「大丈夫」とつぶやいて、うなずいた。

 大丈夫、分かっている。

 神の加護を受けた特別な人間同士、通じ合うものは確かにあるのだろう。そこに、並の人間が入り込む余地はない。

 大丈夫、分かっている。

 シンハは国王で、決して独占されるものではない。たとえ国王でなくとも、一人の人間なのだ。自分だけの“もの”ではない。

 大丈夫、大丈夫。分かっている、分かり切っていることだ。

 いつかは自分よりも大切な誰かが、シンハの傍らに立つ日が来ると――

「……っ」

 視界が揺れる。リーファはうつむき、唇を噛んだ。そっと肩に回されたロトの手が、温かくて、優しくて、――とても、痛かった。


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