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王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
番外短編(19歳の年内)
22/43

王都点描-歌- 後日談


 城の敷地内には、礼拝堂がある。

 王族の日常的・家族的な儀式祭礼の際に使われるほかは、城内の誰でも、いつでも、自由に入って祈れるように開放されている。

 はず、なのだが。

「あれ、閉まってら」

 吐く息も凍りそうな中、吹雪の合間を縫って訪れたリーファは、締め出しをくらって困惑した。いつもなら、たとえ神官が留守にする時でも、鍵をかけられることはないのに。

 出直すか、と一旦諦めかけたものの、この寒い日に広い庭をまた往復するのは、気が進まない。神官に些細な質問があって来たのだが、多分、部屋の書物か何かに答えがあるだろう。

 かじかんだ手に息を吐きかけ、常時携帯している七つ道具を取り出す。

「ごめんよ、ちょっとだけ」

 誰に対してか小さく謝り、忙しなく指を動かして――ガチリ。開いた。

 リーファは少しだけ扉を開けて中に滑り込む。廊下を挟んでもう一枚の扉があり、その向こうが礼拝室だ。廊下を曲がって奥へ行けば、神官の部屋がある。

 レズリアの神々に祈る習慣がないリーファは、礼拝室に寄るつもりはなかった。が、

(……誰かいるのか?)

 はて。妙な違和感がして、扉に近付いた。

 石造りの厚い壁に、これまた重厚な樫の扉がぴったりと閉ざされている為、中の物音はほとんど外に漏れない。その遮音性は、外界の騒音で儀式を邪魔されないように、との配慮ゆえだ。

 リーファはそっと扉に耳を当てた。何も聞こえない。だが、気配がする。

(鍵がかかってたのに)

 いったい、ここで何が?

 不審に思ったリーファは、ごく慎重に扉を押した。手入れの行き届いた蝶番は、キッとも言わずに動く。

 ほんのわずか、小指一本も入らないほどの隙間に、目を当てる。その瞬間、彼女は覗き見たことを後悔した。

 ――シンハがいた。

 ただ一人、太陽神リージアの像と祭壇に向かい合って、じっと佇んでいる。リーファからは背中しか見えないが、祈っているのだろうことは明らかだった。

 それも、こんな風に余人を締め出して、誰にも告げずに一人で祈りを捧げているのだ。何か一個人として特別な祈りに違いない。リーファはすぐに顔を離し、扉を閉めようとした。だが気取られぬようにするには、押し開けるよりも、引いて閉める方が難しい。

 いっそ隙間を開けたまま退散するか、しかしそうしたら外の扉を開閉する音が中まで聞こえるし、と、リーファは迷う。

 その間に、変化が生じた。

 わずかな扉の隙間から、歌声がこぼれてきたのだ。

(えっ!?)

 思わずリーファは状況を忘れ、聞き耳を立てた。

 大声ではない。むしろ控え目な、普段の話し声と同じぐらいの調子で、しかし確かに旋律が紡がれている。間違いなく、シンハ本人の声だった。

 礼拝で何度か耳にした事のある曲だが、古代語で歌っているらしく、リーファには詞が聞き取れない。それでも、真摯で敬虔な祈りが込められた歌は、魂の底まで染み入るようだ。

 気がつくとリーファは、扉の前に茫然と立ち尽くしていた。涙が勝手に目を濡らし、ぽろりと頬を転がり落ちる。祈りが天に吸い込まれるように歌が終わると、リーファは立っていられず、へたっとしゃがみこんでしまった。

「誰だ!?」

 途端に、シンハが気付いた。ぎょっとした声に続いて大股に近付く足音がして、ぐいと扉が引き開けられた。

 シンハは一瞬あれっという顔をしてから視線を下に落とし、リーファを見つけた。

「……リー……」

 何とも複雑な声音だった。怒りと諦めと、羞恥がないまぜになっている。

 リーファは小さくスンと鼻を鳴らすと、手の甲で涙を拭って立ち上がった。

「ごめん、まさかおまえがいるとは思わなくて」

「…………」

「神官さんのとこで、ちょっと調べ物したくてさ……外、時々吹雪いてっから、出直すのも面倒だと思って。そしたら、人の気配がしたから」

「………………」

「ごめん。本当に」

 この通り、と頭を下げる。シンハはなおしばし己の態度を決めかねているようだったが、結局ため息をつき、リーファの頭をくしゃくしゃ撫でた。

「まぁ……おまえにかかっちゃ、鍵も無意味だな。仕方ない」

「ごめん」

「いや……」

 気まずい沈黙が続く。その間ずっと、シンハは気を紛らしたいのか、リーファの頭をくしゃくしゃにしていた。

 流石にそろそろ逃げないと、頭が鳥の巣になってしまう。リーファは上目で様子を窺い、遠慮がちに頭を庇って一歩下がった。

「……で、誰が音痴だって?」

 上手いじゃねーか、と非難を込めて言う。と、見る見るシンハは赤くなった。リーファがびっくりしている前で、彼は片手で顔を隠し、逃げるように背を向ける。

「ばっ、なんだそれ! 勘弁しろよ、こっちが恥ずかしいだろー!!」

 うるさい、との罵声すら返ってこない。リーファは呆れ、絶句してシンハの背中を見つめた。

 この国王陛下が口下手で不器用なことは知っているが、小細工を弄しない分、時折こっちの腰が砕けそうな殺し文句をくれることも知っている。真情をそのまま口にすることに、羞恥などないのだろうと思っていたのだが。

 リーファは近くの椅子の背もたれに寄りかかり、しばらく何も言わず、相手が平常心を取り戻せるように待ってやった。それから、わかんねーな、との声音で問いかける。

「人前で歌うと緊張すっから、音痴になっちまうのか?」

「……違う。なんと言うか……」

 シンハはまだ情けない顔で、緑の目をどこか彼方に向けたまま、ぽつぽつと独り言のように答えた。

「俺にとって、音楽は……特別なんだ。日常の会話や動作とは違う。……深いところに関るもので、たやすく外には出せない」

 手が胸の辺りで拳を作っているのは、無意識の仕草だろう。彼の言わんとするところを理解して、リーファはこくりとうなずいた。

「なんか分かるよ。さっきオレ、すごいジーンと来たもんな。勝手に泣けてきてさ……ああいうのは、なんてーか、他人と一緒に経験するもんじゃないって気がする。そりゃ、皆で一緒にわーって歌うのも楽しくて好きだし、こっちの礼拝みたいな感じのも悪くないけど」

 すっかり馴染みになった『金の葡萄亭』では、ほとんど毎回、常連客と一緒に歌って踊って、数日分まとめたぐらい笑う。疲れも苛立ちも忘れてしまう、大事な楽しみだ。

 また以前に神殿で見た楽の奉納では、何人もの神官や歌い手が、楽器を鳴らし、歌を歌い、そして何百人の参拝者がそれに聞き入っていた。あの場の全員が、ひとつの大きな存在にまとまったような気がしたものだ。

 だが、最前、魂にすうっと沁みとおってきたものは、本質的に違った。

 あれは聞かせるための歌ではない。他者と共有するものでもない。ひとりの人間が、魂と向かい合い、神と向かい合い、その中で生み出される何か――

(って、それをオレは盗み聞きしちまったわけか。そりゃー赤面もすらぁな)

 うわぁ。

 今更ながら、自分のした事に後悔と羞恥が押し寄せる。

「あー……ああぁもう、本当、悪ィ。ごめん。スミマセン」

 先刻とは違う調子でまた謝ったリーファに、やっとシンハは、いつもの苦笑を見せた。

「もういいから、忘れろ。それより、調べ物に来たんだろう。俺は館に戻るから、用が済んだらそのまま鍵は開けておいてくれ」

「ん、分かった。……おまえさ、何て言って礼拝堂を独り占めしてるんだ? オレみたいに錠前破りは出来なくても、誰かが急に神様と相談したくなったら、どうすんだ」

「ああ……」

 シンハは答える前、ふと曖昧な顔をした。何か表に出かけた感情を、どうやってごまかせば良いか迷うような。

 短い間があってから、彼は結局、ごく微かな笑みを浮かべて答えた。

「養父が亡くなったのが、今頃でな。毎年、仕事の合間に時間を作って礼拝堂に籠もるんだ。城の者は大半知っていて、邪魔しないように気を遣ってくれているようだ。……まだおまえには、伝えていなかったんだな」

 すまなかった、と詫びて、シンハは祭壇の前に戻る。灯明の炎が消えているのを確かめてから、彼はリーファの前を通り過ぎて、外へ出て行った。身じろぎも出来ずにいるリーファの頭を、すれ違いざまに軽くぽんと叩いて。


「ロトぉ~。大事なことはちゃんと教えといてくれよ~~~」

 暖炉ににじり寄りながら、リーファは部屋の主に抗議した。いきなり何だ、と訝ったロトに、リーファは恨めしげな目をくれて一言。

「礼拝堂」

「――ああ、そう言えばそんな時期か。って、リー、まさか君」

「鍵開けて入っちまったよ」

 だって寒いんだぜ吹雪いてんだぜもっぺん往復するの遠いじゃんかよ、と非難を封じるべく立て続けに言い訳する。ロトは複雑な顔をしていたが、結局は己の過失を認めた。

「そうだね、僕が迂闊だった。君なら鍵がかかっていても……いや、普段開け放しなのに施錠されていたらむしろ怪しんで、開けることも充分考えられた。悪かったよ」

 シンハ様にも後で謝罪しないと、と憂鬱げにつぶやく。リーファはつい、好奇心から質問した。

「ロトは知ってるのかい? シンハが……」

「本当は歌えるってことかい?」

 ずばりと言われ、リーファは逆に、いいのかな、と遠慮する風情になる。ロトは書類を机上に置いて自分も暖炉の傍に寄ると、静かにささやいた。

「知ってるよ。僕もたまたま、あの方が死者を悼んでいる場を見てしまったことがあってね。小さな声だったけど、……うん、まあ、言うまでもないか。だから、礼拝でちゃんと歌えと強要したことはないんだ」

 レズリアは農業国で、神々の恵みは非常に重要だ。国王が礼拝をおろそかにすると、神々の恩恵を損なう気か、と攻撃する者が必ず出てくる。ゆえに王族は独唱したり、儀式の一端を担ったり、何かと“演出”を心がけねばならない。

「幸いなことにシンハ様は見た目がああだから、突っ立ってるだけでもそれなりの効果があるからね。それに」

 そこでロトは堪えきれなくなって笑いをこぼした。

「無理やり歌わせると本当に音痴なんだよ、あの方は。上辺だけで調子を合わせて歌うってことが出来ないんだね。一度、各地の貴族が集まる祭礼の時に、逃げ切れなくて歌わされたんだけど、あれは酷かった。本当に、神々が逃げ出すんじゃないかってぐらい酷かった」

「そこまで……」

 なんとまぁ極端な。リーファは眉間を押さえ、首を振る。ロトはひとしきり笑ってから、人差し指を立てて内緒の合図をした。

「僕がばらしたってことは秘密に」

「したいけど、今度あいつの顔見たら笑っちまいそうだなぁ」

「頼むよ。口止め料に、これを上げるから」

 ロトは笑いながら机に戻り、隅に置いてあった小鉢を取ってきた。薄く色のついた、小さな星屑のようなものが入っている。

「なんだい、これ」

「食べてごらん。甘いよ」

 勧められ、どれとつまんで口に入れる。砂糖の甘みが舌の上で広がった。

「あ、本当だ。飴みたいなもんかな?」

「そうだね。金平糖といって、サラシアのお菓子なんだ」言いながらロトも一粒。「気疲れには甘いものが効くって、差し入れを貰ってね」

「あはは、そりゃいいや。これ舐めながら仕事したら、眉間の皺も取れるんじゃね?」

「……そんなに酷いかな」

 いささか傷ついた風情で、ロトは眉間をこする。リーファはふざけて、二本の親指でロトの額を左右に伸ばしてやった。

「もう少し暖かくなったらさ、ちょっと遠くまで遊びに行こう。一日ゆっくり、仕事とか全部放り出してさ」

「いい考えだね。それじゃあ、君が非番の日に僕が脱走しようかな」

「シンハを置いてけぼりにして?」

「たまには捕獲する側の苦労を味わって貰おう」

 ロトは大袈裟にしみじみとした風情を装い、そんなことを言う。リーファは笑い、うんと伸びをして暖炉への未練を断ち切った。

「さて、そろそろ部屋に戻るかな。ロト、そのコン……なんだっけ、お菓子、父さんにもちょっと貰っていいかな」

「金平糖。勿論いいよ、ちょっと待って」

 気前良く応じて、ロトは新しいハンカチに金平糖を包む。礼を言って歩き出したリーファを、ロトは扉まで送った。

「それじゃ」

「うん。……あ、リー」

 すぐに呼び止められ、リーファは、何か、と振り返る。ロトは何やら、言いたい事があるのに言い出せないような、奇妙な顔をしていた。

 やや持ち上げられた手は、シンハであればそのまますいと伸びて、リーファの頭を撫でるであろう、そんな風情だ。だがロトは、そうはしなかった。代わりに、少しはにかんだ苦笑で一言。

「誘ってくれて、ありがとう」

「……? いや、えーと、うん……? え、行くよな? 社交辞令とかじゃねーぞ、本当に遊びに行くよな?」

「もちろん。暖かくなったらね」

 当惑するリーファに、ロトは温かな笑顔でうなずく。リーファはほっとして笑みを返すと、もう一度金平糖の礼を言って歩き出した。ロトもちょっと手を上げて応じてから、扉を閉める。

 お互い、上機嫌で同じ歌を小さく口ずさんでいたとは、二人の知る由もなかった。



(終)

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