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王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
溺れた靴職人
12/43

(5) 露見



     5


 事態が思わぬ展開を見せたことで、警備隊の中でもイクスの事件に対する感情が一変した。

 どちらかと言うと、望ましくない方に。

「神罰、ってことだな」

 やれやれとカナンが言い、書き終えた報告書をトントンと揃える。むろん、未解決のイクス殺しの、ではない。床下から出てきた白骨死体の方だ。

 一緒に出てきた衣服の残骸や諸々の状況からして、遺体の身元は疑いようがなかった。ラスタがまだ五歳ほどの頃、出て行ったと聞かされていた母、フラーナは、実際には夫の手で殺されて床下に埋められていたのだ。遺体の頭蓋骨には、無残なひび割れがあった。

 ことこうなると、カナンの言が示すように、イクスが殺されたのは当然の報い、といった雰囲気が強くなる。真面目に犯人を捜すまでもない、というわけだ。

 このまま迷宮入りにされてしまいやしないかと、リーファは焦燥を募らせた。むろん彼女とて、イクスを見舞った災難が神罰だというなら、それはそれで文句はない。だが、実態はどうだか、人の身では判断出来ないではないか。

 たるんだ空気を引き締めたのは、意外にもディナル隊長の一喝だった。

「何を勝手に解決した気分になっとるかッ! 忘れたのか、捜査して犯人を捕らえるのが警備隊の仕事だ。裁きをつけるのは元々わしらの領分ではない!!」

 これは流石によく効いた。

 罪が何であれ、事情がどうであれ、それを調べ上げて犯人を突き止め、身柄を確保するのが、警備隊の仕事である。犯した罪の重さやそれに対する罰を決めるのは、裁判官であって警備隊員ではない。

 机上に積まれた優先順位の低い事件の山に加えられかけていたイクスの件は、再び机の中央に戻ってきた。

 ――とは言え。

「気が乗らないのは変わらんよなぁ」

 虚しく酒場の聞き込みを繰り返した後、カナンがため息をつく。リーファも咎めはせず、まあね、と肩を竦めた。

「せめてもうちょっと手がかりがあれば、やる気が出るんだろうけど」

「そこなんだよな。誰も目撃してないんじゃ、話にならん。多分、殺されたのは酒場の近くじゃないんだろうな」

 カナンはやれやれと頭を振った。

 湿った風に乗って、河の匂いが届く。二人は念のため、死体の発見現場をもう一度確認しに行くところだった。見込み薄だが、ほかに選択肢がないので仕方がない。酒場を回っても何も変わらないし、ラスタにしつこく質問したのでは、警備隊は無慈悲だとささやかれて、近隣住民の協力が得られなくなってしまう。

 河は相変わらず、大小の船や涼みに来た市民で賑わっていた。

 死体が打ち上げられていたのは、船着場の南端と城壁の間にあるささやかな土手で、水遊びをする子供や趣味の釣り人がちらほらと見られた。ついこの間死体が上がった場所だというのに、お構いなしだ。そもそも事件を知らないのかもしれない。

 葦は定期的に刈り取られているが、それでも夏場は成長が早い。二人は茂みをかきわけ、足元に注意しながらしばらくうろつき回った。

 飛び交う虫や鋭い葉が、少しでも肌が見えている場所を狙って攻撃してくる。リーファはちくちくする首をてのひらでこすり、顔をしかめた。澱みには藻が浮かび、ぬめるような臭いを放っている。

 不快感を堪えて二人がかりで端から端まで歩いたが、予想通り、収穫はなかった。

「ああもう、あっちぃぃ」

 リーファはうめいて額の汗を拭う。カナンも虚ろな顔で制服の胸元をつまみ、パタパタと空気を入れた。

「そう言えばおまえ、西方育ちだったよな。向こうもこんなか?」

「まさか。暑いことは暑いけど、こんなにべたべたムシムシしてないよ。ここの暑さは異常だ、あんたらよくこんなとこで暮らせるよな。食い物なんて干からびる前に腐っちまうし、靴だの床だのまでカビが生えるなんて、どんな地獄だよ」

「言うなよ、俺達にとっちゃそれが当たり前なんだから。ここより南のロスキオンなんて、もっとすごいらしいぞ」

「このくそ暑いのに、余計に暑くなる話をすんじゃねーよ」

 不毛な会話を交わしながら、もう一度、土手をたどって船着場へ戻る。と、ちょうど二人の近くに棹を下ろしていた小船から、口汚い罵声が上がった。

 なんだなんだ、と二人は足を止めてそちらを見る。網を引き揚げた漁師が、船底に屈みこんで悪態をついていた。

「どうした、何かあったのか?」

 カナンが声をかけると、漁師がしかめっ面で振り返った。

「ゴミがかかって、網が破けちまったんだよ! ったく、何でもかんでも河に投げ捨てるんじゃねえや、罰当たりめ」

 ぶつぶつ言いながら、網に絡まったゴミを外している。リーファは不吉な予感に顔をしかめた。

「まさか、また死体じゃねえだろうな」

「だったら罵りゃしないさ」カナンが苦笑した。「水死体が船に揚がったらその日は豊漁、って言い伝えがあるからな。元々は海の諺らしいが、この辺でも同じだよ」

「へえ、初めて聞いたよ」

 話しながらも、リーファは小船をじっと見ていた。漁師がようやくゴミを外せたらしく、網を広げて確認している。それから彼は頭を振り、船着場へ戻ってきた。どうやら、修繕しないことには、今日の漁は無理のようだ。

 リーファとカナンも、なんとなく急ぎ足になった。予感めいたものが、二人を同じ方へと駆り立てる。

 小船を桟橋につけた漁師は、二人が駆け寄ってくるのを見ると、口をへの字にして見せた。

「もっと厳しく取り締まって貰わんことにゃ、俺達ゃ上がったりだよ。金貨の詰まった壺でもかかるってんならともかく、割れ物だのなんだの……」

 文句を並べていた漁師は、二人がろくに聞いていないのに気付くと、やれやれとため息をついて頭を振った。

「ほれ、要るかい。持って帰って古道具屋に叩き売ってやろうと思ったんだがね」

 むっつりと不機嫌に、船底に置いてあった『ゴミ』を拾い上げて差し出す。

 リーファは信じられない面持ちで、それを受け取った。

「……まさか、これ……」

 漁師の網にかかったのは、小ぶりな金槌だった。頭の一方は平らだが、反対側はわずかに湾曲し、尖っている。

 柄の部分に目を凝らすと、かなり薄くなっているものの、名前が刻印されていた。

「イクス=ワイザー。間違いないよな?」

 リーファは念のため、相棒にも金槌を渡す。カナンは慎重にそれを確認し、うなずいた。

「確かに。これが凶器と決まったわけじゃないが、死体と一緒に投げ捨てた可能性は高いな」

 彼はそう言って、漁師に少しばかりの小銭を渡した。金槌を買い取るという意味ではなく、あくまで協力に対する謝礼なので、酒場で一杯飲める程度の額だ。それでも漁師は、まあいいか、といった風情で受け取り、文句は言わなかった。

 リーファは気がつくと、無意識にゆるゆる首を振っていた。

 まさか、そんな。あのラスタが、とうとう父親に我慢出来なくなってこれを振り下ろしたのか?

 ディナルがそう結論付けるのは目に見えていた。

「カナン、これ……隊長に報告する前に、ラスタから話を聞きたいんだけど、いいかな」

「ああ。俺もそうしようと思っていたところだ」

 二人は険しいまなざしを交わし、職人街へと急いだ。


 ラスタの工房は静かだった。床板を張り替え終え、母親の埋葬も済ませて、出入りする者もなくひっそりとしている。

「邪魔するよ。ラスタ、いるかい」

 声をかけながら入ると、奥の作業場で物音がした。じきにラスタが、作業用の前掛けを外しながら現れる。

「あら、リーファさん。こんにちは……」

 挨拶をしかけたまま、彼女は動きを止めた。リーファとカナンの表情を、その手にある金槌を、見て取って。

 長い沈黙の後、ラスタは二人が口を開くより先に、ふっと小さなため息をついた。

「まさか見付かるなんて。やっぱり、罪は隠しおおせないものね」

「……事情を、説明してくれるかい」

 リーファが促すと、ラスタは張り替えたばかりの床に視線を向けた。こちらを見ないまま答えた声は、他人事のように淡々としていた。

「あの日の晩、父が酔って帰ってきて、私がなじり、父が暴れた……そこまでは、本当よ。そこら中のものを投げつけたのも。その後、父はナイフを掴んで……私に襲いかかってきた。殺すつもりではなかったんだと思うわ。ただ、闇雲に暴れて、私を傷つけ、追い払いたかったんでしょう」

 言いながら、無意識に腕をさすっている。リーファは手袋で隠されていた傷を思い出し、そうか、とつぶやいた。

「手の傷は、親父さんにつけられたんだな」

「全部じゃないわ。本当に、仕事中の怪我もあるのよ」

 ラスタはほろ苦い笑みを浮かべ、両手を開いて見つめた。幾本もの赤黒い筋、白っぽくなった痕。彼女は手をぎゅっと握り、言葉を続けた。

「怖かったわ。逃げようとしたけれど、髪を掴まれて。必死になって、力任せに突き飛ばしたの。そうしたら、ちょうどそこに……父が投げた金槌があって」

「よりにもよって、急所に突き刺さった、と?」

 カナンがいささか信じかねる口調で言った。ラスタはうなずき、彼に目を向けた。

「しばらく茫然としてました。信じられなくて。きっと、誰も信じてくれないでしょう。そう気付いたら、ぞっとしたんです。私は身を守ろうとしただけなのに、親殺しの罪で縛り首になるかもしれない。……本当に、ぞっとしました。だから、遺体を捨ててしまおうと考えたんです」

 金槌が深く刺さったままだったため、出血はあまり多くなかった。それをきれいに拭き、死体に外套を被せて、こっそり連れ出した隣家のロバに載せた。昔から馴染みのロバは、突然の仕事にも抗議ひとつしなかった。

「途中で誰かに見付かったら、酔い潰れた父を連れて帰るところだ、と言おうか……それとも、諦めてすべて話してしまおうか、迷いながら河まで行きました。誰にも出会わなかったので……神々が許して下さったのだと思うことにして、遺体を河に沈めたんです。このまま、誰にも見付からないことを祈りながら」

 汚れた外套と血を拭いた布は、竈で燃やした。あとはただ、平静を保った。いつもと同じ、何も変わっていないふりをして。

 ラスタは言葉を切って、しばらくうつむいていた。ややあって顔を上げた時も、冷ややかとさえ思えるほど落ち着いていた。

「遺体を捨てたことは認めます。罰も受けましょう。でも、神々に誓って、私は父を殺していません」

「……分かった。信じるよ」

 リーファはうなずき、ぽんとラスタの肩を叩くと、無理に笑みを作った。

「一人で全部抱え込んで、しんどかったな。悪いけど、一応、本部まで来てくれるかい。あんたなら裁判まで逃げたりしないと思うけど、うるさいのがいるからさ」

「どうしても行かなければ駄目?」

 初めてラスタが怯んだ様子を見せたので、カナンが眉を寄せ、退路を断とうとするように動いた。だがラスタは作業場を振り返り、困り顔でやけに現実的なことを言った。

「やりかけの仕事があるのよ。仕上げてしまわないと」

「気持ちは分かるけど、それまで待ってるわけにもいかないしなぁ」

 リーファも弱って頭を掻く。そこへ、別の声が割り込んだ。

「なんだ、あんたら! またラスタの邪魔をしとるのか。もう充分だろう、帰った帰った!」

 憤慨してどかどか入ってきたのは、ピウスだった。彼はそのまま、驚いている三人の間に割り込み、二人の警備隊員をしっしっと追い立てた。

「あんたらには人の情ってもんがないのかね、まったく! これ以上、ラスタに付きまとって困らせるんなら、こっちにも考えが……」

「ピウスさん、待って、違うんです」

 慌ててラスタがその袖を引いて止める。ピウスは渋い顔で振り返った。

「おまえさんも遠慮ばかりしとらんで、びしっと言ってやれ。こいつらは、わしらが納めた税金で飯を食っとるんだぞ。もっとまともに仕事をしろ、ってな」

「その仕事で来ているんですよ、ピウスさん」カナンが厳しい声で言った。「イクスさんの遺体を捨てたのは、まさにあなたが庇っている彼女です」

「……なんだと?」

 ピウスはさらに顔をしかめ、ラスタとカナンを交互に見た。ラスタは否定せず、ただ沈黙している。徐々にピウスは驚きの表情になった。

「まさか、なんだってそんな……」

 彼が絶句している間に、カナンは嫌な仕事をさっさと片付けようとばかり、素っ気なくラスタに言った。

「ラスタさん、本部まで来て下さい。戸締りする間ぐらいは待ちます」

「あ……はい」

 ラスタはうなずき、作業場へ向かう。リーファは手伝おうかとついて行きかけ、かえって良くないかと思い直し、数歩たたらを踏んだ。

 ――その時、突然ピウスが叫んだ。

「違う! あの子は何もやっとらん、やったのはわしだ!」

「は!?」

 これには全員が揃ってぎょっとなった。いったい何を言い出すのか、と驚き呆れる三人の前で、ピウスは顔を赤くして、真剣そのものでカナンに詰め寄った。

「何もかもわしがやったんだ、あの子はわしを庇って嘘をついとるんだ! 捕えるならわしを連れて行け!」

「ピウスさん、何を言い出すんですか! やめて下さい、そんなこと」

 大慌てでラスタが戻って来る。だがピウスは構わず、近隣に響き渡るほどの大声で喚きたてた。

「わしはずっとあの男が憎かった、殺してやりたかった! フラーナが出て行ったと聞いた時にも、わしは行方を捜したが、見付からなんだ。絶対にあいつが何かしたんだと、その時にもう確信しとったんだ! その上、ラスタにまでさんざん苦労をさせて……いつか殺してやると、毎日毎日憎しみを募らせて、とうとう我慢できなくなった。わしがあいつを殺したんだ!!」

「嘘よ! 二人とも、まさか信じないでしょうね!?」

 負けじとラスタが叫ぶ。ピウスは振り向き、ごつごつした手でそっと彼女の頬を包んだ。

「ラスタ、おまえさんはいい子だ。本当にいい子だ。おまえさんに悪い事なんか出来るわけないだろう。もういいんだ。もうおまえさんが、あんな親父のせいで苦労することはない」

「それはピウスさんの方です!」

 ラスタは手を振り払い、真っ赤になって言い返した。

「父はあなたにさんざんご迷惑をかけました。仕事を頂いておきながら途中で投げ出したり、酒場の飲み代をたかったり、絡んであなたを殴ったこともあったじゃありませんか。もうこれ以上、父の為に何かをしようなんて、考えないで下さい!」

「わしは昔から、イクスの為に何かをしたことなど一度もありはせんよ、ラスタ。いつだって、優しいフラーナと、その忘れ形見のおまえさんの為を思っとった」

「だから今度はラスタの罪を被ろうと言うんですか」

 リーファが疲れた声音で割り込む。途端に二人はきっと振り返り、

「違う!」

「そうよ!」

 同時に叫んで、また不毛な押し問答を始めた。リーファとカナンはやれやれと顔を見合わせ、二人を引き離しにかかった。

「ともかく、一度お二人とも本部まで来て下さい。証言の記録をとります」

「行くのはわし一人で充分だ!」

「それを決めるのは、残念ながらあなたじゃない」

 カナンは容赦なく言い、ピウスの腕を取る。彼はリーファを振り返ると、目配せだけで合図し、先にピウスを連れて出て行った。

 残された二人は、急に静かになった工房で、どちらからともなく深いため息をつく。

「リーファさん……」

「話は後で聞くよ。とりあえず、戸締りして」

「……そうね」

 ラスタが奥の作業場へ向かうと、リーファは脱力して近くの台によりかかった。肘がこつんと、道具類の収められた箱に当たる。どうやらこちらは、もう使われなくなったイクスの道具らしい。酒に溺れたイクスが、過去を思い出させるものを見たくなくて、床に投げつけたのだろう。 彼女はそれをひとつひとつ手にとって、台に並べていった。

 箱が空になった時、台の上に金槌は一本もなかった。隠すように一番下にしまいこまれていたのは、柄に赤茶けた染みのついたナイフだった。


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