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渡時過行  作者: いせゆも
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二千四年九月十五日(日曜日)・4

「ただいま」

 それだけを挨拶として、私は玄関でブーツを脱いでリビングへ直行した。

「お帰り」

 向こうの方から、ややしわがれた返事が聞こえる。

 今日は休みの日だからずっと家にいたのか、ぼさぼさした頭の父は、リビングで映画を鑑賞しながらパソコンを弄っていた。父は仕事部屋を持たないから、休みの日にも仕事をする時は、リビングで資料を弄っている時が多い。そのくせ、父は仕事人間である。どうも、やりたいことを自由にやらせてくれて、しかもそれで給料はかなり弾んでくれ、作った商品は次々と世に送り込み、人々の生活を少しでも楽にしてくれるのが肌で分かる。そんな今の職場が、楽しくて仕方がないのらしい。一介の高校生女子な私ですら知っているほどに有名な企業の課長クラス。それが父だ。

「ごめんね、少し遅くなって。すぐ夕飯作るから」

「ああ。頼む」

 バッグは自室に置き、エプロンを掛けてすぐキッチンに立つ。予想以上に遅くなってしまったから、なるべく手っ取り早く作らないと。

「デートだったのか?」

 冷蔵庫に買い置きしてある食材を確認している私を見ながら父はそう言った。世間話のように簡素に訊いているだけ……を装って、不安でいっぱいなのを私は知っている。私の周りにいる男連中は基本、隠し事が下手だ。私の人生、例外は、一人だけ。

「どうだと思う?」

 大量に残っているキャベツをなんとか処理しようと、ロールキャベツなんかいいかな、などと献立を考える。挽き肉もまだあるし、あると何かと便利な固形コンソメもばっちり。

「複雑な気分だ」

 父の言葉には嘘偽りがなさそうだった。渋い顔をしている。

「もしかしたら女の友達と一緒に遊びに行ったかもしれないんだよ? そっちの可能性には賭けないの?」

 鍋で大目にお湯を沸かして、キャベツの葉を入れていく。話ながらでも、料理の手は止めない。

「その言い方自体が、すでにデートだと暗に示してるんだ」

「ばれちゃった」

 ペロリと舌を出す。家族の前でくらいは私だって、水城先輩みたいな態度はとらない。むしろあれよりも冷たい態度を学校ではしているから、どっちの私が本当なのだか。クールと形容される私ではあるけれど。

「その……ずっと訊きたかったんだが、相手の男は、どんな男なんだ?」

「優しい人だなあと初めて感じた男、と言っておく」

 曖昧な表現をした私にはどんな思惑が隠されているのか。父は必至になって探ろうとしている。別に他意はないのに。

「経験豊富な女みたいに言わないでくれよ」

「だって別に、男と付き合うこと自体は初めてじゃないし」

 私は中学時代、何人かの男と付き合っている。しかし私の悪癖のせいで長続きしなかたり、そもそも好きで付き合い始めたわけでもなかったりで、交際と言えるほどの関係を築けたことはない。私が本気になれたのは今のところ、水城先輩だけ。

「全部遊びだったのか?」

「悪い言い方をすればそうなるかもね」

 好きでもなんでもないのに、適当に一緒にいて、適当に別れて……遊びと断言されてしまっても、私は否定する権利を持たない。

「行喜名みたいな女の子でも、軽い気持ちで男と付き合うもんだなあ。時代は変わったな」

「お父さんだって、――と交際するまでは、彼女くらいいたでしょ」

 とある人物を表現する単語を曖昧にぼかして言った。父も私の気持ちは分かっているので、特別それに言及したりしない。

「まあ、いたな」

「どのくらいの人数?」

「三人」

「ほら。私と同じくらいじゃん」

 私が付き合った人数は、合計で四人。高校では水城先輩とだけ。最後の一人以外は、全て向こうから告白してきた。我ながら尻が軽いなあ、なんては思ってはいるけれど、彼氏を望んでいないかったからこそ、簡単にオーケーを出していたのかもしれない、私は。

「言っちゃ悪いが、父さん、付き合った女性とは全員本気だったぞ」

「でも付き合った三人、全員に結婚したいとか思ったわけじゃないでしょ」

「いや。結婚するならこの人しか有り得ないとか、当時は思ったものだった」

「……これが男女の差なのかな」

「高校生なんてそんなもんだ。深いことは考えないでもいい」

 思い込んだら一途というか。良い意味で莫迦。これが男。少なくとも女の私は、同じ学生なのに現実を見てしまう。こんな男と添い遂げるなんて御免だとしか感じない。……いや、感じなかった、と言っておくことにしよう。水城先輩にはそこまで嫌悪しているわけでもないし。

「気をつけないと、いつ毒牙を見せるか分からないぞ。女とやれればいいんだからな男なんてものは。獣の食欲と同じだ。食いたい時にだけ食料を欲しがる。それ以外はいらない」

「私の彼氏は私から迫らないと手も繋がないから大丈夫」

「……それはそれで不安になるものがあるな、その彼氏君とやらが」

「お父さんはどっちの立場なの。というか、そのぐらい奥手な人だったから付き合うきっかけになったというか」

「うわ、娘が惚気てる」

「これ惚気?」

「自覚してない辺りが」

 よく分からない。どこからどこまでが惚気になるのか。私のイメージで惚気とは、もっと『私の彼氏ってさ~、すっごく私に甘えてて~』みたいなウザさがある。

「……そうか。やっぱり、本気なのか。あの言葉は本気か……」

 そろそろ料理も完成に近い。良い匂いがしてきたからか父のお腹がぐうと鳴る。シリアスな言葉の直後にそうなったのを恥じたのかもう一度「本気の交際なのか」と言い直した。

「何? 冗談だったらよかったの?」

「いやまあ、行喜名がちゃんと望んだ男と、清い……とは言い切れないだろうけど、あまりふしだらでない交際をしてるなら、父さんあんまり文句は言えない」

「変なの」

「ほら、エンコーとかってあるだろ? 彼氏に会うとか理由をつけて、あれをやってんじゃないかとか、色々不安になるわけで……」

 援助交際。クラスの中には、声高らかにやっています宣言をしている馬鹿女がいる。とにかく男とすることがステータスになると考えているのか。今時清純とか流行らないだろうけれど、もう少し慎みを覚えてもいいかと。まあ、私が言える立場ではないし、わざわざ言いたくもない。本当の馬鹿は死んでも治らない。

「大体、本当にやってたら正直に言うはずないじゃない。意味のない質問」

「…………」

 私の発言で途端に沈黙する父。あ、やばいと思って振りかえってみると、限界まで眉根を寄せている父の顔があった。

「言っておくけれど、そもそもあんなのと一緒にしないでよ。実はこれでも恋のABCはAまでしか、それも一人としか経験したことないんだから。……Aってキスだったよね?」

 うろ覚えの知識で水城先輩にABCを言ったら、水城先輩はAを『手を繋ぐこと』と勘違いしていたようで(Bがキスで、Cが――だと思っていたらしい)、少々口論になった。いちいちそんなことを誰かに訊けるほど私は交友関係が深くも広くもないし、水城先輩はそこそこ仲の良い友達は多いけれど、そんなことを訊いた日にはからかわれる対象となるだけなので、結局誰にも聞けない。

 私の性格上、一度喧嘩になってしまうと、最後まで突っ走ってしまうから、あの時は泥沼になったものだ。結局グダグダなまま喧嘩が終わった。それでも元通りになれた辺り、相性の素質はいいのだろうか。

「……行喜名。信じてるからな」

 その言葉には、娘を心配する父というニュアンス以上に、父自身の苦い経験が言わせたのだと、私は感じた。

「好きでもない人にこの肌を触らせてやるような軽い女ではないって私は」

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