二千四年九月十五日・6
――カキン。
私の手には、無残にも解答されて力なく離れ離れになった二つの金属片。
解答。兄に、打ち勝てた。私は、兄と同じ所まで上ることが出来たのか。
知恵の輪という名の敗者には目をくれず、私は一目散にロッカーを開放させようと、扉に手をかける。
「これが、開かずのロッカー……」
水城先輩は、ごくりと唾を飲むこむ。私も興奮している。この中には、一体、何が。
ロッカーを開けると……そこには、教科書やノート、辞書など……およそ、学生が学校に置いておくのに相応しい物が、密かに眠っていた。ノートを開いてみる。とても綺麗な字。その中の一ページに、『サッカー部へ送る、定期考査完全攻略ガイドブック!』と銘打たれた部分がある。どんなものかと確認してみると、まあ見たことある対策がザクザクと。現在も学校に残っている教師の対策は、これ以上なく的を射ている。
このノートの表紙に書かれている名前を、私は半ば答え合わせの感覚で確かめる。
川西多喜良。そう書かれていた。
「……? 普通だな。目ぼしい物が、なにもない。……『川西』?」
水城先輩が、このロッカーの持ち主と私の名字が同じであることに気が付く。
「そりゃそうですよ。それで当たり前なんです」
噂には、尾ひれがつく。『事故で死んだ』を、『事故に見せかけて殺された』と変換するのは、いかにも若者が好きそうなフレーズなものだし、十八歳というのは、普通は未来がまだまだ残っている年齢なのだから『志半ばで……』など好きに付け加えることもできる。仕舞いには、鍵代わりに知恵の輪を使っていたことが、噂の原因、か。
ロッカーの中心部には、封筒がぽつねんと独りになっていた。お誂え向けに、開けた人に見てくださいと言わんばかり。私はその挑発に乗り、開けてみる。
「二〇〇四年九月十五日以降の、川西行喜名さんへ
(この手紙では便宜上、今これを読んでいるあなたのことを『ユキ』、俺が生きている間の小学生のあなたを『小ユキ』、一九九六年九月十五日~二十一日までのあなたを『大ユキ』と称しておきます。それと丁寧語なのは、こう堅苦しくでもしないと、今この文章を書いている時でも破りたくなるからです。変に思うかもしれませんが、そこは目を瞑ってください)。
遺言というものは、死を覚悟したから書くものです。いつまでも自分が生きていると信じて疑わない人は、遺言なんて遺しません。つまり俺は、近い将来に死が訪れることを半ば確定事項として、この遺言を書いています。ユキがこの手紙を読めるのは、俺が既にこの世にいない時だけです。というか、そうあってほしい。死ぬ前に読まれるなんて恥ずかしすぎるから。
ユキはどうして俺が死ぬことを知っているのかと疑問になっているかもしれません。白状しますと……大ユキは気が付いていないようでしたが、大ユキが中学時代のことを語る時、同じ時代の俺のことは一切話題に出していませんでした。全て小学生ぐらいの記憶で話していたのです。だから、「ああ、俺は未来にはもういないんだな」と腑に落ちました。大ユキがタイムスリップをしなければ、俺は文字通り一生知らずに済んだでしょう。もしかしたら死なない未来があったのかもしれませんが、ここで議論することでもありません。
しかし、少なくともそのおかげで、日々を余すことなく過ごすことができました。こんな俺と付き合ってくれる女性がいたり、バイトをして欲しい物を手に入れる喜びを味わえたり、いい小説に出会えて感動したり。酸いも甘いも、俺の人生には十分凝縮しています。俺が死んだら周りの大人は「若いのに可哀そうに」などと言うかもしれませんが、俺自身はそんなこと、全く思っていません。
ただ惜しむらくは、サッカー大好き、ドクターペッパー大好き、お兄ちゃん大好き。そんな小ユキが、どうやってユキみたいに育つのか、成長過程を見届けることができないこと。それと、家族を襲う災厄から、小ユキを守ってあげられないこと。
俺が把握しているユキを襲う災厄は、大きく二つです。一つは前述の通り、俺が死ぬこと。もう一つは、俺が死んだ後に家族が離れ離れになってしまうこと。
俺には長年、謎がありました。「どうしてお袋は『』のことを親父と同じような恋愛感情を抱いているのだろう」という謎です。(『』に入る名前は言わなくても分かるでしょう。あの男のことです。今ではユキの気持ちがよく分かります。名前を出すだけでも胸の仲にどす黒い感情が渦巻きます)。大ユキに打ち明けましたが、俺は女が誰かへ向ける好意が分かるのです。
今でも忘れません。一九九六年九月十九日。俺が大ユキと裁可中学校へ侵入したあの日です。夕暮れの校舎で「自分は必ず二人の男を同時に好きになる」と言いましたね。それと、同じ日に大ユキは、夕食の席で『』の名前が出た時、とても怖い顔をしました。人間とは肉親であろうが、ああまで人を憎むことが出来るのだと、あの大ユキを見て初めて知りました。ユキは、お袋と『』のことを許さないのですね。俺も同じです。
大ユキが元の世界へ戻り、小ユキが帰ってきた後、俺は小ユキに鎌掛けをしてみました。「ユキは好きな男の子がいるか?」と。そうすると小ユキは、「え~どっちも好きじゃないよ~」と返事をしました。その一言だけでも類推できることは沢山あります。「好きじゃない」というのは、まあ小学生の女の子な照れ隠しなのでしょうが、「どっちも」というのは候補が二人いるということ。なるほど、大ユキの言ったことは嘘ではないようです。
俺は確信しました。お袋は二十年以上も前から『』と不倫をしていると。しかしまだ疑問は残ります。では、俺はちゃんと親父の血を受け継いだのだろうか、です。
ある時、俺は両親に内緒で献血をしてみました。興味があったから一度してみたかったというのもあるのですが、それよりも大きな理由として、献血するには血液検査が必要です。自分の血液のことを知りたかったのです。診断結果は、Rh+A。『』と同じ血液。
……事実を知った俺は、恥ずかしいほどに荒れました。ユキは俺のことを理想な男として見ているようですがとんでもない。家に帰れば小ユキに笑顔で接している一方で、俺は犯罪スレスレのところまで手を染めたこともあります。なんとか後一歩で押し留めることができたのは、それは、ユキが俺のことを信じていたからです。ユキの輝いた笑顔を見ていると、俺は罪悪感に胸が潰されそうでした。「何をしているんだ俺は。これでは何食わぬ顔をしているあの男と全く変わらないんだぞ」俺に残されていた理性の言葉です。
それだけ俺にとって大事なユキ。
さて、長々と話してきましたが、短いですが、実はここからがこの手紙の本題です。
大ユキは俺に告白をしましたね。その答えです。
俺はユキが好きです。誰にも奪われたくありません。例え俺が雲の向こうに居ようとも、俺はユキをのことを想い続けます。こんな俺のことを、好きでいてくれますか? もし俺の気持ちを受け止めてくれるならば、この指輪を是非、受け取ってほしいです。」
その言葉と一緒に、私は兄から貰ったことなんてないはずの、質素な、それでいてそれこそが兄らしい、小さな指輪が添付されていた。
「……あー、負けた、負けました」
全てに。出し抜いたと思った全ては、兄が見抜いていた。
「全く。そもそも、」
兄の手紙は、本心なのか、それとも私を慮っただけなのか――好きな男にそんな謙虚な言われ方をして、例え冗談であろうとも喜ばない女がいるのだろうか?
私は二人の男を同時に好きになる。それは今も昔も変わらない。だからこそ、彼氏である水城先輩の他に別の男を好きにならないよう、私はこれまで水城先輩のことを水面下で好きにならないように努力をしていた。しかし私は今、もう一人の意中の男性から、真摯に告白された。私の答えは? イエス。これしか持ち合わせてない。
こうして私は、まず一人の男を好きになる。一人を好きになれば、もう一人も好きになる。
この瞬間、私の心には水城先輩への恋心が、本格的に芽生えた。
胸に燃え上がる熱を伝えようと私は、水城先輩の唇を、奪う。それは、初めて私が「したい」と想ったからする、好意を伝えるための、キスだった。
「――――」
鳩が豆鉄砲を食らったようとはよく言うけれど、こんな感じなのかな。
「水城先輩。私、水城先輩のことが、好きです」
「…………」
まだ水城先輩は言葉を発することができない。それほどに驚いている。
「以前私は、好きな人は必ず二人できるって言いましたよね」
「……うん」
「ごめんなさい。やっぱりその通りみたいでした。だって私、――お兄ちゃんのことも水城先輩のことも、どっちも大好きですから。どちらも私の人生に欠かせないぐらい、大切な人」
この瞬間に、私が抱えていた『呪い』は……もう、形を成さなくなったのだ。
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