九月二十日(金)・2
大樹おじさんが家に来るより前に、家を出た。それはどうしてか。
はっきり言おう。私は、この状況から逃げるために家を出たのだ。私に水城先輩ほどの勇気があれば。嫌われでもなんでもしてもいい、とにかく我武者羅に突っ込めるほどの気概があれば。もしかしたら、私は心に溜まっている膿を吐きだせるのかもしれないのに。
それでも私は、この幸せな普通の家族を壊したくない。兄には母が浮気をしているということを伝えてしまった。しかし兄なら一人で乗り越えることが出来ると、私は免罪符のように自答する。
私は鈍感な水城先輩ですら私の身に何かあったのだと推測されるほど、隠し事が下手であった。けれど兄は、ずっと一緒に居た私にそんな素振りは一切見せなかった。死ぬまでの間、ずっと兄は私の理想な兄で居続けた。
信じる。私は兄を信じる。それが妹として、兄に向ける信頼。
もう何度目になるだろうか、公園のベンチに座りながらそう考える。
一時間ほどが経っただろうか。心の一物を燻らせ続けていると、ボールをドリブルしながら少年がやってきた。
「おっす少年。精が出るね」
年上のエロいお姉さんキャラなら「いや、まだ精は出てないかな?」などと言えばいいのだろうが、生憎私は、清純派気取りなもので。いたいけな少年が女ってこういうものだと偏見を持たないよう、余計な言葉は付けくわえないでおく。言っても分からなそうだし。
「師匠。こんな時間に」
「こんな時間も何も、少年だってこんな夜遅くまで練習しようとしてるじゃない。良い子は家に帰ってるべき時間でしょ」
「……うん」
本来なら、私だって高校生女子、夜八時近くを歩きまわるなんて危険極まりない。未来のこの少年なら「俺が送っていくから」などと言いながら家まで自転車で送ってくれたりするが、今の少年には私がかなりの大人に見えるから、そんな心配はしようはずもない。
「まあ、別に怒ってるわけじゃないよ。ただ、ちょっと時間が惜しくてさ。もしかしたらさ、明日は会えないかもしれないから」
「え?」
「まずは練習練習。頭に雑念が入ってちゃ、集中できないぞ少年よ」
かくいう私も雑念が入り過ぎている。せめてこの瞬間だけは、サッカーの楽しさで忘れようとした。




