九月十九日(木)・2
兄と一緒に裁可中学の校門まで行くと、そこには菅家君と栗林さんの二人が立っていた。
「お待たせだぜ、理想のカップルたちさんよ」
「うわぁ、本当に連れてきてるし……」
栗林さんとしては、流石に兄がこんな行動を起こすことは半信半疑だったご様子で。兄が迷惑掛けます。
「……マジなのかよ川西?」
「マジっすよ、大マジ。こうでもしないとユキ……さん、と、同じ制服着る機会ないし」
気軽そうに私を『ユキ』と言おうとしたところで、私は年上の彼女だという設定を思い出したのか、すぐに訂正した。
「やめようぜえ? ぜってえばれるって」
「ばれないばれない。ユキ……さんほど中学生の恰好が似合う女子高生も少ないしさ」
「確かに行喜名さん、高校生なのに凄く似合ってる。中学生よりも中学生らしい」
先日、喫茶店で出会った栗林さんと比べると、今ここに居る栗林さんはなんとまあ、かっちりきっかり真面目そうな外見をしていることやら。喫茶店ではしていなかったはずの眼鏡を掛けていることが、まさに『委員長』らしさをアピールする。多分だけど、あだ名は委員長だな。確かに兄曰くの、「見るからに完璧を求める性格」をしていそうだ。無論、隠れてキスをするようには到底見ることができない。大人しい子ほど裏では大胆、ねえ。
「――それよりも、どうしてお二人がここにいるのですか?」
何故、菅家君と栗林さんがわざわざ校門前で待っているのだろう。三人の口ぶりからして、どうやら私の到着を待っていたようである。はて。
「カモフラージュ。俺とユキが二人で移動するよりも、菅家と栗林も混ざって行動した方が見つかりにくいだろ、おそらく。まさかナチュラルにそこにいる生徒が、うちの学校の生徒じゃないって思う先生の方がいないんじゃないかな。まあ本当は俺もユキ……さんと二人だけでいたいんだけどさ、そうも言ってられないもので」
木を隠すなら森の中。人を隠すなら群衆の中。低身長高校生を隠すなら現役中学生の中。
「また川西君が馬鹿なことを始めたと思ったら……今回のこれは、かなり極まってるよね」
「ああ。もう二年のツレになるが、俺だって川西がここまで色恋馬鹿とは思わなかったぜ」
私だってここまで変態とは思わなかったのだから、人間の評価なんて、すぐに変わってしまうものだ。それが真面目であればあるほど。……こういう、変態な一面以外は至極真面目なのは確かだから、後一歩のところで嫌いにならさせてくれないというか。
「うるさいなあ。中学三年の秋、もうすぐ皆とお別れ、さらば青春の一ページ……。こんなすでにセピア色になり始めて、感傷的になるには絶好の機会に、ユキ……さんと同じ学校に通えるチャンスを、見逃せるはずがないだろう!」
芝居がかったような口ぶりをしていたが、私の名前を言うところで突っ掛かる。いい加減慣れてほしい。なんだか、こっちが恥ずかしくなる。
「なんで今この時期じゃなきゃ駄目なんだよ。卒業前の休みの日にでもやりゃいいじゃねえか。俺たちを巻き込まないでさあ」
「それは……その……」
兄は答えに困窮している。私がこの時代に留まれるのは一週間。今日か明日かの機会を逃せば、もうチャンスは巡ってこないだろう。何カ月単位で待つ余裕なんてない。けれど、事情を正直に話すのもおかしい。こちらだって馬鹿馬鹿しいとさえ感じているのだから、説明するのも面倒くさい。
「実は私、もうすぐ遠い所へ引っ越してしまうんです。……多喜良君。そのことを言わなかったのですか?」
私の言葉に、二通りの反応があった。兄は『何を言い出すんだユキ?』と頭にクエスチョンマークを点灯させ、菅家君と栗林さんは『そうか……。だから川西(君)は必死になって思い出作りに励んでいるのか……』と一瞬で氷解した様子。
「偶然出会った私と多喜良君……。私が抱えていた悩みを解放してくれて、しかも優しく抱きしめてくれた。これほどうれしいことはありませんでした。けれど、私は親の方針には逆らえないのです。それが何かは……訊かないでください。口に出すのも悲しいことなのです。だから、もうすぐ私は多喜良君の下から離れてしまう……。多喜良君はいつも通りの表情を保っていますがその内心、必至になって私に一時の思い出を作ってくれているのです。そんな多喜良君を、責めないでやってください」
よくもまあぺらぺらと。これが本当に私なのか。……最初のほんの少しの部分は、私が実際に水城先輩にされたことだけれど。ある意味、そこは演技じゃない。
「そ、そうなのか……俺はてっきり、川西がまた馬鹿なことを始めただけかと思ったぜ」
「私も……っていうか、そもそもどうやって出会ったんだって川西君」
「そこはアレだ、二人だけの秘密ってことでだな」
私たちですら握っていない謎を残しながらも、いつまでも校門前で固まっていても話は進まないので、私たちは移動を開始する。来客用の窓口を素通りして、この学校に通う生徒たちが日ごろから利用する玄関へ。裁可中学校生として。
「靴はどうするつもりなの川西君」
栗林さんからそう聴いた兄は、破顔一笑。女の子を笑顔だけで落とせそうな爽やかさ。さては、考えてなかったな。
「もしかして考えてねえなその顔は」
「もしかしなくても考えてないみたいだねその顔は」
私は口にこあお出さなかったが、意見が見事に二人と一致。兄が分かりやすい人間なのか分かりにくい人間なのか、いまいち把握できかねない。
「あーあー考えてなかったさ悪いか!」
と兄は逆切れに近いものをしたら、目を一度ぱちくりと開き、身体がぴくっとした。何か発想に至ったのか。おそらくそこが兄の下駄箱なのであろう所から上履きを出して、私に差しだす。制服と同じく、これまたごく普通なデザインの上履き。本当、特徴のない学校だ。兄自らの分は体育館履きで代用。中敷きのサイズを見てみると、二十四センチ。中学生男子としてはこんなものではないだろうか。
「たしかユキ……さんは二十二センチだったよな? このぐらいならなんとかなるだろ」
履いてみる。とんとんとつま先を地面に叩いて合わせる。少々ぶかぶかではあるが、歩くのが困難なほどではない。問題はなさそうだ。
「…………」
「…………」
こんな私たちを、菅家君と栗林さんはじいっと見ていた。
「な、なんでしょうか?」
そこまで好奇の目で見られると、私は何か変なことでもしたかと不安になる。
「……私、菅家の靴履くなんて絶対イヤなんだけど。匂い移りそうで」
「臭くねえって言ってんだろ! ほれ嗅いでみろ!」
「やだ! 近づけないでよけがらわしい!」
突然喧嘩し始めた二人の意見を纏めると、ようは、「よく男の靴を履けるな」か。
「本当に好きな人のものなら気にならないものですよ」
菅家君、さらには靴の所有者である兄を持ちあげるため、私は擁護することにした……のはいいけれど、顔を赤くしないでくれ、兄。『好きな人』という部分は……嘘も方便、ということにしておくけれど。まあ、気にしないのは本当のことだ。そうでもなければ数日前、兄の靴を履いて外出なんてしていない。
「ほらやっぱり。年上のお姉さんは格が違うなあ」
「何? 私の器が小さいとでもいうの?」
そうして喧嘩に発展していく二人。油を注いだのは私のようだし、止めた方がいいのかな、と悩んでいると、
「よくあるんだこれが。こういう時は、ニヤニヤしながら見守るのが吉」
兄が私の袖を引っ張って、制止させてきた。ああ、納得。随分喧嘩慣れしている。不良とかヤンキーとかそっちの喧嘩の意味ではなくて、喧嘩するほど仲がいい、的な意味で。こんな二人が、先日の喫茶店では、人目を憚りながらキスをしたなんて……恋というのは、真に人間を変えてしまうもの。その二面性があるせいで、それを面白がっている兄の被害を真っ向から受けているのだと、否定できなくもある。
「ほれほれお前ら。菅家の足が臭いのは事実だし、栗林には菅家が臭いのは我慢できないのも現実なんだから、先に進もうぜい」
「うっせえよ! ってーかその言い方だと足はともかく俺自体が臭ぇみてえじゃねえか!」
「足臭いの認めたんなら私の勝ち」
「がぁ……」
強引な喧嘩の止め方だ。これもまた、いつものことなのだろう。喧嘩というものも、加減を知らないとできないものなのだ。私は加減を知らないから言えること。
「ああそうだ」
私はふと、あることを思い出した。
「小学生の頃に聞いたのですけど、好きな人の靴を履いて三歩歩くのが、両想いになれるおまじないらしいですよ。所詮はおまじないらしいですけど、菅家君のことが好きなら、やってみる価値はあるんじゃないでしょうか」
これは口から出まかせたのではなく、本当に聴いた覚えのあることだ。私は実践することはしなかったけれど。
「そ、そんな両想いなんて……」
「……おい、否定されるといくら俺でも傷つくぞ」
「傷つく心があったんだ」
……あ。なんとなく、口に出るままに言ったはいいものの。
私、兄の靴を履いて三歩以上歩いちゃってるじゃん。具体的にどんな靴のことを差しているのか分からないが、運動靴も上履きも履いちゃってる。
――あながちこのおまじないも、冗談ではないんだろうなあ。
なるべく意識をしないようにする。
「多喜良君。どこへ行くつもりなのです?」
兄は階段を上っていく。私は後ろに刷り込みをされたヒヨコぐらい純情に付いていく。行き先すら分からないまま。
「取りあえず、俺の教室を目指そうかなと。ほら、一緒に授業を受けてみたいしさ」
もちろん、本当に授業をするわけではないだろう。同じ空間にいることによって、同じ空気を吸い……そういった諸々を、体験したいと行っているのだ。
「ああ、だからこっちルートなのか」
「玄関から直接向かうと職員室の前を通らざるを得ないからね」
その辺のルートは、私に知るべしもない。在学生に頼るべきだ。どうやら随分遠回りをしているようで。
「そうだ行喜名さん。私の制服、きつくないですか?」
私に追いついた栗林さんは、心配そうに私に訊いてきた。
「実を言うと、胸のあたりが少し。裾が足りなくて、ちょっとお臍が見えそうで」
「…………」
ぴきん、と。
栗林さんの額から、なにかが破裂するような音が聞こえた。湿っぽい空気はどこへやら。その音を聞いて、私も戦闘態勢。何と言いますか、ここは年上としての勝負どころ。見逃せない。……まあ虚勢なわけではなく、本当に少しばかり、胸囲が中学生サイズでは足りな過ぎるだけなのだけれど。私のような体型を、トランジスターグラマーと呼ぶそうで。父が産まれるよりも遥か昔の流行語だそうだ。そんな私だから、所詮中学生サイズで足りるはずもなく。何度も言う。足りない。
「まあ、行喜名さんは大人ですから。私みたいな若輩と違って、川西君を誘惑するに足りる魅力を持っていますし。当然の、ことですよ、ね?」
「あら嬉しい。でも男を誘惑するのって結構簡単なんですよ? 男なんて、とかく胸の大きさを強調すればそれだけで引っかかるものですから。変態とは言え大人しい多喜良君でこれですけれど、菅家君はさぞ、栗林さんのそれ以外のところが好きなんでしょうね」
私と栗林さんが舌戦を繰り広げている一方で、
「……なあ。あんな栗林、見たことないんだけど俺」
「俺もだ。栗林もそうだが、まさかユキ……さんが、女の闘いを繰り広げるなんて」
隅の方でブルブルと震える男二人。男が目と目が合った敵と拳と拳で語り合うのなら、女である私たちは口と口で語り合う。この場に男二人の居場所なぞない。
「女性のよさは、何も体型だけに限りませんから」
「多喜良君でこれで五人目の彼氏になりますが、私の胸を凝視しなかった人はいません。まあ、胸があればの話ですけどね。なければ、よりその人自身を好きなのだと、そう好意的に解釈もできますけれどね」
「――――! 四人も付き合ってたのかユキ!? ……さん」
私の言葉尻を掴んで、兄は驚いてる。ああ、彼氏がいることは言ったけれど、その以前に三人、付き合った男がいたとは言ってなかったっけ。しかも中学時代に。兄ですら、まだこの当時は彼女いない歴イコール年齢。よもや、サッカーを天真爛漫に楽しんでいた少女が自分と同じ年齢には三人の男と適当に付き合い、適当に別れるなんて想像もできないだろうから、兄の脅威は一塩だろう。
「なら聞いてみましょうか男性二人に。それとも怖いですか? 多喜良君はともかく、自分の彼氏に否定されてしまうことが」
「……受けて立ちましょう。人間は、心が全てですから」
少し前まで戦火を免れていたというのに突然、渦中というか火中に放りこまれてしまった男二人は、『ん? なんの話ですか? 私たちは知りません、聞いてませんでしたよ』と、とぼけた顔をしている。容赦なく、私と栗林さんは二人をこちら側へ引き込む。客観的に見れば、私たちの行動は実に息が合っていたことだろう。
「さて質問です。あなたたちは、女性は、女性らしい体つきをしている方がいいか、否か。賛同するならば、手を上げてください」
私は二人にそう言った。言われた張本人たちは、以心伝心、目と目だけで語り合う。その目線には、一体どれだけの情報量が交錯していることだろう。人間は、言葉がなくてはコミュニケーションをとることができない。言葉という人間が作った文化を忘れ、動物の本能としてのコミュニケーションの力に頼った時、ヒトは一体、どれほどの奇跡を起こすことができるのだろうか。
その結果は……兄が手を下げ、菅家君が手を上げた。
…………。誰も、一言を発さない。しかし、状況は刻一刻と変化する。
私は兄を、「よくも裏切ったな」という目で見る。
栗林さんは菅家君を、「所詮あんたもその辺の男なんだね」という目で見る。
兄は菅家君を、「俺に合わせろよ! こっちは説得できるかもしれねえけど、こっちは学校生活が掛かってんだよ! 毎日の登校が億劫になったらどうする! 毎朝毎朝栗林に嫌みを言われるんだぞ! この苦しみ、お前には分かるまい!」という目で睨む。
菅家君は兄を、「そっちこそだろ! 栗林が貧乳なのはネタになるけど、なんか知らねえけど行喜名さん、滅茶苦茶こえぇじゃん! 栗林が怒ったところで殴られるとかそれぐらいで済むけど、行喜名さんに睨まれたたらそれだけでちびるって! だぁらこっちの方がまだマシだろって思ったのに、お前って奴は!」と反撃する。
――見るだけで何考えてるのか分かるってのも、存外凄いことのはずなのに、どうしてこう、なんというか、無駄なことを。
…………。再びの沈黙。
「行きましょうか行喜名さん。私が裁可中学校を案内してあげますよ。いつも『私と川西君が』過ごしてる教室を」
本来なら『』の中には菅家君が入ってしかるべきはずなのに、意図的に外れている。
「あら嬉しい。やはり勝手知ったる学び舎に通っている、『信頼できる』人に案内してもらえた方が、中学生の頃を思い出せますから」
本来なら『』の中もは兄を入れるはずなのに、意図的に主語を変えている。
「……なあ菅家。俺たち、そんなに恨まれることしたかな」
「……分かんねえ。確かに俺と川西は逆の方がよかったろうけど、同点なら、それはそれでいいじゃねえか」