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渡時過行  作者: いせゆも
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九月十七日(火)・4

「なあユキ。託卵って知ってる?」

 最早恒例となった、夜中の侵入。ドアを開けた瞬間、兄は私に背中を向けながらこう言ってきた。その手には、知恵の輪が握られていた。

「なんで知恵の輪?」

 兄の質問よりも、その知恵の輪の方に私の注意は向かった。

「あれ? 俺の趣味、知恵の輪集めだってこと知らない?」

「知らない。初めて知った」

「おかしいな、俺が中学に上がった頃から始めた趣味なのに……」

 そう言いながら兄は、クローゼットの中にあったダンボールいっぱいに詰められた知恵の輪を私に見せつけた。

「……本気で趣味なんだ」

「奥が広いんだぞ、知恵の輪。やったことはあるか?」

「うん、まあ、あるにはあるけど、はずせた試しがない。特に」

 まああれは、何年もかけても菜瀧校生が一人として解くことができなかった超難問だったから、私ごときが解けなくてもなんら問題はなかったけれど。成績はよくても、頭堅いし私。

「じゃあこれをやってみろよ。初歩中の初歩だ」

 兄は私に『&』のような形をした二つの金属が組み合わさってできた知恵の輪を渡してきた。なんだ、こんなもの。……ん? 簡単そうに見えて、全くはずれない。

「まあそれはいいとして。託卵だよ、託卵。知ってるか?」

「……その名詞ぐらいは。辞書で調べたことはないから、詳しくは知らないけど」

 私は知恵の輪に挑戦しながら答える。

「じゃあカッコウは知ってるか?」

「見たことはないけれど、知識としてなら」

 鳥の種類だ。鳥綱カッコウ目カッコウ科。日本には夏鳥として五月ごろ飛来する。なんかの推理小説にあったような。私の無駄知識なんて、大半が小説由来だ。

「そのカッコウなんだけどさ、託卵って性質があるんだよ。で、これがまた酷いんだ」

「どんな風に?」

 私が疑問を投げかけるとその瞬間、さっきから兄が弄っていた知恵の輪がはずれた。「やっぱお兄ちゃんは頭いいだろ~」と主張したいかのように踏ん反り返った。私は無視をしておく。気分がよくなったのか、兄は滔々と説明し始める。

「まずな、カッコウの親鳥は、他の鳥――例えばモズとか――の巣で卵を産む。モズの巣には当然、モズの卵がすでにある。カッコウの卵は比較的早くに孵化するんだけど、孵化した雛は、モズの卵を全て蹴飛ばすんだ。当然モズの卵は全滅して、残ったのはカッコウの雛だけ。ここまででも十分モズにとっては不幸なんだけどさ、ここからがまた酷いんだ」

 右手の人差指を自分の目の前に持って行って左右に振る。ここがポイント、という風に強調しているつもりなのだ。

「なんとモズは、カッコウの雛が他人の家の子供だと気がつかないんだよな。餌を与えたりして、愛情を持って育てる。そのうちカッコウの雛はモズよりも大きくなるんだけど、それでも気がつかない。そうやってカッコウは大人になっていくんだ」

「…………」

 この話を聴いて、私はなんにも答えることができなかった。

 まさにカッコウとモズの関係は、兄と父の関係に他ならない。カッコウの親鳥が母で、モズの親鳥が父、カッコウの雛が兄といったところ。さて、モズは自分が育てていた子供が実の子供ではなかったと知った時、カッコウの雛をどうするのだろうか。

 父は、兄のことを、愛しているのだろうか。思えばこの数年間、ずっと腐心したけれど、このことに関しては全くと言っていいほど発想がなかった。

「……ってまあ、国語の試験対策に載ってた話なんだけどな」

「なあんだ」

「なんだとはなんだ、なんだとは。折角俺がウニのように含蓄に富んだ話を、ユキにしてやろうと思ったのに」

「誰も頼んでいませーん」

「あ、教えてもらったのになんだその態度は!」

「痛い痛い! 勉強教えてとかじゃなくて、お兄ちゃんが勝手に言いだしたのに!」

「黙れ問答無用!」

 やっぱりダイブして、私の頭をぐりぐりする。けど、ずっとやられっぱなしな私じゃない。頭を前後に振り、拘束を解く。

「やるな……まさかユキに打開される日がこようとは……」

「ふっふっふ……私だって、伊達に男連中に揉まれてるわけじゃないんだよ……」

 わざと意味ありげな表現にしてみる。

「何!? どこをだ!」

「そりゃもう、全身の至るところ」

「今すぐやめろサッカーなんて! それとユキを揉みくちゃにする奴、絶対に許さん!」

 私は激昂する兄がおかしくて抱腹絶倒した。比喩とかじゃなくて本当にお腹が痛い。ごろごろと転げまわる。その横では、兄が同じように、しかし全く別の理由で転がっていた。

「でも、モズも途中で気がついたら止めればいいのに」

 落ち着いた私は取り乱し過ぎたことを恥じ、いつもの自分を取り戻すためにそう言った。

「それが、無理らしいんだ」

「なんで?」

「本能。ドミノって、最初の一つを倒しちゃうと、全部パタパターって倒れていくだろ? それと同じ。カッコウの雛がピーピー鳴きながら口を開けられちゃうと、どうしようとも育てちゃうんだって。それが、動物としての本能」

「…………」

 父は、動物としての本能で、兄を育てたのだろうか。未来の父は、兄を育てたことを後悔しているのだろうか。


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