九月十六日(月)・2
「こっちとこっち、どっちがいいと思う?」
「……こっち」
「覇気がない」
「……じゃあ、こっち」
「じゃあって何じゃあって。はっきりしてよ」
真に勝手なのは分かっているけれど……兄を振り回すのが楽しくて仕方がない。
水城先輩に面倒くさい女と思われるのが嫌で、最近ウィンドウショッピングをする際はなるべく服を見ないように意識してる。なぜなら、どんなに短く済ませようと思っても、いざ店に入ると、スイッチが入ってしまうというか、一時間も二時間も服を見るだけで時間を潰してしまうからだ(男は着られれば問題ないようだけど、その感覚が分からない。それでいいのは、せいぜい部屋着まで)。こんな私でも兄の前なら、好き勝手振舞うことができる。多少のことなら「ユキも大人だしなあ」で納得してしまうらしいし。弱みに付け込んだ形だけど、このぐらいはしないと、年上という優越に浸ることができないほど、兄は強敵。
「……なあ。まだ、『服』なんだろ?」
「うん。この後、靴と下着が待ってる」
「インフレ激しい漫画の大半の登場人物が毎回感じる絶望って、こんななんだな……」
もはや私の口から、下着という性的な単語が出てきても反応することすらしない。そこまで辛いのか。さすがに可哀そうになってきたので、実は結構前から決めていた組み合わせに手を伸ばす。片方は女の子っぽく。青いブラウスと、白のカーディガン、膝丈のフレアスカート。可愛らしいというよりは、清楚なイメージを優先。制服を少し乙女チックに改造したような感覚。菜瀧高校に通っている私の姿を見せられないのだから、こんな感じの女子高生だよ、と暗に示して。兄が気付いたのかどうかまでは、雅じゃないから知りたくない。もう片方は、活動的に。少しダボついたTシャツに、ぴったりとしたタイトパンツ。脚のラインには自信がないからあまりこうしたズボンは履きたくないのだけれど、兄の中の川西行喜名が健全に成長した姿は、こっちの方が正確だろうから。
本当はもう何着か欲しかったけれど、すでに兄はグロッキーだし、取りあえずこの二組で終わらせることにしておいた。カウンターに持っていき、清算をする。財布は兄に預かってもらうことにした。お金を落とすのが怖いからとかではなく、兄に『買ってもらっている』ように感じてもらうため。これも、将来女たらしとなる兄のための稽古だ。私が育ててあげよう。店員がタグにバーコードスキャナを押し当てる。四点の品物の、合計金額がレジに映し出される。
「――!」
兄が、誇張抜きで、目を丸くさせている。
「……冗談だろおい」
別に兄自らの財布からお金を出すわけじゃないのに何度もレジを見返す。そうしつつも、手は支払いをしているのはなんとも滑稽。まだ若い店員が、笑いたそうな顔をしている。
「女って怖いなあ……」
なんか、恐怖が植えつけられている。まあ、どうせいつかは悟ることになるんだから、この年で知ったほうがよかったね、なんて。年下の兄がトラウマを植えつけられた瞬間。
「すみません。タグを切ってくれません? この場で着ていきたいので」
「かしこまりました。それではお切りしますね」
どうせ買ったのだから、今すぐにでも着たい。そんな欲求がなくもないわけで、私は『女の子らしい』服の方に着替えることにした。着ていた服は紙袋の中に入れておく。
今度はどこの店に行こうかなと悩みながら歩いていると、さっきの光景がまだ割り切れないのか、兄は情けない声を出して私に問う。
「なあユキ。女って、本当にあんなに金が掛かるものなのか?」
「あ、お腹空いたよねお兄ちゃん。ごめんね長いこと放置して。どこかに食べに行こうか」
「露骨に無視すな!」
なんのことだかさっぱりわかりません。
「あ、可愛い」
兄のことは無視しておいて。ふと視界に映った小物類に目が奪われる。指輪とかピアスだとか。学生辺りをターゲットにしているこの店は、見るからに私たちよりも、『今風』な若者の客が多い。……微妙に時代を感じるのが、なんとも。未だに慣れない。
「……え? ユキってこういうの、ちゃらちゃらしてて嫌いだろうって思ってたんだけど」
「失敬な。私だって女の子。こういうのは昔から好きだって」
サッカーをやってたり外で遊ぶ方が好きだっただけで、別にこういう女の子らしいものが嫌いだったわけじゃない。そこは勘違いしないでもらいたい。
「じゃあ例えば俺がプレゼントとかで、指輪とかあげたりしたら、ユキはどうするわけ?」
「今の私ならともかく……チビ私なら、学校にまでつけていくかもね。それで、深い意味も考えずに左手薬指にしてみたりするの。お兄ちゃんに貰ったことはないから、あくまでも想像の域を超えないけどね」
やはり指輪を買ってもらうとしたら彼氏である水城先輩の方がいいのかな、私は。よく分からない。兄の貰った方がうれしいのか、彼氏に貰った方が喜べるのか。優柔不断。たった今、兄からくれたことを想像したから、今度は水城先輩に指輪を買ってもらってみたことをシミュレートしてみる。想像に浮かぶのは、お風呂に入る時も、寝る時も、常にその指輪をつける自分の姿。時折、左手の薬指に指輪を通して、にへらと笑ってみたり――なんだろう、怖気がする。私のことだから、本当にやりそう。だから余計に。
「私はともかくとして、お兄ちゃんもこういう、ネックレスとかしてみればいいのに。似合うんだよ、これが意外と」
「それは未来の俺がネックレスみたいなアクセの類をやってるってこと?」
「そう。なんかもう、首鍛えてんの? って思ったこともある。さすがにそこまで酷いのは数回しかないけど」
「数回もあんのかよ俺!?」
うわー、と兄は未来の自分を憂いて頭を抱える。これまでの疲れと同時に、未来への絶望を感じて疲弊しきっている兄の身体を勝手に使って、どれが似合うかなあ、なんて合わせてみる。
「私の彼氏はこういうの、あんまり好きじゃないからさ。ちょっと憧れてたんだよね、こうやって商品見ながらきゃっきゃやるの」
独り言のように私は言った。水城先輩に、お洒落という言葉は全くの無縁。私とのデートでTシャツにジーパン……はさすがにないとは言え、それに近いくらいに簡素な服装で来ることはよくある。とにかく着飾るのを嫌がるのだ。それが水城先輩だからなのか、それとも男だからなのかは、比較対象が兄ぐらいしかいない私には判断しかねない。以前付き合っていた男たちは、街で遊びに行くような間柄にはならなかった。
「なんだ、俺みたいに余計な装飾品は嫌いなタイプなのか」
「見るのも付けるのもね。ただまあ、なんかお守り代わりの鍵とかいうのは後生大事に持ってるけれど。こう、チェーンで結ばれた、歩くたびにちゃらちゃらと音が鳴るようなの」
「なんだそれ? 鍵? 鍵っ子なのか?」
「なにそれ?」
「両親の共働きとかで、学校から帰った時に親が自宅にいなくて、家の鍵を持って歩いてる子供の事を差す言葉。主に小学生に使われる。ちなみに俺も鍵っ子だったな。チビユキは落とす危険性がありすぎるんで持たせてない」
「あ、だから私って鍵を渡されなかったんだ」
確かにチビ私ならそんな細々とした物、一日のうちに紛失している。どれだけ大切なものなのかを知らないままに。危険極まりない。
「とにかく、彼氏は首からいつもぶら下げてるの、鍵を。訊いても『これは昔、大切な人から、ずっと大切に持ってなければ、いけないものだからって言われた』って」
「初恋の女性から授かった物とみた」
「やっぱり? それが妥当だよねえ……」
別に私は彼氏がどんな女性経験を持っていようが気にはしない性質なはずだが、それは過去を振り切った時に限った話であって、現在まで引っ張られると、さすがに良い心持はしない。私が初カノなはずの水城先輩は、どうしてそこまで頑なに持ち続けるのだろう。それが、男というものなのか。私には分からない。




