うんちすぎてブリっ!
「うんちすぎてブリっ!」
朝のホームルームが始まる直前、
田村は自分の席に座った瞬間、妙な違和感を覚えた。
「……ん?」
椅子が、やけにあたたかい。
春先とはいえ、まだ肌寒い朝である。
教室の窓は少し開いていて、風も冷たい。
なのに椅子の座面だけが、ぬくもりを保っていた。
田村は反射的に立ち上がった。
見た。
そして固まった。
「うんちだ」
あまりにも率直な報告だった。
クラスの数人が、何事かと振り向く。
田村の席の周囲にいた生徒たちも、彼の視線の先を追う。
そこにあった。
茶色く、
つややかで、
しかも妙に堂々としているそれが。
「えっ」
「うわっ」
「マジで?」
「最悪なんだけど!」
一気に教室がざわついた。
だが今回のそれは、ただのうんちではなかった。
形があまりにも完成されすぎていた。
なめらかな曲線。
先端へ向かってすっと細くなる美しいフォルム。
崩れもなく、ためらいもない。
まるで「うんち」という概念そのものが、
理想を目指して結晶化したかのような出来栄えだった。
しばらく見つめていた山本が、ぽつりと言った。
「……うんちすぎる」
「は?」
「いや、なんか……
うんちの完成度が高すぎるだろ、これ」
その一言は、妙に説得力があった。
たしかに、それはうんちだった。
誰がどう見てもうんちだった。
しかし同時に、
「ここまでうんちだと、逆に何か別のものではないか」
という錯覚すら呼び起こしていた。
中西が鼻をつまみながら言う。
「作り物じゃないの?」
「いやでも匂いが本物」
「じゃあ本物か……」
「本物だとして、なんでそんな芸術点高いんだよ」
そこで、教室後方の佐々木が立ち上がった。
文化祭で毎年わけの分からない前衛展示を出してくることで有名な男だった。
彼はゆっくりと前に歩いてきて、
そのうんちを、腕組みしたまま、しばらく鑑賞した。
「これは……」
誰もが固唾をのむ。
「うんちすぎて、ブリっ! だな」
沈黙。
あまりにも意味不明で、
あまりにも勢いだけの発言だった。
だが、なぜかその場にいた全員が、
「分かるかもしれない」
と一瞬だけ思ってしまった。
「どういう意味?」
と田村が聞く。
佐々木はうなずいた。
「普通のうんちは、うんちなんだよ。
でもこれは違う。
うんちという枠を突き抜けて、
“うんちすぎる”地点まで行ってる。
だからもう、ブリっ!なんだ」
「説明で余計分かんなくなったわ」
即座にツッコミが入る。
しかし佐々木は止まらない。
「芸術って、モチーフの再現じゃないだろ。
本質の露出だろ。
これは、うんちの再現じゃない。
うんちの本質が、世界にむき出しになった状態なんだ」
「朝から何言ってんだお前」
その時、当の田村が青ざめた顔で呟いた。
「いや待って」
皆が見る。
「これ……俺のじゃないよな?」
「知らねえよ」
「確認すんなよ」
「でも可能性としてはゼロじゃなくない?」
「ゼロであってくれ」
空気が一段階、変な方向に重くなる。
そこへ担任が入ってきた。
「席につけー……って、なんだこれは」
教室中の視線が一斉に田村の椅子へ集まる。
担任は近づき、
見た。
一拍置いた。
そして、教師人生で培ったのであろう、
あらゆる驚きを圧縮した声で言った。
「……完成度が高いな」
教室がどよめく。
「先生!?」
「そこ認めるんですか!?」
担任は咳払いをした。
「いや、認めてはいない。感想だ。
誰の仕業かは後で聞く。
とりあえず新聞紙持ってこい」
だが、ここで佐々木が一歩前に出た。
「先生、それをただ処理するのは早計です」
「何がだ」
「これは事件ではなく、作品かもしれません」
「違うだろ」
「タイトルをつけるなら、
『うんちすぎてブリっ!』です」
「最悪のタイトルだな」
担任は即答した。
その瞬間だった。
なぜか教室の後ろのほうで、
誰かが耐えきれず吹き出した。
「ぶっ……」
つられるように、別の誰かも笑う。
「ふっ……」
「ダメだ、もう無理」
「うんちすぎてブリっ! はズルいって」
笑いは伝染した。
必死にこらえる者ほど肩を震わせ、
最終的には田村本人まで笑い始めた。
「なんで俺の椅子でこんなことになってんだよ!」
怒りと情けなさと可笑しさが混ざり、
教室は完全に崩壊した。
担任だけが頭を抱えている。
結局、清掃用具入れからゴム手袋とビニール袋が出され、
例のそれは回収された。
犯人は最後まで分からなかった。
ただ、その日以降、
クラスでは何かが無駄に完成されすぎている時、
誰かが決まってこう言うようになった。
「それ、うんちすぎてブリっ!だな」
誰も正確な意味は説明できなかったが、
全員なんとなく使っていた。
言葉とは、時に内容ではなく勢いで定着する。
そして田村の椅子は、
念入りにアルコール消毒された。
二度と、
あんな傑作が現れないことを祈りながら。
あとがき
本作「うんちすぎてブリっ!」は、なろう系小説にしばしば見られる「作者のギャグの寒さ」を、ほとんど無加工のまま露出させたような作品として書いた。
なろう系小説におけるギャグが寒いと感じられる理由の一つは、作中人物が本当に面白がっているというより、作者が「ここ面白いでしょ」と先回りして笑いを強制してくる構造にある。
本来ギャグとは、人物の性格、状況の切迫、文脈の蓄積などから自然に立ち上がるべきものである。だが、その種の作品ではしばしば、出来事そのものの面白さより先に、作者の「ウケたい」という欲望が露骨に出てしまう。すると読者は笑いに参加するのではなく、作者の自意識を見せられることになる。
本作における「うんちすぎてブリっ!」というフレーズは、まさにその典型である。
言葉としての必然性も、状況の切実さもなく、ただ語感と勢いだけで押し切ろうとしている。にもかかわらず、作中ではそれが妙に印象的な一言であるかのように扱われ、登場人物たちまで巻き込んで笑いが伝染していく。この構図は不自然であり、読者にとっては「面白い場面」ではなく、作者が自分の思いつきに自分で興奮している場面に見えてしまう。
つまり寒さの正体は、ギャグそのものの質の低さだけではない。
それ以上に、作者が自分の冗談を客観視できていないこと、そして作品世界よりも作者自身の「これで笑わせたい」という自己愛が前面に出ていることにある。読者は物語を読んでいるつもりで、実際には作者の内輪ノリや自己満足に付き合わされている。その距離感のズレが、強い冷えを生む。
本作はその意味で、作者の自己満足を強く投影した作品である。
うんちという下品なモチーフ、意味ありげな大仰さ、唐突な珍フレーズ、それを周囲が受け入れて流行語化していく展開――それらはすべて、現実の人物や教室の空気を描くためのものではなく、作者が「このくだらなさ、面白いだろう」と信じている感覚そのものを作品内に投影した結果である。
特に問題なのは、作品がその自己満足を批評対象として距離化していない点である。
もしこれが「寒いギャグがなぜ寒いのか」を意図的に露悪化した風刺であれば成立の余地もある。だが本作では、少なくとも表面上、ギャグの寒さそのものが制御されず、むしろクラス全体を巻き込む“成功した笑い”として処理されている。そこにあるのはギャグの分析ではなく、作者が自分の思いつきを世界に承認させたいという欲望である。
したがって本作は、単なるうんこ小説ではない。
それ以上に、作者が自分のユーモアを信じすぎたとき、作品がどれほど閉じた自己満足の場になるかを示す実例として読むことができるだろう。
なろう系小説のギャグがしばしば寒いのは、笑いが作品から生まれていないからだ。作者が笑ってほしいと思った瞬間に、登場人物も世界もそのための舞台装置へと変えられてしまう。そのとき読者が感じるのは面白さではなく、作者の欲望の体臭である。
そして本作は、かなり臭い。
うんちって本当に楽しい!CANMAKE TOTO




