6 聖女の死を望むのは誰
「――――キリエ、私を助けて」
神を騙る悪魔が嗤った。
「いい娘だ。あとは眼でも瞑っているといい、なに、すぐに終わる」
嵐が逆巻いた。
斬りかかってきた刺客たちが吹きすさぶ風に斬り裂かれて、腕から脚から、喉から、血潮を噴きあげて息絶える。刺客たちからすれば、なにが起きたのかも理解できなかったはずだ。
遠くから眺めているエリュシアには解る。
投げナイフだ。奇妙なちからで操られているのか、ナイフの軌道は直角を描いて左右にまがったり、高く舞いあがってから敵にむかって一直線に落ちたりする。
腹にいくつものナイフを刺されながら突進してきた刺客もいたが、キリエは難なく刺客の剣を避け、ぎりぎりまで接近させてからその喉を裂いた。
凄惨な虐殺。
だが、エリュシアは最後まで視線を逸らさなかった。
刺客の声にならない絶叫を最後に、森に再び静寂の帳が垂れる。
「へェ、意外だな」
戻ってきたキリエは、エリュシアの頬に飛び散った刺客の血潮を指で拭う。
「てっきり、可愛らしい悲鳴が聴けるとおもったんだが」
「死をまえに臆するようでは聖女は務まりませんから」
聖女になってからというもの、エリュシアは度々戦地に赴いてきた。
命を絶たれるものたちの絶叫。噎せかえる死の臭い。葬るものもおらずに鴉に啄まれる骸。負傷したものたちの聖女の奇跡をもとめる声――氾濫する死。
「聖女は理想郷にいるものではないのですよ」
「愛されて穢れを知らずに護られてきた聖女サマってわけじゃないのか、いいね」
エリュシアは息絶えた刺客たちの側に跪き、瞼をおろして冥福を祈った。ひとつ、息をついてから、彼女はキリエを振りかえる。
「キリエ様」
「様はいらないよ。さっきだって、呼び捨てにしてくれていただろう?」
「す、すみません」
キリエがけらけらと笑った。
「キミ、ほんとに変わってるねェ? 気弱そうだが、度胸があって、慈愛を振りまくくせして現実を割りきっている。それでいて死にたくないという執念がある――いびつだ。青くて硬いのに、中身だけが熟れきった果実みたいだよ」
楽しそうに評されたが、彼の表現はいまひとつ理解できない。エリュシアはそれより、今考えるべきことを尋ねる。
「あなたは聖女暗殺を依頼されたのですよね? どなたからの依頼でしたか?」
果たして、誰が聖女の死を望んでいるのか。
「さァね」
「教えてくださらないのですか?」
「残念だが、俺も知らないんだよ。俺はキホン、依頼したものとは接触することがない。暗殺の依頼ってのは禁秘だ。特に俺は聖職者だろうと関係なく依頼を請ける。依頼したことを知られたい輩はいないよ」
キリエいわく、彼にたいする依頼は儀式のような手順を踏んで受託されるという。
満月の晩、聖都に十三ヶ所ある泉の祭壇のどれかひとつにイチイの枝をつるす。下弦の月までにイチイがなくなっていると暗殺の依頼を聴くということだ。後は新月を待ち、泉の最寄りにある白ポプラの根方を捜す。白ポプラは女神ロクスの聖樹とされているため、都のいたるところに植えられている。落ち葉に埋もれて、キリエから「神に祈るのは誰」と書かれた封筒がおかれている。その封筒に依頼したい人物と報酬額を書いた手紙を入れると、上弦の月には泉の祭壇に植物の枝がおかれている。
燃えた枝ならば受諾。ふつうの枝であれば、棄却だ。
「ただ、依頼の紙から妙なにおいがしたな。乳香に柏槇、弟切草あたりかな」
「女神の振り香炉につかわれるものばかりです」
振り香炉とは香炉に鎖をつけたもので、炉儀の時に持ち、乳香をたきながら祈祷を捧げる。香には様々な組みあわせがあり、正規の調合は教会の秘とされていた。
「この振り香炉を持てるのは司教、司祭、聖女、聖女候補、聖騎士にかぎられています」
聖ロクス教会のなかに聖女暗殺をたくらむものがいるという証左に他ならなかった。
「俺は安くないもんでね、それなりに身分があるやつにしか依頼はできない。聖女暗殺の報酬は金貨が千枚だった」
「ご、豪邸が建ちますね」
「せかいにたったひとり、替わりのいない聖女サマの命だ。それくらいはするだろう」
命に値がつくというだけでもエリュシアからすれば受けいれがたいことだが、こうして二度も命を狙われたのは現実だ。まして教会の指令で聖服を身につけずにいたことで刺客に「聖女ではない」と疑われた。
何処からが陰謀で、何処までが偶然なのか。
ふせていた黄金の眼をあげ、エリュシアは唇を解く。
「誰が、聖女の死を望んでいるのか、私は突きとめなければなりません」
「いいねェ、復讐なら喜んで――」
「違います。なぜ、私の死を願うのか、教えてもらうためです」
キリエが眉の端を跳ねあげた。
「納得できる訳だったら、死んでもいいような口振りだね?」
エリュシアは微苦笑する。聖女らしからぬ荒んだ眼をして。
「あなたの持ちだした賭けはそれほど私に有利なものではないということですよ」
これは本心だが牽制でもある。正確には牽制になるかはわからないが、拷問なんて手段を弄さずとも賭け事を楽しめると提示すれば危険を回避できるかもしれないと踏んだ。
「ただ、私はそうかんたんに絶望するつもりはありませんから」
胸を張って微笑む。
「は、そそられるな。わかった、犯人捜しを手伝おうじゃないか」
風が吹きあがった。光を帯びた花たちが揺れ、順番に花びらを凋ませていく。
まもなく朝だ。東の雲が微かに青みがかってきた。
その時だ。遠くから車輪の響きが聴こえて、エリュシアは振りかえった。
ハルモニアを含めて、修道女たちが乗る八頭立ての馬車だ。砦にむかうには「事故に遭った」と嘘をついてあの馬車に乗せてもらうしかない。
間にあうだろうか。負傷した足を無理に動かし、走りだす彼女はもうすでに聖女の眼をしていた。




