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16 聖女候補の訃報に悪魔は嗤う

 真昼の日差しが降りそそぐなか、教会の中庭で葬式が執りおこなわれていた。想像だにしなかった訃報に修道女たちは動揺を隠せず、さめざめと涙をこぼしている。

 死んだのはイオアンナ゠シャ・サモスだ。


 修道女は教会の寮に寄宿している。

 ふたりで一室という規則だが、イオアンナは特例として個人の私室を与えられていた。だが今朝は朝食の時刻になってもイオアンナが起きてこなかったため、親しい修道女が私室を訪れたという。

 私室は血の海だった。真紅の海に溺れるようにして、イオアンナが死に絶えていた。腹を裂かれ、無残に喰い荒らされたようなあり様だったという。


 尋常ならざる損傷から、魔物によるものではないかという結論になった。


 皇城とひとつになった教会の敷地に魔物が侵入したという非常事態に騎士たちは警戒を強め、侵入経路の調査が進められている。


 花を抱えてたたずむエリュシアは、絶望していた。


 誰が、イオアンナの命を奪ったのか。

 エリュシアは知っている。


「なぜ、娘がこんな」


 サモス卿はひらかれることのない棺を抱き締め、吠えるように泣き続けていた。わがままな娘だったが、それでも父親から愛されていたのだ。


「清らかなる魂に女神ロクスの導きがあらんことを」


 エリュシアは棺蓋かんがいに花を乗せ、祈りを捧げる。

 憔悴しょうすいしきったサモス卿がエリュシアに頭をさげてきた。


「娘のために祈ってくれて心から感謝する。聖女の哀悼あいとうはかならず、女神に聴きいれられるという。娘もきっと」


「ええ、イオアンナ様の魂はまようことなく理想郷にむかうでしょう」


 強張りそうになる瞳を綻ばせて微笑む。

 サモス卿はたった一晩で老けこんでいた。眼は落ちくぼんで、熟練の騎士とは想えないほどに衰えている。胸が締めつけられた。酷い呵責に苛まれて、エリュシアはなかば逃げだすように式場を後にする。


「キリエ!」


 誰もいない裏庭まできてから、エリュシアは声を張りあげた。


「いるんでしょう」


「なにかな」


 薔薇の後ろからキリエが姿を現す。


「あァ、葬式だったのか。あんな娘でも死んだというだけで人は涙を流すものなんだな」


 キリエはつまらなさそうに葬式会場のほうを睨みつけた。そんな彼につかみかかり、エリュシアは糾弾する。


「どうして、こんなことをしたのですかッ」


 聖女暗殺の首謀者でもない。刺客と違って、奪わなければ奪われるというわけでもなかった。

 それなのに、なぜ、命まで奪ったのか。


「俺の愛するキミを傷つけたんだ、殺されてしかるべきだろう?」


 頭を殴りつけられたように視界が揺らいだ。彼の服をつかんでいた指がほどける。


 ああ、そうか、彼は暗殺者だ。 命を奪うことをなんとも想っていない。

 それを「愛」ということばで飾ろうとしたことになぜか、怒りがこみあげてきた。


「嘘ばかりですね、愛するなんて想ってもいないくせに」


 彼の《《それ》》は、好奇心だ。

 最強の暗殺者であった彼の命を奪った娘が誰からも愛される聖女様で、それにもかかわらず何者かに死を望まれている。


 それを愉快おもしろがっているだけ。


「そう、嘘だよ」


 風が吹き、真紅あかの花びらが吹きあがる。

 せかえるような花のかおりは強く死を想わせる。


「だが、勘違いしないでくれ。不誠実なわけじゃない。……理解わからないんだよ」


 キリエは肩をすくめ、ため息をついた。


「俺は心のない剣として育てあげられた。心がないんだよ、からっぽなんだ。なにひとつ、楽しくなかった」


 はじめて逢った時に彼の眼が酷く荒んでいたことを想いだす。


「だから、愛なんて理解できない」


 真紅の眼が燃える星のように尾をひいた。腰を抱き寄せられ、額と額が重なるほどのところから、彼は囁きかけてくる。


「けど、キミもそうだろう?」


 互いの睫毛が絡む。燃える赤い眼に吸いこまれそうになった。

 あの眼の底に落ちたら最後、魂ごと喰われてしまう。彼を拒絶しようと腕を振りかぶったが、手頚てくびをつかまれ、捕われる。


「キミだって愛なんか知らない。違うかい?」


 そんなことはないと反論したいのに、喉を締めあげられているように声がでなかった。


「キミは紛れもなくまわりから愛されている。誰もがキミを敬愛し、褒めたたえるだろう。聖女様聖女様と」


 いやだ。聴きたくなかった。知らない振りをして鍵をかけた心の箱がゆっくりと壊され、手を差しこまれる。


「だが愛されるほどに心の何処かで声がするんじゃないのか? それは私じゃないってね」


 呼吸がとまる。


「キミは愛を知らないくせに《《愛されたい》》んだよ、エリュシア」


 後ろによろめいた。

 それは隠し続けてきた彼女の欲だ。


「私は」


 言葉をしぼりだそうとしたそのとき、聖女を呼ぶ声が聴こえてきた。キリエは名残り惜しそうに身を離し、姿をくらませる。


「聖女エリュシア!」


 走ってきたのはアルテミス司祭だ。青ざめ、酷く取り乱している。


「朝から何処を捜してもハルモニアがいないのです。朝食会にも参加しておりませんでした。調薬室を確認したところ、聖アカシアの樹液を入れたつぼが壊れていたので、森に樹液を採取しにいったのではないかと」


「なんて危険なことを」


 前までは昼の森にはさほど危険はなかったが、昨今は日没を待たずして魔物が出没するようになっている。


「朝から調薬室にいて、朝食会のまえに森へと赴いたのだとすれば、イオアンナの死も知らないはずです」


 ほんとうは聖騎士に捜索を依頼するべきだが、警備と調査にかなりの人員が割かれている。ミュトス皇子は特に教皇の警護についているはずだ。


「私が捜しにいきます」


「ほんとうですか、ああ、ありがとう」


 よほどに案じているのか、アルテミス司祭は涙を浮かべていた。あるいはエリュシアが幼いころ、教会から失踪した時もこんなふうに捜してくれたのだろうか。彼女は母親の愛にあふれたひとだ。


 エリュシアは愛を知らない。


 それは事実だ。


 でも、ひとつだけ、愛らしきものをもらったことがあるとすれば、それはアルテミス司祭からだ。エリュシアだけに与えられたものではなく、アルテミス司祭が娘として育てたもの全員に等しく施された慈愛だったとしても。


「かならず、連れかえってきます」


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