訓練所の“異物”
朝の点呼は、罵声と鞭の音から始まった。
「おい貴様ら、こっちは貴族の道楽じゃねぇんだよ! 生き残りたきゃ這いつくばれ!」
砂煙の舞う演習場に、兵士志願者の若者が並ぶ。
百人近い新兵候補たち。その中には15歳そこそこの少年もいれば、女だてらに志願してきた村娘もいる。顔は皆、恐怖と不安で引きつっていた。
……一人を除いて。
「おい、あの女。妙に落ち着いてやがるな……」
「昨日来たばっかの孤児上がりだろ? 名前、えっと……リシアとか」
「はは、可愛い顔してどうせ泣いて逃げるさ。明日には脱走者リスト入りだな」
そんな囁きを聞きながら、リシア・ヴェルンは列の最後尾で無言を貫いていた。
眼光は鋭く、全体の動きと教官の癖を観察している。
――振り上げる右腕の角度、足取り、呼吸の乱れ。疲れている。威圧だけで立場を保っているタイプだな。
この訓練所は、兵士を育ててはいない。
“生き残った奴が兵になる”という原始的な選別だけだ。
いい。シンプルでわかりやすい。
勝てばいい。使えると判断させれば、価値が生まれる。
「次! 50メートル走、魔法装備なしで3回だ!」
新兵たちが一斉に走り出す。
魔導装備――つまり、魔力強化を禁じられた状態での純粋な身体能力テスト。
順番が回ってくる。
「リシア・ヴェルン、行け!」
砂の上を走る少女の姿に、最初は誰も期待していなかった。
だが――
「速っ……!」
「おい、あいつ……マジかよ!」
空気を切るような疾走。無駄のないフォーム。
16歳の少女の身体で、成人男性を軽く凌駕する加速力と持久力。
(……これが、この身体の本来の性能か)
リシアは息ひとつ乱さず、淡々と列に戻る。
――女神に与えられた身体。
軍の極秘実験で生まれた「強化素体」。本来なら、ただの駒として処分されるはずだった肉体。
だが今、それを“自分のもの”として扱えるのは、転生者である彼女だけだった。
他者の凡庸な筋肉では到底到達できない運動性能。
だがそれを支えるのは、前世の知識と冷徹な合理主義。
「リシア・ヴェルン。今日から班長代理に任命する。いいな?」
「命令であれば、従います」
ただそれだけを言って、再び黙る。
その姿は、異様だった。
過剰に冷静で、感情の起伏がなく、そして何より――周囲の人間を“効率”で見ている目。
リシアはこの日、全員に「ただの少女ではない」と刻み込んだ。
味方にすれば頼もしく、敵にすれば恐ろしい。
彼女が軍で“異物”と呼ばれ始めたのは、この日からだった。




