貞子の休日 其の一
木漏れ日がカーテン越しに差し込む、静かな朝。カフェでの慌ただしい日々から解放され、私は久しぶりの二日間の休日を迎えていた。ベッドの中でぼんやりと天井を見上げながら、ここ数週間の出来事をゆっくりと反芻する。
初めて着た明るい色の服、ぎこちない笑顔で迎えたお客様、A子さんの温かい励まし、B子さんの棘のある言葉、そして、昨夜、初めて打ち明けてくれた彼女の孤独。
様々な人との出会いを通して、私は少しずつこの世界に馴染み始めている。スマートフォンで道を探すことも、電子マネーで支払いをすることも、最初は戸惑うことばかりだったけれど、今はなんとかこなせるようになった。
それでも、ふとした瞬間に、拭い去れない疑問が湧き上がってくる。「私は、一体何者なのだろう?」
かつて、私は貞子だった。呪いのビデオテープを生み出し、人々を恐怖に陥れた、忌むべき存在。井戸の底で、ただ怨念を募らせるだけの、暗く邪悪な 存在。
それが、なぜ今、私はここにいるのだろう?なぜ、私は再び「私」として、この世界で生きているのだろう?
紗栄子さんの優しい笑顔、A子さんの明るさ、C子さんのマイペースさ、そして、孤独を抱えるB子さん。彼女たちと触れ合う中で、私はかつて持ち得なかった感情を知り始めている。温かさ、優しさ、喜び、そして、ほんの少しの希望。
でも、やはり、私は「普通」ではない。時折、過去の記憶が蘇り、冷たい水底の感覚や、まとわりつくような暗闇の感覚に襲われる。人々の心の奥底に潜む負の感情を、無意識に感じ取ってしまうこともある。
「貞子」と「私」。二つの存在は、どこで重なり合い、どこで異なるのだろうか?
私は、静かに目を閉じた。意識を集中させ、自分の内面を見つめてみる。
貞子の記憶は、怨念と憎しみで彩られている。他者への深い恨み、そして、自らの命を奪われたことへの憎悪 。暗く、淀んだ感情の塊。
一方、今の私はどうだろうか?確かに、過去の記憶は消えない。人々の悪意に触れると、胸の奥が斬り裂かれる感覚に包まれることもある。けれど、それだけではない。A子さんの優しさに触れた時の温かい気持ち、美味しいものを食べた時のささやかな喜び、そして、昨夜、B子さんと心を通わせた時の、かすかな共感。
もしかしたら、「貞子」と「私」の共通点は、深い孤独なのかもしれない。誰にも理解されない、誰にも受け入れられないという、根源的な孤独。貞子は、その孤独を憎しみへと変え、世界を呪った。けれど、私は今、その孤独を抱えながらも、他者との繋がりを求めている。
B子さんの孤独に触れた時、私は初めて、自分以外の誰かの痛みに、深く共感することができた。彼女の瞳の奥に隠された、脆く、傷つきやすい心を感じた時、かつての自分の孤独と重なる部分があることに気づいた。
もしかしたら、私が「貞子」として生きた過去は、この世界で、同じように孤独を抱える人々の痛みを理解するために与えられたものなのかもしれない。呪いの力ではなく、共感の力で、誰かの心に寄り添うことができるのかもしれない。
まだ、答えは見つからない。私は、なぜ「貞子」だったのか、なぜ今「私」としてここにいるのか。
ただ、一つだけ確かなことがある。この世界で出会った人たちとの繋がりを通して、私の心は少しずつ変化している。かつての邪悪な感情だけではなく、温かい感情も、確かに私の中に芽生え始めている。
二日間の休日。私は、この静かな時間の中で、ゆっくりと自分自身と向き合ってみようと思う。「貞子」と「私」の共通点と相違点を見つめながら、これから、私がこの世界でどのように生きていくべきなのか、静かに考えてみよう。
窓の外では、鳥のさえずりが聞こえる。新しい朝が、静かに始まろうとしていた。