雨上がりの帰り道
雨上がりの夜道、アスファルトが濡れて光を反射している。バーでの気まずい沈黙が、まだ私の心に重くのしかかっていた。B子の言葉が何度も頭の中でリフレインする。「あなた、私たちと違う」「なんだか深い何かがあるような気がする」。
彼女の鋭い視線は、まるで私の奥底を見透かそうとしているかのようだった。私は、自分の異質さを隠しているつもりだったけれど、やはり、どこかで綻びが出ているのだろうか。
ふと、私は自分の持つ、もう一つの力に意識を向けた。井戸の中で永い時を過ごすうちに身についた、人の心の奥底にある、黒く淀んだ感情を読み取る力。B子から感じた、あの刺々しい感情の正体は何なのだろうか。嫉妬だけではない、もっと深い、暗い感情が彼女の中には渦巻いているような気がする。
そんなことを考えながら歩いていると、背後から、小さな声が聞こえた。「……貞子さん」
振り返ると、少し離れた場所にB子が立っていた。いつもはどこか警戒しているような彼女の表情は、今は不安げで、今にも泣き出しそうだった。
「あの……少し、話してもいい?」B子は、そう言って、ゆっくりと私のそばに歩み寄ってきた。
私たちは、近くの公園のベンチに腰掛けた。夜の公園は静かで、街の喧騒が遠くに聞こえるだけだった。B子は、しばらく俯いていたけれど、意を決したように顔を上げた。
「さっきは、ごめんなさい。あんな言い方……」B子の声は、少し震えていた。「でも、どうしても気になったの。あなたを見ていると……昔の私を見ているみたいで」
私は、驚いてB子の顔を見つめた。昔の彼女?あの、少し冷たい印象のB子に、どんな過去があったのだろうか。
B子は、ゆっくりと語り始めた。それは、彼女が抱えてきた、辛く、孤独な過去だった。幼い頃から親に愛されず、いつも一人ぼっちだったこと。周りの明るい子供たちを、羨ましく、そして憎らしく思っていたこと。誰にも心を開けず、ずっと自分の殻に閉じこもっていたこと。
話しているうちに、B子の目には涙が滲んでいた。私は、何も言えずに、ただ彼女の言葉に耳を傾けていた。彼女の語る孤独や、周りの人間に対する複雑な感情は、かつての私が抱いていたものと、どこか共鳴するような気がした。
「私も、ずっと、周りの人たちとは違うと感じて生きてきたの」B子は、涙声で続けた。「うまく笑えないし、楽しそうに話す人たちを見ると、どうしようもなくイライラしてしまう。だから、あなたを見た時、なんだか他人事じゃない気がしたの。あなたも、何かを抱えているんじゃないかって」
B子の言葉は、私の胸に深く突き刺さった。まさか、彼女もまた、孤独を感じ、生きづらさを抱えていたなんて。私は、自分の持つ力で、彼女の負の感情の一端を感じ取っていたけれど、その根底にある深い悲しみには気づけていなかった。
「B子さん……」私の声は、自然と優しくなっていた。「あなたは、一人じゃないですよ」
B子は、 慌てて顔を上げて、驚いたように私を見た。「え……?」
「私も、ずっと一人ぼっちでした」私は、自分の過去を全て話すことはできないけれど、孤独の中で生きてきたこと、周りの世界との隔たりを感じていたことを、静かに語り始めた。「だから、あなたの気持ちが、少しだけわかるような気がします」
私の言葉を聞いて、B子の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。彼女は、ハンカチでそっと涙を拭うと、少しだけ優しい表情で言った。「ありがとう……なんだか、少しだけ、楽になった気がする」
夜の静けさの中で、私たちはしばらく言葉を交わした。辛い過去、拭えない孤独、そして、それでも生きていこうとするかすかな希望。初めて、B子の心の奥底にある、脆く、けれど懸命な感情に触れた気がした。
別れ際、B子は、少し照れたように言った。「あの……さっきは、変なことを言ってごめんなさい。でも、あなたと話せて、よかった。なんだか……あなたも、どこか私に似ている気がする」
私は、小さく微笑んだ。「私も、そう思います」
帰り道、私はB子のことを考えていた。彼女もまた、私と同じように、孤独と葛藤を抱えながら生きていたのだ。私の持つ力は、人の負の感情を読み取るだけでなく、もしかしたら、同じように苦しんでいる誰かの心に、少しだけ寄り添うことができるのかもしれない。
夜空には、満月が優しく輝いていた。まだ、この世界でどう生きていくべきか、迷うこともあるけれど、今日、B子と心を通わせることができたことは、私にとって、小さな光のように感じられた。