東京民のバランス能力は世界一
先日、久々に東京へ行った。
所要をすましビルの外に出る。左右には地元にはない高いビルが立ち並んでいる。
土地勘はない。ここが新宿という地名で、なんだかすごい場所だということは知っているが、東京のどのあたりにあるのかはよく分からない。
だが、心配はいらない。私にはグーグル先生がついている。彼の言う通りに歩いていたら問題なく宿につくはずだ。
宿までの経路を検索する。距離は8km。徒歩1時間半と表示された。
観光がてら歩いてもいいが、あいにく晩には友人と会う予定がある。歩いていては間に合わない。
公共交通機関を選択しルートを検索しなおす。いくつかの選択肢が表示される。
選好するのは電車だ。電車だけでもややこしいのにバスなんて使おうものなら迷うのが目に見えている。電車で、しかも乗り換えの少ないルートがいい。画面をスクロールし、めぼしいものを物色する。
山手線、聞いたことのある名前だ。緑のやつ。バスからの乗り換えとなっているが、電車駅まで歩けばいいだろう。そうすれば乗り換えはない。約束の時間にも間に合いそうだ。
しばらく歩くと韓国料理の店が増えてきた。同じように、人の数も増えてくる。
正月の神社かと思うほどに人でごった返している。1つ1つは微かな香水や体臭が入り混じった匂いがする。
若干気分が悪くなりながら、現在が平日の夕方だったことを思い出す。ちょうど帰宅ラッシュと重なる時間だ。
駅をスルーして徒歩で宿に向かいたい衝動にかられたが、あとには予定が控えている。私は意を決して、人口過多の駅構内へと足を踏み入れた。
東京初心者は駅の中で迷うらしいが、何度か東京に来たことのある私は、そのような無様は晒さない。
天井から下がっている案内に従って歩けばいいのだ。文字は見なくていい。グーグルに表示されている色と同じ色の案内を探せばいい。山手線は緑だ。
人の波に流されるようにして、無事ホームまでたどり着く。ホームにも長蛇の列ができている。嫌だ。もう帰りたい。左右を田んぼに挟まれたあぜ道を歩いて帰りたい。
現実逃避をしていると剛速急の電車がホームに入ってきた。長い。いったい幾つの車両が連なっているのか。何度見ても、この長い電車には慣れない。
車両の中には当然のように人間が詰まっている。無表情でスマホを見ている者、両目を閉じ瞑想している者、真顔で虚空を見つめている者。その合間に、険しい顔の観光客らしき外国人が挟まっている。
扉が開く。
ドッと人が溢れる。
ゲロを吐いているみたいだなと思っていると、後ろから押される気配がした。
口の中へ流れ込んでいく。若い女性の近くは怖いので、男が密集しているあたりを目指す。
私は平均より身長が高めなので、眼下には40歳くらいのサラリーマンの頭頂部が広がっている。ふんわりと汗と油の香り。スーツに密着した体幹部が生温かい。今が11月で本当に良かった。
中に入ってみると、外から見るよりは余裕がある。身体は密着しているが、身じろぎするスペースくらいはある。
吊革がないかあたりを探すが、ちょうど電車の真ん中あたりに来てしまったので掴めるものがない。仕方ないので胸元で腕組みをしておく。こうしておけば、万が一にも痴漢と間違えられることはないだろう。
ほっと一息ついたところで、電車が発進したようだった。完全に不意打ちをくらい、後ろへよろめいてしまう。
何かを蹴った感触。見ると、斜め後ろに立っていた学生の靴を蹴ってしまったようだ。
半ば反射的に「すみません」と口から出るが、学生は微動だにせずスマホへと視線を落としている。
睨まれでもするかと身構えていたので、肩透かしを食らった感覚で私は視線を前へと戻した。
吊革を再度探すが、やはり近くにはないようだ。仕方ないので、電車の進行方向に足を広げて立つことにする。
数分後、カーブでよろめいて隣の人の靴を蹴飛ばした私は、畏怖の念を抱きながら周囲の東京民たちを見渡していた。
足を広げているわけでもなく、スマホを弄っているにも関わらず、どうして彼らは全くよろめかないのだろう。
見よ、そこの外国人を。半袖のシャツからのぞく上腕三頭筋からは、屈強な足腰を持っていると思われる。そんな彼でさえよろめいているのに、ほっそりした東京民たちは微動だにしていない。
私たちが通勤で自動車の操縦に習熟するように、東京民たちは電車内でバランス感覚を日々磨いているのだろうか?
あるいは、通勤路の信号のタイミングを覚えるように、電車のカーブや発進、停止のタイミングを覚えているのだろうか?
――という話を友人にしようと思っていましたが、完全に忘れていたのでエッセイとして投下することにしました。
電車内で観察した感じだと、バランス能力に優れているからなのかなって感じがします。
靴を蹴ってしまったお二方、ごめんなさい。地方民なので許してください。