天使様?
体の震えが収まった頃に、静かに部屋の扉が開いた。
女の子が部屋に入ってきたが、私と目が合うと部屋から飛び出して行ってしまう。
「××××××」
何か叫んでいるが、何を言っているのかわからない。
しばらくすると、今度は恰幅の良い女性が入ってきた。
手には水の入ったタライを抱えている。
「××××××××」
やはり言葉がわからない。
「すみません、言葉がわからなくて。」
「あらまぁ、やっぱりお嬢ちゃんは共通語を話すんだねぇ。」
私の言葉は共通語なのか。
「とりあえずこれで顔を拭きな、後でスープも持ってくるからね。」
「はい、ありがとうございます。」
女性はナイトテーブルにタライを置くと部屋から出て行った。
ベッドから抜け出し座る。
タライの水に指で触れる、温かいお湯ではなかったが冷たすぎる事もない。
沈んでいた手ぬぐいのような物で顔を拭う。
「ふぅ~」
格子状の窓から夕焼けが差し込んでいる。
サラサラと髪に指を走らせると、夕焼けが反射してキラキラと輝く。
視線を感じ入り口を見ると、さっきの女の子が覗いている。
笑顔を作り軽く手を振ると、顔を引っ込めてしまった。
可愛いじゃん。
髪をいじりながら考える。
頭痛はもう無い。
おそらく全部思い出したからだ。
私はリリィになった、感情がコントロールしきれていないのもリリィになったからだろう。
見た目は14歳でも生まれたばかりの赤ちゃんのようなものだ、徐々に馴染ませていけばいい。
頭はしっかり働いている、大丈夫だ。
■■■■■
【リリィ・S・ホワイト】〈人族〉
【14歳】
【魔女見習いLv1】
魔女の服
■■■■■
ステータスを見ると装備が無くなっている。
ワンピースしか着てないから当然か、とりあえず部屋を見渡す。
気を失った後、誰かが運んでくれたであろうこの部屋はとてもシンプルだ。
ベッドと机そして椅子、それしかない。
机の上に猫が鎮座している、夕焼けのせいで神々しく見えるだけでただの猫リュックだ。
他には畳まれたポンチョ、ミトン、そしてポーチが置いてある。
机に立てかけるように無骨バット。
足元を見ると靴もちゃんとあった。
靴を履いて窓辺まで歩く。
窓から外を見ると厩舎のようなものが見える。
きっとここは宿屋さんだ。さっきの女性は【商人】だったし女将さんだろうか。
ベッドに寝かせてもらえたのは助かったが、私はお金を持っていない。
もう日が暮れそうだ、このままここに泊めてもらえないかな…
そんなことを考えていると、女将さんが戻ってきた。
「調子はどうだい?」
「その、よくわかりません…」
女将さんが水差しとコップを机に乗せる。
「何だいそりゃ、まぁ悪くないならいいけどね」
「その、どうして私はここに?」
「まぁ立ち話もなんだろ、これから食事にするからついておいで。」
そういえばスープを持ってくると言ったのに持ってきていない。
一緒に食べる事にしたということか。
先を歩く女将さんについて行く。
廊下に出ると扉が等間隔で並んでいた、全部で8個だ。
私が居たのは一番手前の部屋らしい、そういえば角部屋だった。
他の部屋はすべて空室のようだ。
階段を降りるとカウンターのようなものがある。
さっきの女の子がちょこんと座っていた。
目が合ったので微笑んでみたが、そそくさと奥へ行ってしまった。
女将さんは何やらニヤニヤしている。解せぬ。
「あの子はあたしの娘だよ、お嬢ちゃんを見つけたのもあの子さ。」
「なんだか嫌われちゃってるみたいですね…」
「どうかねぇ…」
すぐそこの部屋が食堂のようだ、大きなテーブルが置いてある。
椅子は7個しかなかった、壊れたのかな?
「お嬢ちゃんはここに座っときな。」
「はい。」
女将さんはそのまま奥へ行ってしまう。
するとすぐに、鍋を持って戻ってきた。
「あ、すみません。私も手伝います!」
「別に良いんだよ、たいしたものでもないし。」
これじゃ完全にお客さんだ、お金も払ってないのに…
その後も女将さんは何往復かして最後にランタンを2つ持ってきた。
そのうち一つを私のそばに置き、もう一つの方を点けて食堂の中央に吊るす。
たしかに外はもう暗くなり始めていた。
女将さんが私の向かいに座る。
「エマ、食べないのかい?」
女将さんがそう言うとエマちゃんがいそいそと現れ女将さんの隣へと座る。
女将さんが全員分のスープをよそい終わった。
「それじゃあ、いただこうか。」
食事が始まるらしい、ご飯まで貰えるだなんてありがたい。
作法とかはよくわからないが、手を合わせ目を瞑る。よくある、お祈りポーズだ。
目を開けると2人とも驚いた顔をしていた。あれ?変だったのかな?
「×××」
エマちゃんが何か言っている。あ、女将さんに叩かれた。
「あの、何かおかしかったですか?」
「いや、食事の時に祈りを捧げる人も居るとは聞いていたけど。見たのは初めてだっただけさ。」
別にお祈りはいらなかったのか、でもありがたい事には変わらないし良いだろう。
「それと、その子は何て言ったんでしょうか?」
「ああ、お嬢ちゃんの事を天使様って言ったんだよ。」
「天使様…?」
「さっきもこの子がお嬢ちゃんを見つけたと言っただろ、その時になんて言ったと思う?『天使様が倒れてる!』って言って駆け込んできたんだよ。あの時はびっくりしたねぇ。」
エマちゃんを見ると下を向いてモジモジしている。
エマちゃんには私が天使みたいに見えるって事か、まぁ美少女ではあるけど。
客観視していた時ならドヤ顔するところだが、実際自分に向けてそういう風に言われるとなんだか照れくさいな…
「さぁほら早く食べちまおう、スープが覚めちまうからね。」
「は、はい。いただきます。」
食卓にコツコツとスプーンの音が響く、黙食文化なのか二人とも話さないため静かだ。
エマちゃんとは違い、女将さんは音を立てていないので自分も気を付けてスプーンを扱う。
お皿やコップ、スプーンなどの食器は木製だ。
水差しやお鍋はもちろん陶器製だ、テーブルの真ん中にあるお鍋も小さめサイズだが重そうである。
根菜や葉野菜が入れられたスープ、お肉やお魚は入っていないが温かくておいしい。
量はそれほどなかったので3人ともすぐに食べ終わる。
エマちゃんがスープの無くなったお皿をスプーンごとお鍋に入れた。
「食べ終わったら皿とスプーンは鍋に入れとくれ。」
言われた通りエマちゃんのお皿に自分のお皿を重ねる。
女将さんもお皿を入れ、エマちゃんに何事かを話すと2人で奥へ歩いていく。
手伝いたいと目で訴えたが制せられてしまった。
戻ってきたら話をする事になるのだし、今のうちにみんなのコップに水を足しておく。
水をつぎ足した後で後悔した、水が貴重なものだったらどうしよう。
手伝わなくていいって言われてたのに勝手にやってしまった事を咎められたら言い訳も出来ない。
緊張しているのだろうか、しっかりしないと…
しばらくすると二人が戻ってきた。
エマちゃんが3つ目のランタンを持っている、外はもう暗い。
そして2人がさっきの席に着く。
「お、水を足してくれたのかい?ありがとね。」
「いえ、このくらいでしたら。」
よかった、セーフだったらしい。
「さて、それじゃあ、今更だけど自己紹介でもしようか。私はジェシカだよ、ここで宿屋をやっていたんだが、少し前に辞めちまってね。今じゃあただのおばちゃんさ。」
「私はリリィと申します、旅の者です。」
女将さんの名前はジェシカさんだ、まぁ知ってたが言われる前から知ってるのは普通じゃない。
ジェシカさんもエマちゃんも名前しか表示されなかったから名前だけでいいだろう。
まだ30歳なのにおばちゃんって言うのか…
ちなみにエマちゃんは7歳だ。
「それで、何であんなところで倒れてたんだい?」
「その、旅の途中で…疲れが出てしまったんだと思います。」
なんだか嘘っぽいけど、他に言いようがない。
記憶が混濁して倒れたとか言ったらヤバい奴になってしまう。
「旅ねぇ…まぁそういう事にしておこうか。」
あからさまに信じていないが旅です、旅人です。
「本当は村に着いてから泊まる所を探そうと思っていたのですが、ご存じの通り気を失ってしまって…それで今日泊まるところもなくて、あとお金もなくて…」
ジェシカさんの顔を伺う…
「それで?」
あれ?何か怒ってる?
「助けてもらって、食事まで頂いたうえにこんな事を言うのは憚られるのですが…」
「だから何なんだい!?」
えー、めっちゃ怒ってる…
「あ、その、今晩だけで良いので泊めていただけないでしょうか…」
「………」
「泊めてください、おねがいします!」
椅子から立ち頭を下げる。
「最初からそう言いえば良いんだよ、今晩だけと言わず好きなだけ泊まっていきな。」
「あ、ありがとうございます!」
泊めてもらえるらしい、しかも何泊も!
「それに何だい『はばかられる』って、意味が分からない言葉を使わんどくれよ。前置きも長いし、貴族様ってのはみんなそうなのかい?めんどくさいねぇ…」
「へ?」
変な声が出てしまう、私を貴族と言ったの?
「別にもう隠さなくていいよ、髪はツヤツヤ、お肌はプルプル、上等な服を着て綺麗な共通語を話してるんだ。ただの旅人ですって言われたって、普通の嬢ちゃんはそんな難しい言葉使わないよ。まぁ何者なのかは聞かないけど、何処かのお貴族様の家出娘ってところかい。」
この世界ではまだ鏡を見ていないし自分の肌艶なんてわからない。
服はアレしかない、確かにつくりはしっかりしているが見比べられるほど人と接していない。
そもそも私はこの言葉しか話せない、多少丁寧に話したがそんなに難しいことを言ったつもりはなかった。
紹介の時に旅人って言ったのに、最初から信じてもらえてなかったんだ。
何て言えばよかったんだろう…
考えてみるとジェシカさんの言葉遣いはぶっきらぼうな感じだ、普通の人はこのくらい話せれば十分って事?
だから私の言葉は綺麗な共通語なのだろう。
しかし自称ジョンさんも共通語が達者だったような…?
「そ、それじゃあどうしてジェシカさんは共通語を話せるのですか?」
「さっき言っただろ?もともと宿屋だったんだ、共通語を話す客だって来るさ。」
そうか、商売人なら共通語を話せないと仕事にならないんだ。
いや、そういうお客さんも居たなら私だって共通語を話してもいいじゃん。
貴族と勘違いするのは良いとしても、家出って決めつけるのはひどくない?
かくして私は家出した貴族の娘って事になってしまった。