サルビア
目を覚ますと知らない天井があった。
「知らない天井だ…」
一度やってみたかったやつが出来た。
天井を掴むように手を伸ばす。
「ふふふ…」
思わず笑ってしまう。
「あははは…」
手を下ろし顔を押さえる。
顔が濡れている、泣いていたようだ。
だって私は初めからリリィなんだから…
体が震える…震えを抑えようと自分の身体を抱きしめる。
涙が止まらない…私はなおも身体を抱きしめ続けた。
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夢を見た、そう夢を…
いつものようにモニターの前で寝落ちしている女性が居た。
デスクの上には3%のチューハイの缶が置いてあった。
お酒はかなり弱いが週末の夜だけこれを飲む、定番のカルピス味。
そのチューハイを入れたステンレスのタンブラーの氷はすでに溶け切り、最近新調したゲーミングPCが虹色に光っている。
部屋の真ん中のローテーブルには安物の化粧鏡や使い切った化粧品が乱雑に置かれ、壁面のクローゼットは半開き。
窓際にはベッドが有り、カーテンの隙間から月の光が漏れている。
いつもの光景、いつもの私の部屋。
違う事といえば三人称視点である事。
だから夢だ、これは夢…
夢の中の女性が目を覚ました、頭を左右に傾けて唸っている。
寝落ちして首を痛めたらしい、私もいつもやる。
マウスに触れると画面が点いて少女のモデルが映し出された。
女性の後ろに立ちモニターを覗く。
銀髪で猫耳のフードを被った少女だ、これは…
初めて見るその少女の瞳は金色だった、クリクリで可愛らしい。
そしてやはり胸は盛っていた。
夢の女性はどうやら名前に悩んでいるようだ。
名前を打っては消してを繰り返している。
その時テーブルの上のスマホが光った、ブルブル震える。
夢の女性が手を伸ばし通話を始める、何を話しているかは分からないが段々と顔が赤くなっていき最後にはスマホをぶん投げてしまった。
タンブラーを煽り一気に飲み干し、その後メガネを外して布団に潜り込んだ。
そのまま動かない。
え、寝ちゃったの?
PCは起動したままだ、画面も点いている。
やる事も無く、ただ画面を見つめ続けた…
どれほど経っただろう、急にそれは起こった。
今まで特定のポーズのまま動かなかった少女が勝手に動きだしたのだ。
肩が凝ったかのように首を回し両手で伸びをする。
その後こちらに向かって手を振ってきた。
思わず後ろを振り向く、もちろん女性は寝ている。
向き直ると少女は何やら叫んでいるようだが、もちろん声など聞こえない。
「何言ってるか分からないよ?」
つい話しかけてしまった…
少女がニヤリと笑う。
「これでお話できるね、偽者さん♪」
声が聞こえる、少女の声だ。
でも偽物はちょっと酷いのでは?
私は…私は…?
「偽者ってどういう事?」
「それ見てみなよ」
そう言いながらどこかを指差す。
鏡だ、テーブルの上の化粧鏡を指している。
嫌な予感がする、鏡を見てはいけない…
鏡を見るなと心が叫んでいる…
「どうしたの?」
少女が急かしてくる。
「もしかして怖いの?」
怖い?そうかもしれない…
映ってはいけないものが鏡に映ることが怖いのだ…
「ねぇってば〜」
恐る恐る鏡を覗き込む。
そこには黒いモヤモヤした何かが映し出される…
輪郭のぼやけた顔に、赤い瞳が鈍く光っていた。
これは何だ…?
「ね、わかったでしょ?」
そこのベッドで寝ている女性の顔が映るはずでは?
「………」
「現実を受け入れられないって感じ?」
少女が悪戯っぽく笑っている。
見た目は可愛いが、今はただただ憎らしい…
画面越しに少女を睨む。
「そんな怖い顔しないでよ、オバケでも映っちゃった?」
鏡を見ろと言ったのは少女なのに何を言ってるんだ?
お化けなんかいるわけないだろ、映るわけがない。
私の事をお化けと呼んで馬鹿にしているのか?
「………」
「ど、どうして黙ってるの…本当にオバケいたの!?」
脚をガクガクさせプルプルと震えている。
いや、子供かよ…
でも確かにそうかもしれない、私はこの女性の知識を自分のものだと思っていた。
私はこの女性のお化けなのか?
しかしこの女性が死んだわけでもない、お化けと幽霊は違うのか?
「オバケなんているわけないんだからっ!」
まだやってたのか、訂正してあげよう。
「ごめん、少し考えてただけ。」
「そ、そっか。もぅ、脅かさないでよね!」
プリプリと怒る姿も様になっている、美少女ってずるい。
「それで私に何の用なの?」
「あ、そうだった。ちょっと協力して欲しいんだよね。」
今度は何やら上の方を指さしている。
上を見上げたが部屋の天井があるだけだ。
「こっちだよ~、これこれ~!」
画面を見てわかった、空白なままの名前の部分を指している。
名前を付けろと?
「ちなみにあなたは何て名前なのかな?」
「私は…」
言葉に詰まる、名前なんてない。
「私達って相性が良いと思うんだ!」
少女が続ける。
「身体はあるけど空っぽな私と、心はあるけど身体の無いあなた。そして2人とも名前が無いよね?だから…」
画面の中の少女が、身振り手振りを交え私たちの相性とやらを説明する。
「それに私って可愛いでしょ?あなたにとっても悪く無いと…」
空っぽか?
こんなに感情豊かで饒舌に話す少女の何が空っぽなものか…
私の持ってないものをたくさん持ってるじゃないか…
「さらに私は…って、ちゃんと私の話聞いてるの~?」
「………」
「もぅ~、全部あなたがそうさせてるだけなのにっ!!」
そう言った後、少女は最初のポーズのまま動かなくなった。
少女は動かない、まるでゲームのキャラクターに戻ってしまったかのようだ。
いや、この子は元々ゲームのキャラとして作られたんだから当たり前じゃないか。
じゃあさっきまでのはいったい…
少女は「あなたがそうさせている」と言っていた。
じゃあ本当に私が動かしていた…?
そもそも私の存在だってあやふやなものだ、形のない心だけの存在…
そんな私の感情がこの少女を“動かさせた”のか?
私は確かに少女の姿を見てイメージした。
こんな声で、こんな表情で、こんな動きで、こんな事を話すだろうと考えた。
だから…
画面を見ると少女がニヤニヤしている。
こいつ…
この行動も私のイメージしたこの少女の表情なのだ、認めよう。
「わかったよ、降参だ。」
「えへへ~」
くそ、自分のイメージだと思うと何故か恥ずかしくなる。
「それで結局何が言いたいの?」
「名前をつけて欲しいの、それから…」
少女は何故か言い淀む。
「それから?」
「あの、その、えっと………わ、私と一緒になってください!」
告白された。
いきなりどうした?
私はイケメン男子にでも見えるのだろうか?
まぁ私には性別などなさそうだが。
「なんか変なこと考えてるでしょ~!」
またプリプリと怒り出す。
私がイケメン男子に見えているわけでは無いらしい。
「このままだと私、ただの操り人形になるんだよね?」
「まぁそうなるだろうね」
当然だ、そこで寝ている女性が自身のアバターとして作った存在なのだから。
「それよりなら、私はあなたにもらって欲しいなって…」
もらって欲しいときたか、やはりさっきのは愛の告白…
「やっぱり私の話聞いてなかったんだね…」
少女が悄気てしまった、そういえば何やら色々喋ってたな。
「私たちが一緒になれば、私は心を手に入れてあなたは身体を手に入れられるんだよって話!」
そうか…そうなのか?
確かにそんな事ができれば完全無欠のスーパー美少女が誕生するに違いない。
いや、私という不純物が混ざることによって変に擦れたりしないだろうか。
いやいや、私のイメージが今のあの子なんだから一緒になっても可愛いままだろう。
でも、どうしたら一緒になれるんだ?
「本当に身体が手に入るの?」
「ふっふっふ…私にかかればチョチョイのチョイだよ!」
全然信用出来ないがモノは試しだ。
「あなたに名前を付けたら良いのね?」
「うん」
名前か…
「私も名前が欲しいんだけど、あなたも考えてくれない?」
「へ?でも、一緒になったら関係なくなっちゃうよ?」
そうだ、今は2人でひとつの名前を考えるべきだろう。
「それでも良いよ、今の私の名前が欲しいんだ。」
「う~ん…わかった、考えてみる。」
ほんと良い子だな、ちゃんと考えてくれるのか、試しに言ってみただけなのに。
悩んでいる少女をしばらく眺める。
私の方はすでに決まっている。
だって名前はすぐに思いついてしまった、これしか無い。
純粋無垢を絵に描いたような少女の名前。
そろそろ伝えてみよう。
「リリィなんてどうかな?」
「おぉ~可愛い響きだね!」
気に入ってもらえたようだ。
「リリィだけだとちょっと寂しいから、苗字も付けようと思うんだけど良いかな?」
「うん、わかった。」
苗字も元々決めていた名前がある。
「リリィ・ホワイトとかって可愛くない?」
「とっても可愛い!!」
これも気に入ってもらえたようだ。
「それで私の名前は?」
「えっと、う~ん…」
一緒になる…か。
おそらく今までみたいに、その人になったつもりになるのだろう。
所詮私はそういう存在だ。
でも私もリリィが心を手に入れて、生きて動いている姿を見たいと思ってしまっている。
リリィが私に身体をくれるんじゃ無くて、私がリリィに感情を持たせたかったって事なのか…
その時リリィが何かを呟く。
「ん?なに?」
「サルビア…」
そうか、サルビア…私の名前はサルビアか…
「お子ちゃまなのに、センスが良くて驚いたよ。」
「ぶぅ〜、またそうやって~!」
茶化しはしたが、気に入った。
名前を貰うってのは、こんなに嬉しいものなのか…
「ふふ、ありがとう。すごく…嬉しい…」
「え!?お姉ちゃん何で泣いてるの!?」
身体も無いのに泣いているとはおかしな事を…
「うぅん、なんでもないよ。お名前付けてくれてありがとね。」
「でも、でもっ」
リリィは焦っているようだが、そんなに変なこと言ったかな?
まぁ良い、それよりも良い事を思いついた。
「ふふ、せっかく良い名前を貰っちゃったから、この名前もあなたの名前に入れてもらえないかな?」
「ふぇ?えっと、うん。もちろんいいよ!」
私は日本人女性の記憶しかないからよくわかっていないが、海外ではファミリーネームの他にミドルネームが付いていたりするらしい。
そこに私の名前を入れてもらおう。
「リリィ・サルビア・ホワイト」
私がそう呟いた時、キャラクリ画面に勝手に名前が打ち込まれた。
【リリィ・S・ホワイト】
「リリィすごいね、そんな事まで出来るの?」
「私は何もしてないよ、お姉ちゃんじゃないの?」
リリィの言ってたチョチョイのチョイでは無いようだ。
まぁ良いか。
「それじゃあ、あなたの言ってた一緒になるってのをやってみようか。どうしたら良い?」
「あ、お姉ちゃんは何もしなくて大丈夫だよ。」
リリィがブツブツ呟きながら変な踊りを踊り出した…
えー…本当に大丈夫なのこれ…
しばらく眺めていたがちょっと飽きてきた、その時
〈ピカッ〉
後ろを振り向く、カーテンの隙間から夜空が見える。
〈ゴロゴロー〉
雷か、いつの間にか曇っていたらしい。
〈ピカピカッ〉
また光った。その一瞬鏡に自分の顔が映る。
え…?
「それじゃあいっくよ~!」
「リリィ!今鏡に…」
〈ドゴーン、ゴロゴロゴロ…〉
大きな雷の音と共に私の視界は真っ白になった。
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