06 河太郎との出会い
さて、城まで連行されることになった柚子。
檻に入れられてないだけマシだが、結局はまた荷車に乗せられ、彼女は目的地への道程を進んでいた。
荷車と胴体を縄で簡単につながれており、あとは、カエルだから水が必要だろうという謎の配慮から、両手で抱えられるくらいの水瓶も積まれている。
前方に家臣たちが先導し、後方には大祐が続く。
(今日は荷車に縁があるなあ)
ガタガタと揺れながら、不安定な山道を荷車は進む。
水瓶から水が溢れ出るので、慌てて手で押さえつつ、もう少しこぼれないように出来ないものかとズレた蓋を持ち上げた瞬間、柚子の体に向かって水の塊が吸い込まれた。
「!???」
驚いて覗きこむも、瓶の中に既に水はない。
どこに吸い込まれたか分からずに体を見ていると、どこかから笛のような音があがった。
次いで、それを聞いた家臣の一人が声を上げる。
「河太郎が出ました!」
河太郎??
誰かの知り合いですか?
「このままだと追いつかれます!! その重そうなカエルを置いていきましょう!!」
失礼だな、君は。
確かに、我ながら重量がありそうな容姿であることは否定しないが、それにしても……。
(なんだろう。似たようなことが少し前にもあったような気がする)
林の中で目が覚めて、盗賊の手によって荷車に積み込まれた時のことを思い出す。
あの時に盗賊団を追っていたものとは一体何だったのか、港の騒ぎもあって、ついに知ることはなかった。
だが今回は違う。
今回はあの時と違って布を被せられてないので、何か追って来るものがあればすぐに分かるだろう。
そうして成り行きを見守っていると、急に荷車が止まる。
同時に後方から大祐が馬を寄せてきて、傍で下馬した。
「大祐様」
「俺が代わろう。――――大丈夫だ。まだ距離はある」
言って、荷車番をしていた男に自分の馬の手綱を渡し、番を交代する。
「城までそう遠くはない。このまま行くぞ」
柚子を振り返って、
「少し揺れるが、我慢してくれ」
再び荷車は動き出した。
柚子はわけがわからないまま、ただただ早くなる荷車から振り落とされないよう、瓶を抱いてしがみつく。
瓶から水がなくなった分、今度はちょっとした拍子に転がっていきそうで怖い。
そんな中、柚子が荷車の前の方に移動してしがみついていると、漏れ聞こえた呟きは忌々し気に。
「……俺としたことが失敗した。今日は林道の方で出たから、こっちには来ないだろうと油断してたんだ」
柚子としては何の話だかよく分からない。
だから思い切って問いかけた。
「河太郎って何ですか? 野犬の長かなんかです?」
「ん? ああ、少し前からな、この辺りで妖獣に人や家畜が襲われるようになったんだ」
「妖獣?」
妖獣、という言葉に真っ先に思いつくのは他でもない自分である。
そもそも珍しいという話ではなかったか。
自分以外の妖獣が見られるというなら、それはそれで少し見てみたい気もした。
大祐は前方を先導する家臣たちに向かって大声を張り上げる。
「――――お前らはそのまま行け! このカエルは後から俺が連れていく!」
家臣たちは不安な面持ちながら、互いに頷きあい、何かを決意したかのように走っていく。
こういう時の対処は前もって確認済みなのだろう。
しかし、
(上司をしんがりに置くか?)
という思いは拭えない。
そんなことをぼんやり感じていると、やがて咆哮が届いた。
『ゴアアアアアアアア!!!!』
遠くの方で聞こえたと思えば、
「来た! 奴が河太郎だ!!」
「えっ」
大祐の声に振り返り見れば、後ろの道にはいつの間にか大きな影が迫っている。
一見して、2トンのトラックくらいの大きさだろうか。
地鳴りとともに、すごい勢いで地を蹴って走ってくるのは、野生動物とは明らかに異なるもの。
「大きい……!」
全身は青い毛並みに覆われ、頭部の皿と甲羅、そして嘴はだいだい色。
さながら陸上選手のように二本足で荷車を追いかけてきていたのは、体色はともかく、姿かたちは間違いなくカッパの類。
(妖獣って、カッパのことだったの?)
カッパは元居た世界でも容易に目にすることはかなわない。
書物の中で見たり、人伝に聞いた話でしか、柚子はその存在を知らない。
「おい、柚子。知り合いか?」
「あんな知り合いは居ませんよ!!」
そのカッパと荷車との距離がだんだん近づくにつれ、大祐の乗っていた馬はカッパの威圧に押されてパニックを起こしたらしい。
荷車は大きく傾く。
「うおっ!」
「わああああ!!」
馬が転倒する前に大祐はうまく飛び降りたが、柚子はそのまま瓶ごと道端に振り落とされた。
普通なら大怪我を負うところ、どうやってか彼女の体は地面に跳ね返り、ツルツルの肌は奇跡的に外傷もなく土で汚れただけ。
ただ、
(予想以上に跳ねたな)
という思いはある。
道端で割れた水瓶をそのままに、カエルボディーは跳ねた後、勢い余って大祐のそばに転がった。
「来るぞ! 俺の後ろに退け!!」
大祐は左手を伸ばし、柚子をかばうように前に出ると、そのまま抜刀してカッパの攻撃に備える。
同時に、大きく振りかぶった爪が、彼の頭上に下ろされた。
「くっ! 重い……!!」
二人の体格差は歴然としている。
振り下ろされた爪はやすやすと大祐の身を引き裂くかに思えたが、しかし、なかなかどうして、大祐は善戦していた。
そんな中、体勢を立て直した柚子が目にしたのは、赤く輝く瞳から涙を流すカッパの顔だった。
(泣いてる?)
更に目を凝らせば、カッパの頭部と頸部にも黒いモヤが見える。
鎖のようなモヤが、ゆるゆると動き、短い間隔でカッパを締めつけていた。
カッパと大祐の第1ラウンドは、大祐がカッパを切りつけることで辛くも致命傷を避けたところである。
攻撃を防がれたカッパは激高し、後ろへ跳躍した。
「待ってください! ……何かおかしい」
「何が!?」
「あのカッパ、普通じゃない」
「見りゃ分かるだろ!!」
「いや、そういう意味じゃ――――」
次の瞬間、カッパは大声で鳴いた。
耳をつんざくような大音量に加え、吐き出された息が温い風をまとって柚子と大祐を真正面から叩いてくる。
2人は一歩もその場を動けず、ただ耐えるだけの中で、柚子はカッパの皿のヒビと、更にお腹部分に淡く光る変な文様にも気づいた。
おかしい。何かが決定的におかしい。
(あれをどうにかすれば、もしかしたら……)
そうだと思っても、しかし、現時点で柚子に打てる手はない。
焦る柚子の目の前では、大祐とカッパの第2ラウンドが幕を開ける。
しかし、今度は立ち上がりから大祐の分が悪かった。
間もなく彼もそれを悟ったらしい。
「たぶん、次はもう俺はもたない……。柚子、あんたは今のうちに逃げろ」
「大祐さん!」
「いいんだ、俺は。そもそも病気で長生きできない身体なんだから、気にすんな」
「えっ?」
ここにきて、突然のカミングアウト。
おそらく彼は、その理由ゆえに、しんがりを引き受けたのだろう。
「だから、俺には構うな。お前が逃げるだけの時間は稼いでやる。だから、さっさと行け!!」
爪と刀がはじきあい、カッパは軽く後ろに下がる。
大祐が体勢を崩したところを視界に認め、地面を踏み込むのが柚子にも分かった。
「待って! 駄目っ!!」
その一瞬に、何を思ったのか。
逃げるはずだった柚子の足は二人を向き、体はとっさに動いていた。
一瞬だけ、緩やかな時間が流れて、柚子はカッパと目が合う。
大祐の懐へ飛び込んでくるそのカッパの、その前に割って入った自分を見返し、何をしているのかと呆れる時間さえあった。
「柚子!!」
遠い遠い意識の端に、彼の小さな声を拾う。
真後ろにいるから、もっと大祐の声自体は大きく聞こえてくるはずなのに、変だなと柚子は感じた。
視界にはカッパの爪が自分の前部を引き裂く瞬間が映る。
鋭い爪がカエルの体をえぐり、大量の血が噴き出して、声にならない痛みに柚子の意識は遠のいた。
『ギイ……ィ』
カッパの瞳は、自身の爪が引き裂いた対象を映し、なきながら大粒の涙をこぼす。
それに呼応するように、柚子の腕で輪の珠がひとつ割れるのと、その場に白い光が広がるのは、ほとんど同時だった。
柚子を中心にして、その場に大きな白い光の輪がカッパも大祐も巻き込んで広がる。
「え?」
まばゆい光が消え、辺りに静寂が戻った時、大祐は呆然とその場に立ち尽くしていた。
体についた擦り傷も、爪がかすって裂けた服も、まるで何事もなかったかのようにすっかり元通りになっている。
傍らを見れば、先ほどまでカエルがいた場所には、人間の娘が裸で意識を失って倒れていた。
カッパの気配を探してみるも、大きな妖獣はいまや70センチほどの大きさになっており、赤い光を失ったそのつぶらな瞳からは、先ほどまで対峙していた妖獣の覇気は微塵も感じられない。
「キュ? キュキュキュ?」
カッパ自身も戸惑っているのか、目を瞬かせては、身体をぺたぺた触って何かを確認している。
大祐の目から見ても、カッパの体はどこも傷ついてないように見えた。
皿も体も甲羅も汚れひとつなく、ピカピカになっている。
「お前、河太郎なのか?」
カッパが大祐の言葉に答える様子はない。
困惑した様子で目の前に倒れた娘と自分を交互に見ていたが、その腕にカエルと同じ青い輪を認めるや、驚いて目を見開いた。
「大祐様ー!!」
「ご無事ですか、大祐様あー!!」
同時に家臣たちが馬を伴って戻ってくる。
ぱらぱらと雨粒が落ちてきて、家臣が大祐のそばに辿り着いた時には小雨が降り始めていた。
家臣は大祐の傍らにカッパの姿を見つけ、
「こいつ、さっきの――――」
「待て!」
刀を構える家臣を、大祐は制する。
「敵意はない。たぶん、もう大丈夫だ」
大祐は戦意を失ったカッパを横目に、上掛けを脱いで娘の体を覆ってやる。
そのまま担ぎ上げて荷車に積み直すと、カッパもまた勝手に乗り込んできた。
気にはなったが、特に咎めずにそのままにして、自分は家臣が連れてきた馬にまたがる。
「……人間だったのか」
彼のつぶやきは、雨音にかき消された。