05 初めての食事処
男に連れられて歩いた港町は、テレビなどで目にする時代物の町並みに瓜二つであった。
道行く人々の装いも着物や袴など様々で、髪型も結んだり下ろしたりと、色々な人がいる。
柚子個人としても、時代劇は好きな部類だった。
海王が言っていた 『少し前の時間軸』 というのは、元の世界でいうところの戦国時代に近いものだろう。
服装のデザインや文化に多少の差異はあるゆえ、まったく同じというわけにはいかないが、柚子はまるで映画村に町娘体験に来ているような、そんな新鮮な感覚を抱きつつ、歩く足取りも軽い。
「おい、着いたぞ」
そんな中、辿り着いた食事処はお昼のピークを既に過ぎ、客足が途絶える時間帯にあった。
2人の対応をした店のおかみは、店内に入ってきたカエルを4度見くらいしたものの、同伴している男には見覚えがあったので、動揺しつつも2人をそのまま店内へと促す。
男は、店の窓側の入口に近い席に座り、向かい側に柚子を促した。
間もなく注文を聞きに若い娘がやって来たが、柚子としてはそもそもこの店のメニューがよく分からない。
なので、おススメご飯の選択は、店の常連らしいこの男にすべて任せた方がいいだろうと判断した。
その男が注文を終えて若い娘を見送った後に、
「まずは礼だな。都を助けてくれてありがとう」
そう切り出したので、柚子は、うむうむと頷く。
しかし、それから話が弾むかと思えば、まったくそんなことはなく、結局は食事が来るまでの時間に彼が発したのは、その一言のみ。
特に柚子に話を振るわけでもなく、あとはただただ沈黙が続いた。
(話し下手なのかな? カエル相手に何を聞こうか迷っているとか??)
柚子としては、世間話程度の会話は覚悟しているつもりだったが、男はカエルの容姿に関してもまったく質問してくる気配がない。
(カエルって、私が思っている以上にありふれた存在なのかな)
やがて柚子がそう思い至った頃、果たして、そんな彼女の思いは間もなく違和感に変わる。
最初に感じた異変は、まず、飲み物や箸が柚子の前には置かれなかったことに始まった。
それは運ばれてきた食事にも言えることで、なぜか品物は男の目の前にだけ次々に置かれていく。
(え? 食べさせてくれる気はないの?)
思い出してみれば、『一緒に食事を』とは言われなかった気がする。
いやしかし、自分だけ食べるなんて、そんなことがあるだろうか??
食事を見ているうちにますますお腹が空いてきて、若干イライラしていると、おもむろに聞こえてきたのは男の独り言のようなつぶやき。
「……まあ、話せない相手に礼も何もないんだがな」
そう言って、もくもくと頬張る男は柚子を見て首を傾げた。
「見れば見るほど……カエル、だよなあ。へえー、カエルの妖獣なんてこの世に居たんだな。まあ、確かにどこぞの物好きが買いそうな面してるもんなあ」
急に何ですか?
なんか失礼じゃないですか?
「家臣にカエルを欲しいって奴が居たら、譲っちまうか。どうせ野に放たれても死んじまうだろうし」
聞いているそばから、話の雲行きが怪しい。
「よーし、飯食ったら外に出て聞いてみよ。でも、欲しい奴いなかったら、どうするかなー」
「――――ちょっと、いいですか」
「あん?」
たまらず話しかけた柚子だったが、顔を上げた男は一瞬ポカンとした表情になった。
「えっ!!?」
自分の耳に聞こえた声が目の前のカエルから発されたものだと分かるや、彼の箸からおかずが落ちる。
「あの、ご飯が落ちましたよ」
柚子を見返す目は驚きに見開かれ、彼は急に椅子から立ち上がった。
椅子が倒れたのも構わずに、
「うおおおおい!! なんだ、どうした!? お前が喋ってるのか!!!?」
「喋ってますけど」
「ちょっ、ちょっと待てっ!! 話が通じるのか?! ――――え、どこ? どこから理解してた??」
「どこって、最初から全部」
「……妖獣って喋れたけっけ? そんな話は聞いたことないぞ」
「はあ、そうなんですか」
「お前、それならそうと早く言えよー!!」
「なんで話せないと思ったんですか! というか、私の目の前で知らない人に譲るとか言わないでくれませんか? 確かに今後の身の振り方は悩んでますけど、そんなにすぐに死ぬつもりもないので」
なんたって柚子のバックには海王様がついている。
何かあればこのお守りが黙っていないぞ! と、腕輪を突き出してやってもいい。
そんな柚子を見て、男は少し冷静になったらしい。
「はあ……驚いた」
倒れた椅子を元に戻すと、彼はそこで席に座り直した。
発した声はいくらか弱弱しく、
「悪い。いい気はしなかったよな」
そう言って謝る。
彼の驚きから察するに、少女はどうやらこの男には柚子が喋れることを話していなかったようだ。
(この人、根は良い人なのかもしれないな)
柚子は内心で息をつく。
最初こそ話の雲行きに不安を感じ、少しばかり言い返しもしたが、男は話せばわかる人物とみた。
そう思った傍から、話はまたふりだしに戻る。
「なんだ。じゃあ、普通に話しかけてよかったのか。 ――――都のこと、改めて礼を言わせてくれ」
男にとって、柚子が行った行いはよほど感謝に値することだったのだろう。
都というのは、おそらく少女の名前だ。
桟橋からこっち、何度か耳にしているうちに、柚子もとうとう覚えてしまった。
「いえ、都さんのことなら自分は何もしてないですよ。捕まった先にたまたま、彼女が居ただけです。結局は2人で海に落ちちゃいましたし」
「でも、海の中で身体を押し上げてくれたと聞いている。あいつは泳ぎ自体は得意な方なんだが、長く水に濡れるとマズい性質なんだ。正直、早く引き上げることが出来て助かった」
何がマズいのかということについて、詳しく話す気はないらしい。
柚子も別に深く詮索するつもりはないので、特に質問もしない。
すると、男は少し黙ってから、
「なあ、あんたがカエルの妖獣……てのは間違ってないはずだ。妖獣ってことは、アレか。北の方から来たのか?」
「北?」
「どこかで仲間とはぐれたんだろ? 妖獣なら家族は? 他に誰かいないのか??」
話が通じると分かった瞬間から、今度は矢継ぎ早に質問が来る。
「どっから来たんだ? 故郷は??」
「ちょっと待ってください。そもそも、その妖獣ってのは何ですか?」
問われるのはいいが、大前提として、柚子はこの世界の生き物にそれほど詳しいわけではない。
もちろん、色々と答えてあげたい気持ちがある。
だが、実際のところ、この世界のことをこの世界の人以上に柚子が知ることは、現時点ではとても少ないだろう。
「妖獣っていうのは、どういう生き物なんですか?」
「は?」
柚子の問いに、男は怪訝な表情になる。
そんな問いかけはされたことがない、といった様子で。
「どんなって……妖獣は妖獣だ。人間じゃないし、犬猫や家畜とも違うな。つがいで増えるわけでもないらしいし。……うーん、お前みたいな変わったヤツの呼び方かなー」
今、柚子は確信した。
この男は悪い奴ではないかもしれないが、ナチュラルに無神経なのだ。そうに違いない。
「この世界に居るってことは分かってるけど、なかなか見かけるものでもないんだよ。だから、どこかで手に入ることがあれば、珍品好きの奴らに売られることが多いらしい。まあ、俺は売ったことがないから、よく知らんけど」
「売る?」
「あんたがどこまで知ってるかは分からないが、妖獣ってのは喋れないのが普通だ。だから人との共生なんか無理だし、意思の疎通が難しいから、檻に入れて見世物にしたりして……。金で買われたとしても、飼育されてるやつらなんかはまだ幸せなほうじゃないか」
「あなたの話では、私もそうなってたってことですよね?」
「う、まあ、それは、そうだが……」
今の柚子にとって、自由を奪われるという点においては、見世物も飼われることも大して差異はない。
男は自分の発言を省みたのか、気まずそうに言葉をつづる。
「とにかく、こっちではそういう感じなんだ。で、そういうのが嫌いな国主が北の方で妖獣だけの国を建ててるらしくてな。てっきり、あんたはそこから来たと思ったわけ」
北から来たのか、という問いの真相は、そういうことだったらしい。
北にあるという妖獣の国――――もし自分と同じような妖獣がたくさん居るというのなら、行って仲間を探してみるのもいいかもしれない。
そんなことを、柚子はふと思った。
「正直な話、どうなんだ? 何かの目的があるから、ここに居るんじゃないのか? それとも、どこかに向かう途中だったのか?」
目的、という言葉を聞いて、柚子の体は強張る。
林の中で右も左も分からずに居た時と違い、海王との会話を経た今、柚子には果たすべき目的が一応だがあるにはあった。
しかし、ここでこの行きずりの男に何でもかんでも打ち明けてしまうほど、柚子は愚かではない。
結果、答えは曖昧に。
「目的とかはこれからで……。そもそも、この辺りがどういう場所なのかも知りませんし」
別の話に切り替えた。
「あんた、都より後に捕まったんだろ? それまでは、どこにいたんだ?」
「……そうですね。ええと、気づいたら見たことのない林の中に居ました」
少なくとも、嘘は言ってない。
それよりも前となると、柚子としては説明のしようがない。
元の世界の説明など、目の前の男をいたずらに混乱させるだけだろう。
その男は、柚子の答えを聞いて妙に神妙な顔になった。
「そうか。突然この世界に生まれちまって、何も分からないと不安だよな」
「突然生まれたとか、そんな急に生えてきたみたいに――――」
妖獣の発生がどのようにして起こるのかは知らないが、少なくともキノコのように生えるわけではないだろうと柚子は思っている。
「よし、決めた!」
思わず言い返しそうになった柚子の前で、男は頷く。
「都の恩人に礼を欠いた詫びだ。お前の面倒は、しばらく俺に見させてくれ」
「えっ」
そうして思いもよらぬ方向へと、彼は話を進め始めた。
「ああ、細かいことは気にするな。こう見えて俺はそこそこ偉いんだ。お前の要望も、それなりに聞いてやれるぞ」
「……まあ、それは助かりますけど」
柚子としては、男とはこの場限りの関わりのつもりだった。
この食事処を出れば一人旅が始まるだろうなんて漠然と考えていたわけで、今後しばらくの間、その食住が保証されるとなれば、むしろは願ったり叶ったりだろう。
無一文な柚子としては、今晩の宿代を恥を忍んで無心するつもりだったが、それを切り出す手間も省けたわけである。
相手の提案なら断る理由は特にない。
「とりあえず、お前も何か食え。適当に持ってきてもらおう」
そこで男は追加のご飯を頼んでくれて、柚子はようやく念願の食事にありつくことが出来た。
食べた後は満足して席を立ち、男について出口に向かう。
男は店の出口で振り返って、
「そういえばまだ言ってなかったな。俺の名は大祐。鴻上大祐だ。あんたは?」
「……柚子です」
「へえ、妖獣なのに名前もしっかりあるんだな」
なんて呑気に話しながら外へと出ていく。
柚子も、今までの会話を通じて彼がそれほど悪い人ではないかもしれないと思い始めており、どこか安心した思いがあったのかもしれない。
――――だから、油断していた。
柚子は店を一歩外へ出た瞬間に、
「今だ! 網を落とせ!!」
突然に網を掛けられたのだ。
「カエルの妖獣、捕獲いたしました!!」
「うむ、よくやった!」
……何が起こったの?
「おい!」
それを見て焦ったのは大祐である。
「おい、何してんだ! こいつは都の恩人だぞ! 大丈夫だ!!」
「いえ、駄目です。この者は用心して連行するようにと宇佐子様からの伝言です。大体、大祐様はすぐに騙されますからな」
「あの婆さんめ……」
抗議してくれたところを見る限り、彼はカエル捕獲の一件には関与していないらしい。
しかし、大祐の説得も大して意味は為さず、家臣らしき者たちは彼を軽くあしらう。
そっけない態度をとられた大祐は肩を落とした。
「すまん」
「いえ……」
少し前まで冷たい男だと思っていたが、ずいぶん印象が違った気がする。
そんな彼は、柚子が運ばれるのを見るや隣に並び、
「心配するな。あんたの身の安全は俺が保証する。ちょっとの間、おとなしく捕まっててくれ」
そう、ささやいた。