04 新たな出会いと再会
柚子が海面に上がると、港には人だかりができている。
どうやら荷車を引いていた男たちは盗賊団だったらしく、彼らが捕まったことで、港はちょっとした騒ぎになっているようだった。
そんな中、柚子は件の青年に担がれ、船着き場にほど近い浮き桟橋へとあがる。
「ゲホゲホッ!! ゲェッホ!! カッフォ!! はー……」
青年の腕から降ろされると、そこでようやく柚子は息苦しさから解放された。
大量に吸い込んだ海水の気持ち悪さがまだ喉元に残っており、全部吐き出してしまいたい衝動に駆られたが、さすがに衆目があろう。
仕方なく息を整えるだけで済ませる。
すると、一息つく柚子の姿を遠くで認める者があった。
「カエルさん!!」
「ん?」
どうやら自分でも、カエルという自覚は少なからずあるらしい。
この場でそう呼ばれて、
――――他のカエルじゃないですか?
と無視することも出来たはずだが、柚子はほとんど反射的に声のする方に顔を向けていた。
間もなく一人の少女が駆け寄ってきて、そんな柚子に勢いよく抱きついてくる。
「わ」
手ぬぐいを頭に巻いて髪の毛を覆っていたので、特徴的なモフモフの緑の頭髪こそ見えなかったが、顔つきも声も確かにあの檻の中の子だ。
飛びつかれた勢いで尻もちをついた柚子の前で、彼女は顔を上げる。
「良かった! あなただけ沈んでいくのが見えて、私、どうしようかと……!」
当初の檻の中において、恐怖心から叫ばれていたことを思えば、ずいぶん変わった印象だ。
沈む直前、彼女の体を押したせいもあるのだろう。
あの柚子の行為は、どうやら少女にとって『助け』に相当する行為だったらしい。
「お嬢さん、もう大丈夫ですよ」
柚子は微笑み返す。
こんなつるつるの体、触り心地も良くないだろうにと思いながら、本当に心配してくれている彼女の真剣な瞳が今は嬉しかった。
「カエルさん、ずっと上がってこないからもう駄目かと思いました。あれから私、助けを呼ぶのに手間取ってしまって……。カエルさんを誰も見てなかったし、私を引き上げてくれた人は体力を使い果たしてしまったので」
どうやら柚子を助けてくれた青年は、少女を引き上げた者と同一人物ではないらしい。
わざわざカエルのために飛び込んでくれたのかと思うと、青年に対して少しばかり申し訳ない気持ちになった。
「あ」
そこで、少女の目は柚子の腕輪に移る。
少女の記憶では、海に入る前はそこになかったはずのものであった。
「あ、あの、その腕っ」
「はい?」
「おーい、雅高ー!!」
問いかけようとした声は、しかし少女の背後――――港の方からもう一人の男が大声で駆け寄ってきたことで途切れる。
呼ばれたのは、どうやら青年らしい。
忘れていたが、柚子と少女が無事の再会を喜んでいる間、柚子と共に桟橋へと上がった彼は、ずっと後ろで衣を整えていたようだった。
(まさたか?)
呼ばれた青年は、柚子の横に立って手を振る。
横目にチラリと見れば、彼は長い青灰色の髪を後頭部に結い上げ、黒い甲冑の上に片マントを羽織った軍装姿。
海に入るに際しては、おそらく、それらをすべて脱ぎ去って、軽装になってまで柚子の元へと潜ってきてくれたのだろう。
「身体は大丈夫かい?」
「……はい」
彼には感謝しかない。
短い柚子の頷きを確認し、背をポンポンと軽く叩くと、青年はその場から歩き出した。
(喋ったこと、驚かれなかったな)
普通に答えてしまったが、青年はそのことに驚いた様子はなかった。
もしかして、喋ることを少女から聞いていたのかもしれない。
青年はそのまま少女の傍も通り過ぎると、
「叔父上、盗賊の一味はこちらで預かります。港のことはお任せします」
「おう、任せろ」
「都、行くよ」
そう言って少女を呼び、
「都、また後でな」
少女は立ち去る前に、叔父と呼ばれた男の前で立ち止まると頭を下げていた。
ちらりと盗み見た彼女の耳は、こころなしか赤い。
そういえばこの叔父とかいう男、よくよく見ると黒い短髪が濡れているから、少女を海から引きあげた 『体力を使い果たした男』だろうか。
そんなことを考えている間に二人は去っていき、後に残されたのは、叔父と呼ばれた男と柚子だけになった。
「……」
去った二人と違い、叔父と呼ばれた男はカエルの容姿がよほど珍しいのか、上から下までジロジロと値踏みするように視線を動かす。
ざっと見回したこの港に、柚子以外にカエルの容姿の者は見当たらない。
確かに、高さ160センチ近いドラム缶体系のカエルが二足歩行していれば、嫌でも気になるだろう。
私でも2度見する。
助けてみたものの、やはり得体が知れない……と、檻なんかに入れられる可能性は多分にあったが、しかし彼は柚子を捕まえようとはしなかった。
それどころか、
「とりあえず、飯でも食うか。あんたも一緒に来てくれ」
ご飯、というワードが飛び出し、空腹を感じていた柚子のお腹はとても喜んだ。
この世界に来て、まだ食事というものにお目にかかったことがない。
第一、食事処に入るにはお金が必要になるわけで、そうなると無一文の柚子にはお手上げだった。
そんなわけで、ご飯屋に連れて行くという彼の誘いを断る理由などなく、ついていく間、柚子の思考は既に注文の域に達していたわけであるが、彼女はこの時の考えの甘さを、少し後に思い知ることとなる。
◆
男と柚子が食事処に向かった頃、都を伴って外へ出た青年はというと、彼は盗賊団を無事に担当部署に引き渡した後、彼女と共に家路についていた。
その途中、都はずっと港町の方を気にしており、何度か振り返る風を見せる。
「どうかしたかい?」
問うと、
「雅高様、あのカエル様は大丈夫でしょうか??」
と、自分の恩人を気にしている様子。
言われて、雅高は海中から引き上げた、異常に軽いカエルの姿を思い出していた。
「ああ、あの妖獣か」
「あの方は妖獣ではありません。腕輪を……海王様の加護を受けていました」
「海王?」
「きっと、特別な方です。もし今後、この領内で遭うことがあっても、決して粗末に扱ってはなりません」
いつもは大人しく、自己主張をすることのほとんどない都が、その時に限ってやけに熱心に語るのが、雅高は気になった。
――――都はもともと人ではない。
その正体は海里衆という人魚に近い種族で、この世界の内海と呼ばれる場所の出身である。
古くから海王を祀る彼らにとって、その存在は絶対であり、それゆえ、海王に縁があるものを見抜く力が備わっているのかもしれない。
その彼女が、カエルの妖獣に何かを感じたと主張するからには、何かあるのだろう。
「分かった。都がそう言うなら、皆にも追って伝えよう」
「……はい。お願いします」
言いながら、都は妙な胸騒ぎを覚えた。
(どうか、また無事に会えますように)
他でもない都のその言動が、間もなく雅高の口から家臣を通じて家中に広がったことで、柚子の身に災難が降りかかることとなる。
そのことを彼女が知るのは、ずっと後のことであった。