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03 初めての邂逅



『ゴオオオオオオオオオ!!!!!』


 突如として、海中に響いたのは大きな咆哮。

 空気のないはずの水中において、しかしその咆哮は確かに大きな音を伴って、柚子の鼓膜を震わせる。


(!?)


 音に驚いていれば、次いで現れたのは、柚子の体くらいの大きさは余裕で越える生き物の目。

 目は認識できたが、あまりに体躯が大き過ぎるせいで、その全容は分からない。


 ――――かつて大昔の海には、怪物として恐れられるリヴァイアサン・メルビレイという肉食のクジラが存在していたという。


 それはモササウルスやプレシオサウルスという首長竜(くびながりゅう)、あるいは伝説上の龍よりは、大きなクジラを連想させた。


(ガボッ! ゴボゴボ!!)


 大きな目に見つめられ、柚子の呼吸は思わず乱れた。

 鼻と口から大量の気泡(きほう)が出る。

 ゆっくりと開けられた大きな口には無数の尖った歯列が見え、それを目にした柚子は、自分の弾力のある体がその中で咀嚼(そしゃく)される恐怖に震えた。


 が、次の瞬間、柚子は檻ごと大きな口に吸い込まれ、口の中で器用に檻だけ砕かれると、大きな気泡が体を包みこんだところで、再び、ペッと吐き出される。

 

「げっほげほ!! ごっふ!! はっ、……はぁ…あ、あれ? 息が、できてる……?」


 先ほど少しの水を吸い込んでしまい、鼻の痛みや多少の咳き込みがあったが、大丈夫。

 今はほとんど陸の上と変わらない環境が泡の中に形成されている。


 大きな生き物はゆっくりと旋回し、柚子の目の前に居直った。

 

(大きいクジラだな)


 息を整え、周りを見回す余裕が出来たせいか、先ほどよりも海中が明るいことに気付く。

 すると、目の前の巨獣の、その大きすぎる体の一端が見えてくる。

 さすがに全部は見えないが、柚子がクジラを連想するには見えている部分だけで十分だった。 


「あ、ありがとうございます!」


 いまいち状況は理解できていないものの、結果的に足枷の檻は砕かれ、海の中でも溺れることはなくなったのだから、重畳(ちょうじょう)だ。

 礼は、するりと口から出た。

 しかし、身体(からだ)はこの巨獣を前に恐怖を感じているらしく、意図せぬ震えがふとももで生じている。


 大きなクジラはしばらくじっと柚子を見据えていたが、そのわき腹に白い斑点を認めてから、ふっと息を吐きだした。

 その声は優しい響きを伴って、


『ほほぅ……そうか。珍しい客人があったものだのう』


 クジラが喋ったことに対してもちろん驚きはあったけれど、それよりも体の底から突きあがってきたのは、泣きたいような感情。

 柚子が、というよりは、柚子の中にある何かの感情がクジラに反応しているといったほうが適当だろう。


 いつの間にか震えは止まり、クジラを見返して柚子は口を開いた。


「珍しいって、どういうこと……。あの、あなたは何か知っているんですか? ――――ええと、私、自分に何が起こったのか、どうしてここに居るのか、全然分かってないんですけど。ここはどういうところで、私って、今どんな状況なんですか…ね??」


 気になることが多すぎて、勢いのままに質問してしまった柚子であったが、途中で言い過ぎた感が沸き起こり、言葉の後半で遠慮がちに声がすぼむ。

 柚子の向かいで、当のクジラは少しだけ考えている風であったが、ややあって、


『ふむ。何から話したものかのう。上の方が騒がしいゆえ、のんびりと話をしているほどの時間は無さそうだが……』


 上の方を気にするそぶりを見せてから、


『まあ、よい。おぬしの質問に出来る範囲で答えよう』


 と。

 柚子がこの世界に来たことを(いぶか)しがる様子もなく、また、柚子の素性についても何ひとつ問うてくることなく、クジラはただ口を開く。 


 とりあえず、


『この世界についてだが、ここはおぬしがいた世界とはよく似通っておる。世界の成り立ちや、存在しておる生き物に多少の違いはあるようだが、とりあえずは、“同じような歴史を辿る別の世界”という認識でいいだろう』


 そう、告げた。


「同じような、別の世界……??」

『おぬしのいた世界で考えると、少し過去の時間軸になるかのう。ここは戦の多い世界だからな』


 柚子としてはその説明では全然分からない。

 似たような歴史を辿る、ということは、この世界も縄文時代に始まって平安や江戸の時代を経て現代へ続いているということなのだろうか??

 そして今は、戦の多い時代にあたる、と


 ――――戦国時代みたいな感じかな?


『あとはその容姿だが、それも心配することはない。この世界には人とも動物とも異なる “妖獣(ようじゅう)” というものが存在しておるのだ。おぬしは今、外見こそカエルの妖獣だが、元々のおぬしの体が消えたわけではない。条件がそろえば、すぐまた人の姿にも戻れよう』


 ひとまず、元の人間の姿には戻れるらしい。

 それを聞いて安堵(あんど)したものの、改めて柚子は体を見返す。


「カエルって……。 これ、この体、カエルなんですか??」


 カエルって、二足歩行だったっけ??


 柚子としては、基本的なカエルはおたまじゃくしから変態し、水中を泳ぐ涼し気なイメージくらいしかない。


『おぬしは、先代(せんだい)のカエルから願いを託されたから、この世界に来たのだろう。ならば、そのものの特殊な性質や能力を受け継いでいても不思議はなかろう』

「先代のカエル……?」


 元の世界での、最後の会話が頭に蘇る。

 カエルのような特殊な相貌(そうぼう)のものとは、確かに出会った。


 ……たのむ、と言われて手を取った気もする。


 願いを託されるつもりで手を取ったわけではなかったが、あの行動のせいで、彼の願いを承諾したとみなされたのであれば――――


「ええと、じゃあ、つまり私は2代目のカエルになったってこと…ですか?」


 わけが分からないが、話の流れからそういう結論に達すると、目の前のクジラは頷いた。


『うむ。おぬしは先代の願いを承諾したことで、今後、この世界で生きることをも受け入れたのだ。今は、その先代の願いを叶えてやることを第一の目的とすればよい』

「今後を、この世界で生きる?」


 柚子は慌てた。  


「ちょっ、ちょっと待ってください! 私、そんな人生に関わるような大事なことを受け入れたつもりはないですけど!」

『なにを慌てておる。その姿をしている以上、おぬしはもうこの世界の住人となったのだ。今さら、無かったことになど出来るわけがなかろう』

「……そんな」


 落胆が、柚子の胸に広がる。


(私は、もう元の世界には戻れないの……?)


 この世界で目覚めた時に、そんな気はしていたけれど、はっきり言われてしまうまでは、心のどこかで 『これは夢』だという思いがあった。

 それが今、クジラの言葉で完全に潰えたのだ。


 あまりに突然のことで、元の世界の身辺整理など済んでるはずもない。

 しかも、家族への別れすら出来ぬままに来てしまったのが、柚子はなんとも心残りだった。

 元の世界の柚子は、おそらく、行方不明という形に落ち着くのだろう。

 家に帰ればクリスマスケーキが待っていたかもしれないのに。

 もう、家族でケーキを囲むことも出来なくなってしまったのか……。


「……」


 目じりに涙が浮かぶ。

 ケーキ……食べたかったな……。  


 そんな柚子の落胆を、当のクジラは欠片も気にかける風がない。


『おぬしが先代から受け入れた能力だがな、この世界で生きていく上で、収納と会話で困ることはなさそうだ。あとは……まあ、命を削る能力があるが、詳しい話は今はいいだろう。とりあえず、おぬしの質問に関してはこんなものか」


 最後に物騒なことをさらっと言って、そうしてクジラは柚子の質問に対する長い答えを終えた。


 とにかく、クジラの話をまとめると――――


 ・ここは、柚子が住んでいた世界と、“同じような歴史を辿る別の世界”であること。

 ・どうやら柚子は、元居た世界で、先代のカエルが今際に呟いた「お願い」とやらを引き受けた形になったらしいこと。

 ・そうして先代の容姿や能力を受け継ぎ、この世界に渡ってきたということ。

 ・で、元の世界には戻れないが、本来の柚子の容姿は失われておらず、条件次第で変化が可能であるということ。

 ・収納と会話で困ることはなく、更に、命を削る能力を宿しているということ。

 

 時間がないと言っていた割には、一度に色々なことを告げられた気がする。 

 最後に言われたことは、特に柚子は気になった。


「い、命を削るって……」

「おお、そうじゃそうじゃ。最後に、これも渡しておかねばな」


 詳しく聞きたい部分をさらっと省略されたので、もっと話そうとしたところ、今度はクジラの言葉と共に発した水の輪が、柚子の腕を囲む。

 困惑する柚子の視線の先で、水の輪は間もなく石のような硬度を持つ腕輪へと変化した。


「腕輪?」


 それは3つの青い珠がはめられたシンプルな腕輪だった。

 柚子が身に着けたことを確認すると、おもむろにクジラの体は淡い輝きを放ち始める。

 その光は細く長く形を変え、おもむろに柚子の方へのびてくると、気泡を外側から包み込んだ。


『――――わしは、五王(ごおう)が一角。その海王(かいおう)の名をもって、世界の約束に従い、おぬしの行く末を見守ろう』


 まるで何かの儀式のように、不思議な空気が辺りを漂う。

 クジラが言い終わると同時に、その体と気泡を繋ぐように流れていた細長い光は消えた。


「!」


 光が消えた後、ポカンとした表情の柚子がハッと我に返る。


「え? え?? ……え、と。急に、どうしたんですか??」

『なに、古い(なら)わしだ。この世界では、体に白い斑点がある客人は、わしがもてなす決まりなのだよ』


 クジラはそう言って、


『その腕輪も、お守りのようなものだ。おぬしの思うようにするがよい。外したいと思った時は、自由に外せばよかろう』


 優しく笑ったように見えた。


 お守り、という響きに、柚子は少しだけホッとした心地になる。

 この世界に来て右も左も分からぬ中で、こんなにも大きな存在に守られている、あるいは気にかけてもらっているという証は、それだけでとても心強い。


 色々と不安はあるが、帰れないことをいつまでも落ち込んでいても仕方がない。

 とりあえず、この海王と名乗るクジラの言葉を聞いて、先代の願いを叶えることを当面の目的にしよう……そう柚子は決意する。


 すると、


『ああ、あと、おぬしに頼みがあるのだが』


 今度は、急なお願い。 


『この世界に、わしの――――』

「?」


 しかし、その説明を言い終える前に、海王は何の前置きもせずに、まるで魔法のように一瞬で柚子の前から姿を消した。


「え?」


 急な消失。


「ちょっ、ちょっと! わしの何ですか!? 途中で消えないで――――……ゴボッ!!」


 同時に、柚子の体を包んでいたはずの水泡が割れ、周りもまた元の海中に戻る。

 柚子は檻こそ壊してもらっていたものの、急に水の中に戻され、心の準備も出来ぬままに、口から一気に水を吸い込んでしまった。


(く、苦しい!! 今度こそ、溺れる……!!)


 カエルが溺れるというのも妙な話だが、柚子は意のままに手足を動かせるほど、まだ妖獣とやらの体に慣れていない。

 むしろ、もがけばもがくほど沈んでいく気がする。

 いっそ何もしなければ……と思い至って、少しの間だけ動きをやめてみたが、それはそれでジワジワ沈んでいくのを感じ、やっぱりダメだと再び手足をバタつかせた。


「!」


 すると、そんな柚子の前に、今度は見知らぬ男が現れる。

 どうやらその男は海の中を泳いで、ここまで潜って来たらしい。

 慌てる柚子に構わず、彼は二の腕を引っ張ると、そこで一気に浮上していった。


 重いであろう体を引っ張ってくれることは素直にありがたいが、それ以上に、今の柚子は切羽詰まっている。

 水を吸い込んでしまって気持ち悪いので、少しでも早く地上の空気を吸いたい。

 息を止めたまま何度も気を失いそうになりながら、柚子はだんだんと近づいてくる海面に目をやる。


 キラキラと日の光を受けて揺れる波の影が、とてもきれいだった。



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