02 人攫いと少女
柚子が目を開けると、辺りは午前0時の景色からは一転して明るく、彼女の姿は陽射しのもとにあった。
その場で見回した限り、彼女は木々が立ち並ぶだけの林の中に立っており、先ほどまで見えていたはずの構内の景色はどこにもない。
更に、手を取ったはずの奇抜な風貌のものも目の前から姿を消している。
「?」
――――ここはどこなのか?? 自分の身に一体、何が起こったのか??
混乱の最中、体に違和感を抱いて見てみると、そこにあったのは、つるんとしたお腹。
お腹だけじゃなく、腕も足も、もはや人間のそれではなかった。
服を身に着けていないので、全裸といえば全裸なのだろう。
その体は、『ボン、キュッ、ボン』といういわゆるナイスボディーからはかけ離れて、イメージとしては、ドラム缶型に近い。
目線の高さはそれほど変わらないので、おそらく身長は160センチに満たないくらい。
髪の毛はなく、全身が薄い青色に覆われ、脇腹には白い丸がまだらに散っていた。
指も、見慣れた人の手とはまったく別ものになっている。
全身が水分たっぷりのスベスベお肌だ。
「な、なんだ、これえええ!!?」
思わず叫んでしまってから、ハッとして口をふさいだが遅かった。
「―――おい、待て。向こうで声がした」
「誰かいるぞ!」
柚子の驚きの声に反応して、木立の奥から数人の男の会話が漏れ聞こえてくる。
慌ててしゃがみ込むが、姿を隠せるような低木や茂みもなく、柚子は現れた数人の男たちにあっさり見つかってしまった。
「なんだ、こいつ。人間じゃねぇぞ」
「いや、でも、さっきは人のような声が確かに……」
「まあいい。時間がないから、この際なんでもいい。このバケモノもさっさと連れて行くぞ」
バケモノて……。
確かに人ではないだろうが、今の自分は、それほど異形の見た目をしているというのだろうか。
怪訝な顔で上から下までジロジロ見られた挙句、大柄な体格の男に軽く担がれ、柚子はその場を離れることとなった。
運ぶ男のむき出しの二の腕には、二つの黒い丸が彫られている。
それは別にその男に限った話ではなく、その場に居る者たちはほとんど全員が腕になんらかの印のようなものを彫っていた。
(行き先をどうしようか迷っていたけれど、まさかこんな形で移動することになるなんて……)
自分で言うのもなんだが、重くないのだろうか。
私なら160センチ近い高さのあるドラム缶を、まず持ちあげようとは思わない。
だが、男は柚子を軽々と担ぎ上げると、仲間と林を抜け、そのまま林道に至った。
林道には荷車が置かれており、その傍に2人ほど見張りが立っている。
「おい、なにを連れてきてんだ。余計な荷物を増やしやがって」
「珍しいだろ。このバケモノもついでに売り払っちまおう」
男たちは2,3の会話を交わした後、荷車の上の檻の中へと、柚子の体を押し込んだ。
どうやら檻に底はなく、力のある者が持ち上げようと思えば持ち上げられるのだろうが、柚子にとっては、さすがに重いから無理。
しかもその後、檻の上から布を被せられたので、中からは外の様子が何も見えなくなってしまった。
(会話から察するに、バケモノはこれから売り飛ばされる運命ですか??)
しかし男たちはよほど急いでいるのか、柚子を檻に入れただけで、その体を拘束するようなことまではしなかった。
(詰めが甘いとはこのこと。早速、脱出の計画を――――)
そこまで考えて、柚子の目は檻の中のもうひとつの物体に向けられる。
どうやら、檻の中には先客がいたらしい。
(緑の毛??)
そこにあったのは、ボリュームのある緑色のふわふわした毛並み。まるっとしたフォルムの何か。
ウサギのような小動物、というよりは、成体のサモエドのような重量感がある。
得体のしれないこの動物を、突如としてモフり倒したい衝動が沸き起こったところで、しかし、荷車が動き出した。
「!」
振動を感じて檻の中を見回せば、外から慌てた様子の声が聞こえてくる。
「出た! 奴が出た!!」
「おいおい、近いぞ!! このままじゃ、追いつかれる!! もっと速く走れ!!」
「お頭、これ以上は無理でスって! 積み荷が増えてる分、どうしたって遅れちまいまスって!」
「お前らが余計なものを乗せたのが悪いんだろうが!!」
柚子としては、男たちの人数も顔も声も把握していないので、外の誰が何を話しているのか判別は出来ない。
会話からして、何かの揉めごとだろうか。
まるで何かに追われているように、先ほどよりも荷車の速度が上がったのを感じた。
「おい、待て、行くな!! そっちは――――!!」
「あああ、手が引っ張られるうううぅぅ」
「バカ、手を離すな!! 死んでも離すなああああ!!」
「もう限界ッスー!!」
一体、外で何が起こっているというのだろう。
見えないから何も分からないが、会話が不穏だ。
すると、
「きゃあああああ!!」
今度は柚子の耳元で悲鳴があがった。
驚いて振り向けば、外の騒ぎでいつの間にか緑のモフモフが目を覚ましたらしい。
サモエド犬もどきだと思われたそれは、どうやら女の子の髪の毛だったようで、可愛らしい女の子が起き上がって柚子を見ていた。
もっとも今は――信じたくはないけれど――どうやら柚子を見て怖がっている様子。
後ずさった女の子の背中が檻に当たる。
「あ、あのぅ、私は怪しいものではないですよ」
「喋った……!」
と、そんな2人の会話の間にも、荷車の速さはどんどん増してくる。
やがてガタガタと凹凸の多い道を走る振動で、檻の中の2人の体も大きく揺れ始めた。
「あれ? この荷車、傾いてない??」
やがて柚子が抱いたのは、荷車が押されているとか引っ張られているというよりは、もはや制御不能のまま走り続けているような感覚。
いつの間にか外から人の声も気配も感じなくなっており、不思議に思っていたら、檻を覆っていた布が風に飛ばされた。
「!?」
同時に眼に映ったのは、狭い急傾斜の坂道と、その先にある青い海のようなもの。
どうやら荷車は持ち手を失い、勢いに任せて道を突き進んでいるようだ。
狭い急傾斜のある道は建物の間を細く長く通っており、そのまま何の障害もなくいけば、道なりに海まで続いているようだった。
しかし、荷車を止める術はない。
もしどこかの建物にぶつかって大破するようなことになれば、2人の身もタダでは済まないだろう。
「うわああああ!!」
「きゃああああ!!」
互いに初対面であることも忘れ、抱き合ったまま2人の悲鳴が重なる。
もはやこれまでか、と柚子が目を閉じた瞬間、荷車は幸運にも器用に急カーブを曲がり、そのまま坂道を下ると、民家の間を突っ切って港へ出た。
道が途絶えると同時に、荷車は船を留めるビットのようなものに突っかかって止まり、2人の体は勢いあまって檻もろとも海に投げ出される。
底のない檻がそのまま海に沈んでくれれば、いい具合に2人だけ海面に残されるだろう。
しかし……。
「わ!」
そんな中、柚子は不運にも着水の衝撃で檻の格子に足を突っ込んだらしい。
とりあえず目の前に来た少女の体は勢いよく海面方向へと押し出したが、柚子の体は海中で檻に引っ張られてしまった。
視線の先、
(あなたも!)
と伸ばされた手は、こちらまで届かない。
なおも手を伸ばそうと水を蹴った彼女は、しかし、飛び込んできた何者かによって引き上げられ、海中から間もなく姿を消した。
(ああ、よかった。彼女は溺れないで済んだ……)
柚子の体は、深い深い水の底へと檻と共に沈んでいく。
すぐに息苦しくならないのは、『バケモノ』ゆえの特性か。
(なんだろう。本当に、今日はツイてない)
檻の重さに体を引っ張られ、柚子はもう為す術がない。
このまま深くまで沈んでしまえば、もう救助の手も及ばないだろう。
(こんなところで、命を落とすなんて……イヤだな)
目の前の現実はどうしようもなく受け入れがたいが、思ってみても仕方がない。
近づきつつある死の気配に、柚子はぼんやりとした心地で目を閉じる。
どれくらい沈んだのか、そんな水の中――――柚子を見つめるように、その暗闇で何かが光った。