ミカド殺しの言い分と記憶(三十と一夜の短篇第69回)
わたしは大悪人だ。
天皇を殺したからだ。
貢物を見に来たところを刺したのだが、これは蘇我馬子の指図だ。天皇は大きなイノシシを見て、笄でそれをつつきながら、「こんなふうに首を落としてみたい」と主語を省略した(後代では天皇がイノシシの首を刎ねたということになっているが、それは嘘だ。それだけの剣の腕があれば、こっちが逆に殺されていただろう)。馬子はイノシシを自分のことだと思って、天皇を殺すよう自分に命じた。天皇が殺されたのはこれで二度目のことであり、このときはそれほど大したことだとは思わなかった。結局、馬子には口封じで殺されたが、そののち、わたしの名は大罪人の弑逆の徒として残ることになった。未来人たちが言うには、どうも、わたし以降、殺された天皇がおらず、さらに天皇は神のごとく敬われ、四億五千万人という気の遠い数の人間を従えるようになったからだ。
だが、ひとつ言わせてほしい。
未来人たちが飛鳥時代と名づけたあの時代、皇族が殺されるのは別に珍しくもなんともなかった。群臣たちの勢力争いに巻き込まれて死んだということになっているが、むしろ皇族側が旗をふって争いを起こし、お互いを殺し合ったのだ。
それに十二代前には天皇殺しが行われているわけで、わたしもそこまで大事になるとは思わなかったのだ。
正直、わたしは馬子が憎いし、あいつが天皇殺しの首謀者として扱われるのはいい気味だと思っている。あのデブは渡来人全員を子分か何かのごとく考えていたが、馬子の権力が飛躍的に伸びたのは天皇殺しの後のことだ。そのころ、わたしは大きな石を何枚も置いた地中深くに埋められて、最後の息が途切れようとしていた。
さて、馬子が首謀者なのはいいことだが、それにしても、未来人諸君、話が出来過ぎていると思わないか?
天皇は殺されたその日のうちに葬儀がなされて、それから間もなく史上初の女の天皇が立った。推古天皇である。天皇が殺されたのは十一月のことだったが、同じ月にわたしも殺されている。罪状は馬子の娘に懸想。噴飯ものだ。馬子そっくりのあの娘に懸想? わたしにだって相手を選ぶ権利がある。
まあ、とにかく、おかしい。全てがスピーディなのだ。殺されて、葬儀からの下手人の始末。そして、これに誰も文句を言わない。殺されたのは天皇とわたしだけ。
馬子が主犯なのはいい気味だ。何度も言うがいい気味だ。大きな石を何枚も置いた地中深くでわたしを慰めるのは馬子の悪評である。
だが、その一方で、この天皇殺しで罪に問われるべきやつが他にもいるのではないかという気持ちもある。いや、確信している。罪を逃れたやつらがいると。
つまり、馬子は根回しして、皆の同意を得ていた可能性がある。
たとえば、皇族同士での暗黙の了解。
聖徳太子や推古天皇が知らなかったとはどうしても思えないのだ。
分かっている。これを言うとかなり厄介なことになる。だが、大きな石を何枚も置いた地中深くで窒息したわたしとしては見過ごせないのだ。
なぜなら皇族同士の殺し合いはずっと先まで続いている。聖徳太子の息子の山背大兄王、古人大兄皇子、有間皇子。皇子クラスががんがん殺される。海の藻屑と消えた安徳天皇。壬申の乱に敗れた大友皇子を天皇にカウントするならこれも天皇が自害に追い詰められたケースとなる。
別に馬子でなくてもいい。天皇殺しはいくらでも起きうるのだ。
興味深いのは淳仁天皇のケースで、この天皇は謀反の罪で流罪となり(天皇が謀反とは笑わせる)、流罪先を脱出しようとして捕らえられ、次の日に病没している。これで自然死だと信じるようなら、あなたは電話のそばに常にオレオレ詐欺警戒のポスターを貼るべきだ。
それにこの天皇が殺され(?)た後、即位したのは女帝である。
天皇が殺され、女帝が即位する。ふむ、どこかで見たケースだ。
わたしはもうこれ以上、ねちねちというつもりはない。
わたしは史上二人目の天皇殺しだ。しかも、その理由は権力争いの末のもの。父の仇を討つべく立ち上がったひとり目の天皇殺しに比べると、実にせこい。分かっている。わたしはクズだ。
間違いはあの馬子を生涯仕える価値のある人物だと思ったことだ。あいつは平気で子分を売るクソッタレだ。
だが、もうどうでもいい。未来人たちがわたしを連れていってくれることになっている。大きな石を何枚も置いたこの地中深くからオサラバするのだ。
最後にひと言。過去も現在もくそくらえだ。希望はただ未来にのみ存在する。
はい。
確かにわたしは大王を殺しました。
大王が皇族群臣を招いたあの宴のあった日、楼の下で遊んでいたわたしは、大王が我が母にわたしの本当の父を殺したのが大王であること、そして、それを何かの拍子にわたしが知って、わたしが大王を殺そうとするのではないかと心配していることをきいたのです。わたしは大王がかわいそうになりました。わたしは当時七歳であり、とてもではありませんが、大王を殺せるような大きな体をしていませんでした。大王はかなり高齢で五十六の齢、わたしは老齢の大王がわたしのことを怯えることに心から同情し、この悩みから大王を救うには大王を殺害するしかないのだと結論しました。
わたしはその夜、大王の寝床に忍び込みました。月の光が樫の枠をつけた窓から差し込み、大王の太刀飾りがきらきらと光っていました。わたしはそれをそっと抜きました。刀身は碧い石のように光り、こんなに美しいものを見たことは一度もなく、こんな剣で悩みから解放される大王の幸福を思うと、胸が高まりました。太刀は素晴らしい鍛冶屋の手によるもので、羽根のように軽く、切れ味は風のへこみが見える夜に旅人を切り裂くあの怪物のごとく。
大王は国じゅうでもっともきれいで気持ちのよい干し草を詰めた寝台に眠っていました。太っていた王の首は妙に長く見えていたのを覚えています。わたしは太刀を大きく振りかぶって、その首を狙って振り下ろしました。大王の首はころりと落ちました。鮮血が噴き出して、月の光を敷き詰めた床を浸していき、それはわたしが隠れていた床の下へと流れ落ちました。
後は太刀をもとの鞘に返して、わたしは眠りの続きに戻ろうとしましたが、どういうわけだか、刎ねられた大王の首が突然、カッと目を見開いて、グエーッと叫び声をあげたのです。
これは不思議だなあ、と大王の首のそばにしゃがんで見ていますと、大王の断末魔の叫びをきいた舎人や守り人、それに母までが駆けつけて、あっけにとられました。
七歳のわたしが大王を殺したという事実がちょっと受け入れがたかったからです。
わたしは母に捕まって、折檻を受ける覚悟をしましたが、母は凍りついて動けません。
母だけではなく、そこに続々集まった皇族や群臣たちもまた言葉を失いました。
ただ、ひとり大王の弟である大泊瀬皇子だけが何とか口を開いたのですが、そのかすれた声はどうも「誰が黒幕だ?」ときいたようでした。
やはり七歳の子どもが大王の血で濡れた太刀を持っていても、わたしがひとりで行ったとは信じられないのでしょう。すると、大泊瀬皇子が、集まった群臣が、そして我が母がかわいそうになりました。彼らが納得する分かりやすい結論を出すことがその場ですべきことだと思ったのです。とは言っても、わたしは何と言ったらいいのか困り、うっかり「ふたりの皇子」と適当なことを言ってしまいました。
しかし、これが大人たちにとって、何より大泊瀬皇子にとって分かりやすくストンと納得がいったようです。大泊瀬皇子は「ふたりの皇子」をご自身の兄である坂合黒彦皇子と八釣白彦皇子と早合点してしまったのです。
わたしはこのゴタゴタのうちに床下に通じる秘密の通路からさっさと逃げてしまいました。母の折檻を覚悟はしていたのですが、あのお尻のひりひりした痛みを思い出すと、男らしく罪を認める気持ちが負けてしまい、しばらく山に逃げて、罠でウサギを取り、木の実を食べながら、ほとぼりが冷めるのを待つことにしたのです。
さて、大泊瀬皇子はすぐに「ふたりの皇子」――兄の皇子たちを叩き起こして、事情をきこうとしたのですが、そのこたえは全く要領を得ませんでした。もちろん、それはわたしがデタラメを言ったからなのですが、大泊瀬皇子はそれをとぼけているとみなして、八釣白彦皇子を怒りにまかせて斬り殺してしまいました。坂合黒彦皇子は驚いて、その場から大急ぎで逃げました。
わたしは皇子が気の毒になりました。何の罪もないのに実の兄を実の弟が殺し、自分まで殺されようとしているのです。彼の助けになればと思い、わたしは楼のそばの秘密の通路へと彼をまねきました。わたしは大王の館のまわりで遊びまわっていたので、大人の知らない道をいくつも知っていました。
「なぜ、兄上はわたしを疑われるのだ?」
わたしは気の毒に思い、わたしと一緒に山で暮らして、ほとぼりを冷まそうと誘いましたが、坂合黒彦皇子は、嫌だ、嫌だ、山では暮らさぬ、と言って、わたしの誘いを断固として拒否しました。夜は露の落ちぬ屋根の下で寝たいし、舎人の用意した温かい飯を食したいというので、仕方なくわたしは彼と一緒に家臣のひとりである葛城円の館に逃げ込むことにしました。
もう事情が知れ渡ったのか、葛城円は顔を真っ青にしてわたしと皇子を追い出そうとしましたが、既に大泊瀬皇子の軍勢に包囲されていました。
円は屋敷を包囲した大泊瀬皇子に自分は無関係だと説明しました。
「わたしは関係ないのです」
「うるさい。死ね」
「所領を五か所、いや七か所献上しますから、命だけは」
大泊瀬皇子の怒りは相当のものだったようで、円は髪が真っ白になって戻ってきました。
屋敷に火がつけられ、炎に囲まれました。こんなことになって残念です、とわたしが言うと、円と皇子は顔を真っ赤にして怒り(真っ赤になったり真っ青になったり真っ白になったりと忙しいことです)、「このクソガキが!」と叫びながら柑橘を入れておく青銅の器でわたしの頭を真っ二つに割ってしまいました。
その後、新しい大王には大泊瀬皇子がなったそうです。