タイムマシン詐欺――また会う日まで――
ぼくが二十一歳のとき、はじめて娘に会った。
ちなみにその頃ぼくは大学生で、結婚もしていなかった。
それどころか、彼女が出来たこともなかった。
実をいうと、キスから先もまだだった。
だからまさか本当に、娘がアパートを訪ねてくるとは思わなかった。
その日は大学の講義がなく、ぼくはいつものとおりSF小説を書いていた。
そのとき玄関のチャイムがなった。
そして扉を開くと、十五歳ぐらいの若い女性がいた。
ぼくにはそんな少女は見覚えがなかったけれど、彼女は微笑むとぼくに抱きついてきた。
「会えてうれしいわ、私のパパ。はじめまして、になるのかな。何か変な感じ」
彼女の柔らかい体を受け止めながら、ぼくは動転していた。
ぼくの腕の中で、彼女は見上げるようにしながら言葉を続けた。
「何のことやらわからないと思うけど、話を聞いてね。わたし、未来からやってきたあなたの娘」
そういった後、彼女は名前を名乗った。
そうして続けた。
「ねえ、お願いがあるの。パパ、わたしを助けて」
※※※
娘は案外、美少女だった。
ぼくの遺伝子を受け継いでいるとは思えない。
彼女があと三歳ほど年を取っていて、もしもぼくに何の情報もなかったら、特別な好意を抱いてもおかしくはなかった。
ただ、娘と理解している今では、そのような感情は抱きようがなかった。
彼女はぼくのプロフィールを語った。
それも一方的に。
そして大体合っていた。
実際のところ、未来のぼく自身から聞いた話だそうだから、記憶の衰えがなければ、ぼくの認識とは一致するはずなのだ。
それにしても、見知らぬ少女からぼくの秘密をズバズバ言い当てられてしまうとは。
大学生ではあるが、ぼくはすでにSF作家としてデビューしている。
大して売れてもいないぼくの処女作の題名を、彼女は正確に述べた。
まだ家族にさえ隠しているのに。
そして彼女はタイムマシンに乗って未来からやってきたらしかった。
「それにしても、タイムマシンって、本当に出来るんだね」
「そうそう。パパも、関わってるんだよ。なんかさ、パパが考え付いて小説に書いたアイデアが、実際の世界でも利用されたんだって」
「どんなのだろう。これから思いつくにしても、何を思いつけばいいのか見当もつかない」
「ベストセラーになるやつなんだから、ちゃんと考えてよね」
少女は微笑んで、ぼくの腕を肘で小突いた。
ぼくらはソファーに並んで座っていた。
そういう風に、親しげな態度をとられることには若干困惑したものの、まあ、悪くはない。
「……それで、助けて欲しいって? ぼくに何か出来ることがあるの?」
「そう、その話。ねえ、パパ。いまはまだ学生だけど、いちおうSF作家でもあるんでしょ?」
「そうだね。あんまり売れてないけど」
「でも、多少はお金があるでしょう。貸して欲しいんだ。大事なことなのよ」
困ったように眉尻を下げる彼女の愛らしい顔を、ぼくは見つめた。
「どうして?」
「いま、わたしの住む未来の世界で……パパが誘拐されちゃってるの。もちろん、ママも。だから、助けるためにはわたし一人が何とかしなくちゃならない。そのために、少しでもいいから、お金が必要なのよ」
「誘拐だって?」
のんびりとぼくは答えた。
非現実的な話すぎるな、と思いながら。
「そう。タイムマシンを思いついたパパの頭脳、悪人に利用されようとしているの。警察もダメ、中にもスパイが潜んでるから。パパの親友だって、敵だった。銀行の口座も凍結されてしまってる。いまは誰も信用できないの。助けを求められるのは、今のパパしかいないのよ」
ぼくはじっと彼女を見つめた。
冗談ではなさそうな表情をしている。
困惑を秘めた声も真に迫っている。
おまけに、本当にぼくの娘らしいし。
「いくらでもいいの? 少しなら出せるけど」
「本当に? どれくらい?」
彼女の顔がぱっと輝いた。
「せいぜい、三万ぐらいかな」
「それでいいわ。少しは軍資金になる。ありがとう、パパ」
※※※
駅前のATMで三万を下ろし、彼女に渡した。
ぼくらは握手をし、それじゃあ未来で、と約束して別れた。
「また会う日まで、わたしの名前、ちゃんと覚えててよね。何せ、名付け親はパパなんだから」
彼女はそう言って微笑み、手を振りながら去っていった。
彼女の乗ってきたタイムマシンがどこにあるのかは教えてくれなかった。
※※※
アパートに戻ると、もう一人のぼくが部屋の中に座っていた。
鏡の中にいるぼくよりももっと年老いた、二十年後のぼくだ。
「せっかく忠告しておいたのに。困るんだよ、ぼく」
まさか再び現れるとは思わなかったので、さすがに驚いた。
実のところ、彼とは一度、一週間前に会っていたのだ。
「まあ、いいじゃないか。案外かわいい娘で、驚いた」
「そうなんだ。……だから、つい甘やかしてしまった」
未来のぼくが頬をかく。
「だけど、もう年頃だ。いい加減分別をつけさせないといけない。だから、厳しくしたかったのに」
「物語の才能は受け継いでいなかったみたいだね」
ぼくは自分が、未来のぼくと同じように頬をかいていることに気づき、ため息をつく。
それから言葉を続ける。
「あんなウソ、ばれると思わないのかな」
「あの子は本を読まないんだ。そのかわり、ドラマばかり見てる」
「確かに、女優だ。用意したセリフを読むのはうまい。機転も利くんじゃないかな」
「本人も、そうなりたがってるらしい。困ったものだ」
未来のぼくはそう言って、椅子から立ち上がった。
「それで、いくら渡したんだい?」
「三万ぐらい。なあに、何てことないよ。生活には困らない。未来の娘に会えた対価としては、安すぎるぐらいじゃないかな」
未来のぼくはため息をついた。
「そんなに渡したのか。あの子には大金だ。せっかく小遣いを減らしたのに……」
まあ、いいじゃないか、とぼくはまた言った。
「それじゃ、そろそろ未来へ帰るよ。……ああ、あと、きみとはもう会うこともないはずだ。ぼく自身、今のきみと出会うまで、二度と自分とは会わなかったからね」
「……ところで、タイムパラドックスの問題は? ぼくがもし、きみと同じ行動をとろうとしなかったら、どうなるの?」
「心配するな。きみが考え付く理論は、今のきみが想像するよりも、ずっとよく出来ている。いずれこうなることがわかっているだけで十分だ。……じゃあ、さようなら」
そう言って、未来のぼくも帰っていった。
今から一週間前、彼が突然現れて、ぼくに言っていたのだ。
近いうちに未来から娘が来て、金をせびるだろうって。
そのときにぼくは知っていた。
ぼくの未来についてのある程度のことも、それにタイムマシンが実用化されたことも。
タイムマシン詐欺といって、まあ厳密には詐欺ではないのだけれども、過去の親族に会ってお金をだまし取る若者が増えていることも。
まさか娘がそんなことに手を染めるとは。
下手なウソをついて。
結構上手な演技でもって。
それにしても彼女は、彼女が現れたことに驚くフリをする、ぼくの下手な演技に気づかなかったのだろうか。
あるいは、気づいていても構わなかったのか。
もしくは、結構、ぼくの演技もうまいのか。
「親譲りの才能、か……」
ぼくはつぶやき、まだはっきりとその姿を思い起こせる、あの少女と再会する日を想像する。
そのときはきっと、彼女は産まれたばかりで、大声をあげて泣いているはずだ。
それからぼくは目を閉じる。
そうしてぼくはぼんやりと、娘と同じようにこれから産まれてくるらしい、まだ見知らぬタイムマシンについて考えはじめた。