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5 貸し借り


 まだ朝は早い時間でもあり、朝餉も済んでいないため、剛蓋は立ち去った。

 するとすぐに萌香先生が駆け寄ってきた。

 その瞳は潤み、頬は上気している。


「あの、関谷くん、その、昨夜は助けてくれてありがとう。……それとさっきのは」


「あまり気にしないでください」


 俺は先生の言葉を遮って言う。


「借りを返しただけですから」


「借り……? 借りって…………あっ」


 首を傾げていた先生だが、俺の言う『借り』に思い至ったようだ。


「……あれは、関谷くんの事情を鑑みればしょうがない面もあったわけだし……でもそもそも……結局はお互い様だったわけだし……」


 ごにょごにょと歯切れの悪い先生。

 そんな先生にふたたび気にしないよう声をかけようとしたら、「見損なったわ!」と鼻息荒く乱入してきたのが花凜。


「昨夜は先生を助けてくれたから男気あるやつだと思ったのに……!」


 ぷりぷりと憤慨している。

 日本ではさばさばしていたと記憶しているのだが、この世界に来てからは余裕がなくなり、だいたいいつもこんな感じだ。

 そんな花凜に対し、先生は自分のために怒ってくれているために何も言うことができず、困った顔をしている。


 俺としてもこの状態の花凜は正直相手するのが面倒くさいし、女の激情は手に負えないことは身に染みてわかっている。

 なので、「ああ、そう」とだけ言い残して立ち去ろうとした。

 しかし、


「……何か用か?」


 俺の進行方向に星が立ちふさがった。

 この世界でも、元の世界でも、星とはそんなに話したことがない。

 二言三言くらいか。

 そんな星がいったい俺に何を言ってくるのかと思えば、「ありがとうございます」とほがらかに礼を言ってきた。


 ……正直なぜ星が礼を言うのかわからない。

 同性である先生を助けてくれてありがとう、ってところか?

 詳しく理由を聞こうとしたら、


「ああ、皆まで言わずとも結構です。わたしにはわかっていますから」


 と、こちらを制して、たおやかに微笑むのみ。

 何をわかっているのか、こちらとしてはまったくもってわからないのだが、それよりも。


 その笑みを見た途端、全身が粟立った。


 一見すれば、おしとやかな美少女が浮かべる上品な笑み。

 が、感じたのは真逆、言い知れない怖気を誘う魔性の笑み。


 俺がすべきは花凜に対するのと同様、「ああ、そう」と言い残して気持ち足早に立ち去るのみだ。




 さっきはああして名乗り出たが、別に本気で結婚したいわけじゃないし、先生に対する恋心なんてものもない。

 先生に言ったように、ただ『借り』を返しただけだ。


 俺が幼いときに、すぐに暴力をふるってくるクソみたいな両親は蒸発。

 親類縁者もおらず、中学まではクソ溜めみたいな施設で過ごした。

 当然、義務教育を終えて働けるようになるやすぐに独立。

 高校には奨学金で通っていたが、それでも一人での生活はカツカツだった。

 この不景気なご時世、普通のバイトだけでは足らず、知り合いの伝手で働かせてもらえた高時給の夜のバイトで一応はどうにかなった。


 が、その内のひとつ、バーの雑用(その他諸々の仕事)の際に、萌香先生に見つかってしまったことがある。

 こちとら奨学金で通う身の上なのだ。

 停学はもちろんのこと退学もやむなし。これにて晴れて中卒。就職は知り合いの事務所一本か、と内心覚悟を固めていたのだが、なんと先生は見逃してくれた。


 だから俺も助けた。

 受けた恩は返すものだから。

 これはただそれだけの話だ。


 仮にこれが先生じゃなくて女子二人なら見て見ぬ振りをしていたのだが、丸山は先生を選ぶあたり運がなかったな。

 クソ溜めみたいな施設で培われた盗人センサーは、寝ていようとも関係ない。

 どれほど疲れていようとも、あんな雑魚寝の環境で俺が深く眠れるわけがないのだからなおさらだ。


 まあこれで少なくとも戦の決着までは、先生の身は保障されたも同然だろう。

 俺や丸山を差し置いて、先生に手を出す奴が出るとは思えない。


 それに俺が丸山より戦果をあげたところで求婚の権利をもらうだけ。

 本当に結婚する必要はないだろう。

 それで先生への借りは完全にチャラだ。

 というか異世界こっちでの行いの分、こちらの貸しまである。


 俺より丸山が戦果をあげても同じだ、と言いたいところだが、丸山の場合は先生を本当にもらわないと筋が通らない。

 まあそのときは、先延ばしできただけでも良しとしてしてもらおう。

 俺は悪くない。


 それに俺も丸山もあっさり死ぬかもしれないしな。

 だから先のことを考えても仕方ない。

 なるようになるだろう。




 丸山が起こした事件後。

 男子と女子の間の空気は、かつてないくらいギスギスしていた。

 さすがの俺でも嫌になるくらいだ。


 その空気の発生源は、間宮花凜。

 男子を、特に丸山を見る目は敵を見るかのよう。

 訓練中だろうが、食事中だろうが、それこそ就寝前は、とてつもなく剣呑な空気を発し続けている。

 そんなに眉間にしわを寄せていたら疲れるだろうに、ご苦労なことだ。


 その丸山はといえば、男子の中では村八分にされている――わけでもなく、割と同情されていた。

 というのも皆、大なり小なり性欲には悩まされており、情状酌量の余地があるとみなされたのだ。

 それに俺も丸山個人に恨みがあったわけではなく、向こうからの謝罪、「僕の暴挙を止めてくれてありがとう」という言葉でもって和解は済んでいる。

 被害者である先生に対しても、地に頭を擦り付けた土下座の形でケジメをつけているし、もし俺より戦果をあげたことで求婚せざるを得なくなっても、先生が嫌がるなら無理強いはしないとの言質を預けていた。

 武藤の入れ知恵だが、これぞ文句のつけようもない、完全なる手打ちだろう。


 しかしそれでも花凜は収まりがつかない。

 いい加減許してやれよとも思うが、この男尊女卑世界への不満を含めた怒りなのであろうことは容易に察しがつく。

 だからこそ、男子と女子との国交回復の特使たる武藤には、花凜を除いた全員の期待が込められているのだが、いかんせん芳しくない。


『どうにかしろ、武藤!』


 とは俺を含めた男子全員が思っていたのだが、だからといって女子に話しかける際に俺を巻き込むのはやめてもらいたかった。


 武藤的には善意のつもりなのがまた腹立たしい。

 なにせ武藤には、俺が先生に好意を抱いていると思われていた。

 いくら俺が簡潔に否定しても、論理的に否定しても、「照れ隠し乙」と言って聞く耳持たない。

 それは他の男子も同様。

 ここぞとばかりに俺を冷かしてくる。

 本当面倒くさい奴らだ。


 ……まあ致し方ない部分はある。

 この世界に来てから、楽しい話題がまったくなかったことが大いに影響しているのだ。

 だからこそ、上から目線で『貴重な娯楽を提供してやってるんだ、有難く思えよ』と思えば、自然と腹も立たなくなるものだ。


 当事者たる先生と星は怒っていないようだし、この空気の癌である花凜さえどうにかなれば、割と安定しているといえた。


 しかし、日に日に戦の日は近づいている。

 そろそろ本当にどうにかしなければならない。


 そう思っていたのは俺だけではなかったようだ。


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