4 丸山の暴走(未遂)
草木も眠る丑三つ時。
ハードな訓練で疲れ果てたクラスメイトが泥のように眠る中、いつかは起こると思っていたがついに動きがあった。
むくりと起き上がる人影。
数少ない木格子窓から差し込む仄かな月明りのみが光源では、室内はほとんど暗闇同然で、起き上がったのが誰かはわからない。
そいつはこそこそと音がしないよう這いずると、女子との境界線を乗り越える。
そして、寝ている三人のうちの誰かに、がばっと覆いかぶさった。
「っ!?」
寝ているところに不意打ちされた誰かは当然の反応として悲鳴を出そうとしたようだが、くぐもった音しか聞こえない。
どうやら口を手で押さえられたようだ。
「静かにしろッ」
小声ながら必死で恫喝する男。
「~~~っ!!」
が、それでも暴れようとする女。
闇の中、いきなり襲い掛かられているのだから当然だろう。
しかし、
「騒いだら殺すぞッ」
小声ながら確たる殺気の込められた物騒な言葉と、容赦のない力で首を絞められれば、鍛えられた男の力と比べて非力な女の身では抵抗できなくなるのもまた当然だった。
「ようし、いいぞ」
安堵の色が多分に含まれた男の声。
抵抗されたら本当に殺していたのか、それとも日和ったのか。
それはわからないが、これで男が調子に乗ったのは確かだ。
「首から手は離すけど、もし騒ぐようなら殺すからね。僕らは殺すための訓練をしてるんだ。先生はついていけなかったけどね」
襲われているのは萌香先生のようだ。
内心で舌打ちする。
よりによって先生か……考えてみれば、この中で一番の弱者は先生なのだから当然の帰結なのか。
歳が離れているせいで安パイだと思っていたので、正直予想外だった。
そして、手を離しても先生が騒がなかったことで、男が本題に入る。
「いきなりで悪いんだけどさ、もう限界なんだよ」
「?」
切羽詰まった男の声に俺は察しがついた、というかもともと察しがついていたが、先生は理解できなかったようだ。
そんな初心な先生に対し男が言う。
「一発抜いてくれよ」
「!?」
「なにもエッチさせてくれとは言わないよ。パパっと手で済ましてくれればいいよ。僕らは大変な思いをしてるんだ。日中暇な先生なんだから、それくらいはしてくれてもいいんじゃないの?」
顔は見えないが、したり顔で言っているのが目に浮かぶようだ。
だからなのか、イラっと来た。
たしかに先生は、俺たちほど痛めつけられてはいない。
だが何もしていないわけではなく、昼間はひとり俺たちの衣服の洗濯や、この建物の掃除をしているという。
たかが洗濯掃除と思うかもしれないが、この世界には洗濯機も掃除機もない。
蛇口をひねれば水が出る水道だってないから、水汲みひとつ取ったって重労働だ。
それに精神的な疲れも馬鹿にできない。
慣れない環境は、精神を蝕む。
責任感の強いまっとうな大人ならなおさらだろう。
先生が何かしらの行動を起こす前に。
俺は立ち上がるや、助走をつけて先生に覆いかぶさっていた男を思い切り蹴飛ばした。
「があっ!?」
「きゃあああああああっ!?」
蹴りを胴体に入れたので勢いよく床を転がった男が出す聞き苦しい音に加え、先生の甲高い悲鳴が暗夜に響き渡る。
当然、目を覚ますクラスメイトたち。
蜂の巣をつついたかのように広がる騒動の中、俺はとりあえず下手人を捕まえておくことにした。
そうして、翌朝早朝。
昨夜の騒動の後すぐ騒ぎを聞きつけた見張りの兵士がやってきたが、何が起きたのか事情を説明することでひとまずは事なきを得て。
外が白み始めるや、待っていたのは女子――というか花凜――主導による弾劾裁判だった。
「もう一度聞くけど、どういうつもりだったのよ」
気まずい空気を醸し出すクラスメイトに見守られる中、腕を組んで目を三白眼にして詰る花凜。
それに対し、縛られた状態で座らされているのは、現行犯で捕まえた下手人、丸山泰司。
俺はこいつとはたいして話したことはないが、誇大妄想の気があるオタクな男だと認識している。
しかしさっきからずっと俯いたままだんまりだった。
「何とか言いなさいよ!」
焦れた花凜の語調が荒くなる。
そこへ、騒ぎを聞きつけたのか剛蓋が現れた。
「何事だ」
そう聞いてくるが、大体のあらましはすでに聞いているのだろう。
その視線は明確に先生をとらえている。
が、先生にとっては久々の剛蓋なのか、ひどく怯えていた。
尻込みする先生に代わって、物怖じしない花凜が真っ向から説明する。
事の次第を聞き終えた剛蓋は、「ふむ」と一言つぶやくと、
「まあ、ある意味では致し方ない事態だな。そも、こうなることは薄々わかっておった」
「ならなんでっ」
「本来ならば未婚の男女は部屋を分けるものだ。が、そちらのしきたりでは男女平等なのだろう。それに合わせただけよ」
「そこは分けてくれても」
「あまり都合のいいことを言うなよ、小娘」
「っ」
剛蓋の殺気交じりの啖呵だが、それでも花凜は何事か言い募ろうとする。
が、剛蓋はそれを無視して先生に向き直る。
「小森殿」
「……はい」
「貴女はその男に対し、どのような処分をお望みかな? こちらの世界では、合意のない相手に対する夜這いは重罪。死刑すらあり得るのだが」
その言葉で、顔を真っ青にする丸山。
先生も自分が発端で教え子の命が消されかねないと聞いて、血の気が引いている。
「それは……」
答えられずに言い淀む先生。
そんな先生に対し、剛蓋は「しかし」と言う。
「当然のごとく合意があればお咎めなしとなる。もし、もし仮にだが、そこの男が戦場で功をあげ、貴女を娶るというのならこちらとしても言うことはなくなるのだが」
剛蓋の言わんとすること。
それは、この問題の解決と先生の処遇を一気に図ろうというのだ。
「……」
先生が無言のまま、丸山の方をちらりと見た。
すると、丸山は命綱に飛びつくかのように食らいついた。
「せ、責任取ります! 僕が先生を娶るんで許してください!」
その必死さは本物だが、そこに誠意は感じられない。
この場を乗り切りたいだけなのが見え見えだった。
「と、この者は言っておるが、責任をもって娶ってもらえるのならば悪いことではないと思うのだが、いかがか?」
後押しするかのように、剛蓋が話をまとめようとする。
それに加えて、ギブアップしたクラスメイトの女子が知らない男に嫁入りしなければならないことが弱みとなっている。
こうして先生には逃げ道がなくなった――ところで、これまで傍観していた俺は満を持して前に進み出た。
「じゃあ俺がもらっても構わないですよね?」
「「「!?」」」
突然の発言に、クラスメイトはおろか、剛蓋ですら驚きの表情を浮かべている。
「はあ!? 何言ってんのよあんた!」
一拍置いて、花凜が突っかかってくる。
女性陣の方を見ると、信じられないという表情がありありと出ている花凜に、赤面して目を見開いている先生。
あとはこれまで俺と同じくずっと静観していた星は、こちらの意図をつかみ切れないのか疑わしそうに目を細めている。
「俺がもらっても問題ないですよね?」
それらを無視して、もう一度、剛蓋に直接問いかける。
が、慌てたのは丸山だ。
「な、なんでですか!? 関谷くんには関係ないでしょう!」
責任を取ることでこの場を乗り切るのだから、責任を取れなければこの場で問題は片付かず、よしんば話が流れたとしても、また花凜に蒸し返されて詰問されてしまうだろう。
だから必死だ。
でも俺は相手にしない。
決定権を持つのは、剛蓋だけだからだ。
「…………」
しかし、剛蓋にも俺の真意は見抜けないようだ。
しばらく無言で思案していた剛蓋だが、処遇は決まったようだ。
「よかろう、次の戦でより活躍した方に求婚の権利を与えよう。……それでよろしいかな?」
水を向けられた先生が恐る恐る「はい……」とうなずくことで、この場はひとまず収まった。