♯8 焔へ
「――聞いたか?」「聞いたって、何が?」「聞いてねぇのか? シャドウだよ、シャドウ! 2、3日前からこの辺りで見たって奴が増えてるらしいぜ」「へぇ、そりゃあ初耳だな。―――マスター、エールおかわり! ……それで? 今度はどこを狙うんだ?」「んなこと、オレに聞かれても知ってる訳ねぇだろ!」「でも、アタリはついてるんだろ?」「……まぁな。これまでの事件と目撃証言から、オレは孤児院か教会だと思ってる」「なるほど。つまり、孤児院と教会はナシってことか」「おい、どういうことだよ!?」「だって、お前の予想当たったことねーじゃねーか。ほら、この前だって――」「おい! その話は止めろって!」――
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「それは本当か!?」
「はい。複数の筋から得た情報に加え、我々も確認しましたので、まず間違い無いかと」
「あの件がバレたか? それとも……いや、とにかく対応が先じゃな。冒険者を雇え! 至急防備を固めるんじゃ!」
「承知致しました」
「……ったく、ツイておらん。これでいよいよ表立って動けなくなってきたわけじゃが…………、それはあの老害も同じこと。どれ、今のうちに手を打っておくかのう」
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「兄ちゃん兄ちゃん、シャドウが来てるって! 見に行こうよ!!」
「だぁ〜、もううるさいなぁ!! そもそも今から行ったって見れるわけねぇだろ!」
「そうじゃなくて、今夜だよ! 今夜探しに行こうよ!」
「はぁ……、仕方ねぇな。お前一人だと危なっかしいから、オレも付いてってやるよ」
「そんなこと言って、兄ちゃんも見に行きたいんでしょ?」
「そ、そんなことね……え、ょ……」
「? どうしたの、兄ちゃ……ひっ!?」
「いいかい、真夜中に外に出るなんてことしたら、明日の朝までは家に入れないからね?」
「「…………」」
「返事は?」
「「……はい」」
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「へぇ、シャドウ、ねぇ。……強いのかな?」
「アンタねぇ……。戦闘狂も大概にしなさいよ」
「いいじゃない、別に。僕の自由なんだし」
「それでパーティメンバーの私にまで迷惑がかかるのが嫌なの。ほら、この前も……」
「まーた始まった。そんなカッカしてると、老けるよ?」
「アンタねぇ!!」
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シャドウ
本名不明。性別不明。身長体重生年月日等々、一切不明。個人なのか団体なのか、人か人でないのかすらも不詳。背の高い紳士、小太りな中年男性、酒場の踊り子、町娘、騎士鎧を纏った番兵、貴族風な青年、花街の娼婦、犬、ハエなど様々な形にその姿を変化させることが可能。何らかの魔術、あるいは魔法生物であるとの説が有力。数年前、イルルガ帝国内で目撃されたのを境に世界中で目撃証言が挙がり、時には同日に数百キロ離れた複数の場所で目撃されることも。そのことから集団と推測する者もいる。現れた場所では必ず貴族や商会、あるいは盗賊団などの悪事を暴いており、そのため世論では正義の味方と目されている。その謎の多さから、正体を暴いた者には複数の個人ないし組織から多額の報酬が支払われる。それに釣られ何人もが正体を暴こうと躍起になっており、そしてその試みは悉く失敗している。また、極一部ではあるがシャドウを神の使いとして神聖視している者も存在する。これまでに確認されたシャドウの共通点――集団であるという説を安易に否定してしまわないよう、敢えてこのような言い回しを使った――は3つ。変身が解けた姿は、決まって影のように黒いローブを纏っていること。攻撃された際なども含め、決して声を出さないこと。右半分が黒、左半分が白の仮面でその顔を覆っていること。 ―――
―――赤ランク冒険者、『夜霧』ウェイドの手記より
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イルルガ帝国帝都より南西50キロ程にある国内第二の都市、エーリューズニル。地下に巨大なダンジョンが存在し、そこから手に入る素材や魔道具を目当てにした冒険者や鍛治師、商人達が繁栄させてきた土地であり、帝都や他の地域に武器や装飾品を輸出することで更に莫大な富を生み出し、また、帝都との距離や付近を通る街道が多いことから交通の要衝としての役割もある。この街が潰れるだけで帝国も潰えると言っても決して過言ではない、ある意味で帝都より重要な土地だといえよう。ただ、土壌が痩せていて野菜や果物があまり育たないというのが玉に瑕といったところか。
そのような土地柄から、当然人が多く集まることになる。すると、街に定住しようと欲する者がいるというのも想像に容易い。また、その中に商人が一定数存在すること、富が集まることなどから、彼らの一部が富豪となり、そして腐敗していくというのも当然の結果だろう。
冒険者はダンジョンに潜り、富を得る。商人はダンジョン産の素材や魔道具の売買で、富を得る。どのような者にでも一発逆転の可能性がある、言うなれば希望と欲望の都市。
だからか、いずれシャドウがこのエーリューズニルの街に現れるだろうと考えた者は多かった。―――そして、狙われる心当たりがある者も、また。
その結果が―――
「おい、何人雇えたか報告しろ!」「まだ10人程しか雇えていません!」「まだ1人も雇えていないとはどういうことだ!?」「冒険者ごときが儂が直々に出した依頼を受けぬなど!」――
これである。
通りを歩けば冒険者達を雇わんとする声、もとい怒号があちこちから聞こえてくる。に対し、当の冒険者はというと―――
「おー、盛り上がってるわねー」「お前はどこか受けるのか?」「受ける訳ないだろ」「報酬は良いんだけど……。どうしよっかなー」「俺もパスかな」「私は受けたよ。……じゃなきゃ金欠で死ぬ」「俺も受けるぜ。少し恩のある奴が依頼を出してたしな」――
依頼を受ける者もちらほら存在するものの、受けないというものが多数を占めていた。それも依頼人に後ろ暗いものがある商人が多いのを考えれば、至極当然と言えよう。結果、依頼を受けるのは金に困っている者や事情に疎い者など、街にいる冒険者のうちの一部に限られるのだった。
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翌早朝。
「……で、結局奴は来なかったのか」
「俺の方には来てない。……お前もダメだったか」
宿や食堂では情報の交換が行われていた。その中心にいるのは、昨夜商会の護衛依頼を受けた冒険者らだ。
情報を求めるのは冒険者や商人、吟遊詩人、事情通と呼ばれる類の人間が多い。
「ああ。まぁ、ダメ元だったしな。後で他の奴にも――」
カランコロン。
「いらっしゃーい」
段々と朝食目当ての客が増えてくる。それを見た店の主人は長時間居着いている客を追い出し、朝食作りに精を出す。こうして街は何気ない日常、といった空気を取り戻していくのだった。
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「全くもって、呑気なことだねぇ。居もしない奴に躍起になって」
婆がぼやく。
婆は昔僕を拾ってくれた人だ。
赤ん坊の頃、僕は森で捨てられているところを見つけられた。僕を見つけたのは冒険者のパーティで、これまでにも何度かあったことがあり、今もたまに会う。その後、彼らはツテを辿って婆に僕を預けた。ちなみに、彼らが僕を引き取らなかったのは、いつ死ぬかわからない仕事だからと本人たちが言っていた。そして文字や計算などを婆に教えてもらい、今に至る。
「でも、絶対にいないとは言い切れないんじゃない?」
婆のぼやきに僕が答えると、
「そりゃそうだよ。あたしが信じる信じないの問題さ。それと、他人のぼやきに反応する前に手を動かしな、ほれ」
そう言って、僕に薬草の束を投げて寄越す。
婆は僕にいろいろなことを教えてくれたが、僕が15歳(あくまで予測)になるや否や、誕生日(適当に決めた)のその日に、
「お前を育てた恩は、金か仕事で返すんだね」
と言って、僕に婆の仕事である薬屋の手伝いを始めさせた。
ギギギギ……。
古ぼけたドアが開く音がしたので、僕は手許の薬研から視線を上げる。
「いらっしゃいませー」
入ってきたのは冒険者だろう。腰に剣を佩ている男だった。それを確認して、僕は再び薬草をすり潰す作業に戻る。
男はしばらく店を物色し、中級の回復薬を何本か買って行った。
午前中に来た客は冒険者風の男と、店の常連が二人だけだった。
調薬も一段落したところで、僕は昼食を作りに家に向かった。
家は薬屋の裏口を出て細い路地を抜けた先にある。
見た目はあばら家、中身もあばら家。僕たち二人が暮らして手狭に感じる程度の広さに、そのくせ家具や調理器具は一流のが揃っている。婆にとって思い入れのある品々のようだが、婆はそれらについて一度も語ったことがない。
彼女曰く、「人の過去は訊くもんじゃなくて、聞かされるもんだよ」だそうで、この言葉を発したときだけいつものいかめしい顔から少し物憂げな、それでいて懐かしむような顔をしたのをを見て、僕は何かあるんだと思いつつもこれ以上詮索しないことにした。
「ちょっと、いいかな?」
家に戻る途中、ふと声をかけられた。そちらを見ると、車椅子に乗った白い人がいた。
何も服が白いとかではない、本当の意味で白い────つまり、髪も肌も真っ白。それどころか睫毛さえも真っ白な────人が。ただし、その瞳だけは他の何より鮮やかな朱の色をしていた。髪型や声、顔立ちは中性的で、目の前の相手が男と言われようが女と言われようが納得する。歳の程は僕と同じくらいだろう。
「一人で段差を登れなくてね、困ってるんだ。助けてくれるかな」
その声でしばし我を忘れていたことに気付き、僕は件の段差を見た。なるほど確かに車椅子だと難しそうだ。
僕は、
「別に構わないよ」
と答え、車椅子を押してあげた。
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その晩。
『平和が終わるのはいつだって突然だ。君も覚悟したほうがいい』
フランツはこの言葉が気にかかっていた。昼間の車椅子の白子────そういう呼び方があると、婆に教わった────が去り際に助言と称し呟いた言葉だ。この不穏な言葉について聞こうとしたが、その頃には彼ないし彼女は「ありがとう」と言って去ってしまった。
普通であれば世迷言と嗤うのであろう。だが、それにしては目つきといい声の重みといい、身に纏っていた空気がそれを許しはしなかった。あの者の正体、なぜあのような路地裏にいたのかなど疑問は尽きない。それらが気味の悪い澱となり、既に夜が深けてしまった今もなお彼の意識に陣取っていた。
そして、同じ頃―――
「さて。少しだけ忙しくなるよ、シュヴァリエ。この街は今から死者の住処となる」
街で最も高い教会の塔の上の、車椅子に座った者がその特徴的な白髪を揺らしながら呟いた。その朱の瞳をダンジョンの入り口に向けながら。
真夜中の冒険者ギルドの門前に、血みどろの男が一人とひとつ。彼はただの肉塊と成り果てた相方を担いで、ギルドの門の中へ────。