ハヴェイへの道
レネは、馬車に揺られながら昨夜のことを思い出していた。
深夜、窓に小さな音が響いた。
コン。
なんだろう、と窓に近付くと階下の庭に人影。
見間違うはずもない、ジルディークの姿。
レネの部屋は2階だが、階下のジルディークの顔が窓の灯りに照らされ、はっきり見える。
ガウンを羽織り、窓から身を出す。
窓下のジルディークの口が、会いたかった、と動く。
私も、と返して、時間に気づく。
この時間まで会議だったのだろうか、あの兄も今日は来ていない程忙しいのだ。
デモア、ハヴェイの戦争終結。和平条約が調印されたと聞いたのは昼の事。
夜が明けると、ハヴェイに向かう。
和平条約が締結された後も、問題がたくさんあるのだろう。
顔見れただけでも嬉しいが、それだけでは我慢できない。
扉の外には衛兵が番をしているので、廊下に出るのは無理だ。
周りを見渡すけれど、ロープなどあるはずもない。
ちょっと待って、とジルディークに合図を送って部屋の奥に戻る。
ベッドスプレッドとシーツを手早く外し結ぶと、長い布が出来上がる。
それをベッドの天蓋の柱に結び、窓から垂らす。
窓下のジルディークが驚いた顔をしているのを見て、満足するレネ。
「やめろ、危ない」
ジルディークの口が動く。
そんなの知っている。
でも触れたい。
大きな声だすとバレちゃうよ、周りは寝静まっているんだから、とレネは笑う。
レネの足が地面に着く前に、ジルディークに抱き留められた。
「なんて危ない事をするんだ。」
トウゴ伯爵の時は、もっと危険な事をさせようとしたくせに、気持ちを自覚したら過保護になったジルディーク。
孤児院では高い所から飛び降りたり、木登りをして遊んだレネ。
「しばらく会えないからな。遅くなって悪かった。」
レネがジルディークの首に手を回すと、そんな言葉が帰ってくる。
「もう、会えないかと心配した」
レネは拗ねたように言うのを、ジルディークは笑って答える。
「友好国の姫君だ。正式に縁談を申し込む」
うわっ、縁談って、お嫁さんになれるの!?
レネが夢みたいと、真っ赤になる。
レネの中で、小姑メイナードの顔が一瞬浮かんだが直ぐに消えた。
「朝まで一緒に居たい」
真っ赤なレネがジルディークの耳元で囁く。
「ダメだよ。
誘惑に落ちそうになるが、レネが大切なんだ。
堂々ともらい受ける」
レネを地に降ろすと、手に持っていた花を髪に挿す。
さっき、窓に当たったのはこの花の枝だろう。
「ここに来る途中で見つけた。
贈り物を用意する時間がなかった」
レネの頬を撫でるジルディークの手に、レネの手が重ねられる。
「とっても嬉しい」
少しの時間、二人で体温を感じ合って、ジルディークはレネを腕の中から離した。
「もう、お帰り。
必ずハヴェイにもらいに行くから」
ウン、と頷くレネが窓から垂らしたシーツに手をかける。
「まったく、お転婆な姫君だな」
仕方ない、とばかりにジルディークが笑う。
この時はまだ、アマディが逃げた事を知らない。
「エミリーローズ」
名前を呼ばれてレネが、向かいに座るメイナードを見る。
そうだった、今朝デモア王国を出立したんだった。
「聞いているのか?」
まったく、とばかりにメイナードがもう一度、エミリーローズと呼ぶ。
「デモア王国では、どこで聞かれるかわからないから話せなかったが」
それは、部屋にも盗聴があるかもしれない、ということだ。
ハヴェイの王宮ではあるのだろう。
「母上は身体が弱っているだけでなく、心まで病んでいる」
一国の王妃の病状は機密なのだろう。
「エミリーローズが連れ去られてから、時が止まっている」
え?
レネが息を飲む。
「今のエミリーローズをわからずに、辛い思いをさせるかもしれない。
母上は、ずっとエミリーローズを探している。
母上は何度もエミリーローズが連れ去られた瞬間に戻っては、泣き叫び体力がなくなっていったんだ」
「国境を越えるまで1日、それから1日走って、母上のおられる離宮に馬車を着ける。
僕は、すぐにでも王宮に戻って和平条約の報告をせねばならない。
母上をお願いしていいか?」
「はい、お兄様」
「令嬢達は、実家に戻らす。それから離宮に出仕してもらうよ。
エミリーローズは一緒に王宮に登城しなさい」
レネとメイナードを乗せた馬車は、デモア王国の王都から、どんどん遠ざかって行く。
最後に孤児院のシスターに挨拶も出来なかったと思い出した。
ユレイア公爵家で、外に出れなくとも、いつでも行けると思っていた。
もう二度と行けない。
馬車の窓から王都の方を見てレネが涙するのを、メイナードが見ていた。




