地下通路
カビ臭い。
日の当たらなく湿気の多い地下道に敷かれた絨毯は、足音を抑えはするが、カビの温床になっていた。
伯爵に腕を引かれながら走るレネは、そんなことを思っていた。
執務室に引きずり込まれた時には、すでに姿見は移動して暗い穴が開いていてた。すぐに地下に降りる階段になっており、伯爵は慣れた様子でランプに灯りをともし手に持つ。
伯爵は、すべての準備をしてサロンに来たということだろう。
引っ張られる腕が痛いよりも気持ち悪い。何とか逃げようと考えるが、タイミングを考えないとヒールの靴のレネはすぐに追いつかれる。
しかも伯爵は短剣を用意していたらしく、胸の内ポケットからすぐに出せるよう柄の部分が出ている。
何か所か横に階段があったが、伯爵は通路をまっすぐに進む。この通路はいくつかの部屋に繋がっているのだとレネは推測する。
ゲイル様が追って来てくれるはず、その時に逃げれるよう体力を残しておこう。
ガタガタ、壁が動いて扉が現れた。
地下通路にある隠し扉だ。
伯爵は扉を開けるとレネの腕を引っ張った。
こんな部屋に入ったら、ゲイル様が追って来ても気が付かず通り過ぎてしまう。
髪をくくっているリボンをあわててほどき、ドアに挟まるように落とす。
地下通路からでないと入れない部屋。
部屋は窓もなく、灯りで明るいがカビの匂いの他に薬品の匂いもする。
なにが?
とレネは部屋の中を見て、意識が遠のきそうになる。
しっかりして、しっかりするのよ、と自分を奮いだたせて意識を保つ。
正面の飾り棚にずらりと並ぶガラス瓶の中には、薬品に浸かった目玉が入っていた。
怖すぎて言葉も出ない、身体が震えてきて足が動かない。
レネの腕をやっと放した伯爵が笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ、レネちゃん。
レネちゃんが一番綺麗だからね。
侍女服似合っているよ。
でもね、僕がもっと奇麗なドレスを着せてあげるよ。その紫の瞳に合うのをね」
いらない、そんな物いらない、答えたら喜ばせるだけだと思い、レネは口に出さない。
「やっぱり、レネちゃんの瞳が一番いいな。
その薄い紫は特別だね。
紫の瞳の女の子を何人か連れて来たけど、全然違うんだよ。普通の紫色なんだ」
だから何? 連れて来た?
レネの心臓の音が自分でわかるぐらい緊張が高まる。
「グレチモア、どうなっている?」
背後からかかる声にグレチモア隊長が振り返りもせずに答える。声だけで王太子と分かったようだ。
「この隠し通路から、侍女を連れて伯爵が逃げました。数十名で追いかけており、出口がありそうな西の塔と厩舎にも兵を配備して」
グレチモアが言い切る前に、ジルディークとローゼルが暗い穴に飛び込む。
「殿下!!」
侍女を連れて伯爵が逃げました。
ジルディークの頭の中で、グレチモアの言葉がこだまする。
レネを囮にすると決めた時から、危険は分かっていた。
結局、ヤールセンの言う通りだった。
凡庸と思っていた伯爵は、危険な人間であった。
レネ、絶対に助ける。傷一つつけるものか。
ジルディークとローゼルが地下通路を駆けていく。