トウゴ伯爵
通されたのはサロンの1室だろう。落ち着いた調度品に歴史を感じる。
レネはこっそり周りを窺いながら、トウゴ伯爵はどんなことをしたのだろう、と考えていた。
自分が、指名されたということは、紫の瞳が原因だろうと思う。
もしかして、ハヴェイと通じている、ということか。
反対に、ハヴェイに敵意を持ちすぎて、紫の瞳の人間を惨殺か。考えてぞっとするが、ゲイルの態度を見るとこれが近いのではないか、と身震いしそうだ。
孤児院に居た頃も、敵国の瞳だ、といじめられた。
街にでた時は、石を投げられた時もある。それから、滅多に街には出なくなった。出ても顔を隠すように深いフードを被った。
「生憎、奥様は出かけられていて、旦那様が参りますので、もうしばらくお待ちください」
部屋まで案内した家令がうやうやしく頭を下げるのを、レネは慌てて止める。
「私はただの侍女ですので、お気になさらないでください。
伯爵様にお目通りするほどではありません」
会いたくない、この思いに尽きるが、それではジルディークの役には立たない。
それに今は公爵家の使いとして来ている、醜態はさらすまい。
サロンのソファーに腰掛け、姿勢を正す。
背後には、後ろで手を組んだゲイルが立っている。
その気配があるだけで、心強い、嬉しいと思う。
公爵家で過ごした6年は、確かな信頼関係を築いていた。
ガチャ、サロンの扉を開けて入って来たのは、レネの記憶のままの伯爵であった。
つり目で、笑い顔をしているが視点がレネから動かない。
急いで来たのか、少し息を切らしながらレネの前に来る。
「お待たせしました。
妻に代わり、私が確認して返事しますので執務室にご案内します」
ゲイルは悪寒が走る、というのを伯爵を見ていて味わった。
部屋に入って来た時は普通だったのだ。レネを見た途端、浮かべていた挨拶用の笑顔が嬉しくてたまらないというような満面の笑みに代わり、背後に控える護衛など見向きもしない。
見ている者まで連られるような笑みではなく、欲望の出た笑みとでもいうのだろうか。
ただ、レネだけを見つめて近づいていく。
「伯爵、執務室ではなく、こちらでお書き願えないだろうか?」
ゲイルが言葉を発すると、やっと護衛の存在に気づいたかのように伯爵の視線が動く。
「ここには封蝋も印も置いていないので、無理なのです」
そう言って、家令に執務室にお茶を用意するように指示を出す。
「侍女殿こちらへ」
そう言って返事を待たずに歩き出した伯爵に、レネは付いて行かざるを得ない。
ゲイルはレネと距離を取らず、すぐ背後に付いて行く。
屋敷の外には軍も待機しており、いつでも飛び込める状態である。
公爵家には王太子も来ており、ジルディークと打ち合わせしながら報告を待っていた。
まだ眠っている、連れて来られた令嬢の身元も探らねばならない。
ハヴェイに使者を出すには、確かな情報が必要だ。
「お前、よく平気でいられるな。
あの子に何かあったら、どうするんだ?」
王太子が言うのを、ジルディークはため息をついて聞いていた。
「殿下が気にしているのは、旨い朝食でしょう?」
「それだけじゃない!」
あの子はお前が好きなんだぞ、と喉元まで出かかった言葉をローゼルは飲み込む。
「まだ14歳の女の子を危険にさらして、平気なのが信じられん」
「危険にならないように手配してある。すぐに報告が来るはずだ」
「それにしても、途中報告ぐらいくるだろうに、遅くないか?」
ローゼルが窓の外を覗きながら、早馬が見えないと言う。