始まる
後味の悪い想像を連想させる表現が出てきます。お気をつけてお読みください。
夜中のユレイア公爵邸にみすぼらしい荷車が飛び込んできた。
ドンドン!
静かな館に扉を叩く音が響く。
対応に出た使用人が、困り果ててジルディークに確認を取りに来た。
どこかの使用人らしき男が、レネを訪ねて来た、と言うのだ。
夜中で初対面の男なので改めるように言ったのだが、聞き入れなく怪我人の連れもいるらしい。
ジルディークはレネには知らせず、父の公爵に知らせるよう使用人に指示を出すと、玄関に向かった。
そこにいたのは、まだ年若い男で、レネより少し年上か。
男はジルディークの姿を見ると、深く頭を下げた。
「俺は、ヤールセンといいます。
レネと同じ孤児院でした。どうしても内密に見ていただきたいことがあるのです。
こちらは、レネを雇ってくださったお屋敷です、どうか、どうか、助けてあげてください」
そう言ってヤールセンは荷車を指さす。
ヤールセンが武装していないのは明白だが、簡単に信じることは出来ない。
「目が紫なんです」
ヤールセンの言葉に、ジルディークは数人の使用人の男性を荷車に向かわせると、そこには若い女性が横たわっていた。
かなり衰弱しており、閉じた瞼では瞳が紫か確認できない。
ジルディークが女の手を見ると、貴族のような裕福な家の娘なのだろう、手入れされた奇麗な手であった。
「客間で寝かせて、医者を呼ぶように」
ユレイア公爵家お抱えの医者は、レネの診察もするので紫の瞳には慣れているし、秘密も守る。
「どうしたのだ?」
ユレイア公爵が玄関に来てジルディークに様子を確認してきた。
「私もまだ何も分かりません。
ヤールセンと言ったか、事情を別の部屋で聞かせてくれ。」
ジルディークは、公爵とヤールセンを玄関側のサロンに誘導すると同時に、使用人にゲイルを呼ぶように言い付けた。
ヤールセンは、通された豪華な部屋に戸惑っているようだったが、ソファーに座る公爵とジルディークの前に立って説明を始めた。
すぐに、ゲイルもやって来て、ジルディークの隣に座った。
「俺は孤児院を出てから、トウゴ伯爵家で働いております。
馬の世話が主な仕事で、庭師の手伝いもしています。
トウゴ伯爵家の屋敷には西館があって、物置に使われていたのですが、最近人の気配があって覗いてみたら、若い女性が3人鎖で繋がれていたのです。
しかも3人共、レネより濃い色ですが、紫の瞳でびっくりしたというか、大変なものを見てしまったというか」
この国で、ハヴェイ王国の人間は、たまに商人が来る程度である。休戦状態の敵国で国交がないのだから当然のことだ。
紫の瞳はハヴェイ国民の代名詞のように使われるが、ハヴェイの貴族でも紫の瞳は多くない。
そして、公爵もジルディークも、ハヴェイに潜ませている間諜からの報告で、ハヴェイでは複数の貴族の令嬢が行方不明になり捜索をされていると知っている。
「西館に出入りするのは旦那様だけで、その女性達に」
ヤールセンは言いにくそうに、言葉を詰まらせた。
話を聞いている男たちは、ヤールセンが言わんとする事を察して、最悪の事態を想像する。
ハヴェイの貴族令嬢を攫って、その身を汚しているとしたなら、休戦は終わる。戦争に突入するだろう。
「俺、レネで紫の瞳には慣れていたし、その意味も分かっているから。
女達を助けてやりたくって見てたら、彼女がすごく弱ってきて、なのに旦那様が。
そんな事されて、死にそうで。
レネを雇ってくれている公爵様なら、紫の瞳に嫌悪しないのじゃないかって思って。
今夜は旦那様はお留守で、今しかなくって」
隠れて運ぶには一人で精一杯だったのだろう、残した二人が気がかりな様子でヤールセンが話を続ける。
ゲイルがそっと席を立ち、客間で医師の診察を受けている女性の様子を見に行く。
「父上、医師の診察を聞いてきました。
かなり衰弱しており、命は助けられそうですが、危険な状態ではあるようです。
瞳はその男の言う通り紫色で、一瞬意識が戻り、我が国の言葉でない言葉を発していたようです。
多分、ハヴェイ語だろうと言ってました」
「そうか」
公爵はゲイルに王宮に連絡するように指示を出し、ヤールセンに向き合った。
「よくぞ、連れて逃げた。君が休めるよう部屋を用意しよう」
一刻の猶予もない、緊張が高まる。