庭の奥
「知っているだろう?」
最近、コーヒーを飲むようになったアマディが、レネからカップを受け取る。
「兄上は公爵家の嫡男だ、子供の頃に婚約が成立している。結婚が遅れているが、侍女なんて足元にも及ばない」
そんなの分かっている、ましてや自分は孤児。
レネはアマディの顔を見ずに横を向く。
分かっているから、わざわざ言うなんてひどい。
カミラ・ミズーリ侯爵令嬢。
見たことのないジルディークの婚約者。
レネはこの公爵邸からほとんど出たことがない。先輩侍女に付いて外に行く時も、レネは深いフードを被り、顔を隠していく。
カミラは、この屋敷に来たことはないから、レネは知らない。
美しい令嬢だと聞く。
自分が一人、想っているなら許されるだろう、レネはもうこれを恋だと知っている。
「なぁ、僕にしとけよ。僕は三男だから、この家を出る。
そうしたら、レネを奥さんにすることだって出来る」
レネはいつものように笑ってかわして答えない。
朝食の調理をしていると、こうやって時々アマディが姿を現す。
料理人がいるのだが、ジルディークに朝食を用意するうちに、ゲイル、アマディ、公爵、ロザリーナの朝食もレネが作るようになった。
「今日のスープは量が多いな。また殿下が来るのか?」
「はい、そのようにお聞きしています」
生姜をスライスしながら、レネが答える。
それを鍋に入れ、何度も味見をし、スープの味を調整していく。
レネの料理を気に入ったらしい王太子殿下が、時々朝食に来るのが珍しい事ではなくなっていた。
レネの料理は特別な料理ではないが、貴族邸の料理人が捨てる野菜の皮まで使う。
丁寧に洗って処理をする。
料理人達より、少し味が薄い。それはレネの味付けの特徴だ。
けれど、下準備に手をかけ素材の味を強調し、ハーブや香辛料も多様するので旨味も栄養も高く美味しい。
そして色の組み合わせが目に映え、食欲を刺激する。
「スープ運んでやるよ」
アマディが鍋を持って厨房を出て行った。
ゲイルの声が聞こえるから、二人で準備してくれているようだ。
家族だけの食卓とはいえ、公爵令息が食事の準備などありえないが、小さいレネが食事を作るのを手伝ううちに、いつしか普通のことになった。
いつもの朝が始まる。
「わかっている、ジルディーク様に私なんて不釣り合いで無理だって。
でも、でも、想うぐらいいいじゃない」
誰も居ない庭の奥、木々が植えられた場所にレネは来ている。
食事の後、アマディは上級学校に行った。
士官のゲイルは軍に、王宮に戻る王太子にジルディークも同行している。
レネは公爵家に来て6年がすぎ、もうすぐ15歳になる。
ジルディークが誉めてくれるから、外国語も頑張った。
乗馬も出来るようになった。
マナーだって、美容だって頑張った。
「バカヤロー!
あんなこと言われても気をつかうだけよ。この家のぼっちゃんなんだから!」
バン!
レネに蹴られた木がガサガサ揺れる。
「みんなにいい顔ぐらいするわよ。職がかかっているんだから」
ガンガン。
「こっちは使用人なんだから、反論なんてできませんよー」
ドンドン。
拳骨で木を叩く。
「あー、手が痛い。ごめんね」
レネは真っ赤になった手で、木の根元を掘り始めると、持ってきた残飯を埋め始めた。
レネの鬱憤の対象となった木は、お詫びに埋められる残飯が堆肥となり、他の木より大きくなっている。
この一角の木が他より成長がいいのは、レネが埋める堆肥のせいだろう。
ガサガサ、庭の小道を足音が近づいてくる。
レネは、聞かれたな、と思いながら振り返る。
「やはり、ジルディーク様でしたか。王宮に行かれたのでは?」
ジルディークには、過去に何度か見られているので、今更取り繕う必要もない。
「レネの様子が変だったから、気になってね。殿下だけ先に王宮に戻っていただいた」
「アマディに何か言われた?」
ジルディークがレネの頭をなでる。
「ジルディーク様、もう子供ではありません。子供扱いしないでください」
ツーン、とレネが顔をそらす。
「アハハ、確かにレディだね。悪かった」
そう言ってジルディークは、レネの頭から手をはずした。
「手を見せて」
ジルディークはレネの手を持ち上げる。
「ダメ。土で汚れているから」
レネが手を引っ込めようとするが、ジルディークの方が力が強い。
「可哀そうに、赤くなっている」
これは、自業自得だから、とレネが小さい声で答える。
「知っているよ、見てたから」
キュッと、ジルディークはレネの手を包み込むように繋ぐ。
真っ赤になってレネがジルディークを見上げるが、ジルディークは平気な顔で横目でレネを見る。
「ジルディーク様、恥ずかしい」
震えるようなレネの声が聞こえたのだろう。
ジルディークの手に力が入り、レネの手に体温が伝わる。
二人言葉もなく歩いて、すぐに屋敷に着いた。
ジルディークはレネの頬をなでると、玄関に繋いであった馬に飛び乗り、王宮に向かった。