第百六話
白夜達は森林の中を無言でギンにまたがって走り続ける。
――喋る場合は自らの舌を噛み、血の味を味わう覚悟が必要だからだ。
無言のままひたすら景色が過ぎ去るのを見るだけというのはやがて飽きが来そうでもある。
しかし、白夜にとってここは新しい世界。
過ぎ行く景色は生前見たこともない美しい自然の光景そのもの。――飽きなどは来ない。
木々の間から覗く木漏れ日が木の葉や植物を照らし、中には何やらキラキラと輝く物まである。
――光を反射、もしくは吸収して発光しているのだろうか――などと白夜は想像を膨らませ、生前の世界で言うコンクリートで舗装された灰色の道路をひたすら走り続けるような退屈さは全くなかった。
後ろのイルミナもその景色を楽しんでいるようだ。
キョロキョロと辺りを見回して何かを見つけては白夜の背中をチョンチョンと叩き、振り返らせては見つけたものを指差してにこりと微笑む。
今回は青く輝く大きな鳥を見つけたらしい。
白夜は言葉に出さないが「おぉっ」と驚く表情を作る。
前のコウハクはスキル<全知>を使用して辺りで面白いものを見つけてはスクリーン状に表示させて共有している。
どうやら先ほどの青く輝く大きな鳥は『ブルーバード』と言うらしい。
自然豊かな森林地帯にのみ生息し、出会えた者には細やかな幸運を分け与えるというジンクスがあるようだ。
白夜は――無事にヒュマノに入国できますように――と細やかながらブルーバードがもたらす幸運に対して祈っておくことにした。
そんなこんなで以前馬車が通っていたであろう跡――轍の続く先へと一行は進む。
特にモンスターに遭遇することもなく、やがて一行は無事に何事もなく森林地帯を抜ける。――ブルーバードの幸運効果だろうか。
白夜は森を抜けた平野の奥に白い壁を確認する。
それと同時にギンの胴体をポンポンと叩き、静止の合図を送る。
ギンは走るのをやめ、四肢を屈ませて腹部を地面に密着させ、地に伏せる。
「よっと!」
白夜はギンの背中から地面に向けてヒョイと飛び降り、ストンと地に着地する。
「コウハク。あれが人間の国――ヒュマノで間違いなさそうか?」
そしてギンにまだ跨ったままのコウハクの方へと顔を向け、尋ねる。
するとコウハクもフワリと飛び降りて、上に羽織ってある黒皮コートと下に着た白いワンピースをヒラヒラとはためかせて白夜の近くにトンッと着地する。
「そのようです主人さま。あちらの門より入国出来るかと」
そしてスッと右方向を指差す。
かなり大きい門のようで、遠目でもその様が少し見て取れた。
「ふ〜ん。じゃ、あそこに行けばいいのね」
イルミナはふわふわと浮かび、白夜の頭上一、二メートル上で右手を額に当てて前かがみになり、門のある方向を覗き込む仕草をしながら呑気な声音を発する。
「……貴女、主人さまより頭が高いとは無礼極まりないですよ。ここからだと下の粗末な布が丸見えですし。主人さま、上を見ると目が汚れます。決して見ないでくださいね」
「……そうか。忠告ありがとうコウハク。あんましその格好で飛び回らない方がいいぞイルミナ。じゃないと空飛ぶ痴女だとかあらぬ誤解を招くぞ」
白夜は腕組みをしながら門の方向を見据えて答える。
もちろん視線を上に向けたりなどは絶対にしない。
(……だからイルミナの下着の色が“黒”だとは知りもしないぞ俺は)
「……白夜さんがこの格好にしろって言ったんじゃないっ!」
すると顔を微かに紅潮させたイルミナが、スカートの裾を引っ張りつつ、白夜の隣にふわりと降り立って問い詰めて来る。
「そりゃなぁ。男用の学生服を女が着るのは変だから、女用の学生服であるセーラー服を勧めたんだが……じゃあ下だけズボンとかでもう良いんじゃないか?」
白夜はひらひらと手を振りながら少々呆れつつ答える。
「それは……そうかもしれないけど、あたしはこの服がいいの!」
「なんでだ? そんなに気に入ってるのか? それ」
「……白夜さんがデザインしてくれたし、一杯褒めてくれたから」
するとイルミナが「むっ」とむくれてそっぽを向く。
どうやら昔褒めちぎったことを覚えていたらしい。
「だからずっとこの服のままでいたいの!」
「……そうか。だったら今度から飛ぶ時だけ別の衣服に着替えると良い。悪かったな」
白夜はそこまで気に入ってくれたイルミナに対して悪いことをしてしまったと思い、申し訳なさそうにイルミナの顔を覗き込みつつ頭を優しく撫でる。
「……うん。いいよ。許してあげる」
するとイルミナは顔を白夜の方に向けてにっこりと微笑む。
「なんなら飛ぶ用の服を新しくデザインしてやろう」
「――えっ!? ほんとに!? やったぁ! えへへ……約束だよ?」
ズンッ!
その時、辺りに地響きが響き渡る。
それと同時にまるで天より隕石が落ちて来たかの如き轟音も辺りに響き渡らせる。
振動と音が響いて来た方向をおずおずと見て見ると――ギリギリと歯軋りをしたコウハクが居た。
右足をしっかりと踏み込んだ跡が地面にくっきりと残っている。
「……いつまでイチャついているんですか? 早く行きますよ」
「「……」」
コウハクはそう言い残して門の方角へとスタスタと歩いて行く。
あまりの気迫に対して二人は瞬時に冷凍され、カチンコチンに固まってしまう。
「本当でござる。さっさとヒュマノに入るでござるよ」
すると人間形態に戻ったギンも、ほとほと呆れ果てながらスタスタと門の方向へと歩を進める。
前はあった尻尾と獣耳も無くし、完全に人間と遜色ないものへと変身出来るようになっていた。――残念だが仕方あるまい。
「「……はぃ。すみませんでした……」」
ギンの言った言葉を皮切りにして、解凍が済んだ二人も門に向けて進み出す。
「……別に、羨ましくなんて、ないんですから」
「ん? 何か言ったでござるか? コウハク殿」
「何も言ってません! 早く行きますよ!」
「――あっ! ちょ、ちょっと! 待って欲しいでござるよ〜!」
ハクヤとイルミナの二人は何かに怯えながらそろりそろりと進む中、ギンとコウハクの二人は門の前までかけっこを始めたのだった。