悪役令嬢のやさしい人間修行
「スティルラーナ! 貴様との婚約は破棄する!」
あるパーティーで、唐突に殿下が言い出した。
殿下は何を言っているの?
周りを見ても、誰も驚いていなかった。当たり前だとでも言うように。
そればかりか、わたくしを蔑む瞳で見る者もいた。
なんなの? 何なんです?
わたくしは公爵家の一人娘で、周りの人間よりも優れているのに?
それに殿下は、何故こんなことを言い出したの?
殿下はわたくしを愛しているのに。
「そして私は新たにソフィと婚約する!」
なんですって?
ソフィ?
あの下賤な、たかだか男爵令嬢ごときが、わたくしの殿下と婚約を?
「そして、スティルラーナ! 貴様はソフィ殺害の容疑で監獄行きだ! 証拠は全て揃っている! 連れていけ!」
殿下は兵士にそう命じた。
兵士はわたくしを連れていこうとする。
「無礼者ッ! 離しなさいッ!」
「おとなしく縄につけ、この悪党ッ!」
悪党? わたくしのこと?
「この、無礼者ッ! お父様に言い付けて、処刑にしますわよッ!」
「黙れッ! 貴様の家も、もう潰れた! ったく、後ろ暗いことしかできない、屑一族がッ!」
屑? わたくしに言ったの?
「なんでわたくしの家が潰れるの!? お父様もお母様もみんな、優しくて良い人よッ!」
「貴様の家は、何代も前から人身販売や貴族の殺人に関わってる!! 貴様らは、生きる価値もない屑の血筋なんだよッ!」
人身販売? お父様とお母様が扱ってるのは、家畜よ。あいつらは、汚い血で、わたくしたちとは違うんだって言ってたもの。
それに貴様の殺人? わたくしたちの邪魔だったら、殺して何が悪いの? だってわたくしたちは尊いのだから。
「離して! 離しなさいッ!」
「しまいには、権力に目が眩んで私に付きまとった挙げ句、ソフィを殺しかけて!」
違うわ。わたくしは貴方を愛してたから、邪魔な泥棒猫を排除しようとしたのよ。
「さあ、牢に連れてけ!」
「いやッーー」
「待ってください」
わたくしが抵抗したその時。わたくしと同じくらいの年の青年が、ホールの中心に出てきた。
「西の国のーー」
殿下が驚いた顔をした。誰?
「初めまして、スティルラーナ令嬢。私はリーン国王太子、ランドロフィアと申します」
「…隣国の王太子が何の用だ」
「少しお願いがありまして」
「なんだ」
「スティルラーナ令嬢をお貸し願いたい」
「なッ…ふざけるなッ!」
「至極真面目な話ですよ、勿論。宜しいですか?」
殿下は苦悶の表情を浮かべた。が、ランドロフィア様の深い笑顔を見て……
顔を歪めた。
「…分かった」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「さてスティルラーナ令嬢。貴女は何故自分が断罪されたか分かりますか?」
場所は、ランドロフィア様の客室。わたくしの身はランドロフィア様に一任されたらしい。
「分かりませんわ。殿下はわたくしのことが嫌いになったのかしら」
「人身販売や貴族殺しについてはどう思います?」
「相手は皆わたくしたちより下位の者です。何処に問題が?」
わたくしがランドロフィア様の質問に顔色一つ変えずに答えると、ランドロフィア様は一瞬固まった。しかし、一瞬のうちに笑顔に戻った。
…何故一瞬、哀しそうな顔をしたんだろう?
「君は家のせいで、普通大人になるまでに身に付けるモラルや道徳を知らないのかな?」
「どういうことですの?」
わたくしが聞くと、ランドロフィア様は分かりやすく教えてくれた。
「僕たち人間の世界にはね、暗黙のうちに守られているルールがあるんだ。ルールがあれば、外れる者を矯正することも淘汰することもできるからね」
「なるほど」
「そのルールは、大抵は上の人間に都合よくできてる。だから、逆らうことは上の人間に反抗することになる」
「何故、人々はそのルールを知ってるのですか?」
「自然に生きていれば覚えるようにできてるからさ。でも、君は育った環境が少し特殊だったから、知らなかった」
「だから外れて、淘汰されたんですか?」
「そう。でも、大丈夫。僕がこれから教えてあげるから」
「何故、ランドロフィア様はわたくしに良くしてくれるのです?」
そう聞くと、ランドロフィア様は感情を隠すみたいに笑んだ。
「秘密」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
わたくしはあれから、ランドロフィア様に様々なことを教えてもらった。
わたくしは、お礼にランドロフィア様の下で働かせて頂いた。
ランドロフィア様によると、わたくしは極端に身分を重視し、思い込みが強い傾向があるらしい。
「ランドロフィア様、わたくしは役に立っているのでしょうか?」
「立ってるよ。君は、流石公爵令嬢だけあって教養が並みじゃないから、秘書の役割だって任せられるしね」
「…そうですか」
嬉しい。考えてみれば、わたくしは殿下の為に尽くしてるつもりだったけれど、それは殿下にとって良いことだったのだろうか。
「ランドロフィア様、お国に帰らずわたくしの面倒をみてて宜しいのですか?」
「はは、良いんだよ。そうだ、スティルラーナ嬢。君のこと、ティルって呼んで良いかな? 僕のことも、ロフィと呼んで良いからさ」
「良いですよ、ロフィ様」
…考えてみれば、殿下はわたくしのことを愛称で呼んでくれなかった。
何度か勧めたのに。
それに、殿下を殿下としか呼ばせてもらえなかった。
……あれ?
わたくしは本当に殿下に愛されていたのだろうか?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ティル。明日、帰国することになった」
「…そうですか」
最近知ったが、ロフィ様のお国はかなりの大国だ。
だからこそ、殿下を押しきってわたくしの身柄を預かれたと言える。
「…では、わたくしも納め時ですね」
笑顔でそう言った。
これは、本心からの言葉だった。
最近、やっと自分の罪にぼんやりと気付くことができた。
わたくしがやったことは、とても幼稚で、残酷なことだった。
今はぼんやりと気付いただけ。しかし、最近、ただ殿下の下で働くのは違うと思った。
わたくしは、わたくしの罪を償うべきだと思う。
「いや、君には僕の国へ来てもらう」
「…へ?」
ロフィ様の国へ?
「何故ですか?」
「……君は勘違いをしているようだけど」
そう言って殿下はわたくしを……執務机に押し倒した。
「……ロフィ、様?」
「僕は君をこの国から貸し受けている」
わたくしはパーティーでのロフィ様の言葉を思い出す。
「…そうですね」
「でも、返すとは言ってない。だから、返さなくても問題ない」
「…は?」
ロフィ様らしからぬ、屁理屈みたいな理屈だ。
「僕はね、……前からずっと君が好きだったんだ」
「へ?」
そんな、馬鹿な。
今だからこそ言えるけど、前のわたくしに好きになれるところなんて一つもない。
「幸いに、君は生まれも良いし、頭も良いしね」
…いえ、わたくしの家は潰されているのですが…。
「だから、君には僕の王妃になってもらう」
「そんな…」
わたくしは、ふさわしくない。
でも、その言葉は出なかった。
だって、わたくしは…もう…彼を…好きになってしまった、から。
様々なことを考える頭に耳に、ロフィ様は唇を近付けて、わたくしに囁いた。
「僕は君しか、いない」
……何故、そこまで。
残った理性で、そう思った。でも、感情は止まらない。
返事の代わりに、彼に抱き付いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
僕は、ランドロフィアことロフィ。
リーン国の王太子をしている。
僕は小さい頃から、何でもそつなくこなせた。
多分、優秀な訳ではなく、要領が良いんだと思う。
でも、苦労がない人生って、かなりつまらない。
だから、小さな頃は退屈してた。
なにか、自分には想像もつかないような途方もなく大変なことが起きないかなあって、ずっと思ってた。
そんな僕は、仕事でこの国を訪れたときティルに出会った。
ティルは、とても不器用で不幸な人だった。僕から見れば、だけど。
自分より優秀な人は、身分を理由に見えないふりして。
自分に嫌なことがあると、それも気付かないふりして。
しかも、それは無意識にやっているらしい。
それは、自分の心が傷つくことを防いでいるように見えた。
でも、自分の心を傷つけないものだから、今度は他人の痛みまでも分からなくなってたみたいだけど。
調べてみると、家族はかなり血生臭いことをやってるらしい。
それを聞いて、なるほど、と納得した。
小さな子供に残酷なことを教えて、心を麻痺させ、受け継ぐ。
見事な悪循環だ。
考えた奴はきっと、自分の子が自分を告発することを恐れたのだろうけど…。
ずいぶんなことをするもんだ。
僕は気の毒に思った。だって、僕からすれば彼女も被害者だったから。
でも、その時点では何をするつもりでもなかった。
もし僕がこの国で何かすれば、大国である僕の国とのトラブルにも発展するかもしれないから。
しかし、だんだんその気持ちは変わっていった。
ある日、知らないうちに彼女を目で追ってることに気付く。
ある日、彼女の美しい笑顔に見惚れていることに気付く。
ある日、彼女がこの国の王子といるとき悋気していることに気付く。
…彼女の心を僕の手で変えられたら、どんなに良いだろう。
いつの間にか、そんなことばかり考えていた。
断罪の日も。
前もってそのようなことがあるのは知っていた。この国の王子が手を回していたから。
でも、彼女がこの世から消えると思うと……。
堪らない。
僕はこんな人間だっただろうか?
彼女が関わると、とても冷静ではいられない。
いっそ、彼女に恨まれてしまったって、構わない。
だからーー例え、間違っていることだとしても、僕は彼女を手に入れたい。
そう思ったあと、今更ながら自分の入れ込み様に苦笑して、僕は一歩踏み出した。
「待ってください」