第3話 父と母と子の剣舞 前編
剣舞の読み方は、『けんぶ』で考えてあります。
長く幅広い橋を渡れば高く聳え立つ入都門が見え、大きな家を丸呑みしまいそうなくらいに大きな門をくぐると、信じられないような美しい光景が広がっていた。
「ここが・・・水と花の都、か」
ある時は、ここから遠く離れた街の宿場で。またある時は、吟遊詩人の唄に聴いた呼び名だったのだが。
これでもかというくらいに、噂や話に聞いていた以上の衝撃を受け、親子揃って呆けてしまった。
「すっごいね、お父さん・・・」
「すごいな、サンラ・・・」
ただただ感嘆し、今は全身で感じる感情に身を任せることにした二人。
エヴァンス親子を出迎えた場所は、帝都レディースレイクにある、正面入都門内にある広場。
街の中なのに花々が咲き誇り、生活水路とは思えないほど綺麗な水路が街中を流れている様子は、まるで生きる一枚の名画だ。
一説には、大人が丸一日歩いても外周街を回りきれない広さがあると聞くが、維持できるだけの仕組みや管理方法を考案し、守り伝え続けてきた人々に只管頭が下がる。
「きれい・・・本当に凄いや・・・」
大の字に手足を広げ、瞳は眩く光り輝き、全身全感覚を持って味わう息子の姿を見て。
ここに来て良かった。本当に良かったと、父親のノクトは思う。
その無限の可能性を秘めた身体で色々なものを吸収し糧として欲しい。いつか、大きく育ち羽ばたくその時まで、居なくなってしまった妻の想いを胸に見守っていこうと決めたのだから。
『――――――――――――――』
「っと。・・・俺も、年取ったな」
素晴らしい光景に心を打たれ、目尻に思い出と共に滲む涙。
良き思い出を一瞬でも鮮明に思い出させてくれた光景とこの街に感謝し、意識を切り替えるべく拭った。
愛しい我が子へ声を掛けようと視線を向けるが。
「あれ?何処行った?」
先ほどまで居た位置にサンラが居ない。
どうやら一瞬ではなく、物思いに耽っていたようだ。
人も多ければ出し物も多い広場。一度見失えば見つけるのは骨が折れるのは目に見えている。
普通の親ならば慌てふためくだろうが、普段から対策を取っているノクトからすればどうということはなかった。むしろ、息子のこういう積極的な行動は大歓迎であり。興味を持ったら突っ走れ。自身の目で見て、触れて、感じなさいと教えてある。故に、親である自分は、見失った際の準備を日頃からしておけば良いだけのこと。
ある魔法を飛ばして聴覚を強化し耳を澄ませれば、シャランシャランと前方から聞き覚えある音が響く。聞こえて来た音は、日頃からサンラに持たせてある剣に付いている鈴音石が魔法に反応し奏でる音。
本来、鈴音石の音色は赤子をあやす事に使われるものだが、こういった迷子対策としての使い方もできた。
「あの人だかりの中か」
ざっと二十人以上居るであろう人垣から聞こえた音。
どんな見世物に息子は興味を惹かれたのだろうと、足早に近寄れば、とある見世物がそこで行われようとしていた。
「剣舞、か」
二人一組の男が得物手にし構えている姿から、丁度始まるところなのだろう。
どれ程の腕前かは分からないが、始まる前からこの人数が集まっているのだ、剣舞自体を生業としている者達と推測できる。
余程名の知れた組なのか、無名の組がこれ程人を集めることはまずない。
息子も最前列で見つけ。そっと息子の後ろに立ち見守った。
剣舞とは。今や、派手な得物を使い互いに技を出し合って華やかさや腕前を魅せる見世物だ。交互に攻めと守りが入れ替わり、目まぐるしく攻防が入れ替わる姿が踊る様子に近いと例えられ、名が付いた剣舞。
一人で行う場合もあるが、二人一組で行うことで相乗効果を生み、より際立つ。
もちろん腕が無ければただの不恰好なだけで終わってしまうが、自身の力を見てもらう方法としては良いものだ。
生計を立てる為、騎士を引退した者が行ったり、初めから魅せることを売りにして各地を旅する一団も存在すると聞く。
「あ」
誰の呟きか分からない。
睨み合う片割れが短剣を宙へと放り投げると同時。大衆の視線が一斉に短剣へと向く。素早く回転する短剣は円に見え、タイミングを間違えれば大怪我は免れないが。
短剣が空気を切る音と共に持ち主の手の中へ舞い戻り、それを合図に始まった。
「おおおおおおおおおおおおおおお」
一斉に沸く観衆。場の雰囲気が高まるにつれ、近くを通る人々も足を止めていく。
息をつかせぬ入れ替わる攻防に加え、手に汗握るよう施された演出。
突いては防ぎ得物を変え、防いでは斬り付け合う二人に、止まない歓声が降り注ぐのは約束されていたようなものだ。
テンポ良く進み。所々魔法を使った演出も見受けられる剣舞は、まさに魅せる為の構成。舞台も大衆も最高潮に達した時、互いの首筋に剣先が突きつけられたところで終幕と成った。
剣舞が終わる頃には三倍以上に人が膨れ上がっており、飛び交う彼らへの拍手も報酬も相応しく大きい。
やがて熱が治まり、段々と人が捌けて行く中。
「むー?」
「サンラ?どした?」
中々動こうとしない息子を、不思議に思ったノクトが声を掛けた。
話を聞けるように腰を落とし、サンラを僅かに見上げるよう目線を合わす。
「どうしてあの人達は、打込み合いで無駄な動きをしていたの?無駄な動きが多かったのに、見てて楽しかった。皆喜んでた。あの人達ならもっと凄い剣技が放てたと思う。なのに何で使わなかったんだろう・・・」
腕を組み顎に拳を乗せ。全身で分からないという気持ちを出している。入ってきた情報と思考が対立し、整理し切れていないといったところか。
「サンラには剣舞がどう見えた?」
「剣舞?打込みとは違うの?」
「うん、全く違うものだね。良い機会だし、打込みと剣舞の違いを考えてみようか」
深く考え込んでいるのか、唸りながら悩んでいる姿が可愛らしい。答をつい教えてあげたくなるが、堪えてサンラ自身の答が出るのを待つ。
「打込みと違うところ、違うところ・・・。わざと急所を外したり、動きが大きかったり変だなって。踏み込みだってもっと深く踏み込めると思った。あれじゃ鍛錬になんてならないのに」
「サンラの考えは正しい。打込みと違うところは、大体今言ったとおりだよ。じゃあどうして、あの人達は鍛錬にならないことをしたんだろうか」
「んー?んー?むむむ・・・」
「鍛錬が目的では無いとしたら、あの人達の目的って何だろう?人目に付きやすい場所でしたのには、ちゃんとした理由が有ったとお父さんは思うよ」
サンラが悩むのも分からないのも自然な事だ。何しろ剣舞を初めて目の当たりにしたのだから、答を出すのは難しい。
別にノクトは意地悪をしている訳ではない。
物事を自分の意思で考えて判断し、モノにしてもらいたいという思いから、考える癖作りをする為に問いかけているだけのこと。
それに今の息子なら、もしかしたら辿り着けるかもしれない。自身の疑問の答に。
先程まで剣舞を披露していた人達が片づけを終えた頃になると。
サンラはポツリと呟いた。
「見て欲しかった、から?」
正解だ。と、良く頑張った。と、頭をくしゃくしゃと撫で、息子が出した答えに笑顔で答える。
「やった!」
「整理すると。日頃の鍛錬で鍛えた技術や力を披露するのが剣舞で、自分自身を高める鍛錬の一つが打込みだ。あの人達は、皆に楽しんでもらいたくて、剣舞をしたんだよ」
それにね、と前置きをし、懐からお金の入った袋を取り出すノクト。
「サンラは、あの人達の剣舞を見ていた時、単純にどう思った?」
「ワクワクドキドキした!」
「その、さっき感じたワクワクドキドキは、普通じゃ味わえない事だって分かるかな?」
首を縦に振り返事をする息子の手に触れ、袋の中から銀貨を一枚取り出してサンラの手に乗せる。
「だからサンラも、楽しませてくれてありがとう。ワクワクドキドキをありがとうって感謝のお礼をしないとね」
「あっ!」
色々と気が付いたのだろう。足早にお金を渡しに行くと、感情が溢れたのか喋り込んでいる姿が見える。
「レディースレイク・・・」
ふと見上げた空は快晴。
活気があり、もっと知ってみたいと意欲が沸く街並み。
「水と花の都、か」
詩人に聞いた誰もが一度は住んでみたいと考える都。水と花に恵まれ、豊かな土地が長く受け継がれる有数の大地。
長く旅を続けてきたが、腰を落ち着けるには良い場所かもしれない。
息子を迎えに行くべく歩を進めながら、今後の予定を思い浮かべていく、が。
「僕も剣舞がしたい!」
「どうしてそうなった?!」
いきなり、予定が崩れたのだった。
想定していた想定外の事態。
「どうしてそうなった!?」
と、思わず声が出てしまうほど、虚を突かれたということだろう。
息子が好奇心旺盛なことぐらい重々の重々以上に承知していたはず。
だから、やってみたいと言い出すことは十分に考慮できていたことで、それに対する返答も決まっていたはずなのに。
まさかここまで動揺すると思いもしなかった。
とりあえず腰を下ろし話をするべく態勢を取る。
「サ、サンラはどうして、剣舞をしてみたいって思ったのかな?」
「やってみたいと思ったことはやってみる!お父さんの教え!」
「うっわ、返す言葉もないなこりゃ」
まさか日頃の教えが、ここにきて跳ね返ってくることになろうとは。
父親として、剣舞をすること自体反対ではない、むしろ賛成だ。
剣技の基礎が出来ていれば剣舞は誰でも行うことができ、基礎ができているほど舞は美しく華麗なものとなる。
ノクトから見ても現時点で剣舞を行うのは可能と考えていた。しかし、ノクトが求めるレベルに達していない事と、ある想いが楔となり頭を縦に振れないでいたのだ。
「やってみたい!」
「でも・・・その・・・まだ早いんじゃないかなーなんて・・・」
「やってみたい!剣舞を!」
「ぐ、ぐうぅ・・・」
ぐうの音しか出ないとは父親として情けない限り。
いつもであれば、駄目な理由を説明できるのだが、今回の理由はノクトのエゴ。それも、とびっきりでぶっちぎりのエゴ。
サンラの思いに応えてやりたい。
許されるなら、然るべき場所で皆に見てもらいたい。
何よりも、彼女の血も受け継いだ息子なのだから。
当然、二人の思いは平行線を辿るのは目に見え、人目につく場所で睨み合う形となってしまうが、睨み合いはそう長く続かなかった。
真っ向からぶつかり合う親子の間に思いもよらぬ人物達からの介入があったからである。
「やりたいって言うんだから、やらしてやりゃあいいじゃないか、なあ?」
「そうだそうだ!」
一人や二人じゃない。
剣舞を見ていた見物客。
剣舞を披露していた二人組。
その場で親子の会話を見聞きしていた者達からの声援が合わさり波となる。もしかしたら、サンラには人を惹きつける何かが有るだろうか。
場の雰囲気は、誰がどう見てもサンラへと味方し、あれよあれよと言う間に勢いを増していく。
高まる雰囲気に連動し、周囲の気分も高揚していけば、自然と気持ちも大きくなる者も居るわけで。
手を上げる者を呼び込んだのは決まっていたことだったのかもしれない。
「だったら俺が相手してやろうじゃないか、坊主」
その一言が切っ掛けとなった。
先程まで剣舞を披露していた組の一人が、相手役を買って出たのだ。
「きっとお前の親父さんは、大勢の前で見せる自信が無いんだ。まぁ無理も無いことだから親父さんを責めるんじゃないぞ、剣舞は素人がちょっとやそっと齧ったところで出来るもんじゃねえからな」
酷い言われようだが、見方を変えればノクトを焚き付けているとも取れ。
煮え切らない態度に、同じ男として業を煮やした可能性も否定できない。
「ははは、何て情けない」
そんな男の言葉にノクトは恥ずかしさを覚え軽く笑った。
正確には、ここまで息子に対し、不誠実だった自分に対しての恥。ようやく自分のエゴだったと認めることができた。
「ははは、貴方のおっしゃるとおり。お恥ずかしい限りだ」
「お?ようやく認めたか?男たるもの、小さいプライドは棄てて、やるときはやらないとな!今回は特別に授業料タダで、坊主のを相手してやるよ!」
「いいえ、大丈夫です」
「お、おおん?そうか?」
自分で出来ますと言葉にし立ち上がる。すると背筋が綺麗に伸び上がり、自然に男を軽く見下ろす形になった。
男もノクトがここまで背が高かったのかと軽く怯む。
そのまま息子へ向き直ると、勢い良く、上半身が地面と平行になるほど頭を下げた。
「ごめん、サンラ。お父さん間違ってた」
誠心誠意を込めて謝る。
自分が間違っていたと、ちゃんと伝わるように。
あっけに取られる周囲をよそに反応が有るまで頭を下げ続けた。
「お父さん?」
「理由があって、ここでは剣舞を教えたくなかったんだ」
死んでしまった妻と共に温めてきた想いがある。
「もっと相応しい場所でって」
サンラが成長して、受け止められるようになったら話そうって。
「もっと良い見せ場があるんじゃないかって拘り過ぎてた」
叶うならば大舞台。隙間無く観客が入った大舞台。そんな夢みたいな舞台での初披露、初剣舞をさせてあげたかった。
「これはお父さんの我が儘だった。ごめん」
でもそれは、自身の願望、押し付けでありサンラが望むことではなかった。
だから、今ちゃんと伝えよう。その上でサンラが判断して、選ぶ道を尊重すればいい。
「・・・どうして我が儘したの?」
「それはね」
身体を起こし片膝を突く。
目線を真っ直ぐに合わせて、両肩に手を添えた。
「サンラのお母さんが、とってもとってもとーっても・・・剣舞が上手かったからだよ」
「え」
目が限界まで見開き、全身に力が入り硬直したのが両肩を通じ伝わってくる。
息子は自分の母親がもうこの世には居ないと理解している。
けれど、母親の話をすれば笑顔で聞くものの、その夜必ず目が腫上がるほど泣いてしまうのを知っていた。
だから、ノクトは母親の話を涙で流して欲しくなかった。自分もそうであるように、涙を流すということは現実を受け入れず、涙で隠してしまうことを意味するから。
せっかく幸運にも剣舞に興味を持ってくれたのに、涙と一緒に流されてしまうのが怖かった。
だからこれも父親のエゴ。
「サンラが興味を持った剣舞。お母さんが大好きだった剣舞。それを涙してほしくなかったんだ」
「・・・・・・」
もしかしたら、今日涙してしまうかもしれない。
明日になったら剣舞から興味を失う恐れだって有るけれど。
でも今は信じる。息子に引き継がれている想いと血を。
「サンラが、剣舞をしたいなら、お父さんが・・・。お父さんとお母さんが、剣舞を教えるよ」
今日は騎士院が休院の日。
東騎士院所属、騎士見習いこと、ヴィオラ・スウィーティオは、外周街正面門広場で行われるであろう剣舞を見学する為、いつもの場所でど真ん中最前列を確保し待機をしていた。
理由を述べれば剣技の勉強になるからと彼女は答えるだろう。
もっと言うと、普段騎士院で教わる前から、騎士貴族の娘の生まれ育ち。
初等過程の内容は騎士院に入る前に身につけており彼女にとって取るに足らないものだった。結果、同じことの繰り返しが日々を色あせて見せていたのだ。
成績も常に上から数えるほうが早く。歳が九歳という割りに随分大人びており、母親から教わった女の子の嗜みと自分で覚えた女の子の嗜みに加えて、育ちつつある容姿という条件が揃えば。目を奪われる同世代も、その少し上の世代も少なくない。
容姿端麗、将来有望、東騎士院初等部に、騎士見習ヴィオラ有りと謡われるほど名の知れた存在。
きっと初め出合ったのが彼らの剣舞でなかったら、彼女の行動周期も変わっていたのだろう。
初めて見た剣舞は彼女の心に突き刺さり虜になって以来、異性からの誘いや友人知人からの誘いよりも優先し、ここへ来る様になっていた。
見ていて楽しい。
ドキドキワクワクが止まらない。
こんな体験は騎士院では、絶対にできない経験だ。
それを今日も楽しみにやって来たというのに、少しだけ様子がいつもと違う。
「・・・なんなのよコイツ」
人が集まりつつあるものの、周りは広く空いているのに、わざわざ自分の真横に来たのだ。
初めはよくある誘い目的かと思ったが様子が違い。ヴィオラ自身など、これっぽっちも視野に入っておらず、何が始まるのだろうと興味を惹かれ寄って来ただけだと分かった。
隣で立ち続けている姿に親切心から声を掛け、本音は邪魔だからと、どこか離れて座ったらと声を投げかけたら。
「ありがとう」
と、言うなり。いきなり真横に座ったのも衝撃だ。
肩と肩が触れ合う距離。
顔が真横に来て焦った自分とは違い、向こうは自分の事など気にも留ない様子に、何故だか苛立ちを覚えた。
年は自分と同じくらいだろうか。
何かお日様の様な匂いがする。
何だか格好いいような。と、ぐるぐる考えが回ってしまうが。
結局考えが纏らないまま、彼らの剣舞は始まった。
「おおおおおおおおおおおおおおお」
集まった観客も、足を止め輪に加わった観客も、どんどん盛り上がる。
何度見ても胸が高鳴り。
毎回見る度に、動作を変えている彼らの工夫も、ヴィオラが彼らを買う要因の一つ。加えて、見る側の人々との一体感と言うのだろうか、皆が一斉に声が上がる瞬間は最高に気分が良く。
自分もこんな剣舞をしてみたい。
こんなにも高度な攻防ができるようになりたい。
何て思いながら彼らの剣舞を見ていると、騎士院の鍛錬で溜まった鬱憤は何処かへ吹っ飛んでいった。
「良かったあ・・・」
なのに、だ。
剣舞が終わり余韻に浸っていると、信じられない言葉を彼は、言ったのだ。
それも不満げな、納得いかないといった表情で。
「どうしてあの人達は、打込み合いで無駄な動きをしていたの?―――」
え?って声が出そうになった。
見れば、大人の人へ疑問を投げかけているではないか。
それだけでは終わらず、とんでもないことを平然と言い放つ。
「―――わざと急所を外したり、動きが大きかったり変だなって。踏み込みだってもっと深く踏み込めると思った。あれじゃ鍛錬になんてならないのに」
「っ・・・」
彼方に彼らの何が分かるって言うのと叫びたかった。
あの域に達するにはどれほどの鍛錬を積まなければならないのか、騎士を目指している彼女だからこそ分かる辛さと彼らへの称賛。
それを土足で踏んだのだ。
思いっきり引っ叩いて、謝って欲しいとさえ思えた。
父親だろうか、息子の言葉を否定もせず、肯定したことにさらに苛立ちを覚えたけど寸前の所で我慢した。自分自身良く我慢できたと思う。
言い表せない怒りに支配され、少しでも間違ったことを言ったりしたら、即座に言い返してやろうと心に決めた。
だから、最後まで声の聞こえる範囲で見張っていたのに・・・
気が付けば、親子の会話に引き込まれている自分が居たのだ。
活気に満ちていた筈の広場。
いや、実際活気に満ちているのだが、一部分だけ切り取られたかのように静まり返っている。
原因は一組の親子の行方。
親が問いかけ、子の返事を待つという構図だけ見れば単純なものなのだけれど、内容が重く邪魔できないだけに空気の縛りから逃れられないのだ。
その空気を察してか、知らずにか、十中八九後者であろうが。
「どうかな?」
はっきりと言葉に力を込め、もう一度だけサンラへ問う。
「・・・やってみたい」
「うん。分かった」
噛み締めるように、深く深く頷くノクト。
その一言が時間の流れの縛りを解き、同時に周囲の緊張も解れた。
「まぁ、なんだ。俺も変なこと言っちまったな・・・申し訳ない」
と、頭を掻きながら、気まずそうに男は声を投げかける。本人からしてみれば軽く助け舟を出したつもりが、深い話に発展してしまったのだから無理も無い。
「貴方のおかげで目が覚めました。ありがとうございます」
「よせよせ。大の大人がそうそう頭を下げるもんじゃねえよ。むず痒くてしょうがねえ」
嬉しいのか恥ずかしいのか、身体ごと顔を背ける男。
何だかんだ良い人だなとノクトは感じ、今になって自己紹介をしていなかったと思い出した。
息子の頭を優しく引き寄せ、クシャクシャ撫でながら言う。
「そう言えばまだお名前を聞いていませんでした。俺は、ノクト・エヴァンス。こっちが息子のサンラです」
「サンラ・エヴァンスです」
「ったくよお。親子揃って美形たぁ羨ましい限りだ、こんちくしょうめ。俺はギャラド、んでもってこっちは相棒のウルバだ。見ての通り、もうずっと剣舞を生業にここいらで食ってるもんだよ」
「そういうことでしたか。どうりで堂に入った剣舞をされていると思いました。息子も良いものを見れて勉強になりました」
「どうもありがとうよ。あんた等も見たところ旅行者・・・違うな。旅人ってのは分かってんだ。さっきの坊主とのやり取りといい、さしずめ親子揃って剣舞に自信有りってところか?」
互いに挨拶を交わし、一言二言会話を続けながら否定する。
「俺は騎士の経験があります。なので、一応は剣舞はできますが、貴方達のように魅せる事に重きを置いた経験はありません」
「ほほぅ」
腰に下げている剣を軽くチラつかせる。剣舞を生業にしてきたのなら、これだけで伝わるはずだ。
長くやや肉厚剣身。ちょっと形は変わっているが、一般的にロングソードに部類され、主に騎士に貸与される剣に近く、剣舞で扱うには不向きという物。
剣舞で使われる得物の殆どは、怪我をしないよう潰してあったり、専用に加工された軽い素材が多く、自分の腰に下げているような剣はまず使われない。
「それにサンラには旅路で剣技を教えてはきましたが、剣舞に関しては全くの素人。未経験です」
「っておいおい。そんなんで大丈夫かよ?坊主の門出なんだろう?分かってると思うが、剣舞はそんな簡単にできるもんじゃねえぞ」
そうですねと肯定し、笑顔をサンラに投げかける。対してギャラドの反応は、本当に大丈夫か、だ。
「剣舞の原点は、剣技の鍛錬の成果を披露する為のもの。だから剣技の基礎さえ出来ていれば、それが剣舞となる・・・」
「・・・間違っちゃいねえ。間違っちゃいねえが。んでもよ、そんな古い理屈が、この場で、通じると本気で思ってんのか?」
彼が心配してくれる理由は分かっているつもりだ。
何せ今ここは、剣舞の会場ができてしまっているのだから。
初めは十人にも満たなかったその場所は、いつの間にか人が膨れ上がり、剣舞が最高潮に達していた頃の人数と大差がなくなってきている。
周囲は何が始まるんだろうと、期待している雰囲気が伝わり、人が人を呼んでいるのだろう。
「・・・その、なんだ」
口篭り、続きを言いたくても言えないギャラドの態度。
ノクトは彼が何を言いたいのかすぐに分かってしまい、今度は苦笑を浮かべながら先回りをした。
「死んだ妻が得意だったんですよ」
「お、おう?有名、だったのか?」
「まさか。この街、レディースレイクに居る人全員に聞いたって知りませんよ。俺も妻もただの騎士だっただけですから」
「騎士だった?」
説明をしたつもりだったが、余計に混乱させてしまったようだ。呻り考え込ませてしまう。
でも間違ったことは言っていない。絶対に。
「ギャラド、そろそろどうにかしないと不味い。人が集まってきてる」
「んお?・・・おおっ!?」
様子を見ていたウルバから声を掛けられ、ギャラドはハッとなり周囲の様子に気が付く。
「なんてこったい・・・」
と、思わず呟いてしまうのも無理もないくらいの人垣。
ギャラドとウルバが居る為、これから剣舞が始まるのかと集まったのだろう。
そんな大勢の中で素人が剣舞を行えば、どんな結果になるかは容易に予想が付くというもの。
加えて始まるのが彼らの剣舞でなく、子供への手解きが始まるのだ。場合によって非難がエヴァンス親子だけでなく彼らへも向き、下手をしたら彼ら生業に傷をつけかねない。
「もう一回やるか?」
等と、ギャラドとウルバは話し込み始めてしまった。
だが・・・
彼らの気苦労とは裏腹に、ノクトは不適な面構えで笑みを浮かべているではないか。
「・・・よし」
さっきは自身の招いた不甲斐無いエゴ。しかし新たな生まれたエゴは、皆の為の明るい未来へ流布するエゴだから貫き通す。
絶対なる確信、揺るがない強い想い、失敗なんて微塵も感じない。
「サンラ。今から剣舞を教えるよ」
もっともっと観客よ集まれと。
「そして、お父さんと約束してほしい」
息子の初舞台初披露、それをもっと飾ってくれと願う。
「何があっても、ここで魔法は使わないこと。守れるかい」
「はい!」
「良い返事だ。用意してくるから、身体を温めておいで」
堅く約束を交わし、準備に取り掛かるノクト。これからさらに色々な意味で迷惑をかけるであろう恩人達に、恩を仇で返してしまう了解を得るべく彼らの元へと向かう。
「どうした若旦那?悪いが今、演舞構成の相談をしてるんだ、悪いが用ならまた後にでも―――」
「すみません。ギャラドさんウルバさん、ご迷惑をお掛けする事になるかもしれませんけど、この場をお借りできませんか?」
「・・・この期に及んで冗談や見栄は流石に見逃せねえぞ」
凄まれ睨まれるが甘んじて受けよう。
少しでも勝算があると知ってもらう為、息子の準備運動を見てもらおうとしたのだが。
「ギャラドッ!?見ろ!!」
どうやらウルバが先に気が付いてくれたようだ。
自慢の息子が素振りをする姿に。