第2話 追いかけっこと第三者達
誰が見ても早いと分かる速度で、ノクトとサンラが駆けている。
何をしているのかと問われれば、追いかけっこと答えるのが形容するに近しいだろう。幼年期の子供同士でもよく見かける遊びの一種であり、子を持つ親があやす方法に用いる場合も有れば、せがまれて応える遊戯でもある。
場合によっては、肉体の強化や魔法・鉱術を駆使し、鍛錬の一部として取り入られる追いかけっこも、
「きょう、こそっ!」
「ほいっ、ほいっ、ほほいのー、ほいっと」
この親子の場合に限り、明らかに常軌を逸脱していると付け加えておこう。
子は必死の形相で追いかけ、親は笑顔を浮かべ先を行く。
出ている速度もかなり早い。注意して見ていなければ、あっという間に視界の端から端へ過ぎ去ってしまう程だ。
親は己の鍛えられた肉体と僅かばかりの魔力を駆使して駆け、子は持てる限りを尽くし父親の背中を見失わないよう食い下がっている。
足が速いだけというなら驚くことも無いのだが、余りにも常識から逸脱していた。
彼らが追いかけっこをしている場所。そこは木々が生い茂り、岩や障害物が蔓延る森の中。
説明を加えれば、そこが未開の地だとか、特別な理由があって選んでいるのでもなく。横に逸れれば生活路と呼ばれる広い道があるのにも関わらず、ただ彼らは、生活路を普通に下るのでは楽しくないという理由から、鍛錬も兼ねて獣道を直走っているのだ。
生活路と違い手入れの行き届いていない道となれば、獣や魔物と出くわす危険性を孕んだ文字通りの獣道。
そこをただ下るのではなく、二人は駆け抜けている。
いや違う。当たり前の様に追いかけっこをしている。
「サンラ!」
「へ?な、ななな!?」
声をかけると同時。息子の方へ振り向き、まるで挑発するよう後ろ向きに走るノクト。
呼ばれて向いたサンラだったが、父親の思いもよらぬ行動に頭が沸騰してしまった。挑発行為は過去に何度もあるのだが、数日前の色々な出来事と疲れが重なり、自制できなかったのだろう。
挑発に乗らないよう何度か堪えようとしたのだが、父親が後ろを向いた事が余分だった。
「なん、で!」
挑発と、サンラには受け取られたのが、実際は違う。
ノクトの動きに無駄が無いだけであり、森の中なのに障害物なんて無い様に感じるくらい、それこそ踊っているかのように錯覚する走りを魅せているだけで、後ろ向きに走れるのも魔法を器用に使って後方の気配を感知しているだけのこと。
「こっち、向いたまま、走れるん、だっ、よおおおおおおおおお!」
突然吹き上がったように溢れ出た魔力が粒子となり空を舞う。
別に感情と共に吹き出した訳ではない。
ここぞと言う時の為に取っておいたものが、ただ追いつきたい一心が枷を外し溢れさせ、魔力を両足へと集中させたのだ。即席の身体強化という魔術を駆使した瞬間、破裂音と供に駆ける速度が上がるが。
それを横目に見ていた父親は、内心呟く。
ちょっとの苦笑と。
「・・・ったく」
大半の笑顔を添えて。
「また一段と魔力量が上がったな」
だが、息子のサンラに呟きは届かない。
身体強化は諸刃の魔法なのだが、教えを守り実行している姿を見て感動さえ覚えてしまう。
通常、走る速度を上げる方法は大きく分けて二つ有り、本人の技術や特徴等に合わせ身に着けるのが良いとされている。
一つ目は、魔法を用いて推進力となる力を生み出し自身を押し加速させる方法。追い風を生み出したり、踏み込んだ足元に突起物を発生させ、地から盛り上がる力を利用して加速を促す。といったものが最たる例だ。
二つ目は、自身へ魔法や鉱術を駆使し、肉体が生み出す力を増幅し脚力そのもの強化である。
どちらも一長一短あり、使用方法を誤れば自身を傷つける結果に繋がってしまう諸刃の剣。その為、教える側の人間はまず身を守る方法から教えるのだ。
自身の負荷にならない程度に推進力を調整したり、間接や骨を痛めないよう魔量調整や筋肉骨格の同時強化等を行うといった具合に。
この親子の場合は後者を選択しており、ノクトはサンラへ、日頃の鍛錬から徹底して魔法や鉱術を使う際の注意点を言葉と実体験で学ばせてきた。
だからこそ今、結果が着実に現れていること目の当たりにし、今度は自分が嬉しさを爆発させてしまいそうになる。
「よし・・・よしっ!」
グッ・・・ググッ。っと握り締められる父親の拳。
サンラは気が付いていないが、魔力を肉体保護側へ比重を大きく割いた結果だけであり、割合を変えるだけで速度はさらに跳ね上がる。
加えてあの魔力量だ。もしかしたら肉体への負担を省みなければ、瞬間速度だけでも父親である自分に肉薄するかもしれないと妄想してしまう。
しかし、成長を見守るのも大事だが、直さなければいけないところにも目を向けていかなければならない。
自身が駆ける際、生み出している雑音で掻き消えてしまっている魔力がある。即ち無駄な力だ。
対して父親の周囲からは、同じ速度で移動しているのにも関わらず殆ど音が聞こえてこない。第三者が居れば、移動する物体は一体として錯覚しても不思議では無いほどに。
色々気が付いてもらいたいという気持ちもあるが、どうすれば息子自身が考えて気づいてくれるか思考する。
今までの教育で身体能力差を見せる段階は終えており、父親が速度も魔力も抑えて走っているのはサンラも既に知っている。それを加味してもなお、何故追いつく事ができないか気づいてもらいたい。同時にサンラの頭も冷やし、且つ大きな学びになると信じ、考えていた行動の中から一つを選ぶ。
背中越しに息子が徐々に迫ってくるのを感じつつ。
「それだけでは追いつけないぞ」
と、声に出したのに合わせ行動を変えた。
ほぼ直線移動に、蛇行や緩急を加えたのである。
「そんな?!」
突然の変化に戸惑うサンラ。
「木がっ、邪魔っ!で、前、がっ!」
先ほどまで出ていた速度は一瞬で影を潜め、折角詰めた距離があっという間に開いてしまう。
それでもどうにかして追いつこうと足掻くも上手くいかず、見える背中はあっという間に点に等しくなってしまった。
今までほぼ直線の移動。父親の背中さえ追いかけていれば然したる障害物は無かった為に、追いかけることだけに集中できなくなったと気づかされる。
「・・・もう、あんなところに・・・」
止まった足。
途切れた集中力。
色あせる視野。
絶対的な差を目の当たりにした時、人は全てを諦める。想いは擦り消え、夢を見失い、成長することを手放す。
自分では出来ない。自分には力が無い。
そして最後は、こう締めくくるのだ。相手が天才だから仕方が無い、自分には才能が無いと。
決め付けることで自分を慰め。逃げることで心を守り、本当の現実から目を逸らして可能性と言う名の未来を閉ざしてしまう。身の保身を最大最優先事項に設定し、残りの生を全うしようとする。残念なことにそれが勘違いなのだと気が付かないままに。
出来ない。力が無い。才能が無い。
そんなことは自分で決める事では絶対に無い。
では、どうしたらいいのか、と。万人が請うだろう。
当たり前である。何故なら殆どの人間が知らず、教えられる者が居ないのが暗黙の解答であり、心が折れた時どう対処すればいいのか、教える側の大人自身でさえ知らずに子から成人へと経ている現状だ。教えるどころか、分からなくて伝えられなくて、当たり前。誰が誰をと責を問うのは間違っている。
万人が突き当たる壁に親子はどう向き合うというのか。
「すぅぅー・・・はぁー・・・。すぅぅー・・・はぁー」
目を閉じ深く深呼吸をするサンラ。
1回、2回、3回と繰り返すことで落ち着きを取り戻す。
「もっと、もっと、もっともっと強くなりたい」
彼は理解している。今の自分が、物理的にも魔理的にも父親より早く走れることができない理由を。
彼は信頼している。父親が、鍛錬の最中に意味の無い事は絶対に行わないと。
彼は知っている。自分が未熟だと。
全部父親から学び、時には気が付くきっかけをもらってきた。
だから前向きに考えようとサンラは思う。
「絶対に追いついてやるんだ!」
父親の行動には何か意味がある。今の自分で考えれば見つけられる答えがあると、歯を食いしばって前を向く。
何よりも自分には目指すべき目標があるのだ。こんなところで折れてなんていられない。
サンラの両目に灯る明かりはとても強く、真っ直ぐ前を見据えている。
再び踏み出した一歩は、とても力強くあり、あっという間に最大速度へ加速した。
視点は魔物へ移り、時も少し前へと遡る。
ノクトとサンラが追いかけっこを開始して間もない頃。
同じ山の中腹にある洞窟の中で、大粒の汗を全身に流す魔物が居た。全身に感じる外から飛んでくる気配、自分達へと向けられている訳では無いが、圧倒的な魔力量だけで身の危険すら感じ思わず声を荒げてしまう。
「あ、兄貴・・・この気配はいったい?!それにこの魔力量、とんでもないヤツが縄張りに入っ―――」
「うろたえるな」
「でもでもでも、気配がどんどん近くに!ま、魔力も大きくっ!」
「・・・お前は焦ることしかできんのか。今まで死地を共に潜り抜けてきた弟とは思えん台詞だ、情け無い。声ばかり大きくしやがって、大きくなったのは魔力でなくお前の声の方だ」
鍛え上げられた肉体に、上等な業物。一見してとてつもない力を秘めていそうな感じを受ける二匹の魔物兄弟だが、言動は対照的であった。
慌てふためく弟と、自慢の筋肉でポージングを取っている兄が向き合っている構図である。
「争いになったとしても、ふんぬっ!この両腕で引きちぎってやるだけのこと」
「ああぁもう!ポーズを決めてる場合じゃないでしょ!筋肉ばっか盛り上げても、気分なんか盛り上がらないからね!?こんな魔力量今まで感じたことないって何で気づかないんだ兄貴!」
テンプレの渾身の声を聞き、ポージングをやめる兄クルリン。やれやれと聞こえてきそうなほど、大げさに首を左右に振りながら弟の目を見る。
「うろたえるなと言っているのだ。テンプレ・・・お前は少々心配性なところがありすぎる、俺達はこの山の主。堂々と構えていればそれで良い」
「暢気な事を言ってる場合じゃないって何で気が付かないんだ!この筋肉ダルマ!この魔力量、多分兄貴さえ超えて―――」
「だああああああああああ!さっきから五月蝿いぞ!それでもこのクルリンの血を分けた弟か!」
言葉と共に拳を弟の頬へ叩き込む魔物。弟の発言にプライドを傷つけられたからか、それとも筋肉を馬鹿にされたからか、拳に一寸の手加減も無く振り抜く。鍛え抜かれた腕から繰り出された大拳は、吸い込まれるようにテンプレの頬を抉り、有り余った力は体ごと後方へ殴り飛ばすのに十分な威力を持っていた。
叩きつけられるよう地面へと伏せたテンプレの背中へ向け、拳に力を入れ熱く語り出し始める。
「俺達は長いこと、この山の主として君臨し続けてきたんだ。自分の力量も分からない田舎魔物が山破りにでも出てきたのか知らないが、一捻りしてやるだけだ」
「―――――」
「確かにとんでもない魔力のようだ。・・・それは認めよう。だがしかし俺達だって負けていない」
「―――――」
意識の飛んでいる弟に対し、握りこぶしに力を入れたりとポージングを再開し、なおも語り続けるクルリン。これほど見ていて痛々しいものの、つっ込み不在で収拾がついていない。
弟の伏している姿も例えるなら、ピクピクピクッという擬似音が繰り返し聞こえてきそうな感じだ。
「久しぶりに血肉が沸く。俺を本気にさせる存在など、数えるほどしかいないからな」
「―――――」
収集が付かないまま、兄はポージングと主張を続けること数分。
「・・・ぅ、ぅぅ」
弟も意識を取り戻すが。
何故か短期間の記憶が飛んでしまっていた。
テンプレは自分が倒れている訳が分からず。兄は兄で何か喋っているが内容が掴めず。とりあえず今は状況を把握しようと決め、起き上がろうとするも何か様子がおかしい。
「・・・ん?」
立ち上がる為、体に力を入れようとするが動いてくれない。
何が原因かと考えたのだが何か違う。力が入らないのは足だけではなく両手もだ。どうしてだろうと疑問だけが浮かぶ。
「―――あれ?」
理由を色々考えていると自身が震えていることに気が付いた。一つ気が付けば次から次へと、自分の不調が目に付く。
震えているのだ。両手が。両足が。全身が。
吹き出ている汗も尋常な量ではない。とてつもない巨大な生物に踏みつけられているかのような重圧も感じる。
一つ、また一つと集まった情報の断片が集まり、ある結論に辿り着く。己が気を失ってしまった経緯に。
そうなると自制心が崩れるのは必然だった。
「・・・まずぃ・・・ずぃ・・・ぃ!」
蒼白な顔面からガチガチと歯音が聞こえ、喋っているのか震えているのか分からないが想像するのは容易い。
何よりも気を失っていた時間が致命的だった。自分達と同等と感じていた魔力が、気を失っている間に予測を超えて大きくなっていたのだから。
自分達と敵との距離が迫ることで、より明確になる脅威。
全身の不調は本能が恐れを感じていた為に現れ、少しでも心に掛かる負担を軽減しようと発現したものだった。
吹き上がる恐怖心の中。
振り絞った一滴の力で耐え切れなくなり兄へに助けを求めようと声を掛けるが。
「ぁ、兄貴?」
そこで初めて兄の様子もおかしいと気が付いた。
何かコソコソと作業をしている姿が視界に映ったからだ。その姿はまるでアレであり。認めたくないが故に、一種の力を生み出し、身体を起こす原動力となる。
弟の気配に気づいたのか、背中越しに声を投げかけるクルリン。
「テンプレ、寝ているとは呑気なもんだ。準備できているんだろうな?」
「え?えっと・・・た、戦う準備だよね?」
「何を言っているんだお前は。引越しの準備に決まっているだろう」
「引、越し?」
さも当たり前のように言い放つ。
長旅にでも出るような準備をしている姿の兄クルリンを見て、状態が飲み込めなくなり、もう一度問うことにした。
「戦うんじゃなくて?」
「寝ぼけているのか?この山を出ると話をしていたじゃないか、さっさと準備して出立するぞ」
「んな!?」
「さっきから寝たり驚いたりと変なやつだ。急がないと荷物は棄ててでも連れて行くからな」
詰め終えた荷物袋を肩に担ぎながら弟の準備を促す。
納得できないながらも兄には逆らえず、渋々従おうとしたところだ。
視線を落とした際に気が付いたのだが、兄の鍛え抜かれた太い足は大きくガクガク震えていた。それはもう隠しようも無いほど明確に。
先ほどまでの威勢、啖呵は何処へやら。
「・・・」
兄を見る弟の目は線に近い横目だった。それはもう痛々しいものを見ているような、そんな目だ。
そういうことだったのかと理解する。嫌味の一つでも言いたくなり、思ったことがそのまま口に出た。
「兄貴の足が震えてるような・・・」
「準備運動だ。細かく震わすことに意味がある。覚えておくのだぞテンプレ」
「全身から汗が出てるネ」
「ふむ。どうやら身体も温まってきたようだ。そろそろ頃合といったところか」
「どんだけ前向きなんだよ!?頃合いどころか、俺達より先に終焉の使者の方が身体温まってるじゃないか!」
思わずつっ込みを入れてしまうテンプレ。
明らかな言動の矛盾。急ぎ兄の眼を覚まさなければ別意味で、俺達を迎えにくる使者の準備運動が終わってしまうと焦り、現実を認めさせるよう逃げ道を塞ぐべく言葉を選ぶ。
「死線を何度も乗り越え、数多の敵を倒してきた肉体を、今使わずして何時使うんだよ!」
「引越しの荷造り、そして運ぶ為だ!がははははは!」
「逝く準備が整ってたああああああああああ!?」
絶叫後。がっくりと項垂れる。
荷造りという整理ではなく、身辺整理をしておくべきだったと本気で思ってしまったテンプレだった。
なお、ここに追記しておくと。
クルリンとテンプレ兄弟は数年に及び、レディース鉱山の一部を支配していた魔物の主であり、決して弱くない魔物だ。
近隣に位置する帝都レディースレイクも彼らを含む魔物の存在に手を拱いていたのだが、街道に襲いに出てくる魔物は少なく、敵意を持って縄張りにさえ近づかなければ被害は出なかった為に、魔物魔獣の間引きは行われても、大規模な討伐は行われていなかったとされている。
結局の所。
謎の脅威は彼らの住処を通過するだけで遭遇することはなかった。安堵した彼ら兄弟は無事に出立できたのだが、彼ら以外にも知能を高く持つ魔物や獣は、こぞってレディース鉱山を離れて行ったという。
奇しくも同日、ノクトとサンラが追いかけっこを終え、剣術の稽古を始めた頃の事。
帝都レディースレイクと隣国の帝都カルテットを結ぶ街道を、厳重な警戒態勢が取られた馬車が歩を進めていた。
警戒にあたる人数が馬車内にいる人物がどれほど重要性の高い人物か物語っていたのだが、何やら様子がおかしい。
帝都レディースレイクと帝都カルテットを結ぶ街道は、指折りの安全地帯であり。街道から逸れなければ、まず獣にも魔物にも遭遇しないのだが、明らかに警戒態勢の質が異常なのだ。これではまるで、敵地の真ん中から味方陣地へ味方を護送している姿そのもの。
数は全部で十二、いや十三だ。馭者を覗き、馬に跨った騎士が左右それぞれ二行三列で展開しており、馬車の中から後方を窺っている者が居た。
目は鋭く血走っており、僅かな変化も逃すまいと警戒する姿は、例えるなら命の危機に瀕した戦人そのもの。
並の人間ならば、声を掛けるどころか真っ先に距離を置こうとするのだが、同じ馬車内にいる女性だけは違った。
「マクエルト。様子はどうかしら?」
小声だが凛とした声はよく通り、相手に届くと声の主に反応し視線を戻す。
「脅威の気配は遠くへと去りましたが、気は抜けません。このまま警戒態勢を維持し、レディースレイクへ帰都します」
「そう・・・無事に着いてくれれば良いけれど・・・」
彼女と彼の名は、フローラリア・レディース・レイクとヴェイル・マクエルト。
帝都レディースレイクの第二皇女とその近衛筆頭騎士である。
隣国、カルテットで行われた国事を終え、レディースレイクへ帰都の道中だった。ところが、突如現れた正体不明の脅威を感知し、周囲の警戒を厳にしているという経緯がある。既に脅威自体は遠くへ去っていったのだが不鮮明な点が多く、現状の戦力で出せる最大の警戒態勢のまま、帰都する判断を下したのだ。
洗練された訓練の成果もあるのだろう。一糸乱れぬ動きで進む姿は、何人も寄せ付けない雰囲気がある。
しかしながら、脅威の気配は去ったといっても原因が分からないことには気を抜くことができない。
再び現れ、次は襲われないという保障は何処にも無いのだから。
「あれほどの魔力を持った存在が、いったい何処から・・・」
「突然生まれた可能性を危惧すべきかもしれません」
応えを期待しての呟きではなかったが、返ってきた言葉に興味を持ち続きを促す。
「騎士そして魔士の鍛錬において、カルテット鉱山の見回り及び魔物獣の間引きが訓練の一環として取り入れられているのはご存知でしょう。しかしながら、あれほどの存在が今まで発見されなかった。・・・であれば、突如生まれた可能性が高い、そう私は判断いたします」
「突如生まれた?」
「はい。レディース鉱山は有数のキクノダイト鉱石の産出地。キクノダイト耐性の強い魔物や獣が鉱脈を食い漁り、強大な存在へと至った可能性があるということです」
息を呑み、上品に口に手を添えて感情を隠そうとしているものの、そんなまさかと声が漏れる。
「人間なら浸透を続ければ確実に砂化してしまうでしょう。ですが、獣や魔物ならあるいは・・・」
そう言いながら再び視線を後方へと向けるヴェイル。
内心の焦りを悟られぬよう振る舞いながらも、ゆっくりとしか進めぬ馬車に、歯痒さ、それも苛立ちに近い感情を覚える。
今の戦力で、あの脅威と遭遇すれば甚大な被害は免れないだろう。仮に、一騎打ちに持ち込めたとして勝てるかどうか断言できず、刺し違える覚悟で臨まねば負けるかもしれない。
あまりにも少なすぎる情報量は脅威をより膨らませ、同時に内側から気力と体力を奪っていく。
どんな情報でもいい。些細なことでも構わない。些細なことでも情報が欲しいと思っていた時だった。
「マクエルト様!」
馬車の外から声が聞こえた部下の声。
馬車周囲の護衛以外に、前方と後方から離れたところで二名ずつ部下が見張りをしている。
声が聞こえたのは進行方向からだ。
「何があった!」
進んだ先で何かが見つかったのだろう。馬車を止め防御の陣を敷く。
前方から掛けてきた部下が馬車の横へと付くと、その場にいる全員が一同に聞き耳を立てた。
「この先の街道にて不可解な形跡を確認しました!数は一つ。形は、その・・・形容しがたく、地面を抉った様な跡になります!」
「抉った様な跡?戦闘の跡か何かか?」
「魔法か何かを叩きつけた様な跡と見受けられました。街道を横切るように穴が開いており、人の頭が入る程度の大きさです」
「穴?」
間違いなく先ほどの脅威の仕業だろうが、情報が断片的過ぎる。
続きを聞けば、それ以外に目立ったものはなく、魔物や獣の気配も無いようだ。迂回路の無い一本道、状況が状況なだけに、危険性は低いものの防御の陣を敷いたまま進む。
しばらくの後。
報告のあった場所へ辿り着いた。
痕跡がはっきりと残っており、街道の進行方向に対し直角に楕円形の穴が空いている。
「こ、れは!?」
馬車から降り、その痕跡を直接目にしたヴェイルは驚愕した。
何故ならその跡が何を意味しているか悟ったからに他ならない。分かってしまった、そして事態の大きさに怯み、一歩後ずさる。
「マクエルト?どうしたの?」
動揺が馬車の中にも伝わってしまったのだろう、馬車から不安を孕んだ声がかかる。
自分の失態を悔やむが、取り繕っている場合ではない。それほどまでに状況が逼迫してしまったのだから。
「フローラリア皇女殿下。確認したい事があります」
「え?」
その場に居た全員が同じ声を出したのかもしれない。口が開く者、意味が分からないと表情を変える者等、反応は様々。
口で説明するより見せたほうが早いだろうと、ヴェイルは判断した。
「見ていてください」
掛け声の後。
魔力を篭め、思いっきり後ろへと地面を蹴り込む。
正確に言えば、地面をただ蹴るのでなく、わざと抉るよう爪先を意識しての蹴り込み。比較しやすいよう、蹴った場所は痕跡の真横だ。
巻き上がった土煙が晴れれば結果が見えるだろう。
やがて立ち込めていた煙が消え去れば、穴が二つ現れる。
隣に比べて遜色ない同じ跡が掘りあがった。
「まさかこれ程とは・・・」
説明が中々始まらないことに不安を覚えたのか、馬車から身を乗り出してフローラリアは声を掛ける。
「どういう、ことでしょう?」
「・・・」
「黙っていないで説明なさい!ヴェイル・マクエルト!」
「フローラリア皇女殿下。私は今、全力に近い力を篭めて地を蹴りました」
ゆっくりと返事をする。
そんな事は分かっていますと、要点を早く教えて欲しいと聞こえてきそうな表情をフローラリアは浮かべるが、この説明の時間が必要との判断からだ。現実を受け止める時間を一秒でも長く用意する為に。
「出来た穴は同じものが二つ。つまり、この脅威は少なくとも、私と近しい魔力を持って山の上から下へと駆け抜けていった。と言うことです」
「そんな!?」
驚いたのはフローラリアだけではない。様子が見えていた部下、見えていなかった者にも伝わり、列が乱れ始めるが。
「狼狽えるな!」
と、ヴェイルの一喝で我に返った。防御の陣が解けかけていたことに皆が気が付き、慌てて立て直す。
「あまり参考にはなりませんが、仮に脅威が直線的に移動したとすれば、幸いにも位置的にレディースレイクからは外れています。脅威の狙いも目的も定かではありません。今は一刻でも早く帰都し、この情報を持ち帰る事を優先したいと申し上げます」
「分かり、ました・・・」
事の大きさにフローラリアは真っ青になり、生きた彫刻のように固まってしまった。
兎に角今は一刻も早く帰都すべきと、進行を再開したのだが。
「そんな・・・まさか・・・」
馬車内で自問自答するフローラリアを見て、伝えたのが断片的で正解だったとヴェイルは内心思う。
そして沈黙してくれたことで、考える時間を作ることができた。
自身も警戒を最大限にしたまま、残った意識の片隅で情報を整理していく。
「・・・」
突如現れた脅威。何故だか分からないが余程急ぎ駆け抜けたのだろう。馬車が互いに交差できる程の道幅があるにも関わらず、痕跡は道の真ん中に一箇所だけということが、歩幅の長さを差し、脅威の出していた速度を連想させることを容易にする。
何かから逃げていたかと思ったが即座に否定した。
感じられた脅威の存在は一つのみ。
追いかける側が居たのであればもう一つ存在を感知しても不思議でないが、二つ目は感じられなかった。仮に居たとしてもあの存在を相手に、魔法も鉱術も使わず追いかけられるはずもない、とすれば逆も然り。
背丈も、それほど大きくないだろう。進行方向の前後で木々が倒れたり煙が上がっていないことから、ある程度知能が有り理性も有る存在と想定できる。穴の形からも獣の類は可能性として低く、二足歩行を視野に入れれば魔物の可能性の方が高い。
だが、魔物と仮定したとして、どう対策を取るとしても範囲が広すぎて話にならず、魔物の目的や意図から対策を考えようとも思ったがこちらも不明。
一度レディースレイクに戻り、情報収集の為に森の中を調べる必要もあるかもしれない。
思考が纏まらずにいると。
「・・・人、か?いや、有り得ないな」
おかしな考えに辿り着き呟きがこぼれた。
行き詰まり、これが人間の仕業だったら、と馬鹿げた事さえ考えてしまう近衛筆頭騎士ヴェイル・マクエルト。
この考えも即座に否定してしまったが、実は一番正解に近いものだったと、この時の彼に知る由もない。
地面を抉るような走り方は無知な人間がすることであり、魔力の無駄遣いの代表格。魔力の消費を体力で例えるなら、平地と泥沼を走るくらいの差が出てしまうからだ。
騎士院でも、田舎にある小さな学校でも真っ先に教えるほど初歩的な事だからこそ、ヴェイル・マクエルトは、正しく間違った判断をしてしまった。
だが判断を違えただけで終わらず、偶然にも出揃った情報に先入観が働きかけ最終的にとんでもない誤りに辿り着いてしまう。
「―――まさかっ」
「マクエルト、どうかしたの?」
とんでもない速度で森を駆け。
ある程度の知能を持ち。
突如生まれたばかり可能性を秘めているにも関わらず。
湯水の如く使い続けられる魔力量を持ちながら、余りにも遣い方が稚拙だと言う事が導く答えは。
「・・・魔王の出現!?」
彼女らが持ち帰った情報が後に、帝都レディースレイクに大きな混乱を招くことになるのだが、当事者であるエヴァンス親子は知る由もなかった。




