第14話 美女と仮面
次から次へと後方へ流れ行く街並み。
街路灯に備え付けられたキクノダイト鉱石が発行する様子は何処か幻想的で、儚い気持ちにも感じさせてくれるものだなとノクトは思う。
人数も疎らになった外周街を駆け抜けて内周街へと入れば、目に付くのは頑丈な塀に守られた貴族や商人の屋敷ばかり。閑散としていて、一見何の気配も感じられないが、ノクトは駆けながらも闇に潜む存在らをはっきりと認識していた。
「(・・・やけに多いな)」
悟られず。気付かれず。潜む者達の横を、頭上を、ひらりひらりと通過して行く。
王宮からの通達により警備を強化、任されている者らからすれば情けない話ではあるのだが、気付けないのだからどうしようもない。万が一の可能性を考慮した経路の選択でさえ不要となっているのは、身に着けている仮面と外套の隠密効果に加え、個人技術の高さがそれを可能としていた。
そして、一切に感づかれる事も無く内周街を一直線に駆け抜けたノクトは王宮内への潜伏に成功する。
物陰にいったん身を潜めたまではよかったのだが・・・
「・・・・・・・」
侵入して早々、想定外の出来事がノクトを待ち受けていた。それは人の多さだ。
もっと言えば、近衛兵の数が普通ではないと一目で分かるほどのもの。
周囲を観察すればするほど警備兵の多さが目立ち、物陰から様子を見ているだけだというのに、視界に入るのは一人や二人ではない。しかしながら、場の空気がそれほど重くないと感じられるのは、目の前を通過していく兵らの会話もあってのことだろうか。
「さっきからそればっかりじゃねえか、任務に集中しろよ」
「ほんとだって!信じてくれよ!俺この目でめっちゃすごい美人を見たんだって!女神に違いない、本当に居たんだって!」
「はいはい。そういうことにしておくさ」
物陰から他の様子を含め、伺う事少し。
「(夜会でも開かれているのか?)」
そう思うくらい、警戒とは程遠い印象を受ける。だが数だけは、内周街といい、王宮といい、前回とは比べ物にならないくらい多いのは間違いない。厳戒態勢とまではいかないにしても、普通では考えられないの人数なのは確かだ。これは何かあると前提に置いてでも、より慎重に目的地まで行くべきだろう。
前回と同じ道なりに行くのは止めして、多少の回り道は止むを得ないと判断。
目の前を二組の近衛兵が通過したのを見送ってから再び行動を開始した。
夜中の広い王宮の中を、まるで平地を駆けるようトンットンッと壁を登り、音も無く通路をすいすい駆け抜ける。まだ数度としか来ていない王宮、大体の位置は頭に入っているとはいえ、詳細なんて分かるはずもないというのに・・・
たどり着ける。
そんな根拠の無い確信めいた自信がノクトにはあった。
「ここか」
そして辿り着いた高い壁。
この壁の向こうにあの庭がある。そう感じたと同時、ノクトは僅かな魔力の粒子をその場へと残し跳躍した。まるでお手本の様な無駄の無い跳躍は、ぐんぐん夜空へと届きそうな勢いで伸びていく。
視界には壁が見え。
壁を抜けたところで視界一杯に庭が広がった。
跳躍の頂点でしか見れないそれは、庭を大きな絵画に見立てた絵図のようで、感動を覚えずには居られない。
綺麗に区分けされた花壇に、中心で湧き出る小さな噴水。少しの照明と月光に照らされた花々は朝とは違い、間近で見るのとは全くの別物だと印象を受ける。
これ程の庭だったのか、と驚かされた。
「すごいな・・・」
息子にも見せてあげたいと考えたのも一瞬。全身に感じた浮遊感が、それ以上考えるのを止めさせたのは、着地の準備だからと割り切ったからなのか・・・
若干勢いが余ってしまい、そのまま壁を飛び越える形で庭へと入った、が。
またも思いもよらない事態に遭遇してしまう。
それは着地地点を確認すべくノクトが視線を向けた矢先の出来事。
そこに誰かが居たのだ。約束していた人物が。
「え?」
「あ」
ノクトは、着地地点の近くに居た彼女に気付き。ユーティリアは、まるで空から舞い降りてきたかのように現れた仮面の男に気付く。
目と目が合い、互いに動きが止まる。
まさかこんなことになろうとは思いもしなかった。
一目見ただけ、たったそれだけの事なのに・・・
彼女から目が離せなくなるとは思いもせず、どちらかと言えば目を離すことができないに近い。心臓が鷲掴みにされたかのように苦しくなり、血液を送り出す勢いが増しているのが自分でも分かる。ドクンドクンと強く早く脈を打っているというのに破裂しないのが不思議なくらいだ。
それでいてこの水中を進むような感覚は嫌じゃない。このまま身を任せていたいとさえ思えてしまう。
この胸に感じる思いは何と表現するのだったか。そう考えるが答えが出せず、当てずっぽうに思い浮かべる他に手立てがない。
歳なのか。まだ若い方、のはずだ違うだろう。
走り疲れたか。日々訓練は欠かしていないからこれも違う。
いくつか思い当たる節を片っ端から自問自答しても答えが出せずに居ると。
声が思考に割り込んできた。
「―――あぶない!」
「!?」
ユーティリアの声が聞こえると同時に我に返った。
跳躍後の着地を見据えていた姿勢は崩れ、このままいけば顔から地面へと直撃するのは明白。普段通りなら魔力で足場を作り着地するのも容易く、柔らかな着地だってできたはずだ。
どうしてこうなってしまったのかという答えは、見とれてしまった、に、他ならず。自分自身が見惚れていたとは思いもしない。その心と体のずれが今の状況を作り出してしまったのだが、今のノクトに分かるはずもなかった。
すぐさま襲ってきた衝撃に、ほんの僅かな時間だけ意識を手放す。
「ぐふっ!」
咄嗟の判断で取った受身と弾力性の有る庭の土だったのが功を奏した。
全てを受け流す事はできなかったものの、無傷に近い状態での着地に至ることができた。ただし、大の字に近いと言う無様な姿ではあったけれど。
素人から見れば受身は大げさに見えるというが本当らしく、ノクトが全身を地面に激しく打ちつけたのを見たユーティリアは驚き、そして焦りドレスが汚れるのもいとわず近寄った。
「大丈夫ですか!?」
両膝を地面に付き、手を伸ばす。
怪我の具合を見ようと差し出された手はノクトの仮面に触れるかと思いきや、触れる寸前で思い留められた。以前ユーティリアが仮面へ触れようとして拒絶された時のを思い出たからだ。
拒絶されるのが怖い。
それでも触れたいという衝動が勝ると、一度止めた手を再び伸ばし始める。
「ぃっっぅぅ」
「ぁっ・・・」
触れるか触れないかという僅かな隙間まで近づいたところで呻き声が上がった。
いつの間にか伸ばされた手は潜み、ノクトは身体を起こす。
幸いというべきなのか、痛みと少しの時間が冷静な思考を取り戻すのに十分な役割を果たしてくれたおかげで、どんな状況になったのかが把握する事ができた。
服装を正し汚れを掃いながら声を掛けるのは、ノクトなりの照れ隠しといったところなのだろう。ユーティリアもその姿を見て何事もなかったのだろうと安堵でき、胸をほっと撫で下ろす。
「お怪我はありませんか?仮面様」
「ああ、大丈夫。といっても、見ての通りだけどね」
「お身体が大丈夫ならよいのです。まさかとは思いますけど前回も空から来られたのですか?」
「否定するつもりはないさ。こんな姿も見られてしまったし今更だ」
驚き。呆れ。と、表情がコロコロと変わり見ていて飽きない。
少しして表情に何か聞いてみたいと浮かんだので、ノクトは声を掛けてみた。
「どうかしたのか?」
「・・・まさか本当に空から来てくれると思わなかったので・・・驚いています」
「それは・・・そうだよな。返す言葉も無い」
「前回は、気付いた時には庭にいらっしゃいましたから。先程までのお待ちしていた間、どうやって入ってきたんだろうって考えていたんです。部屋の扉からでないとすれば、空からかなーって、そしたら本当に空から来るんですもの。流石は不審者さんですね」
「おいおい」
根にもっていたのかと言いかけて止めた。何故なら見ほれるくらいの笑顔がユーティリアに浮かんでいたから。
むしろ言葉の駆引きを楽しみたい、そんな気持ちさえ今は浮かぶ。
「だって、こんな夜中に約束しておきながら、仮面を付けて、外套まで・・・ここを何処か知っていますか?」
「庭だな。手入れの行き届いた、良い庭だ。おまけに君が居た、それだけだ」
「・・・。本当にそう思っています?」
やけに心拍が速く、自身に焦りが滲む。
どうやら今の自分はどうかしているらしく、これは早々に切り上げるべきだと、心のどこかで警報が鳴らされている気がしてしょうがない。
ユーティリアの前にし、ノクトはいつもの調子が出ず。とにかく用事を済ませようと、近くに立掛けてある探し物へと目を向けるのだが・・・
「まあいいさ。それよりも本題だ。そろそろ、その剣を返してもらいた―――」
「あ!今日は良い夜空ですね、雲一つ無い素敵な星空ですよ!」
まるで用意してあったかのような返事をユーティリアは被せてきた。
「・・・約束どおり返してもらえれば、一人で好きなだけ楽しめるぞ」
「実はこんなこともあろうかと、お茶の用意をしてあるんです」
「・・・自分で言うのも何だが、不審者にお茶なんか出してていいのか?それも夜中に。というかそもそもお茶って夜に飲むもんじゃないと思」
「私夜空の下でお茶をするなんて初めてなんです。お茶菓子もありますから一緒にいかがですか!」
「さっきから強引過ぎるだろ!?・・・ったく、ちなみに嫌だと言ったらどうなるんだ?」
「どうしましょう。考えていませんでした。とりあえず、助けてとでも叫びましょうか?」
「本気じゃないよな!?」
参った。
どういう訳か返してくれる気がないらしい。
仕方無しにユーティリアの表情から少しでも情報を読み取ろうと、ノクトがユーティリアへと視線を向けた時だ。
「ったく、君には困った―――、・・・」
一瞬の気の緩み。
今の今までどうして気が付かなかったのか。
普段着ではない。とある目的の為、用意されたドレスを身に纏った魅惑的な彼女の姿が映る。
「どうしても・・・だめ、ですか・・・」
中々自分の意を酌んでくれない相手に悲しさから、無意識に自らの身体を浅く抱くことでより強調される豊かな胸。加えて未だ発展途上ながらも身体が描く曲線の威力は凄まじく、ノクトの自制心を容易く削る。
まるで剥がれ落ちた自制心が胃袋へと落ちていくようにゴクリと息を飲んだ。すなわちそれは、ノクトの敗北を意味した。
「スコシダケナラ」
「っ!こちらへ!聞きたいことがたくさんあるんです!」
「ハイ、オツキアイシマス」
手を引かれ、流されるがままに席へと座らされるノクト。
どうしてこうなってしまったのか分からない。すぐさま彼女から質問攻めが始まったものの、やはりどこか楽しくて、嫌ではないと思う自分がいたのであった。
ユーティリアによる質問攻めが続いている頃、アナシアはユーティリアの部屋の前、物陰に身を潜めていた。
広く見晴らしの良い廊下の脇に立ち並ぶ花瓶や彫刻等の数々。夜と言うこともあり若干薄暗く静寂に包まれた廊下は、どこか怖さを感じさせるものがある。
だというのにアナシアは、雰囲気がもたらす影響を感じてさえいないというかのように微動だしておらず、むしろその姿は、狩人を連想させた。獲物は何処だと右往左往瞳が動き、些細な動きさえ見逃すものかと全身が語り、鼠一匹たりとも見逃すつもりはないのだろう。
それほどまでにアナシアが見張っている理由は言ってしまえば単純。主であるユーティリアを思っての行動だった。
「公爵家やそれに連なる殿方なら良し・・・卑しき身分、身分が良くとも評判が悪ければここで・・・」
軽く目が据わったり、警戒心を露にしたりと様々だが、それは自分の責任から来るもの。
原因は少し遡った夕刻。ユーティリアに施している普段の化粧と異なり、初めてユーティリアの魅力を引き出し際立たせる為の化粧を施している最中に、突如ユーティリアが逃げ出したからだ。そう大した時間も掛からずに連れ戻す事に成功はしたけれど、ユーティリアの姿を見た者は少なからず居る。
今はまだ噂程度のようだが、この先どうなることか・・・
この手の話を嗅ぎ付けるのが貴族というものだと重々理解している。
だからこそ、ユーティリア様の本来の魅力を隠し続けてきた自分が担い、全うしなければならない。
「あのユーティリア様の姿を見られる幸せ者は何処のどいつなのかしら・・・」
日常からユーティリアに対し良い思いを持っている人間は少ないけれど、今回の事で卑しい考えを持つ貴族が出てもおかしくはないとアナシアは踏んだのだ。だからこそ、もしそんな輩であれば自分の命を捨ててでも、と、覚悟を決めている。
普段から彼女が、化粧でユーティリアの魅力を隠し続けてきた理由は分からないけれど、それほどまでにアナシアをかきたてる理由がユーティリアの今の姿にはあった。
決してアナシアの思い込みや過言等ではなく。あまりにも美しく女性として魅惑で魅力に優れた容姿は、まさに国宝級。彼女を争った戦争が起きても何ら不思議ではない。だというのに、未だ発展途上であって、伸び代は有り余るとなれば、それを知った権力を持つ者達はどう思うだろうか。
想像もしたくない。
彼女ほどこの帝都の未来を考えている人間は居ない。
きっとユーティリア様について知る者は自分一人しかいないだろう。ユーティリア様の凄さを広めたい。そして思いを届けてあげたい。
だが、ある理由から周囲が良しとせず、日の目を浴びぬよう蓋をされ続けている現在だ。
「・・・どうかお願いします神様。今日の出逢いがユーティリア様にとって素敵なものありますように」
一瞬見えたかに思う涙は、キッと引き締めた表情と供に消える。
いつかユーティリア様を光の当たる地へ導いてくれる出逢いがあると信じ、アナシアはお鍋を被りなおした。




